#45 知らなきゃ
私たちはそれぞれお粥を口に運びながら、他愛もない会話を交わしていた。
窓から差し込むのは、登ったばかりの柔らかな朝日。
外は雲ひとつない青空で、澄んだ光がリビングを心地よく満たしている。
岡崎くんとの一件が終わってから迎える、最初の朝。
――けれど昨夜は、自宅の目の前で空き家が謎の火災を起こすという、新たな不安が生まれた。
あの後、ヒオちゃんからも連絡があった。
火災現場付近で不審な人物が目撃されており、放火の可能性があるという噂が地元のネットワークで広がっているらしい。
犯人が何者で、何のためにそんなことをしたのか――まったく分からない。
考えれば考えるほど、不安は増していく。
……でも、優斗とこうして向かい合って話していると、不思議とその怖さが薄らいでいく。
今だけは、この時間を誰にも邪魔されたくない――そう、心から思えた。
「……ふふ」
「ん? どうしたの、夏音?」
思わず零れた笑みに、優斗が首を傾げる。
「いや、なんでもない。ただ……やっぱりこうして話すのは楽しいなって思っただけ」
少しごまかし気味だけど、嘘ではない。
「そうだね。僕も夏音と話す時間はいつも楽しいし……大好きだよ」
彼の柔らかな笑顔に、胸がほんの少し熱くなる。
「そっか……ふふ。やっぱり気が合うね」
「あはは、本当に。今さらだけど」
互いに笑い合う、穏やかな朝――
ずっと、こんな日が続けばいいと願った。
――――――――――――――――――――――――――
「あ、そうだ。天名さんに連絡しておかないと」
この時間なら起きてるはず。
今のうちに話して、自転車も取りに行こう。
「ヒオちゃんに? なんか珍しいね」
「あぁ、遊ぶ約束じゃないよ。昨日、自転車であの場所まで行ったんだけど……置きっぱなしにしちゃって」
夏音は目を丸くして、口を半開きにする。
「……僕が物忘れするのって、そんなに珍しい?」
「ち、違うの! あの優斗が、あんな大きい物を忘れるなんてって……」
……いいもん。
僕はきっと天然なんだ。
少しむくれて視線を逸らす。
「じゃあ、私が取ってくるよ。昨日のこともあるし、ヒオちゃんの顔も見たいし」
「昨日のって……火事のこと? 気持ちは分かるけど、夏音は休んでなよ」
「じゃあ優斗はどうするの? その状態で取りに行くつもり?」
……それは、まあ……。
顔に出たらしく、夏音は小さくため息をついた。
「はぁ……でしょ? 昨日のって、火事のこともそうだけど、ショッピングモールの帰り際、ヒオちゃん元気なかったでしょ?」
「……確かに。それは僕も気になってた」
「でしょでしょ? だから、自転車回収ついでにちょっと遊んでくるね」
――でも、昨日の黒ずくめの男のことが頭をよぎる。
あれは、どう見ても夏音を狙っていた。
「ん? どうしたの、急に黙り込んで……あ、もしかして一人は嫌?」
真剣な眼差しで覗き込まれ、言葉に詰まる。
引き止めれば、きっと僕のわがままになる。
昨日の出来事だけでも、夏音は相当疲れているはずだ。
「いや……大丈夫。これ以上、夏音に迷惑かけたくないから」
「え!? そんなことないよ! むしろ私の方が――」
「とにかく、僕のことは気にしないで。楽しんでおいで」
――――――――――――――――――――――――――
「うん! じゃあ、終わったら自転車届けに行くね。……ごちそうさま」
「あ、僕も……美味しかったよ」
笑顔で答えながら、私は二人分の椀を持って流しへ運ぶ。
「あ! それくらい自分で――」
「病人は大人しくしてるの! 今日は休養日だから」
「はーい……」
子どもみたいに肩を落とす優斗を横目に、スマホを手に取る。
『おはよーヒオちゃん! 今から家に行こうと思うんだけど、大丈夫?』
すぐに返事が来た。
『おはようなっちゃん! こっちは全然大丈夫だよー。お父さんもお母さんも仕事だし』
『あそこで働いてたら、そりゃそうだよね』
『まあねー。……ていうかいいの? なっちゃん、ヤエと遊んでるんでしょ?』
ちらりと優斗の方を見やると――
「すぅ……すぅ……」
テーブルに突っ伏し、腕を枕に眠っていた。
……やっぱり、ずっと気を張っていたんだろう。
『大丈夫だよ。優斗、熱出しちゃったみたいでさ。あたしがいたら休まらないと思って』
『えー、そんなことないと思うけどなぁ!』
『それもあるけど、自転車忘れてたみたいなの、あの子』
『え、珍しいね、あのヤエが』
ヒオちゃんも同じ反応で、つい笑みが漏れる。
『じゃあ、今から向かうね』
『うん! 待ってるよ』
スマホを閉じ、心の中で小さく呟く。
――ごめん、優斗。
本当の理由は、あの夢のことを確かめたいから。
夢に出てきた部屋のインテリア――あれは間違いなく、ヒオちゃんの部屋だ。
直接行けば、何か分かるかもしれない。
嫌だけど……夢にだって反映されるかもしれない。
「優斗……行ってきます」
昨日から用意していた荷物を手に、眠る彼に小さく声をかけて家を出た。




