因縁の場所
2032年 インディペンデントシティ
凍てつく空気が支配する「ライナー孤児院」には、今日も子供たちの悲鳴と罵声が響いていた。 「おいクソガキ、もたもたするな! 庭に出ろ!」 職員の振るった鞭が、痩せこけた少年の背中を叩く。少年は弾かれたように極寒の庭へと飛び出した。 そこでは、泥にまみれた少年たちが匍匐前進を繰り返し、ボクシングの訓練と称した殴り合いを強いられていた。主導するのは、顔中に深い傷跡を持つ元傭兵の男だ。 「てめえらは教祖様に生かされてるんだ。兵隊として役に立つか、死ぬか。道は二つに一つだ!」 一方、少女たちは屈強な女性職員に引きずられ、無機質な別館へと連行されていた。正面駐車場には、この街の「上流階級」が乗る黒塗りの高級車が並んでいる。個室に閉じ込められた少女たちを待っているのは、信仰とは程遠い、欲望にまみれた「接待」という名の地獄だった。
翌日
街の中心にそびえる「セント・ライナー大聖堂」は、虚飾の輝きに包まれていた。 今日はクリスマス。教祖ライナーが率いる新興宗教「ライナー教会」のスポンサー会合が開かれる。この教団の教義は「欲望の肯定」だ。禁欲を否定するライナーは、元副市長の父と、インドのIT巨人『ジュガリ・テック』の令嬢を母に持つ、この街で最も汚れきった富豪の一人だった。
ステージに現れたライナーは、金色のローブを翻し、頭には不釣り合いな王冠を載せている。小太りで生え際の寂しい中年男が、威厳を求めて気取って歩く姿は滑稽そのものだった。彼の両脇には、純白のローブの下にサブマシンガンを隠し持った私設兵「護教隊」が、獲物を狙う鷹のような目で周囲を威圧している。
「親愛なる友人たちよ、メリークリスマス! 聖夜はどんちゃん騒ぎのためにある。乾杯!」 ライナーのだみ声に合わせ、インディペンデントシティの市長、郵政局長、大統領報道官といった権力者たちが一斉にグラスを掲げた。中にはライナーの傀儡としてジュガリ・テック・アメリカの支社長に収まったグローリアスの姿もある。
宴が最高潮に達したその時、突如として高らかなラッパの音が響き渡った。 サンタクロースに扮した四名の男女が舞台袖から飛び出し、ライナーの演説を遮る。彼らが背負った袋から次々とプレゼントをばら撒く様子に、ライナーは顔をひきつらせた。「これは……どういう演出だ?」護教隊の男が無線に怒鳴り込む。「6番!グウェン管理官を出せ、このコスプレ野郎どもは一体――」だが、無線から返ってきたのは陽気な男の声だった。 『メリークリスマス。ライナー様によろしく伝えてくれ。』
直後、ばら撒かれたプレゼントが爆発した。カラフルな煙と共に、サンタのイラストが描かれた無数の紙吹雪が舞い散る。 「クソッ……あいつだ! ミスター・サンタクロースだ!」 ライナーが絶叫した。ミスター・サンタクロース。クリスマスにのみ現れ、悪徳富豪の財産を奪い、貧困家庭に札束を置いていく謎の怪盗。大衆は彼を義賊と呼び、奪われる側の権力者は彼を「最悪の疫病神」と呪っていた。
プレゼントに仕込まれた煙は、肺を焼くような催涙ガスへと変わり、優雅な晩餐会は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと化した。
混乱する大聖堂の裏手、ライナーの私邸。 書斎では、サンタとトナカイのマスクを被った二人の男が、手際よく金庫をこじ開けていた。 「やっぱり溜め込んでやがったな、このブタ」トナカイが吐き捨てる。 「裏金こそが彼の信仰心なんだろうね」サンタは落ち着いた声で返し、宝石と金塊をバッグに詰め込んだ。
その時、聖堂と繋がっているかくし扉から鎖の擦れる音がした。 現れたのは、ミスター・サンタクロースの一味に拘束され、首輪と足かせを嵌められた教祖ライナー本人だった。 「貴様ら……私の書斎を汚しおって……!」「おじさん、まだ自分が教祖だと思ってるの?」 サンタがピストルを突きつける。ライナーの顔から血の気が引いた。 「ま、待て! ミスター・サンタクロースは殺生はしないはずだ!」 「そうだね。僕は『人間』は殺さない。でも、君は人でなしの所業を重ねすぎた」 サンタの指が引き金にかかる。「ひ、ひいいっ! 何が望みだ!?」
サンタは静かに銃口を下げた。 「条件は二つ。一つ、この盗難を事件にしないこと。先生のお仲間が少女たちを虐待している証拠映像、そしてお仲間の汚職データ……このUSBの内容を世間にバラされたくなければね。僕はこれを『権力』として保有させてもらう。いつでも君を破滅させられるスイッチとして」ライナーはガタガタと震えながら頷く「二つ目……この書類にサインしろ」ミスター・サンタクロースが突きつけたのは孤児院の経営権の譲渡書であった。
三日後
孤児院の会議室。 院長のトードルは、冷や汗を拭いながら新理事長を待っていた。突然届いた理事会の刷新通知。古参である自分に何の相談もなかったことに苛立ちと不安が募る。ドアが開き、元傭兵の警備責任者ピートに案内され、一人の青年が入室してきた。 トードルはその顔を見た瞬間、凍りついた。「お、お前は……アルバートか!?」それは、かつてトードルが「盗人アルバート」と呼んで徹底的に痛めつけていた孤児の成長した姿だった。「無礼だな、院長。」アルバートは冷徹な目でトードルを見下ろし、一枚の書類を叩きつけた。「理事会の決定だ。本日付で、あんたを含む全職員を解雇する」 「な……私怨で人事を私物化するのか!?」 逆上するトードル。だが、背後に立つピートがその肩を力強く掴んだ。 「聞き分けろよ、トードル。俺は理事長に高給で雇い直された。あんたの味方をする義理はない」
数日後
新理事長アルバートが招いたのは、貧困支援NPOを率いる聖職者エリザベスだった。 彼女は孤児院の実態を知ると、即座にトードルら旧職員を警察へ告発した。運営はエリザベスの組織に委託され、暴力と罵声は消えた。
朝、目を覚ました子供たちは歓声を上げた。玄関先に、山のようなプレゼントが積まれていたからだ。 柔らかな毛布、色鮮やかな絵本、そして甘いお菓子。
驚くエリザベス院長に対し、アルバート理事長は窓の外を見つめながら、少しだけ口角を上げた。「いいじゃないですか。受け取っておきましょう。それはきっと、何年も遅れて届いた『本当のクリスマス』なんですから。」




