#46 気味が悪い
「……ん、あれ……いつの間に僕……」
顔を上げると、テーブルに突っ伏したまま眠ってしまっていたことに気づく。
壁の時計は午前10時を指していて、夏音と朝食をとったのが7時頃だったことを思い出す。
「……そういえば、今は天名さんの家に行ってるんだっけ」
朝、出かけて行った夏音の後ろ姿を思い出す。
昨日の出来事を考えると、一人で行かせるのは少し不安だったが、あまり我儘を言って引き留めるのも違う気がして任せた。
「まあ……日中なら、さすがに大丈夫……だよね」
自分に言い聞かせるように小さくつぶやき、せっかく夏音が気を使ってくれたこの一人の時間を有意義に過ごそうと、だるさの残る体を起こして寝室へ向かう。
「……そうだ、帰りくらいは迎えに行かないと」
スマホを手に取り、フリタイを開いてメッセージを送る。
『今日は僕の家に泊まるかどうかは任せるけど、帰るときは教えてね。その頃には体調整えて迎えに行くから』
送信を終え、自室のドアを静かに閉めた。
――――――――――――――――――――――――――
私は自宅前まで戻って来ていた。
火事の現場はまだバリケードテープで囲まれていて、中では警察官が無線機に耳を当て、忙しそうにやり取りしている。
中に入って探すわけにもいかず、視線を巡らせると――
「……あれ、優斗の自転車?」
バリケードのすぐ外、錆びの浮いた青い自転車が鍵を付けたまま倒れていた。
近くをもう一度見回しても、それ以外にそれらしいものはない。
……そのとき、視界の端に“黒くて大きな何か”が一瞬映った気がした。
「……気のせい、だよね」
胸の奥がざわつき、変な汗が背中を伝う。
とにかく早くヒオちゃんの家に行こう――そう思い、勢いよく自転車を立て直し、その場を足早に離れた。
「よし、到着!」
天名陽織――ヒオちゃんの家の前に立つ。
外観は少し年季の入った二階建ての一軒家だが、きれいに手入れされていて、全体から温かみのある雰囲気が漂っていた。
チャイムを押すと、間を置かずにドタドタと駆け寄る足音。
ドアが勢いよく開き、見慣れた笑顔が飛び込んできた。
「やっほー、なっちゃん! 待ってたよー!」
勢いそのままに飛びついてきたヒオちゃんを、私は慌てて受け止める。
「うわっ……おはよう、ヒオちゃん。朝から元気だね」
「そりゃそうだよ! 朝からなっちゃんが遊びに来るなんて、何年ぶり!?」
「そんな大げさ……でも、確かに久しぶりかも」
笑いながら庭に自転車を運び、鍵をかける。
中学の頃は休みの日に朝から遊ぶこともあったけれど、受験期を境にそんな機会は減ってしまっていた。
「立ち話してたら学校の登校みたいだし、ほら、早く上がって!」
彼女の明るい調子に押され、玄関から奥のリビングへと進む。
「(……やっぱり)」
足を踏み入れた瞬間、胸が締めつけられるような感覚。
夢で見たあの部屋と、配置がほとんど同じ――暗さの有無以外、すべてが重なっていく。
「なっちゃん? どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
だが、呼吸は早まり、全身から汗が噴き出す。
心臓の鼓動がやけに大きく響き、視界が揺らぐ。
「なっちゃんっ!」
肩をつかまれ、意識が引き戻される。
目の前には、心配そうにこちらを覗き込むヒオちゃんの顔。
「大丈夫……?」
「大丈夫って……もう、もしかしてこの前体育の時に倒れたのって、このせいじゃないの?」
「えっと……」
夢のことを話すわけにはいかず、言葉に詰まる。
「……無理してまで遊びに来てくれたのは嬉しいけど、自分の体も大事にしてよ」
「あはは……ごめん」
どうやら別の理由だと勘違いしてくれているらしい。
少し申し訳ないけど、そのまま受け止めておくことにした。
「今日は私の部屋で横になってなよ。一緒にお話したり、映画見たりすればいいでしょ?」
「えっ!? でも悪いよ、せっかくの休日なのに……」
「いいの。私はなっちゃんと一緒にいるだけで楽しいんだから」
そう言うと、ヒオちゃんは私の膝裏と背中に腕を回し――
「ちょっ、ヒオちゃん!?」
ひょい、と軽々持ち上げられる。
「暴れないで、危ないから」
「いや、それより……お、お姫様だっこ!?」
「こうでもしないと動かないでしょ。大人しくしてなさい!」
「う、うぅ……」
恥ずかしさに顔を両手で覆いながらも、気づけば体の力が抜けて、ヒオちゃんに身を預けていた。




