#70 人気者
荷物をまとめ、僕は二週間ぶりに病院を後にした。
外に出た瞬間、久しぶりの太陽光が容赦なく肌を刺す。
寝たきりだった体には、その暖かさがやけに重く感じられた。
「……これは、しばらく歩くだけでも大変そうだな」
額にうっすら汗をにじませながら、よろよろと家へ向かう。
この時間帯はすでに学校の三時間目が始まっているだろう。
道には学生の姿はなく、代わりに近所の高齢者や、小さな子を連れた親の姿がぽつぽつと見えるだけだ。
いつもとは違う景色に、少しだけ不思議な感覚を覚える。
どこかのんびりとした空気に、心が少し和らいだ。
「……今日はいい天気だな」
空を見上げれば、夏らしい青がどこまでも広がっていた。
――――――――――――――――――――――――――
今は四時間目の物理。
――のはずが、先生がプリントを作り忘れたとかで、急遽自由自習になっている。
教室中がざわざわと会話に包まれる中、私は……。
「……なっちゃん、どうしたん?」
「へ? あ、いや、なんでもないよ」
「ふーん、そっか」
……あと三十分。
時間ばかり気になって、ノートを開く気にもなれない。
「(今日ずっとぼーっとしてるな、夏音ちゃん)」
「(まぁ……アレがあるからなぁ)」
ヒオちゃんと棟哉くんが、私をちらりと見ながらひそひそ話をしている。
心配かけちゃってるな……でも、あと少し。
そんなことを考えていると、教室のドアがゆっくりと開いた。
「み、みんな、久しぶ――ちょっ!?」
そこに立っていたのは、二週間ぶりに見る『彼』。
瞬間、クラスのほとんどが席を立ち、彼のもとへ駆け寄った。
「おぉ! 八重桜、久しぶりだな!」
「お前が休んでたせいで篠原ちゃんが付き合い悪くなってたんだぞ!」
「その腕どうしたん!? まさか中二病!?」
――そういえば、昨日のうちに理由は決めなかった。
結局、優斗に任せることにしたけど……。
「待って! ゆっくり説明するから!」
案の定、質問攻めにあっている。
やっぱり、優斗は案外人気者だ。
「はぁ……えっと、休んでた理由だよね?」
その一言で教室が静まり、視線が集中する。
「実は……二週間前、揚げ物をしててさ。油の入った鍋をひっくり返しちゃって――」
「うわ、それは……」
「聞いただけで腕がヒリヒリする」
「あ、だからその手袋みたいなの付けてるんだ! 似合ってるよ!」
多少無理のある理由でも、みんなは納得したらしい。
「はいはい、みんな! ヤエを通してあげて! 優先すべき相手がいるでしょ!」
「そうだぞ~、通してやれ~」
ヒオちゃんと棟哉くんの声に、クラス中の視線が一斉に私へ向く。
「へ!? あたし!?」
「確かにな……すまんかった」
「軽率だった、ごめんね」
「じゃ、ごゆっくり~」
そうして自然と、私と優斗をつなぐ通路ができあがる。
……けど、私たちは――。
「「…………」」
なぜか顔を見合わせられず、沈黙。
「な、夏音!」
呼ばれて顔を上げると、優斗の頬が赤い。
「は、はい!」
「……ただいま」
「……! おかえり!」
自然と、笑顔がこぼれた。
――――――――――――――――――――――――――
そのやりとりを見ていたクラスメイト達は、棟哉と陽織の方へ、困惑・怒り・喜びが混じったような表情でギギギと視線を向ける。
「なんだ……あれ……」
「よし、とりあえず集合」
「……うい」
扉の近くに集まっていたメンバーが棟哉と陽織を囲み、小声で話し出す。
「で、なんであんなに進展してんの!?」
「あー、それはなっちゃんが毎日ヤエの見舞いに行ってて……」
その瞬間、ざわつきが広がった。
「嘘だろ!? じゃあ俺も大怪我すれば篠原さんが……!」
「いやいや、八重桜だからだって」
棟哉は肩をすくめ、笑って言う。
「まぁ……もう付き合ってないのが不思議なくらいだよな。これからも、見守ってやろうぜ」
その言葉に、全員がコクコクと小さく頷いた。




