#56 2人の代わりに
「……というわけで篠原、まずは無事でよかった。本当に」
物宮先生は大きく息をつき、肩の力を抜いたように言った。
「この命があるのも、優斗や棟哉くん、それにヒオちゃんのおかげです」
あの時、もし誰も来てくれなければ――私はきっともうここにはいなかった。
「だな。あいつらには、死ぬほど感謝しておけよ」
「はい! ……うっ」
元気よく返事をした瞬間、頭の奥でズキンと痛みが走る。
「元気なのはいいが……まぁ、少し手短に話そうか」
先生はそう言って、事件の概要を簡潔に語り始めた。
発生前と発生時、現場付近で不審人物が目撃されていたこと。
体格は大きく、全身黒づくめで、深くフードをかぶっていたため顔は確認できなかったこと。
「そして、救出されたお前と八重桜たちを見たあと――舌打ちして、そのまま立ち去ったらしい」
……この人、本当に学校の先生なのか? 探偵でもやっていけそうだ。
「要するに、誰か特定の人物を狙った放火だと見ていい」
私たちの中の誰か――無差別ではなく、ピンポイントで。
そう考えるだけで、胸の奥が重くなる。
「……悪いな、ちょっと話しすぎた。何か心当たりがあれば、さっき作ったグループか俺に直接連絡しろ。きっと他のやつらも力になってくれる」
先生はそう気遣うように言ってくれた。
「……はい。すみません、気を使わせちゃって」
「気にするな。俺は八重桜や水津木にも話を聞いてくる。篠原はゆっくり休んでろ。明日は公欠に――」
「あ、いえ。学校には行きます!」
「……いいのか? 無理するなよ」
先生の視線は少し心配そうだったが、私は揺らがなかった。
「私のせいで優斗や棟哉くんは入院してるんです。命を助けてもらった分、少しでも代わりに頑張りたいんです」
「……そうか。わかった」
安心したような表情を見せた先生は、すぐにいつものだらっとした雰囲気に戻る。
「じゃあ、お前の分だけプリント三倍にしておくからな」
へ!?
「じゃ、明日までしっかり休めよ~」
呆気に取られる私を置き去りにして、先生はさっさと病室を出て行った。
……ちょっとだけ、言わなきゃよかったかも。
――――――――――――――――――――――――――
「よお、お取り込み中悪いな」
物宮先生が声をかけた先――
そこには、ベッドの上で上半身を起こした棟哉と、その胸元にぴったりとくっついている妹の詩乃の姿があった。
「せ、せ先生!? どうしてここに!?」
「……ッ!?」
棟哉は驚き、詩乃は顔を真っ赤にして兄から離れると、椅子に小さく座り直した。
「一応連絡は入れたんだが……まぁ気づかなかったなら悪かったな」
「わ、私は少し外に出てます!」
頬を押さえ、逃げるように病室を出ていく詩乃。
「気が利く妹さんだな」
「いや、多分恥ずかしくて出てっただけかと……。そういえば、個人面談って……?」
棟哉が問い返すと、先生は軽く顎をしゃくって答えた。
「お前、火事の家に飛び込んだらしいな」
棟哉は一瞬、言葉を詰まらせた。
「……すみません。俺、つい必死で――」
「よくやってくれた」
「……え?」
「お前や八重桜の行動で、一つの命が助かった。それは事実だ。よくやった」
意外な褒め言葉に、棟哉は軽く目を見開いた。
「……ありがとうございます」
本当は助けたのはヤエだ、と言いかけたが――
真っ直ぐに向けられる視線に、言葉は喉で消えた。
「……ただし、教師としては見過ごせない」
「はい!?」
物宮の表情が一転して厳しくなる。
「危険には変わりない。二次災害で被害者が増える可能性もあったんだからな」
「……はい。本当にすみませんでした」
深く頭を下げる棟哉。その姿を見て、物宮は小さく鼻で笑う。
「よし、それでいい。――で、ちょっと聞きたいことがある」
「聞きたいこと、ですか?」
「ああ。今回の放火犯に心当たりはないか? 例えば天名や篠原が誰かに恨まれてるとか」
「……恨まれてる、ですか」
棟哉は記憶を探り――少し考え込む。
「特に無ければそれでいい。……どうした、何か思い出したか?」
「いや、多分関係ないと思いますけど……陽織ちゃんが、一部の運動部に目をつけられてるって噂は聞いたことがあります」
「ほう。それは本当か?」
「実際に見たわけじゃありませんし、本人からも聞いたことはありません。あくまで噂です」
物宮は顎に手を当て、しばし思案する。
「……一応、頭に入れておく。助かった」
「もし何かわかったら、俺にも教えてください」
「ああ。その時は任せろ。――さて、次のところに行くか」




