#35 あの子
「ご、ごめん! 本当にごめん!」
私はソファーの上で正座し、そのまま深く頭を下げていた。
「いや、大丈夫だから! 僕がうっかり寝ちゃったせいだし。ほら、顔を上げて……ね?」
優斗は慌てたように両手を振り、必死になだめようとしてくる。
「いや、なんというか……悪かったな、ヤエ」
「すみません……ヤエ先輩」
端で見ていた棟哉と詩乃ちゃんまで、なぜか一緒に謝罪を始める。
――この場、全員が誰かに謝っているという妙な空気に包まれていた。
――――――――――――――――――――――――――
「ん……あれ、わたし……?」
いつの間に寝てしまったんだろう。頭がすごく痛かったから、その前後の記憶がすっぽり抜け落ちている。
――って!
「な、なんでひざま――うわっ!」
目を開けた瞬間、自分が優斗の膝枕で寝ていたことに気づく。慌てて飛び起きた拍子に、目の前にいた優斗と額を――ゴンッ、と、容赦ない音でぶつけてしまった。
「ちょ、夏音ちゃん!? 大丈夫?」
「うぅ……」
額を押さえて悶絶する私と、ソファーにのけぞる優斗。
ぶつかった音の重さは、痛みがしっかり証明してくれていた。
「あははは! お前らホント面白いなぁ! ヤエも何か言えよ……ヤエ?」
「……先輩、気絶してますね」
――――――――――――――――――――――――――
しばらくして優斗は目を覚まし、場の混乱も落ち着いたころ。
気づけば「お粥パーティー」と称して準備が始まっていた。
もともとカレーの予定だったはずだけど……みんなが私に合わせてくれたのかな。
少しだけ胸がチクリとする。
「(夏音、メニューのことは気にしなくていいよ。水津木兄妹が買いすぎただけだから)」
優斗が小声でそう言って、苦笑を浮かべる。
「(……そうだとしても嬉しいよ。ありがと)」
体のだるさのせいか、顔が熱くなる。
優斗の顔を見られなくなった私のもとへ、詩乃ちゃんが色とりどりのお粥を運んできた。
「お待たせしました! ……やっぱり顔赤いですね。あとで熱も測ってくださいね?」
「う、うん! さすがにこれ以上休むわけにもいかないしね!」
そう答えると、棟哉くんがレンゲと茶碗を置き、優斗の向かいに座った。
「さて、全員そろったな? それじゃあ……」
待ちきれない様子の棟哉くんに、詩乃ちゃんも席につく。
「「「「いただきます!」」」」
テーブルには、鮭、なめ茸、韓国のり、卵……色んなおかずが並び、香りが一気に広がる。
「おお、この卵のやつ、出汁入ってる?」
「よくわかったなヤエ! 家から持ってきたんだが、結構イケるだろ?」
「ですです! 私が風邪の時、兄さんがよく作ってくれた味です!」
笑い声が交わされる食卓。
こうして皆でいると、さっきまでの不安も痛みも少し薄らいでいく。
――そういえば、さっきの夢はいつもと違った。
優斗の声で目覚めたその感覚が、やけに心地よく残っている。
「ん、どうかした夏音?」
「いや、何でもない……あ、そっちのお粥取ってくれる?」
「おっけー、取り皿貸して」
そうやって視線をそらし、優斗に皿を渡す。
「お前ら、まるで夫ふ――むぐっ!?」
「兄さん、このお粥も美味しいよ」
詩乃ちゃんが、棟哉くんの口に熱々のお粥を放り込み、即座に悲鳴が上がった。
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食事も終わり、片付けようとした瞬間、棟哉が「座ってろ」とばかりに立ち上がり、皿を重ねていく。
詩乃ちゃんも後を追って流しへ向かった。
棟哉はいつも僕の考えがお見通しなんだよなぁ……。
まぁけど、今日ばっかりは甘えちゃおうかな。
「……じゃあ、お言葉に甘えて少しゆっくりしようか、夏音」
「うん……でも私、休んでばっかりで悪いかも」
そう笑う夏音に、僕も微笑み返す。
「仕方ないって。この三日間、本当に色々あったしさ」
「確かに、こんなにドタバタしたのは久しぶりかも」
「久しぶりって、前にも何かあったの?」
「(……優斗になら話してもいいかな)」
夏音は少し真剣な顔になり、静かに語り出した。
「中学の時、二人の子を助けたことがあるんだ。でも、私も危ない目にあってね」
「二人も……すごいな。今も元気にしてるの?」
「うん! 一人はヒオちゃんだもん!」
「え……そうだったんだ」
天名さんの名前が出てきて驚く僕に、夏音は続ける。
「もう一人は……行方が分からないんだ。連絡先も知らなかったし、気づいたらいなくなってた」
窓の外を見つめながら、彼女は小さくつぶやいた。
「あの子……元気でいてくれるといいな」




