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季節の夢にみせられて  作者: ほたちまる
32/111

#32 謎の外出

 僕の非力さもあって、ゆっくりとしか歩けずにリビングへ入り、夏音をソファへそっと横たえた。


「夏音、僕にできることがあったら、何でも言って。遠慮しなくていいから」

「……うん……ありがと……ゆー……」


 言葉を最後まで言い切る前に、夏音は瞼を閉じてしまった。

 寝かせて数秒で眠る――いや、これは眠ったというより気絶に近いのかもしれない。

「五分以内に眠ったら危ない」――そんな話をどこかで聞いたことがあった僕は、途端に焦りを覚えた。


「ど、どうしよう! 夏音が……夏音が!」

「ヤエ先輩、一体どうしたんですか!」


 作業の途中だったのだろう、詩乃ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。


「な、夏音が! き、きぜ――」

「落ち着いてください! そのままじゃ助けられるものも助けられません!」


 その一言で、我に返る。

 僕は深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。


「……もう大丈夫?」

「うん、落ち着いた。それで……夏音が気絶しちゃったみたいなんだ」


 詩乃ちゃんは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに冷静な目に戻る。


「作業は一旦中止します。……夏音先輩は――」


 視線を向けると、夏音は微かにうなされてはいるが、呼吸は整っていた。


「私は医者じゃないですけど……呼吸に異常はありません。大丈夫そうですよ」

「ほんと!? よかった……」

「ただ、脱水症状の時は発汗で体温調整がしづらくなります。極端に冷えない限り、毛布はかけないでくださいね」


 そう言って、詩乃ちゃんは「では戻ります」と軽く会釈し、奥へと戻っていった。


 ……何もかけないのは、どうにも落ち着かない。

 タオルケットなんて無いし――。


「そうだ、これなら」


 僕はワイシャツを脱ぎ、そっと夏音の上にかけた。

 すると、苦しそうだった表情が少しずつ和らいでいく。


 ……安心できたのかな。


 そう感じた僕は、ソファの前に腰を下ろし、ふぅと一息ついた。


「ヤエ先輩ー! 暇なら手伝ってくださーい!」

「あ、ごめん! すぐ行く!」


 年下の、しかも親友の妹に一人で冷蔵庫整理をさせるのは気が引ける。

 僕は静かに立ち上がり、夏音を起こさないよう足音を忍ばせて冷蔵庫へ向かった。


 ――――――――――――――――――――――――――


「たす……け……な……ちゃ……!」


 ――また、この夢。


 白いもやの中、悲痛な女の子の声が響く。

 どこかで聞いたことのある声……ヒオちゃんに似ている気がする。


 以前の夢では、口が勝手に動き、言葉が出た。

 けれど今回は、体も声も動かない。

 ――つまり、私が干渉できない場面なのかもしれない。


 視界を巡らせると、目線の位置が低い。

 テーブルよりも低く、まるで床に近い位置から見上げているようだ。


 ……あれ、この家具の配置……見覚えがある。


 そう思った瞬間、視界がまた黒く染まり、声も遠のいていく。

 この瞬間が、私は苦手だ。

 闇に飲まれてしまいそうな、底知れない恐怖を感じるから。


 けれど、不意に体がほんのり温かくなる。

 何の温もりかはわからないが、懐かしい匂いを伴った、安心できる暖かさだった。


 そして籠ったような世界に、一言だけはっきりと響く声。

 ヒオちゃんではない、けれど確かに知っている声。


「夏音っ!」


 ――――――――――――――――――――――――――


 夏音が眠ったまま、数時間。

 日が傾きはじめ、僕たちは回復を待ちながらリビングで時間を過ごしていた。


 そんな時――


「は、はいっ!?」


 謎の大きな返事と共に、夏音が勢いよく飛び起きた。

 肩で息をし、額には汗がにじんでいる。


「あれ……優斗、呼んだ?」

「いや、呼んでないよ」


 夏音は「そっか」と小さく呟き、考え込むように表情を曇らせた。


「悪夢でも見たんだね。汗もすごいし、お風呂入ってきたら?」

「そーそ、心のケアも大事ってやつだ。……ってことで、まったりしてこい!」

「……兄さん、また覗くつもりで――って、汗?」


 詩乃ちゃんがその言葉に反応し、数秒の沈黙。

 次の瞬間、僕たち三人は同時に大きく息を吐いた。


「そうだ……汗だ! 夏音ちゃん、脱水じゃなかったんだ!」

「じゃあ……何ともなかったってこと?」

「多分、心の問題ですね。例の事件、私たちが思ってる以上に夏音先輩に負荷がかかってるのかも」

「そうか……ストレスか。俺も落ち込んでた時期があるし……わかる気が――って、今何時だ!?」


 急に時計を見た棟哉。午後四時。


「……もう時間か。悪い、俺ちょっと出てくる」

「……そっか。気を付けてね」


 さっきまでの明るさが消え、暗い表情で立ち上がる棟哉。

 それを止めるように、夏音が手を伸ばす。


「待って! 棟哉くん、どこ――」

「夏音、止めないであげて」

「え? ……うん」


 これは、棟哉自身の問題だ。


「ヤエ、ありがとな……じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい、兄さん」


 棟哉はそう言って去っていった。

 納得できないように、夏音が僕らを見る。


「ねえ、棟哉くんって……?」

「兄さんは毎週この時間に出掛けてます。……理由は、私でも話せません」


 詩乃ちゃんが視線を逸らす。

 夏音は僕を見つめ、答えを求める。


「ごめん、こればかりは僕も言えない」

「……そっか。……あ、優斗。頭痛薬ある?」

「え、もしかして……頭痛いの?」

「う、うん……結構」


 ――やっぱり、お風呂より休ませた方がいいかもしれない。

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