#15 嫌な予感
優斗にお会計を任せて外に出ると、少し遅れて陽織のお母さんが店の中から出てきた。
「……あっ、陽織のお母さん! アイス、とっても美味しかったです。ご馳走様でした!」
私が頭を下げると、お母さんは柔らかく微笑み、軽く手を振った。
「今さらだけど“陽子”でいいわよ。美味しそうに食べてもらえて嬉しいわ。それに――」
陽子さんはちらりとお会計中の優斗を見やり、私の耳元にそっと声を落とした。
「(優しそうな彼氏さんね、夏音ちゃんと相性バッチリみたい)」
その一言で、顔が一気に熱くなる。
「ちょ、ち、違いますってば! あたし達、仲がいいだけで……」
「あら、そうなの? 平日のお昼から一緒に遊びに来てるから、てっきりお付き合いしてるのかと」
――そういえば今日、平日だったんだ。
「えっと、その……学校を休んでるのは、ちょっと事情があって……」
慌てて説明しようとすると、陽子さんが先に口を開いた。
「あの子の左腕のこと、かしら?」
「え!? ど、どうして……?」
事情を知っているはずのない陽子さんが的確に言い当て、思わず問い返す。
「アイスを食べながらも、時々左腕を気にしてたわ。きっと何かあったんでしょう?」
「目の前にいた私ですら気づかなかったのに……」
小さく驚きながら呟くと、陽子さんは肩をすくめて笑った。
「あら、それはそうよ~。夏音ちゃんに悟られないよう、見られていないタイミングで触っていたもの。……きっと心配されたくなかったのね」
そう言って、今度はさらに一歩近づき、いたずらっぽく囁く。
「(もし私でよければ、相手に気付かせずに誘惑する方法とか、教えるわよ?)」
「(――ッ!? だ、だからそういうのじゃないですってば!)」
顔を真っ赤にして否定する私。
この人、おっとりしているように見えて結構スゴい人だなぁ……。
というか、私も何でこんな必死に否定しちゃうのかなぁ!?
「ふふ、若いっていいわねぇ。そうそう、りっちゃんのことなんだけど――」
言いかけたところで、店内から足音が聞こえてきて、私はそちらに意識を奪われる。
「……あ、ごめんなさい、何か言いました?」
「……いいえ、なんでもないわ」
陽子さんはさらりとかわす。
そのタイミングで、足音の主――優斗がこちらに歩み寄ってきた。
「あ、もしお話中なら、僕は少し離れてますけど?」
「いえいえ、ちょうど終わったところよ。……二人とも、これからも陽織と仲良くしてあげてね」
陽子さんは両手を前に揃えて軽く会釈する。
「「はい!」」
私たちは声をそろえて元気よく返事をした。
――――――――――――――――――――――――――
「あの二人、本当にお似合いね」
「ああ……なんだか昔を思い出すよ」
二人はカウンターへ戻り、穏やかに笑い合う。
「彼は自分を“釣り合わない”なんて言ってたけど……何事もなく幸せになってほしいな」
「……ええ、そうね」
陽子が少し含みを持たせて答えたとき――
「お会計お願いしますー」
マスクに帽子、サングラスと、あからさまに顔を隠した男性がレジに現れた。
「はい、注文票をお預かりしますね」
伊織が対応する背中を見つめながら、陽子は胸の奥にわずかな不安を覚えていた。
「……何事もなければいいのだけれど」
――――――――――――――――――――――――――
「さーて! 次どこ行こっか!」
私は軽く体を伸ばしながら、隣の優斗に声をかけた。
「うーん……じゃあ、本屋とかどう?」
「ダメ! あたし、ああいう所行くと絶対寝るよ」
活字はあまり得意じゃない。教科書でも小説でも、しばらく読んでると必ず眠気が襲ってくる。
「あぁ……だよね……」
あ、落ち込んだ。
ちょっと悪いこと言っちゃったかな。
「えっと……あ! じゃあさ、あそこ行こ!」
私は優斗の袖を軽く引き、ゲームセンターの方向を指さす。
「ゲームセンターか……まぁ、大丈夫!」
優斗は財布を覗き込み、ちょっと考えてから親指を立てた。
――とはいえ、お金ばかり出させるのも悪いし、今日は私も少しは出すつもり。
「よし決まり! じゃあレッツゴー!」
私は優斗の手をがしっと掴み、そのまま走り出した。
「ちょ、速いってぇ!」
――――――――――――――――――――――――――
「はぁ……はぁ……な、つね……もう無理……下半身ちぎれる……」
「ふぅ……まだまだこれからだよ!」
そう言いながら、私は勢いよくブラウスを脱ぎ捨て、キャミソール姿になる。
「……うわぁ、本気だね……じゃあ僕も――」
優斗もワイシャツを脱いだ。
――――――――――――――――――――――――――
「よっし、フルコンボォ! この曲好きだけど、中々フルコン狙えなかったんだよねぇ……」
夏音が満面の笑みでガッツポーズを決める。
ちなみに、今僕たちがやっていたのは『ダンスレインボー』というアーケードゲーム。
床に四方向の矢印が描かれていて、音楽に合わせてそこを踏むだけ……のはずなんだけど――。
「ゲッホゴホ! あぁ……良かっ、たね……」
全然“だけ”じゃなかった。
僕は体力が全くないから、その場にへたり込むのが精一杯だ。
一方の夏音は、完璧に矢印を踏み切った上に、上半身の振り付けまで入れて踊りきっていた。
そりゃあ、周囲に人だかりもできるわけだ。
拍手や「ナイスプレイ!」「アンコール!」なんて声まで飛んできている。
……対して僕にかけられるのは「頑張ったねー」とか「次はフルコンだー」。
いや、余計なお世話だよ……。
肩を落としていると、夏音が屈み込んできて、手を差し伸べてきた。
ほんの一瞬、胸元に視線が吸い寄せられてしまい、慌てて目をそらす。
――危ない。
夏音って、スタイルがいいくせに意外とガードが甘いから、こういう時ほんと困る。
別に嫌なわけじゃないけど……罪悪感が凄くある。
「あはは! 優斗も思ったよりやるじゃん! 最後まで踊りきれるとは思ってなかったよ!」
本人は全く気にしていないみたいで、心底楽しそうだ。
さっきの曲、最高難易度に近いらしくて、僕が選んだノーマルですら一段階上のハードくらいの難しさらしい。
ちなみに夏音はエキスパート。
軽い気持ちでノーマルを選んだ自分を、今すぐぶん殴りたい。
差し出された手を取って立ち上がる。
「うん、ありがとう……でも、ちょっと休ませて」
「あ、じゃああたしもう1クレするから、優斗は近くのベンチで休んでて」
――まだやるのか、この人……!?
夏音の底なしの体力には、いつも驚かされる。
「じゃあ、そうさせてもらうよ……外のベンチで待ってるね」
そう言って手を振り、ゲームセンターを後にした。
「うぁー……疲れた」
近くのベンチに腰を下ろす。
これ、下手な体育の授業より疲れたかも……。
そういえば、今何時なんだろ?
スマホを取り出して確認すると、13時半。
お昼時はとっくに過ぎている……のだが――
「うげ、なんだこの通知!?」
フリタイのアイコンには『99+』。
間違いなく、あのグループチャットだ。
……やばい、完全に放置してた。
何も言わない方が逆効果なんじゃ……?
そう考えていると、フリタイから着信が入る。
表示された名前は「Mr.ぶれいん」。
――物宮先生だ。
もしかして岡崎のことか?
少し緊張しながら通話ボタンを押す。
「もしもし、八重桜です」
『あぁ、やっぱり外出てたか。担任の物宮だ』
「あ、お疲れ様です……もしかして家にもかけてました?」
先生は、少し呆れたような声で続けた。
『どっちも家にかけたが、出なくてな。2人とも居留守を使うタイプじゃないし、もしやと思ったんだが……』
「えっと……どうかしたんですか?」
『いや、外の音からしてゲーセンにいるみたいだな? ……いいご身分じゃないか』
背筋が凍る。
「す、すみません! 夏音がどうしてもって……」
『ははは、半分冗談だ。ところで明日、2人とも時間あるか?』
……やっぱり、ちょっと羨ましかったんだろうな。
僕は苦笑しながら答える。
「僕は大丈夫だと思います。夏音も多分……後で確認して連絡します」
『了解だ。場所はどうする? 学校でも公園でもいいぞ』
ふむ……それなら、僕の家が一番いい。
夏音を泊めれば時間も自由に使えるし、先生も人目を避けられる。
「じゃあ僕の家で。夏音も泊まらせますし、時間は何時でも大丈夫です」
『ふーん、泊まらせるんだ……まあいい。それでいこう。時間は追って連絡する』
「承知しました。では、切りますね」
『じゃあまた明日な』という声を最後に、通話は切れた。
「明日か……緊張するな」
「ん? 何が緊張するの?」
「うわっ!?」
顔を上げると、夏音が首をかしげて立っていた。
……キャミソール姿のままで。
「ちょっ! 上! 上!」
「え? 上?」
天井を見上げる夏音。
「違う、服の方!」
自分のワイシャツを引っ張って見せると、彼女は視線を下げ――
「――ッ!? ご、ごめん! 取ってくる!」
顔を真っ赤にして、夏音はゲームセンターへ駆け戻っていった。




