#59 新しい朝
あの後、陽子さんと伊織さんの連絡先を教えるという条件だけで、驚くほどあっさりと両親の許可が取れてしまった。
正直なところ、もう少し反対されると思っていたから拍子抜けだ。
その後は、大人同士で細かい決まりごとを話し合っているらしい。水道代や電気代などの生活費は折半すること、というのが唯一の条件だそうだ。
どうやら両親は、私を本当の娘のように世話してほしいとまで頼んでくれたらしく、「一時的じゃなく、ずっと住んでくれても構わない」とまで言ってくれたそうだ。
「にしても、本当に良かったよ~! この親にしてこの子ありって感じで、ご両親も優しいんだね! あ、そういえばさっき、私のこと何か言ってなかった?」
「い、いやいやいや! なんでもないよ!」
「え~、アヤシイなぁ」
くだらないやり取りをしていると、廊下の向こうから伊織さんの声が響く。
『おーい、朝ごはん出来たぞー!』
「ん、お父さん早いなぁ……ほら、なっちゃん、行こ?」
「うん! 一緒にいこっか!」
“誰かと一緒にいる朝”がこれからも続くと思うと、胸が自然と弾む。
そう思いながらリビングへ向かうと、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
「いい香り……お父さん、張り切ってるなぁ」
ヒオちゃんがリビングのドアを開けると、テーブルには豪華な朝食が並んでいた。
ふんわり焼き上がったフレンチトーストに、彩り鮮やかなサラダ。
その横には、お店で出していたらしいアイスまで添えられている。
「おっ、おはよう、夏音ちゃん。ささ、座って座って」
伊織さんは紺色のエプロン姿で、お弁当を詰めながらにこやかに迎えてくれた。
(これが“主夫”ってやつなのかな……)
「あ、おはようございます! すごく美味しそうですね!」
「だろ? 可愛い娘が増えたから、お父さん張り切っちゃった!」
「でもお父さん!? こんなに食べきれないよ!?」
一瞬、伊織さんは「うーん」と考える仕草を見せたが――
「食べきれなかった分は、俺の昼ごはんにするよ。それじゃ、ゆっくり食べな~」
そう言って再びお弁当作りに戻っていった。
「……残すのも悪いし、急いで食べちゃおっか」
「そだね。まぁ明日はお母さん担当だし、多分大丈夫だと思うけど……」
どうやらこれからは、伊織さんと陽子さんが交代で朝食を用意してくれるらしい。お店の方も今は一人で回せる余裕があるようだ。
私たちは軽く談笑しながら朝食を平らげ、学校の支度に取りかかった。
「げ、私、教科書も制服も全部ないんだった! どうしよ……」
「制服はあたしのジャージ着て、教科書は先生に事情話してなんとかしてもらおう!」
「それだ! 悪いけど、ちょっと借りるね!」
私は慣れた手つきでYシャツとネクタイを着け、ヒオちゃんは私の体操服とジャージに着替える。
「よし、準備オッケー! お父さん、行ってきます!」
「伊織さん! 行ってきます!」
「おう、病み上がりだけど、二人とも無理すんなよ!」
そう言われて玄関を開けると――
「よ、待ってたぜ」
「おはようございます、先輩方」
そこに立っていたのは、水津木兄妹だった。
棟哉くんは松葉杖で体を支え、詩乃ちゃんが隣で支えている。
「二人とも、どうしたの? こんな時間に」
「いや、あんなことの後で女の子だけで登校させるのは心配でな。思いつきで来てみた」
……正直、その足でわざわざ来るのは逆効果じゃないかと思ったけれど、口には出さないでおく。
「とにかく! アイツが戻ってくるまでは、俺が付き添うから! お前ら寝坊すんなよ?」
「水津木こそ! 遅れたら容赦なく置いてくからね!?」
「ひっでぇ!?」
――優斗がいなくても、楽しい毎日になりそうな予感がして、私は自然と笑みをこぼした。
――――――――――――――――――――――――――
――後日。
僕を除く二人は数日で退院し、それぞれ学校へ戻っていった。
棟哉は松葉杖で詩乃ちゃんに支えられ、夏音も元気に登校しているようだ。
……僕は、まだ病室のベッドの上。
怪我の少なかった左腕はヒリヒリする程度で自由に動かせるようになったが、右腕はまだ動かせない。
そのまま日々が流れていくのを、ただ待ち続けている。
――そういえば、どこかで同じように寝たきりだった時期があったような……。
そう考えた瞬間、脳を突き刺すような鋭い痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「優斗!? 大丈夫? 腕、痛むの?」
タイミング良く――いや、悪く――夏音が病室に入ってきて、駆け寄ってきた。
「あ、夏音……ううん、大丈夫。ちょっと腕をぶつけただけ」
左手を軽く振ってみせ、近すぎる距離から少しだけ顔を離させる。
「本当に? 無理しないでね? 何かあったらすぐ言ってね?」
まるで過保護なお母さんみたいだ……と言ったら怒られそうなので、心の中にしまっておく。
「うん、ありがとう。これのおかげで無理はできないよ」
「まったく……っと、はい! これプリントね!」
スクールバッグから、ファイルにまとめられたプリントを置いていく夏音。
「おお、結構あるね……」
「そりゃそうよ。優斗はやっと手を動かせるようになったんだから、それまでの分もまとめてあるんだよ」
山のようなプリントに目をやりながら、ふと違和感を覚える。
「……なんだか量が多すぎない?」
「あ、あたしちょっと用事思い出したから行かなきゃ! それじゃ――」
「夏音?」
わざと引き止めると、彼女はロボットのようにぎこちなく振り返った。
「……なんでしょ?」
「今日はもうちょっと学校の話が聞きたいな。一緒にプリントやりながらでも、どう?」
「……はい」
観念したように椅子を引き寄せ、ファイルから半分ほどプリントを取り出す夏音。
「………………」
「……すいませんでした」
案の定、僕に押し付けようとしたのがバレたらしい。
でもその諦めの早さからして、本気で押し付けるつもりはなかった……のかもしれない。
「謝るならよし。一緒に終わらせちゃおう」
「……うん、そうだね!」
少し嬉しそうに笑う夏音を見て、僕もつい笑みを返してしまった。




