プロローグ① 未来に生きるあなたへ
フクロウが哀しげに鳴いていた。
そんな森の奥深くにひっそりと息を潜めるのは、大理石でできた数々の遺跡群。神殿なのか、何らかの儀式の会場なのか、それともただの家なのか。もはや何のために存在したのかすらわからない多くの遺跡が、苔を生やしながらも、じっと建っている。
すると、パラパラと音を立てながら、一つの建造物の一部が瓦礫と共に崩れ落ちた。
いつもなら、単なる劣化だと笑い飛ばしても良かったかもしれない。しかし、今回ばかりはそうはいかなかった。
この辺りの地域に伝わる昔話に、こんな言い回しがある。
何か大きな物事の前兆というのは、いつも、遥か昔に、突然やってくるものだと。
ゴッという大きな音が轟き、一際大きい中央の建造物の壁が吹き飛んだ。
後から来る凄まじい風と共に吹き飛んできたのは、うら若い一組の男女と、杖剣を携えた一人の爺や。三人まとめて地面に叩きつけられ、直後に全員がその場で跳ね起きた。
だが、もし仮にこの現場に誰かが居合わせたとすれば、彼らが持つ美しい羽と尖った耳に目を奪われただろう。
そして思うはずだ。何故こんな所にエルフが居るのかと。
「……あ、あれはまずい! 一旦引くのじゃ!」
「ミネラ! 大丈夫か!」
「問題ない、ルウ。私の方は別に――」
直後、ゴゴゴッと激しい轟音を響かせながら、中央の遺跡が呆気なく崩れ落ちた。
瞬く間に周囲に撒き散らされる粉塵。それが晴れた頃、先程まで遺跡があった場所に、居るはずのない人影が二人。
うち一人の男は、吹き飛ばされた三人組と同じく美しい羽に尖った耳を持っていた。しかし、エルフと呼ぶにはどこか違和感があった。肌は薄く紫がかっており、爪は異様に長く、鋭い眼光が周囲を威圧させる。ターザンのような布の衣装からは強靭な筋肉が露わになり、近寄りがたい異質な雰囲気を漂わせていた。
もう一人は、もはや人間でもエルフでもない、小悪魔の如き女だった。より具体的にいえば、サキュバスのような外見をしていた。
蝙蝠の羽と黒い尻尾が生えており、ニヤリと笑う口元からは鋭利な牙がはみ出していた。身につけている黒を基調とした衣装は異様に露出が激しく、豊満な胸をむしろ自分から見せつけてくるかのような姿をしていた。背丈も小さく、周りからの庇護欲をそそりにいっているかのようだった。
「我を王たる器と知っての愚弄か、下等なるエルフ共よ」
金髪をたなびかせ、琥珀色の瞳で睨みつけながら、大鷲があつらえられた杖を掲げて男が言う。
「この時代に私たちの封印を解いちゃうなんて、命知らずも甚だしいですわね、ヴァーテル様〜♡」
茶髪に同じく琥珀色の瞳を宿し、半月型のナイフを構えながら、女は舌なめずりをする。
「くっ……! エ、エルダー師匠! あいつら一体何者なんです!?」
「わからん! あの様な化け物がこの神殿にいるなど、聞いたこともないわい!」
ルウと爺やの会話を聞いたサキュバスの女は、ヴァーテルという男に向かって、こてんと首を傾げた。
「あーらまぁヴァーテル様。あの三人、どうやら私たちのことをまともに知りもしないようですよ?」
「……どうやらそのようだな。全く、碌な知識もないくせに封印を解かれるとは、我々も随分と舐められたものだ」
そう言って、ヴァーテルと呼ばれた男が手にしている杖を掲げる。
途端、彼の目の前に、巨大な白い槍の物体が五つ顕現し、空中に漂う。
「遥かなる昔、人間の叡智を結集して作り出された裁きの力。……刮目せよ」
そして、内三つの矛先がそれぞれ三人ずつに向けられ、一斉に放たれた。彼らは横跳びや後ろに退くことでギリギリ躱していったが、ある白槍は森の木の幹を次々に貫いて大きな道を作り、またある白槍は大理石でできた遺跡を粉々に砕いていった。少しでも掠めれば、その体の部位がバラバラになるのは目に見えていた。
「ふざけんな! 俺たちはな……、こんな所で死ぬ訳には行かねえんだよ!」
ルウはとぶ勢いを殺さないまま地を転がり続け、ようやく収まった頃には、既に火属性魔法の下準備を済ませていた。手の平に魔法陣が展開され、炎に包まれていく。
「『フレイム・ボール!』」
瞬間、巨大な炎の塊が射出され、二人の化け物を一瞬で丸ごと飲み込んだ。炎はなおも消えることなく、二人がいた場所だけが激しく燃え続けている。
「やったな! お前凄いじゃないか!」
「いや……。まだじゃな」
はしゃいで喜んでいる様子のミネラに対し、エルダーは警戒をやめぬよう促す。あの様子なら幾分かは傷を負わせられただろうが、いまだにあの二人の底が知れぬ以上、油断はできないからだ。
その直後、燃え盛っていた炎が突然吹き飛ばされ、あの二人が再びそこに立っていた。
果たして――二人は全くの無傷だった。
よく見ると、五本あった白槍の内の一つが変形して、二人の前に一枚の大きな盾を築いていた。その盾もまた一切の傷を残さず、変形して再び白槍に姿を変える。
「効いて、ない……?」
唖然とする三人組に対して、ヴァーテルは大したことでもないと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「素人に毛が生えた程度の実力でよくそこまでイキがれるものよ。……いや、完全な素人よりはまだマシか。もしもそんな殺す価値すらない輩だったならば、生き地獄を味わわせて遊んでやったものを」
「え〜、ちょっとダメですよぉヴァーテル様〜! 相手に合わせてハードルを下げていたら、こっちのハードルまで下がってしまいますよぉ! ヴァーテル様には、ヴァーテル様だけの特別なハードルがあるんです。なにせヴァーテル様はいずれ、この世界を統べる頂点に立つお方なのですからぁ!」
ヴァーテルの横に跪いて小刻みに拍手しながら囃し立てる小悪魔に対し、未来の王者は不敵な笑みを浮かべる。
「ふっ、それもそうだな。アメアにしてはいい事を言うではないか。ならば我は今後一切、愚か者の貧弱さには目を瞑ることとしよう」
そうして二人はまた、エルフの三人組と向き合った。当然の未来を見据えて、余裕の表情を浮かべながら。
それを見たエルダーは、ある決意を固める。
「……お主らは早く逃げるのじゃ。ここはワシが奴らの相手をして、時間を稼ぐ」
「えっ。で、でもエルダー様!」
「いいから早く逃げるのじゃ! 『ライト・ダズリング』!」
エルダーが魔法を唱えた瞬間、辺り一体が光に包まれ、視界が真っ白に染まる。それに乗じてミネラの手を取り、ルウは一目散に森の中へ姿を消した。
「チッ……。おい、アメア」
「わかっております。誘き寄せれば良いのでしょう?」
「そうだ、頼む」
そんな短いやり取りの後、アメアと呼ばれた女はその場から離れて、ルウとミネラが向かったと思われる森の方へ駆けて行った。
それを見送る暇もなく、ヴァーテルの前にエルダーが飛びかかり、自慢の杖剣を振り下ろす。直ぐに大鷲の杖で応戦するヴァーテル。
「年老いたエルフにしては、随分と姑息な真似をするものよ。だが良いのか? もう一人は既に行ってしまったぞ。二人を守るために身を張ったのではないのか?」
その言葉にエルダーは苦虫を噛み潰したような顔を見せ、それでもなお真っ直ぐな視線を向けてヴァーテルに言葉を返す。
「……あの二人の実力を侮るでないぞ。あのような小娘に負けるほど、あいつらはやわじゃないわい!」
「フッ。所詮爺や一人では片方が限界か……。しかし、あの二人の実力がなんだと言うのだ。大したことでもないくせに」
「……何?」
先程と全く変わらず自信満々な表情を崩さないヴァーテルとは対照的に、一転して困惑する表情を浮かべるエルダー。
絶対的な未来を、彼は未だに見据え続けていた。
「……まあ良い。少しの間楽しんでいこうぞ、エルダーとやらよ」