#03 彼女の悩み
「(優斗、起きてってば! このままだと指されるよ!)」
私は後ろ手にそっと机を揺らす。
……が、少し力を入れすぎたせいで、よりによって教師の目に止まってしまった。
「お、じゃあ八重桜。前に出て解いてみろ」
わざとらしく少し大きな声で指名され、優斗はようやく目を開ける。
眠たそうに目をこすりながら、状況を掴み切れていない顔だ。
「(あぁぁ……やっぱりダメだった……!)」
「( ごめん夏音、僕どうしたらいいの?)」
そんな間の抜けた声で私に尋ねてくるあたり、この子は本当に周りの視線を気にしない。
「前の例題を黒板で解くんだってさ。……頑張って」
「あぁ、あれね。うん、行ってくる」
そう言うなり、優斗はすっと立ち上がり、まるで答えを最初から知っているかのようにスラスラと式を書き進めていく。
「出来ました。これで合ってますか?」
「ふむ……途中式が少し抜けてるが正解だ。よく勉強してるな」
教室のあちこちから「おぉ……」「やっぱ賢さ全振り……」などと感心する声が漏れる。
優斗はそんな反応に少し渋い顔をしながら席へ戻ってきた。
ちょうどそのタイミングで昼休みを告げるチャイムが鳴る。
「お、いい頃合いだな。じゃあ委員長――」
「起立、礼!」
「昼休みだぁぁああ!!! おっしゃ行くぞ野郎どもぉぉ!!!」
「「「「うおぉぉぉ!!!!」」」」
弁当組以外の生徒は一斉に廊下へ駆け出していき、教室に残ったのは私たちを含め七人ほど。
……うちのクラス名物、昼休み前のぶつ切り号令。
これで学食組は毎回争奪戦を制しているらしい。
「毎度思うけど、先生ちょっと気の毒だよね」
「まぁ……最近は何も言わないし、諦めたんじゃない?」
以前は「廊下は走るな!」だの「号令は最後まで!」だの注意していたけど、もう完全にスルーだ。
「そういえば、お弁当持ってきた?」
「あっ……忘れてた!」
「じゃあ僕の、半分食べる?」
そう言って優斗は器用に弁当を半分きっかりに分ける。
「このくらいでいいかな? 夏音には少ないかもしれないけど」
「失礼な! あたしそんな大食いじゃないし!」
優斗は「えっ」と小さく呟き、不思議そうな顔をする。
「……違うの?」
「ち、違うってば!」
確かにお腹がすいてるときはよく食べるけど……少なくとも“そんなに”じゃない。
――たぶん。
……これからは気をつけよう。
「あ、そういえば知ってる?」
優斗がふと思い出したように、少しだけ口元をにやりとさせる。
――――――――――――――――――――――――――
「なになに?」
夏音が弁当をほおばりながら首を傾げてくる。
「飲み込んでから喋ろうね……ほら、岡崎っているでしょ?」
その名前を出した瞬間、夏音の表情がほんの一瞬だけ固まった。
普通なら見逃す程度の変化だったけど、僕にはわかった。
「岡崎くんが……どうかしたの?」
「男連中の間じゃ結構ホットな話なんだけど、アイツ今日、気になる人に告白するらしい。ついにあいつが、って感じだよね」
「へ、へぇ……それ、もしかしたら私かも」
思わず手が止まる。
今の夏音の声色、冗談にしては弱々しすぎる。
「……ほんとに?」
「う、うん……なんとなくだけど」
さっきまでの元気が嘘みたいにしぼんでいく。
今朝から落ち着きがなかった理由、やっとわかった気がした。
「……そっか。でも、岡崎だけはやめておいたほうがいい。教室じゃいい顔してるけど、本性は危ないやつだと僕は思ってる」
「え、なんで? 私、普通にいい子だと思ってたけど……」
やっぱり信じてない顔だ。
まあ、普段からあいつと話す機会が多い夏音からすれば当然かもしれない。
「……もしかして嫉妬?」
「なわけないでしょ。……話を戻すけど、アイツ、すごく強欲なんだ」
僕は少し迷ったけど、実際にあった話をした。
――連休中、男連中で集まってカードゲームをしたときのこと。
勝てば相手のデッキから好きなカードを奪える“真剣勝負ルール”で、岡崎は使用禁止カードをこれでもかと投入して圧勝していた。
「……当然、禁止カードは壊れ性能。勝てたのは僕くらいだったかな」
「うわ……それはたしかにヤバい。っていうか、なんで優斗は勝てたの?」
「僕の本気デッキは、1~3ターンで決着がつく構成なんだ。運良く初手でキーカードが引けて助かったよ~~」
話し終えると、夏音は空になった箸を僕に返してきた。
その横顔は、さっきよりも少しだけ安心したように見えた。