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季節の夢にみせられて  作者: ほたちまる
24/111

#24 おかえり

 ――声が聞こえた。


 この感覚、以前にも覚えがある。


 ……これは――『いつもの』だ。


 思わず周囲を見回し、状況を確かめようとする。だが――。


 視界は白いもやに覆われ、輪郭が溶けるように曖昧だ。

 先の出来事を垣間見ているのか、それともただ視界が霞んでいるだけなのか。

 判別がつかない。


 どこからか、断片的に悲痛な叫びのような声が混じって聞こえてくる。


「た……て……な……ちゃ………」


 ……聞き覚えのある声だ。


 しかし、これだけでは誰なのか確信できない。

 ぼやけた景色がゆっくりと黒に塗りつぶされ、声も遠くへと消えていく。


 胸の奥に、不穏な予感が重く沈む。

 また良くないことが起きる――そんな直感が、逃げ場もなく押し寄せてきた。


 ――――――――――――――――――――――――――


 目に映るのは昨日と変わらない天井。

 窓から差し込む光はまだ弱く、時計の針は午前5時を指している。


 目覚めの感覚は最悪で、こめかみを突き刺すような頭痛が襲う。


「……また、いつもの夢か」


 全身から汗が吹き出し、シャツが肌に張り付く。

 冷や汗が肌を冷やし、不快な感覚だけが際立つ。

 重い体を起こし、浅く息を吐いた。


「……っふ……んぅう……」

「あはは……寝顔、やっぱりかわいいなぁ……」


 隣の布団で寝息を立てる詩乃ちゃんの姿に、少しだけ心が緩む。


 汗を流そうと、私は風呂場へ向かった。


 温いシャワーの音を聞きながら、今朝の夢を整理する。

 だが、あの白いもやの中では場所も状況も掴めなかった。


 唯一覚えているのは――。


「……あの声、ヒオちゃんに似てた」


 何かを求めるような悲痛な響き。

 それは、私の親友・陽織(ひおり)の声に酷く似ていた。


 もし彼女に何かあったなら、私はただ平穏に過ごしてはいられない。

 けれど今は、確かめる術もない。


「……まずは目の前のことから、ね」


 シャンプーを洗い流し、栓をひねる音を小さく止める。

 用意しておいた緩めの白シャツとベージュのショートパンツに着替え、リビングへ戻った。


 ――――――――――――――――――――――――――


「……うるさい」


 布団から上体を起こした僕のすぐ横で、棟哉が豪快ないびきを響かせていた。


 ……油性ペンがあれば落書きの一つでも――と思ったが、部屋にそんなものはない。

 代わりに僕にはこの拳がある。


「ふんッ!」

「グェッ! ……ぐごご……」


 軽く報復して満足した僕は、朝日を背にリビングへ降りた。


「あ、優斗、おはよ」


 リビングに入って最初に聞こえたのは、そんな澄んだ声。

 シャワー後のせいか、朝日に透ける黒髪がいつもより艶やかで、思わず見とれてしまう。


「……ん? 考え事?」


 硬直していた僕に、夏音は首を傾げた。


「う、ううん。何でもないよ。おはよう、夏音」

「そ? ならいいけど……悩みがあったら言ってね? ……というか、優斗、寝癖ひどいよ。爆発してる」


 手で触れてみると確かにひどい。

 このままでは、これから会う先生にも失礼だ。


「さすがにこれはヤバい……シャワー浴びてくる」

「あはは……そうだね。じゃあ朝ごはん作っとくよ」

「うん、ありがとう」


 そう言って浴室へ向かった。


 ――――――――――――――――――――――――――


 シャワーを浴びながら今日の予定を反芻する。

 9時に物宮先生と岡崎が来る。

 それ以外に予定はない。


 ただ、気になることが一つ――。


「あの黒ずくめの男……」


 昼までには話は終わるだろう。

 そのあと、天名さんに最近の様子を聞いてみるのもいい。

 いや、先生に直接訊いた方が早いか――。


 髪を洗い終え、長袖シャツと短パンに着替えてリビングへ戻った。


 ――――――――――――――――――――――――――


「ふぁあ……ん? おはよう、ヤエ」

「あ、おはようです……ヤエ先輩」


 ソファには水津木兄妹。

 時計を見ると、先生の到着までまだ1時間はある。


「二人ともおはよう……棟哉はともかく、詩乃ちゃんまでこんな時間なんて意外だね」

「えへへ……昨日、夏音先輩と遅くまで話してしまって」


 はにかみながらコップを弄る詩乃ちゃんを見て、普段真逆な性格の二人が兄妹であることを改めて感じる。


「そういえば夏音ちゃんは?」

「ああ、さっき『朝ごはん買ってくるー』って飛び出してった」


「……マジか」僕と棟哉の声が重なる。


 ――夏音の行動力、ほんとすごい。


「棟哉、顔洗ってこいよ。そんな顔で真剣な話しても説得力ゼロだぞ」

「は? この顔は生まれつきだ」

「……兄さん、これを」


 詩乃ちゃんが鏡を差し出す。

 棟哉は覗き込み――。


「あ、あああぁぁ!!!!!! 完全に忘れてたぁぁ!」


 鼓膜が悲鳴を上げ、僕らは耳を押さえる。


「兄さん! 近所迷惑!」

「すまん! 洗面所借りる!」


 棟哉は奥へ駆けていった。


「……天然なのかな」

「いえ、ただのバカです」


 妹の一言が刺さる。


 ――その時、玄関が開く音。

 軽やかな声とビニール袋の擦れる音が響いた。


『ただいまー!』


「お、帰ってきたみたいだね……おかえり」

「おかえりです! 夏音先輩!」


 玄関へ出迎えに行くと、大荷物を抱えた夏音が驚いたように立っていた。


「う、うん……ただいま」

「どうしたの? 何かあった?」

「……何言っても笑わない?」


 夏音は少し不安そうに、視線をこちらに向けた。


「大丈夫。ちゃんと聞くから」

「……そう……実はね、おかえりって、すごく久しぶりに言われたの。最初優斗に言われた時、胸がキュってなって……次に詩乃ちゃんにも言われて……なんか不思議な感覚で……」


 ……そうか。

 両親が家にいない夏音にとって、「おかえり」は久しく耳にしていない言葉だったのだ。


「……とにかく上がろう。時間もないし」

「うん、半分持つよ」


 袋の片方を取ると、夏音は驚いた顔をしたが、すぐに柔らかな笑みに変わった。


「……ありがと」


 ――しかし。


「……おも……重いぃ……」

「……やっぱあたし持つね」


 苦笑しながら、僕らはリビングへ戻った。

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