#68 気になる人
その後、棟哉は自室のベッドに身を投げ出すように横たわり、さきほど胸の奥からこぼれた独り言を反芻していた。
「……俺も、過去に……ヒナに囚われずに進んだ方がいいんだろうけどな」
頭では理解している。
けれど、その一歩を踏み出そうとする自分を、心がどうしても許してくれない。
「……いや。これは俺の罪だ。俺が覚えていなきゃ……誰が償うってんだ」
心に言い聞かせるように呟きながら、瞼を静かに閉じる。
その時――コン、コン、と二度、部屋のドアが軽く叩かれた。
「兄さん、起きてる? 父さんが話あるって」
「あぁ……わかった。今行く」
昼過ぎまで出歩き、日が落ちるまで帰らなかった。
どうせ叱られるに違いない――そう結論づけた棟哉は、妹には聞こえないようにため息を落とし、のろりと身体を起こしてドアへと向かった。
――――――――――――――――――――――――――
優斗との通話を終えて、数分。
まだ胸の鼓動が早く、頬の奥までじんわりと熱がこもっているのを感じていた。
……これは、きっと、会話が盛り上がって興奮しているだけ。
そういうこと、のはず。
気持ちを落ち着かせようと、ゆっくり深呼吸を――
「それっ」
「ひゃっ……!?」
意識の外から飛び込んできた両手が、容赦なく脇腹をつつく。
「ほーらほらほら、参ったか~?」
「はははっ! や、やめてってば! 参った! 参ったから!」
鼓動がさらに加速する。
だがこれは、明らかに別の意味でだ。
「も、もう……急に何すんのよ、ヒオちゃん!」
振り返れば、悪びれるどころか「やってやった」とでも言いたげにニヤニヤ顔の同級生兼同居人が立っていた。
「だってさ~、声かけても全然反応なかったんだも~ん」
「“も~ん”じゃないよ! 本気で心臓止まるかと思った!」
軽い抗議をする私に、ヒオちゃんは「ごめんごめん」と手をひらひらさせつつも、にやけ顔のまま話を切り替える。
「それでさっきちょっと聞こえちゃったんだけどさ、なんか良い雰囲気じゃありませんでしたか2人とも!」
「ええっ!? 聞いてたの!?」
さっきの会話を思い出し、最後の一言を聞かれていたと悟った瞬間、顔から火が出そうになる。
「それで? お二人さんは私の知らない間に、どこまで進展しちゃったわけ?」
「え、えっと……そ、その……ゆ、優斗と……添い寝を――」
私が小声で言いかけた瞬間、ヒオちゃんは目をまん丸にして叫んだ。
「添い寝ぇぇ!? ちょっ、それ本気!? もうそんなとこまで行っちゃったの!?」
「ちょ、声大きいってば……!」
「えぇ……その乙女な反応……まさか本当に? ……ヤエに聞いてみよっかな~」
ニヤニヤと不敵に笑うヒオちゃんに、私は即座に首を振る。
「ダメ! ぜっっったいダメ!! あと私は普通の乙女だから!」
「んー、そうだね~。“恋する乙女”だもんね~」
「やめてよもう! もう!!」
頬を膨らませて抗議しながらも、私は反撃に出る。
「じゃあヒオちゃんは? 気になる人とかいないの? ……確かに優斗、見た目はカッコいいし、ちょっと抜けてるとこあって可愛いけど――」
「あーはいはい、そこまで言わなくていいって。私? うーん……強いて言えば、水津木かな」
「棟哉くん? 確かに仲いいし、一応幼馴染だよね?」
「幼馴染って言っても本当に形だけだけどね? でも、この間の事件でさ……普段と違う水津木が見えたんだ」
ヒオちゃんは少し遠い目をして、ぽつぽつと言葉を継ぐ。
「普段はおバカで適当なのに、あの時は真剣で、真っ直ぐで……“何があってもなっちゃんを助ける”って意思が伝わってきてさ」
「……そっか。それは確かにカッコいいかも」
「でしょ? ちょっとギャップに惹かれたけど……まぁ、水津木はやっぱナシかな」
あんなに仲がいいのにナシ……理由が気になる。
でも深くは聞かない方がいいだろう。
「あ、ごめん! 変な言い方しちゃったね。水津木なんてバカだし、何するかわかんないからナシってだけ」
笑ってそう言うけれど、どこかにほんのわずかな裏があるような……そんな気がした。
「……そろそろお風呂入ったら?」
「あ、もうそんな時間? 休みも終わりかぁ」
「うん……明日から、頑張らないとね」
そう言いながらも、私の胸の中には、明日が楽しみで仕方ないという気持ちが静かに広がっていた。




