#107 気になる
「では、私はそろそろ失礼する」
物宮先生はそう言って、玄関で一礼した。
ヒオちゃんも私も「気をつけてください」と声をかけながら見送ったが、胸の奥にまとわりつく不安は簡単に消えてくれなかった。
先生が話していた「怪しい人影」のこと――まさか本当にそんなことが起きているなんて。
玄関のドアが閉まる音がして、静けさが戻る。
ヒオちゃんが小さなため息をついた。
「はぁ~……先生が来てくれたら安心できるかと思ったけど、逆に怖くなっちゃったよ」
「……だよね」
先生は「念のため注意してほしい」と言っていたけれど、その言葉は私の胸を締め付ける。
物宮先生の穏やかな口調の裏に、何か深刻な事情が潜んでいるように思えてならなかった。
……本当に、ただの偶然なの?
視線を感じたこと、インターホンの異常、そして先生の話。
すべてが見えない糸でつながっているような気がして、嫌な予感が消えない。
「……なっちゃん、今夜一緒に寝よう?」
「え、いいけど……ヒオちゃん、怖がりすぎじゃない?」
「だって、怖いもんは怖いんだもん~!」
そこでヒオちゃんは一瞬言葉を止め、少し真面目な表情になった。
「……それに、なんか――」
「……え?」
「ごめん、変なこと言った。忘れて」
すぐに笑って誤魔化したけれど、その目はどこか遠くを見ていた。
私は小さく笑いながら頷いた。
「……うん、確かに少しはね。でも、私がいるから大丈夫だよ」
お互いを励ますように笑い合い、なんとか不安を和らげようとした。
それでも、物宮先生の言葉とヒオちゃんの一瞬の表情が、頭から離れなかった。
……やっぱり、気になる。
本当に何かが起きているのだろうか?
それとも、ただの思い過ごしなのか――。
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「じゃあ、八重桜。またな!」
岡崎は片手を上げてそう言い、街灯の下を歩いて遠ざかっていった。
僕と棟哉はその背中を見送ったあと、再びゆっくりと歩き出す。
「……なぁ、ヤエ。あいつが言ってたこと、どう思う?」
「岡崎が言ってたこと?」
僕は足を止め、棟哉の顔を見る。
彼は真剣な表情で言葉を続けた。
「先生も怪しい人影とかなんとか言ってたって話だろ? なんか普通じゃねぇよな」
「……確かに」
僕も岡崎の言葉が頭に残っていた。
「オカルトかよ」と呆れたように笑ってはいたけれど、その裏にある違和感は拭いきれない。
物宮先生がそんな話をしていたというのも引っかかるし、今夜の不気味な視線も――偶然で片付けられない気がしていた。
「でも、物宮先生がその話をしてたってことは、先生も何か掴んでるのかもしれない」
「だな……。もし本当に変なヤツがうろついてるなら、お前んとこだけじゃなくて夏音ちゃんたちも危ねぇんじゃねぇか?」
棟哉の言葉に、僕の胸がざわつく。
彼の言う通り、夏音たちも危険に巻き込まれる可能性は十分にある。
だからこそ、僕たちが気を張って見張るしかない。
「……しばらく様子を見よう。でも何かあったら、すぐ動く」
「おう、何かあったら俺がついてんだから心配すんな!」
棟哉がにっと笑って僕の背中を軽く叩く。
その明るさに少し気が楽になるが、岡崎の言葉が頭の奥に残ったままだった。
物宮先生が言っていた「怪しい人影」――その正体は何なのか。
立ち止まって考えているだけでは、答えには辿り着けない。
「……よし、今日はもう帰るか」
「おう、飯でも食ってスタミナ付けとくか!」




