#58 私の我儘
「夏音、ちょっといい?」
そう言って、優斗はまっすぐに私の瞳を見つめ、わずかに距離を詰めてきた。
「ん、どうしたの?」
気づけば、私と優斗はベッドに並んで腰掛けていた。
ここが私の部屋なのか、優斗の部屋なのかは分からない。けれど、不思議と安心できる空間だと感じていた。
――わたし……なんでここにいるんだっけ。
「……ぁ」
優斗の手が、そっと私の腰に添えられる。
それは、この前みたいな少しいやらしい感じではなく、優しく添えるだけだった。
“なんで”とか“どうして”という疑問はすっと消え、このまま身を委ねてもいいような、そんな安堵が胸を満たしていく。
「僕は、夏音が――だ」
「うん、あたしも――」
互いの言葉が重なり、優斗の腕の力が少しだけ強くなって身体を引き寄せる。
そのまま顔が近づき――
――――――――――――――――――――――――――
「――!? 何今の夢!? うぅ……頭痛い」
鈍い痛みとともに勢いよく上体を起こした。
けれど――
「……あれ? 気持ち悪さはないし、汗も出てない……」
ただ、自分でもわかるくらい顔は真っ赤で、心臓が落ち着かない。
あの優斗……やけに距離感が近かった。
まるで、私のことを恋愛対象として見ているような……そんな、少し熱を帯びた視線で――
「いやいやいや、優斗に限ってそれはないよねぇ……この前も何か妙に詮索してきたし、多分あの子ヒオちゃんが――」
その時、珍しく私の部屋のドアがノックされ、数秒後に勢いよく開いた。
「おはよーなっちゃん! 調子はどう?」
「おはようヒオちゃん。相変わらず朝から元気だね! あたしは……ちょっとまだ頭痛いかな」
――そう、天名一家と私は、今同じ家で暮らしているのだった。
――――――――――――――――――――――――――
物宮先生が病室を後にして、少し経った頃。
病室の扉が開き、ヒオちゃんと陽子さんが入ってきた。
「あれ? おかえりヒオちゃん……と、陽子さん?」
二人はどこか沈んだ表情で私に歩み寄り、陽子さんは深く頭を下げた。
「ごめんなさい……私たちの不注意で、夏音ちゃんたちを危険な目に遭わせてしまって」
「へ!? ちょ、ちょっと! 頭を上げてください! 私は陽子さんたちが悪いなんて思ってません!」
「……でも、私か伊織さんが家にいれば、こんなことにはならなかったはずだわ」
確かにそうかもしれない。
けれど、被害の大きさも、失ったものの重さも、陽子さんたちの方がはるかに大きい。
「陽子さんたちは、新しいお店のことで忙しかったでしょうし……謝る必要なんてないですよ!」
「そう……ありがとう。優しいのね」
その言葉に、胸がくすぐったくなるような感情が湧く。
「あ、そうだ。なっちゃん、今はお別れを言いに来たの」
「えぇ!? なんで!? 優斗の家の近くのマンションは――」
動揺して声が大きくなると、陽子さんは落ち着いた声で続けた。
「夏音ちゃん……お店を開いたとき、貯金をほとんど使い切ってしまったの」
ヒオちゃんが火事の中で通帳は持ち出せたものの、この街で新しく部屋を借りられるほどの資金は残っていない。
お店は畳み、しばらくは親戚の家で暮らしながらお金を貯め、いずれは田舎へ引っ越す――そういう話だった。
「そんな……じゃあ、陽子さんと伊織さんの夢は……ヒオちゃんとは……」
「……ごめんなさい」
「……ごめんね、なっちゃん」
頭を下げる二人を見て、胸の奥に強い拒否感が湧いた。
そんなの……そんなの嫌だ。
「……そうだ!」
「? どうしたの、なっちゃ――」
「みんなで私の家に住めばいいんじゃないかな?」
そうすればヒオちゃんは引っ越さずに済むし、マンションを借りられるまでお店を続けられる。
私だって、一人の時間が減って嬉しい。
……でも、お父さんとお母さん、許してくれるかな。
「それはありがたいけれど……さすがにどうかしら。ご両親の許可があっても……」
「いいんです! とりあえず聞いてみますから!」
これは私の我儘だ。
でも、嬉しさを隠しきれない二人の顔を見たら、どうしても別れを避けたくなった。
『突然の連絡すみません。私の親友の家が放火で全焼してしまいました。住む場所を確保できるまで、私の家に住まわせて頂けないでしょうか』
「……送りました。もし許可が取れなくても、生活費は私がバイトして稼ぎます」
「なっちゃん……意外と大胆だね」
そう言うヒオちゃんの瞳には、嬉しさの涙が光っていた。




