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季節の夢にみせられて  作者: ほたちまる
39/111

#39 黒い姿

「夏音……なんで一人で!」


 口からはそう叫んだが、理由はなんとなく分かっていた。

 ――寝ている僕を起こさないため、だろう。


「くそっ……気をつけておこうって、さっき自分で決めたばっかりなのに!」


 自分への怒りを吐き捨てるように声に出し、ペダルを踏み込むたびに軋む自転車を全力で走らせる。


「はぁ……はぁ……ここが、火事の現場か」


 思ったより近く、自転車なら数分で辿り着けた。

 到着してみると、消防車も到着して間もないらしく、現場はまだ消火の真っ最中だ。


 この辺りは住宅街。

延焼が広がれば被害は一気に拡大する危険があったが、燃えている家の周囲には燃え移りそうな物がほとんどなく、夏音の家にも被害は及ばなさそうだ。


「夏音は……あ、いた!」


 そこには、赤く染まる空を見上げながら立ち尽くす夏音の姿。

 ――そして、その背後に忍び寄る黒い影。


「……ッ!? あれは!」


 全身に冷たい汗が一気に噴き出す。

 気づけば自転車から飛び降り、男に向かって走り出していた。


 僕の自転車が倒れる音に、男は即座に振り返り、舌打ちをひとつ。

 そして群衆の中へ紛れ込むように姿を消した。


「あっ……待て!」


 追おうとした勢いは止まらず、そのまま夏音に突っ込む形になってしまう。


 振り返った夏音が驚きに目を見開いた直後――


「あっ――わぷっ!?」

「うおっ……とと、ごめん!」


 正面からぶつかった僕の両腕の中に、夏音の身体がすっぽりと収まる。

 湯上がりの石けんの匂いと、服越しに伝わる温もりが僕を包み込んだ。


 ――――――――――――――――――――――――――


――わぷっ!?


 ちょ、何で?

なんで私、優斗に抱きしめられてるの?


 あまりに突然すぎて、状況が飲み込めない。

 ほのかに甘い香りが優斗から漂ってきて……いや、今はそんな場合じゃ――


 優斗はすぐに慌てて手を離し、大きく一歩下がった。


「……で、どうしてここに優斗が?」


 疑問をそのまま口にすると、優斗は鋭く睨み返してきた。


「それはこっちのセリフだよ!」


 低い声には、はっきりと怒りが滲んでいた。


「こんな遅い時間に、火事があったからって……女の子が一人で出歩くもんじゃないよ!」


 ――全部、その通りだった。

 言い返せることなんて、ひとつもない。


「えっと……その、ごめ――」

「謝るのは後でいいから! ほら、帰るよ!」


 強引に手を引かれ、私はただ黙って歩くしかなかった。

 まるで叱られた子供のように。


 帰り道、私たちは一言も会話をしなかった。

 優斗の顔は必死で、何を言っても受け止めきれない気がした。


 ――――――――――――――――――――――――――


 家の前まで戻った頃、沈黙に耐えきれず僕は口を開いた。


「……さっきは言いすぎた。ごめん」

「ううん、私が勝手に出たのが悪いから……」


 即座に首を振る夏音。

 ――僕だって、もし自分の家の近くで火事が起きたら飛び出すだろう。


「本当にごめんね、優斗。今日のことも、さっきの昔話のことも……」

「昔話のことはもう気にしてないから」

「……うん」


 まだ俯いたままの夏音を見ていると、申し訳なさよりも、その表情を変えてやりたい気持ちの方が強くなる。


「僕は少し外で風に当たってくるから、夏音は中で休んで」

「……ありがとう」


 無理やり笑顔を作って玄関に入っていく夏音の背中を見送りながら、僕は小さくため息を吐いた。


「……やっぱり、ちょっと言いすぎたかもな」


 壁にもたれかかり、ぽつりと独り言。

 あそこまで落ち込んだ夏音は、初めて見たかもしれない。


「……あの男、やっぱり夏音を狙ってるのか?」


 直接家を狙わず、こんな形で現れる理由は分からない。

 けど間違いなく、夏音に関わっている。


 そう考えながら玄関を開けると――


『あたしは大丈夫。ヒオちゃんは――』


 リビングでは、まだ元気のない声で誰かと通話している夏音の姿。

 きっと天名さんだろう。


 邪魔しないよう風呂場に向かい――


「あ、自転車……忘れた」


 己の失態に気づき、思わず立ち止まった。

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