#67 あだ名
「……明日から学校、かぁ」
長い休暇明けとは違う。
まるで長期間サボった後のような、懐かしさと少しの憂鬱が入り混じった感覚――。
中学時代の、あの時の気持ちに似ている。
「ん……電話?」
窓の外を見やり、夜の街明かりに目をやっていた時、不意にスマホが鳴った。
画面には「夏音」の文字。
この時間に、どうしたんだろう。
何かあったのか……。
そんな考えが頭をよぎるが、通話ボタンを押す。
「もしもし? どうしたの、こんな時間に」
『優斗、こんばんは! 明日のことでちょっと話があってさ~』
明るい声が、不安を一瞬で消していく。
さっきまでの心配が、拍子抜けするくらいに。
『学校のみんな、優斗がなんで休んでるか知らないんだけどさ。このまま“2週間原因不明で欠席”ってなると、絶対みんな気になるじゃん? だから――』
「ちょっと待って。……こんばんは、夏音。つまりは、僕が質問攻めにならないように、理由をあらかじめ作っておこうってこと?」
『おぉ~流石優斗! でね、その理由なんだけど……トラックに轢かれそうな猫ちゃんを、優斗が右腕をぶつけながらも助けるの! で、その猫ちゃんに左腕を引っかかれて、両腕が見せられない状態で――』
電話越しでも笑顔が想像できるくらい、夏音は楽しそうに早口でまくしたてる。
「落ち着いて、もう少しゆっくり。……うん、ドラマチックだけど、2週間休む理由としては厳しいかも」
『あぁ、ごめん! 確かにちょっと無理があるかも……』
「しかも、しばらくは包帯をつけるとはいえ、手袋くらいはずっとしてる予定だよ?」
でも――そんなふうに気を遣ってくれることが、素直に嬉しい。
『そっか……じゃあ、どうするの?』
「うーん……隠しきれないだろうし、“火傷した”ってことはちゃんと伝えたほうがいいと思う」
『……優斗、ごめ――』
「今はそれ、なし! 夏音は気にしなくていい」
その瞬間、受話口から安堵の吐息が漏れる。
『……ありがと。でも、ちょっとお節介だったかな』
「ううん、そんなことない。……さっきの理由はともかく、正直、夏音の声が聞けて嬉しかった」
『そ、そそそっか! あたしも……優斗の声が聞けてよかった』
「…………」『…………』
しまった……! 安心させようとして、つい本音を。
結果、予想通り妙な沈黙が生まれる。
『そ、それじゃ明日も早いし、このへんで! おやすみ、優斗!』
「う、うん。おやすみ、夏音」
通話が切れると同時に、ぽつりと呟く。
「……夏音、優しいな」
だが同時に、胸の奥から寂しさがこみ上げてくる。
「早く……夏音に会いたいな」
そんな心の声が、無意識に口から出ていた。
――――――――――――――――――――――――――
「もしもし? 今、大丈夫か」
『んー? どうしたの、こんな時間に』
棟哉は陽織に電話をかけていた。
「いや……その、今日はすまなかった。それと、ありがとう」
『なに、急に。今日のことは本当に気にしてないよ?』
「お前、ヒナに用事あったんだろ? 俺が邪魔したし……励ましてまでくれた。ヤエのことも……俺は、ヒオに貰いっぱなしだ」
彼は、助けられてばかりの自分が、どうにも居心地悪いらしい。
『そういえばだけど、その呼び方……久しぶりだね』
「ッ……悪い」
『ううん。いいの。水津木に――トウにこそ、私はたくさんもらってきたんだよ。火事現場に来いって言ってくれたこと。一番危険な役目を自分から選んだこと。倒れそうだった私を外に出してくれたこと。大怪我してでも助けに行こうとした勇気。……数えたらキリがない』
懐かしさと感謝を混ぜた、やわらかな声。
「それは……火事現場に来いって言ったのも、今思えばヒオを巻き込んだだけだし……助けに戻ろうとしたのも、ただの蛮勇だ」
『あはは! 私の家が火事だったのに、巻き込まれたっていうのは変でしょ? 蛮勇でも、私は勇気をもらった。諦めかけてたけど、心を立て直せた。ヤエとなっちゃんは絶対生きてるって信じられた』
「……それは、そうかもしれないが」
『だから、トウは気にしなくていいの。MVPはヤエだけど、2番目は間違いなくトウだよ』
その言葉に胸が熱くなる棟哉は、照れ隠しのように話題を変える。
「……そ、そうか。あ! そういや夏音ちゃんは? 何かしてたなら邪魔したくないけど」
『なっちゃん? あぁ、今はヤエと通話中。明日の作戦会議だって』
そう言って陽織がスピーカーモードにしたのか、夏音の声が漏れ聞こえる。
『そ、そそそっか! あたしも……優斗の声が聞けてよかった』
「……アイツら、何の話してんだ?」
『さぁ……』
しかし、棟哉の口からはつい弱気な言葉がこぼれる。
「(……ヤエも、ヒオも……変わったよな。俺は……あの時のままだ)」
『…………』
陽織はそれを聞き取ったが、返す言葉が見つからず沈黙する。
「っと、悪い。何でもない。……遅くにすまなかったな」
『そう?(何でもないわけ、ないのに)』
「ん? 何か言ったか?」
『い、いや! 何でもない! それじゃ、また明日!』
「おう、また明日な」
通話は静かに切れた。




