#79 ネクタイ
「……とまあ模型の話はこのくらいにしておくか」
棟哉は場を締めるようにパンと両手を叩いたが、目線の端はまだ飛んでいった模型の行方を追っているようだった。
「ホームルームまでまだ時間あるだろ? ほら、簡単なもんだけど作ってきてやったぞ」
「作ったのは私ですけどね、兄さん」
横で詩乃ちゃんが、むっとしたような表情で即座に訂正する。
「あはは……ありがたくいただくよ」
そう答えて二人をリビングに招き入れると、三人そろって腰を下ろした。
「……急に決めたので簡単なおにぎりですが……お口に合えばいいのですが」
詩乃ちゃんがバッグから取り出したのは、ふりかけが混ぜ込まれた、小ぶりで丸いおにぎり。
ラップ越しにほんのり温かさが残っている。
多分、手の大きさに合わせてこのサイズになったんだろうな……と、そんなことを思いながらも、作ってくれたことが素直に嬉しかった。
「わぁ……! 美味しそう。……もう食べてもいい?」
昨日の晩ご飯をしっかり食べられなかったせいか、空腹が急に主張してきて我慢できなくなった。
「はい、どうぞ」
「じゃあ、いただきます」
一口かじると、ふわっと広がる塩気と、絶妙なふりかけの香ばしさ。
これは……やっぱり棟哉の入れ知恵かもしれない。
「……どうですか?」
少し不安そうに見つめてくる詩乃ちゃん。
「うん、とっても美味しい! ありがとう!」
嘘でもお世辞でもなく、心からの感想だった。
彼女の表情がぱっと明るくなり、胸の奥が少し温かくなる。
「そうですか……良かった」
そんな空気の中、棟哉がこっそりと手を伸ばし――
「詩乃……俺もひとつ」
「ダメ。兄さんには朝あげたでしょ」
ピシャリと手を叩かれ、棟哉はしゅんと肩を落とした。
「あ……はい……」
そのやりとりに笑いをこらえながら、僕は最後のひとつを口に運んだ。
――――――――――――――――――――――――――
朝食を終えたあと、別々に行く理由もなく、僕たちは三人で学校へ向かうことにした。
詩乃ちゃんは機嫌よく鼻歌交じり、棟哉は例の模型をまだ諦めきれない様子で道端をキョロキョロ。
「まじで結構したんだぞ……」
「兄さんはもっと別のことにお金を使って」
「あはは……」
軽口を聞きながら、ふと気づく。
棟哉とこうやって登校するのは、随分久しぶりだ。
前はいつだったか……思い出そうとしたその時――
「……おーい、ヤエ!」
肩を叩かれて我に返る。
「もう着きましたよ」
いつの間にか、夏音の家の前まで来ていた。
「あれ? 本当にもう……」
「さっきからずっとぼーっとしてましたけど……大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。心配かけてごめん」
安心したように微笑む詩乃ちゃんの横で、棟哉がインターホンを押す。
『はーい、ちょっと待ってー!』
スピーカー越しの夏音の声に、胸の奥が少しだけざわつく。
「そういえば二人って、いつも一緒に登校してるの?」
「なんだ、やっぱ聞いてなかったのか」
「事件のあと、女の子だけで登校は危ないって兄さんが……結果的に寝坊防止にもなってます」
「あはは……確かに棟哉はいつもギリギリだもんね」
そんな会話をしていると、家の奥からドタバタと慌ただしい音が響いてきた。
『もーなっちゃん! だから着替え置いとけって!』
『ご、ごめん! つい楽しくなっちゃって!』
玄関が開き、息を弾ませたヒオちゃんが顔を出す。
「おっはよー! 遅れてごめん!」
「ヒオちゃん! あたし靴まだ……」
夏音が慌ててローファーを履き、立ち上がった瞬間――ネクタイがふわりと浮く。
「おぉ、健康的」
「兄さん!?」「水津木!?」
「いてっ!? 男なら仕方ないだろ!?」
そのやり取りを横目に、夏音がこちらに駆け寄ってくる。
「あ、おはよう優斗!」
「おはよう。……ネクタイ曲がってるよ」
「あれ? 本当だ……」
「僕が直すよ」
「……え? 優斗が?」
少し赤くなった顔で、彼女は小さくうなずいた。
「じゃあ……お願い」
周囲からの小声が耳に届く。
「(え、逆じゃない?)」
「(ヤエ先輩、積極的……)」
動揺を押し殺し、夏音の首元に手を伸ばし、結び目を整える。
「はい、終わり」
「……ありがと」
わずかな沈黙が、妙に長く感じられた――。




