#31 眩暈
しばらくロッカー周辺で待っていると、少しだけ元気をなくしたように見えるヒオちゃんが、とぼとぼと歩いてくるのが見えた。
「……ぁ、みんな―! おまたせ―!」
私と目が合うと、その表情を覆い隠すように、わざと明るい声を出して大きく手を振りながら駆け寄ってくる。
「お、来たか陽織ちゃん……その様子だと、大丈夫そうか?」
「お帰り、天名さん……お話は済んだの?」
男子組が心配そうに声をかける。だが、棟哉くんだけは少しだけ深刻な色を帯びた目をしていた。
「……うん! 全然大丈夫だったよ! お母さんたちがいつの間にあんな凄いお店を開いてたのはビックリしたけど、あんな人気店の店長が自分の両親だなんて……娘の私も鼻が高いよ!」
嘘ではないのだろう。
ただ、さっき遠くから見たときの雰囲気からして、やはり心のどこかに引っかかるものはあるように見える。
「…………陽織ちゃん、何かあったら遠慮なく俺に相談しろよ」
「水津木は心配性だなぁ……でも、ありがと」
ヒオちゃんは普段、怒ったり落ち込んだりすることが少ないタイプだと思う。
けれど、両親からの大きな隠し事を知らされたら……やっぱり傷つくものだよね。
「(なっちゃん、平気だよ。驚いたのは本当だけど……お母さんたちをすごいって思ってるのも本当だから)」
「ヒオちゃん……」
私の耳元に小さくそうささやくと、彼女はそのままショッピングモールの出口の方へ後ろ歩きで移動する。
「じゃあ、私はそろそろ帰るね! また学校で!」
軽く手を振りながら去ろうとしたその背中に、詩乃ちゃんが少し焦ったように声をかけた。
「あの! ……また今度、一緒に遊びましょう!」
「うん、ありがとね、しーちゃん!」
それは、詩乃ちゃんなりの精一杯の励ましだったのかもしれない。
その言葉を受けて振り返ったヒオちゃんは、傾きかけた日差しの中で、少しだけ晴れやかな笑顔を見せた。
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「うぐぐ……やっぱしんどいなぁコレ!?」
帰り道。僕の家まであと半分ほどというところで、棟哉が両手いっぱいに荷物を抱えて、息を荒げながら弱音を吐く。
「兄さん、自分で『全部運んでやる』なんて言ってたのに、もう限界?」
「うっ……いや、まだだ。まだ俺はいける!」
大好きな妹から痛烈なツッコミを受け、棟哉は意地で持ちこたえている。
……腕はもうプルプルだけど。
「それでも凄いよ。こんな大量の荷物をここまで1人で……」
「それ以前に、優斗は荷物持たなさすぎなんだけど?」
僕が素直に棟哉を褒めると、横から夏音が冷ややかに刺してくる。
「あれは……ご、ごめんって」
「まだ怒ってるからね? 食材の袋をドサッて地面に置いたこと!」
本当に悪かったと思っている。
中身が傷むし、食べ物を粗末に扱うようなものだ。
「次そんなことしたら、棟哉くんとヒオちゃんの“地獄の特訓コース”だからね!」
「そ、それは勘弁……!」
「俺は構わねぇけど、コイツ死ぬぞ?」
少し前にクラスメイトがこの特訓をやったらしいが、ずっと天名さんのペースで進んで行き、サボってるヤツには棟哉からのキツーイ追加トレーニングがあるとか……。
下手な運動部よりも運動になるらしいと来た。
「嫌なら、荷物はちゃんと気をつけて持つこと。いい?」
「……はい、夏音さま」
軽く肩をすくめながら従う。
「まあでも、地獄の特訓以前にちょっとは鍛えたほ――」
夏音が話の途中で、突然その場に崩れ落ちた。
まるで自分でも予想していなかったかのような顔をしている。
「な、夏音!?」
「おい、どうした!」
僕ら3人は慌てて駆け寄る。
棟哉は荷物を落としそうな勢いだ。
「夏音先輩……?」
詩乃ちゃんがのぞき込むと、夏音ははっと顔を上げて、申し訳なさそうに言った。
「ご、ごめん……急にすごい眩暈がして……」
その言葉を聞いて、僕は少しだけ安堵の息を吐く。
「よかった……でもびっくりしたよ」
「バカ、全然よくねぇよ……夏音ちゃん、今日水分摂ったか?」
「水分……朝に薬飲むときちょっとだけ」
「ッ! 兄さん、それって……」
棟哉が詩乃ちゃんと目を合わせ、確信を得たように口にする。
「脱水症状だ」
思い返せば、今日はかなり暑かった。
ホッケーで激しく動いて、ほとんど水を飲んでいなかったのだろう。
「……そっか。朝も緊張してたし、ほとんど飲んでなかった……」
ふらつきながら立ち上がる夏音。
「ごめんね、これからは気をつけるよ」
「いや、謝らなくていい……って、顔真っ青だよ!?」
元々色白な彼女だが、今は明らかに血の気が引いている。
「私、自販機で飲み物買ってきます!」
耐えきれなくなったのか、詩乃ちゃんはそう言い残して駆け出していった。
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「ふぅ……やっと着いたぁ」
あの後、詩乃ちゃんが意外と早く戻ってきて、夏音にスポーツドリンクをゆっくり飲ませた。
そしてそのまま棟哉の荷物を奪い取るように引き受け、二人で分担して運ぶことに。
……僕にだって任せてくれてもよかったのに。
「何、帰ってきただけでホッとしてんだよヤエ。荷物はリビングのテーブルでいいな?」
「ご、ごめん! それで大丈夫!」
「よし、わかった。……詩乃はそれを冷蔵庫に入れてやってくれ。お前ならヤエに文句も言われないだろうし」
詩乃ちゃんは「任せて兄さん!」と元気よく返事をして、荷物を抱えてリビングへと消えていった。
「俺はスポドリをリットル単位で買ってくる。……チャリ借りてもいいか?」
「もちろん構わないよ! でも降りるときはギア下げといてね?」
「わかってるって! じゃ、行ってくる!」
多少焦りは見えるものの、棟哉は落ち着いた声で的確に指示を出していた。
……こういう棟哉、正直、男の僕から見てもカッコいいと思う。
「待って、僕は何をすればいい?」
「はぁ? 何って……そりゃ……」
玄関で座り込んでいる夏音に目をやった棟哉は、少しだけ呆れた表情を見せ、大きく息を吐いた。
「……傍にいてやれ。ほんとにしんどい時は、誰かがそばにいるだけでも違うもんだ」
「……そっか。ありがと、棟哉」
棟哉は軽く笑って「おう」と短く返し、外へと出ていった。
「……あいつ、いつもあんな感じなら絶対モテるのに。……夏音、立てそう?」
「……へ? ごめん、全然聞いてなかった……」
そういえば一昨日の朝も夏音は少し元気がなさそうだった。
もしかすると、今日のこれもその延長線上だったのかもしれない。
……そう考えると、何だか僕の責任のような気がしてくる。
「ううん、大丈夫。肩、貸すよ」
「ありがとう……でも歩くくらいなら――あっ!」
立ち上がろうとした夏音は、すぐにふらついてバランスを崩してしまった。
よく見ると、瞳の焦点も定まっていない。
「……ごめん。やっぱり、貸してくれる?」
「あはは、もちろん」
僕は夏音の腕を肩に回し、腰のあたりを支えて立たせる。
――うわ……女の子の脇腹って、こんなに柔らかいんだ……。
思春期真っ只中の僕は、つい心の中で驚いてしまう。
「ゆーと、なんか手つきがいやらしいよ」
どうやら無意識に触り方が妙になっていたらしい。夏音が目を細めて抗議する。
「ごっ、ごめん!」
「あはは……否定はしないんだ」
苦笑しつつも、夏音はちゃんと僕に体を預けてくれる。
その信頼が、妙にくすぐったくて……けれど、すごく嬉しかった。




