#75 トラウマ
「……今日は災難だ」
「あはは……」
しっかりと絞られたあと、さすがに今日は無茶をすまいと悟ったのか、先生は軽く挨拶だけして学校の方へ戻っていった。
一方で棟哉は、突撃しようとした件に加えて、日頃の行いについても色々言われたらしい。
……正直、物宮先生がそれを言うの!?
と突っ込みたくなるほどのブーメラン発言だったから、僕は内心驚いてしまった。
「ま、そんなバカは放っといて、私たちは帰ろ~。なっちゃーん」
「うん、そうだね」
「ひでぇ!? もうちょい慰めるとか無いのかお前ら……」
夏音の家までもうすぐ――そう思った瞬間。
「ああぁぁぁッ!? あれ!? 家通り過ぎてた!?」
気づけば考え事に夢中で、自分の家を通り過ぎてしまっていた。
……我ながら、どれだけ天然なんだ僕。
「うお、びっくりした。帰らないのかって聞いたら『ぅん……』って上の空だったから、面白そうだしそのまま連れて来ちまった」
「私はてっきり、なっちゃんを見送るためかと」
「ちょっとヒオちゃん!?」
夏音は抗議しつつも、どこか寂しげな表情をしていた。
「僕も今日は災難だ……質問攻めにされるわ、家は通り過ぎるわで」
「優斗は二週間寝たきりだったんだし、多少は仕方ないって」
「ほらほら、さっさと帰ろ? 先生にも“速やかに下校”って言われたし」
天名の言葉に、僕たちは互いに視線を合わせ、こくりと頷く。
「よし! じゃあ解散! また明日ね~」
「おう、また明日な」
棟哉と天名は手を振り合い、その場を離れていった。
けれど――
「「……あの!」」
夏音と別れるのが惜しくて、僕は言葉を詰まらせた。
彼女も同じように、うまく声を出せていない。
「……じゃ、じゃあね、夏音」
「……うん、また……優斗」
気づけば、棟哉と天名はもう帰っていた。
――――――――――――――――――――――――――
「ただいまー……」
「あれ? おかえりー……早かったね?」
私が家に戻ると、制服のネクタイを緩めたヒオちゃんが出迎えてくれた。
「早いって……別に私は――」
「てっきり、ヤエの家まで一緒に行くのかと――って、わわっ!」
慌ててヒオちゃんの両肩をがしっと掴み、その口を止める。
「……っ!!」
「わ、わかったから! 無言で肩を掴むのやめて!」
「ふぅ……もー、もうやめてよね!」
「はーい……」
手を放してため息をつくと、ヒオちゃんは小さく笑った。
「んふふ、でも怒るってことは図星なんだねぇ。なっちゃん、かわいい」
「ん? 何か言った?」
「何でもなーい!」
――――――――――――――――――――――――――
「ただいまー……」
玄関のドアを開けると、わずかに埃が舞った。
朝に掃除したわけでもなく、家にいた時間も短かったせいだろう。
「はぁ……色々やらなきゃな……」
靴を脱ぎながらそうつぶやき、洗面所へ向かう。
「あ、そうだ……食材、もうダメになってるよな……」
買い物に行くべきか……いや、今月は入院代もあって厳しい。
しばらくは節約生活だな。
「貯金も崩しちゃったし、贅沢はできない……」
手袋を洗濯機に放り込み、手を洗おうとすると――
「いてて……これは……」
所々に茶色い痕や水膨れが残る手は、水が触れるだけでも痛む。
「さて! 何か作れるものを探しますか!」
冷蔵庫を開けて確認する。
じゃがいもは芽が出ているが使えそうだ。
玉ねぎも無事。
お肉は……冷凍庫から発見。
「詩乃ちゃん、ファインプレー……ありがとう。今度何かご馳走するから」
食材は全部無事だった。
「よし、カレーが作れるな! 買い物行かずに済んでよかった!」
ゴム手袋をはめ、包丁を手に取る。
ストン、ストンと野菜を切る音が響く。
「久しぶりでも意外と腕は落ちてないな」
均等に切られた野菜を鍋に入れ、水を加え、コンロに手を伸ばす――
「……ッ!!」
スイッチに触れた瞬間、心臓が激しく脈打ち、手が震えた。
「あ、あれ……? 火をつけるだけなのに……」
無理やり力を込めて火を点けた途端、あの光景が蘇る。
焼け付くような熱気、赤く染まる視界、大切な友人たちの危機――。
すべてが鮮明に。
「はぁ……はぁ……ぼ、僕は……」
火が、怖い。




