プロローグ③ 残された誓い
「ふっ、どうやら準備が整ったようだな」
「……一体、何の話をしておるのじゃ」
一方そのころ、
その場に残ってヴァ―テルと激しい死闘を繰り広げていたエルダーは、ヴァ―テルがルウとミネラ、そしてアメアが駆けて行った森の方をずっと眺めていることに気づいた。すでに体中傷だらけでいつ倒れてもおかしくないエルダーに対し、ヴァ―テルは相変わらず擦り傷一つ着くことなく涼しい顔をしている。
「我はここで一時的に離脱させてもらう。少しの間だけでも、面白いショーを見ておきたいのでな」
「なっ!? お、おい待たんか!」
大きく後ろに跳躍してあっという間に姿を消したヴァ―テルを見送ったエルダーは、困惑の表情を隠しきれなかった。
「い、一体どういうことなのじゃ……?」
あまりに意味不明な状況に狼狽えていると、突如
ドンッと
エルダーの真後ろですさまじい音と共に砂煙が上がり、ついさっきまで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「くそ……! 一体どこに行ったんだ! 出てきてください、師匠!」
それは、先ほど逃がしたはずのルウだった。
「お、お主!? ここで何をやっておるのじゃ? 早くミネラと一緒にここから――」
エルダーが彼に向かって声を掛けるが、その直後、ルウは俊敏な動きでエルダーに迫り、氷の剣を彼にむかって振り下ろす。とっさの反応で杖剣を構えなければ、あっという間に氷漬けのまま切り刻まれていただろう。
そのまま剣戟に持ち込まれ、剣を打ち付ける激しい音が鳴り響く。
「師匠! どうして俺たちを裏切ったんですか!? あれは一体どういうつもりですか!」
「ま、待て! 一体何のことじゃ!?」
「とぼけないでください! 不意打ちで背中を刺したくせに何を言いますか!? あんたがそんな腐った性根の持ち主だと知っていたら、俺はあんたを師匠になんて選ばなかったのに!」
ルウの一つ一つの一撃が、かつてないほど重い。エルダーもこれほどまでの力を彼から受けたことなどなく、互角に打ち合うのがやっとの状態だった。一体どのような感情が、彼を支配しているというのか。
「今すぐミネラの傷を治してください! 早くしないと彼女が死んでしまいます!」
「い、一旦落ち着くのじゃ! ワシはあれからここを離れておらん。今までずっと奴と戦っておったのじゃ。このワシの姿を見てまだ気づかぬのか!」
「……っ!?」
そう言われて、ルウははっと我に返ったように落ち着き、エルダーの体を一瞥した。
エルダーの傷は、先ほどルウが見た時より比べ物にならない程に酷くなっており、森の中で見たエルダーと同一人物とはとても思えなかった。切りつけた感覚は全くなかったので、自分が与えたものとも考えにくい。そもそも自分の師匠相手にこんな傷を負わせるほど追い詰められるなど、到底あり得ないことだった。
ルウの頭の中で、疑問符が大量に浮かんでいく。
「……そ、そんな。でも、俺は確かにあそこであんたを見て――」
と、その時だった。
「『ブラック・トーンズ』」
どこからともなく呪文の詠唱が響き渡り、剣を重ねている二人の頭上に、巨大な紫色の魔方陣が出現する。嫌な予感を察したエルダーが左方を見やると、先ほどまでヴァ―テルがいた場所に、いつの間にか彼が戻ってきており、そこにも体の大きさ程の魔方陣が顕現していた。
そして彼は魔法を唱える。勝ち誇ったような卑しい笑みを浮かべながら。
「これで――チェックメイトだ」
刹那
頭上の巨大な魔方陣から黒いとげのようなものが数十本ほど伸びてきて、それらが一気に二人に襲い掛かる。
「『ソリッド・ディフェンス!』」
エルダーはすぐさま守備魔法を唱えて頭上に結界を張るが、黒いとげの威力はあまりに強く、ものの2、3秒で破壊されてしまった。そこからは迫りくる黒いとげにひたすら斬撃を放ちながら、前後左右に動き回りつつ魔方陣の範囲外へと離れていった。
どうにか全てのとげを躱しきったエルダーが再び前を向き、
「……師、匠?」
そこで彼は、絶望に打ちひしがれた。
とっさのことで反応が遅れてしまったルウが、ものの見事にくろいとげの餌食となった。黒いとげに体を幾重にも突き刺されており、地面にしっかり固定されてしまっていた。どう考えても助かるような状況ではない。
「ル、ルーミスト!!」
あまりにもむごい最期を迎えようとしている弟子を前に言葉を失っていると、ルウ――改めルーミストは、頭をわずかに動かし、エルダーを視界にとらえ、力いっぱい言葉を絞り出した。
「……どうか、逃げて……、くだ、さい」
悔しさと絶望の涙で顔をぐしゃぐしゃにして、それでも最後の力を振り絞りながら。
「カー、テネラ、を……、どう、か――!!」
直後、5本の白槍が四方八方からルーミストを貫き、一瞬で絶命へと追い込んだ。
それは、死に際の痙攣すら許さない徹底的な惨殺。
「ちっ、一人取り逃したか。しかしまぁ何と味気ない事よ。これが長年の縁を瞬時に切り捨てる愚か者の末路というものなのか」
しばし呆然としているエルダーが再び左方の方を向くと、ヴァ―テルが笑みを絶やさぬままにこちらを盛大に見下していた。そしてその隣には、エルダーと全く同じ姿をした、もう一人のエルダーがいた。
その姿かたちが見る間に変形していき――元の姿に戻ったアメアが、そこにいた。
「仲間ってぇ~? 何なんでしょうねぇ~? フフ、ウッフフフフフフフ♡」
ただひたすら、己の無力感を実感させられながら、エルダーは自らの拳を握りしめる。
「まあ仕方あるまい。では、続きをしようか。エルダー……うん?」
そんな中でも、ヴァ―テルは全てを終わらせるために再びエルダーへと向き直るのだが、
彼は既に後ろを向いていた。
その場から、全力で逃げるために。
「……はっ?」
「へぇ……?」
あまりに予想外の行動に、ヴァ―テルとアメアは面食らった。だが呆然としている間にエルダーの姿が瞬時に見えなくなると、途端にヴァ―テルは、これまでにないほど盛大に笑い出した。
「……は、はは、あっはははははははははは!! い、一体なんだあれは!? あれほどの大口を叩いておいて、仲間が死んだ途端に尻尾を巻いて逃げると言うのか! なんと無様で情けない! かような生き恥など、よくこの場で晒せるものだあっはっはっはっは!」
「よ、よろしいのですか、ヴァ―テル様? あの爺やを始末しなくて」
「かまわん。あれこそ真の意味で殺す価値のない男というものだ。あのような愚か者は、毛布の中で震えながら一生を終えるのがお似合いというものよ!」
暗闇の中、王者の嘲笑がいつまでも闇夜にこだましていた。
命からがら逃げ延びたエルダーは、その途中、既に息のないミネラの遺体を発見した。彼女の脈がないことを確認すると、ルーミストが最期に残した言葉を、何度も胸の中で反復していた。
『カー、テネラ、を……、どう、か――!!』
せめて、あの子だけでも自分が守らなければいけないと。彼はそう堅く誓った。
プロローグ部分はこれにて終了です。
次回からようやく本編に入っていきます。