#19 初めての感覚
「……ふぅ、いいお湯だった……って、ん!?」
風呂から上がり、部屋着に着替えてそのままリビングに戻った僕は、思わず足を止めた。
そこでは、見覚えのあるショートヘアの男とウルフカットの黒髪の少女――棟哉と詩乃の兄妹が、夏音と楽しそうにゲームをしているではないか。
「よっしゃ! これで俺の勝ちだ!」
「ちょ、ちょっと! それは反則じゃない!?」
「兄さん、それは卑怯!」
――状況が急すぎて、脳が追いつかない。
僕はただ3人の後ろで固まってしまった。
「あーあ、負けちゃった! じゃあ次はこのモードで……って、優斗? なんでそんなとこ突っ立ってんの?」
最初に夏音がこちらに気づき、続けて2人もくるりと振り向く。
「……来たか、ヤエ」
「……ヤエ先輩」
なぜだろう、2人の視線がやけに冷たい気がする。
「よし、お兄ちゃんはちょっとヤエと話があるから、詩乃は夏音ちゃんと遊んでてくれ」
「わかった、兄さん」
棟哉は立ち上がると早足で僕に近づき、そのまま肩をがっしりと掴んだ。
「――ちょーっと話そうか、廊下で。ちなみに拒否権はない」
笑顔なのに、肩にかかる力は笑顔のそれじゃない。
「……はい」
僕は小さく返事をし、体を震わせながらUターンして廊下へ出た。
――――――――――――――――――――――――――
背後からは、夏音と詩乃の賑やかな声がかすかに聞こえる。
「まさかお見舞いに来たつもりが、こんな現場に遭遇するとは思わなかったぞ……」
あの様子でお見舞いに来てるとも思わなかったよ……という気持ちはこっそり閉まっておくことにした。
「あはは……それで、話って何?」
「単刀直入に聞くぞ。お前、夏音ちゃんとどこまでヤったんだ!?」
「何もしてないってば!?」
いきなりの爆弾質問に、反射的にツッコむ僕。
……実際、何もしてな――あ。
ふと、脳裏に昨日のことが浮かぶ。
「……ヤエ、俺に嘘は通じないぞ?」
「あぁ、そうだったね」
息を整え、なるべく簡潔に答える。
「……夏音と寝た」
「そうかそうか、寝たのか……なるほどな」
棟哉が右ポケットへ手を伸ばすのを見逃さなかった。
スマホを取り出す気だ。
「ちょっと待った、それ以上はやめろ」
僕は必死に腕を押さえる。間違った意味で広められては困る。
「止めるなヤエ! 俺はやるべきことをやる!」
「何言ってんだ、棟哉! それはただのエゴだ!」
取っ組み合いのような小競り合いが始まった。
――――――――――――――――――――――――――
「……兄さんとヤエ先輩が、腰の高さで手をもぞもぞ動かしてます」
「ん? もぞもぞって何を――」
夏音が廊下に目を向けると、同じくらいの背丈の男2人が腰の辺りで不自然に動いているように見えた。
いや、棟哉くんの方が身長小さいのかな?
けど、あれって……。
考えかけた瞬間、隣からシャッター音が響く。
「えっと、詩乃ちゃん……?」
「はい。今の写真、持っておけば何かに使えるかなって」
――何に使うのかは知らないけど、とりあえず深くは突っ込まないことにした。
――――――――――――――――――――――――――
「とにかく! 僕は夏音と……そ、その……添い寝しただけだから! 何もしてない!」
「添い寝ってしてるじゃねぇか!」
必死に説明するも、棟哉の納得は得られない。
「そうだけど! 事情があってだね……」
「ふーん。ヤエがそう言うんならそうなんだろうけど――『添い寝』、したんだよな?」
顔をぐっと近づけられ、僕は思わず萎縮する。
「ハ、ハイ……」
「じゃあ広めるなってのは、ちょっと虫が良すぎないか? 夏音ちゃん、けっこう人気あるんだぞ」
そう言いながら、棟哉は軽く僕の左腕を振り払った。
「痛っ!?」
そこには赤黒く残った傷痕がある。
暗い廊下では見えなかっただろう。
「おい……やりすぎたか?」
「だ、大丈夫! 気にしないで」
反射的に腕を後ろへ隠す僕。
「……見せろ」
「ッ!?」
図星を突かれ、身体がびくりと跳ねた。
棟哉は洞察が鋭く、隠し事はまず通じない。
「気にしないでって言ってるでしょ? 棟哉は――うっ!」
胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられる。
その拍子に腕が露わになり、傷跡が棟哉の目に入った。
「……ヤエ」
顔を上げると、棟哉は怒りを隠さない表情をしていた。
「棟哉、心配は嬉しいけど……これは話せない」
彼は友達想いだ。
もし正直に岡崎のことを話せば、報復に走るかもしれない。
今は冷静じゃない。
――だから言えない。
そう考えていると、不意に助け舟が入る。
「ちょっと! 棟哉くん、何してるの!?」
「「ッ!?」」
夏音が廊下の電気をつけて入ってきた。
驚いた棟哉は僕を放す。
「ヤエ先輩……大丈夫ですか? 兄さんを怒らせるなんて、一体何を……なるほど、そういうことですか」
明かりで詩乃ちゃんにも見られてしまった。
「……じゃあ、こうしよう。ねぇ、夏音ちゃん」
「え、私? 怒ってるけど……まぁいいよ。何?」
棟哉がまっすぐ夏音を見据え、彼女は腕を組み目を細める。
「ヤエの腕のこと……説明できる?」
「あー、やっぱりそうだったのね。いいよ、私で良ければ」
「待って! 夏音、本当に言うの!?」
僕が必死に止めても、夏音は不思議そうに首を傾げる。
「言ってもいいも何も、棟哉くんに隠し事なんてできないし。あたし達の親友でしょ? 隠す必要ないよ」
――確かに正論だ。
言い返せず、僕は顔をそらす。
「それで、優斗のことだったよね? これは――」
でも、なぜだろう。
さっきの「あたし達の親友」という言葉が、胸の奥でぐるぐると渦を巻く。
『達』か……。
その一言を意識した瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられるように痛んだ。




