#106 オカルト
「ふぅ……」
湯気の立つお茶を口に運び、ようやく胸の奥の緊張が少しだけほどけていく。
ヒオちゃんもカップを両手で包み、「怖かったね~」と小さく笑った。
「……ほんとだよ。でも……気のせい、だったのかも」
自分に言い聞かせるように呟く。
その瞬間――再び、玄関のインターホンが鳴った。
「「え……?」」
私とヒオちゃんは顔を見合わせ、体が固まる。
ついさっき、モニターには“誰も”映っていなかった。
頭にその記憶がよみがえり、背筋を冷たいものがなぞっていく。
「な、なっちゃん……」
「……また、誰もいなかったら……」
ヒオちゃんの声が、ほんのわずかに震えていた。
けれどその瞳は、不安と同時に何かを探るような色を帯びている。
意を決し、私たちは一緒に玄関へ向かい、モニターを確認する。
「……あっ」
今度は映っている。
そこにあったのは、見覚えのある顔――物宮先生。
「……先生?」
ヒオちゃんも驚いた表情で画面を見つめる。
「なんでこんな時間に……」と呟く声に、私は「とにかく出てみよう」と答え、彼女を下がらせてからドアを開けた。
夜気とともに立っていたのは、少し疲れた顔の物宮先生だった。
「すまない、急に訪ねてしまって。少し話をしたいことがあってだな……少しだけ時間をもらえるか?」
その真剣な眼差しに、私たちは黙って頷いた。
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「で、八重桜。お前、なんでこんな所でコソコソしてたんだ?」
岡崎の問いに、僕は一瞬言葉を詰まらせた。
棟哉が様子をうかがう中、このまま誤魔化すのは難しいと判断する。
「なんか、さっきから変な気配を感じてて……それが夏音たちの方向にも行ってる気がしたんだ。だから心配で後をつけてた」
「気配……? なんだそれ、オカルトかよ」
岡崎は鼻で笑いかけたが、僕の表情を見て少し態度を改めた。
「……でも、気のせいじゃないかもしれない」
「え?」「はぁ?」
僕と棟哉は同時に岡崎を見る。
「先生が、そんな話してた気がする」
「先生って……物宮先生?」
棟哉が驚きの声を上げる。僕も同じだ。
「詳しくは分からないけど、確かにそんなこと言ってた気がする。俺は正直、よく分かんなかったけどな」
岡崎の言葉が胸の奥に引っかかる。
もし先生が関わっているなら――あの視線の正体を知っている可能性がある。
「……棟哉、もう少し夏音たちの様子、確認しない?」
「わかった。お前がそういうなら付き合うぜ」
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リビングに通すと、先生は「遅くに悪い」と軽く頭を下げた。
私たちは不安を隠せぬまま、ソファに腰を下ろし、先生の口を開くのを待つ。
「……最近、この近所で妙な報告があってな」
低い声で切り出す先生に、私の背筋がわずかに伸びる。
「夜中に、得体の知れない人影が出没しているらしい。姿をはっきり見た者もいれば、ただ“見られている気配”だけを感じた者もいる」
私とヒオちゃんは思わず顔を見合わせた。
さっきまで背中に刺さっていた視線が、脳裏に鮮明によみがえる。
「……それって、もしかして……さっき私たちが感じた視線のこと、ですか?」
「その可能性は高い」
先生は真剣な眼差しでうなずく。
「もちろん、偶然や思い込みの可能性も否定はしない。だが、この辺りではここ数日、同じような話が立て続けに出ている」
「……どうして急にそんなことが?」
私が問うと、先生は一瞬だけ言葉を選ぶように黙り、やがて続けた。
「理由はまだ分からん。ただ、こうした現象は妙に連鎖することがある。だから……君たちが何か巻き込まれていないか気になって、直接確かめに来たんだ」
「……そう、ですか」
隣でヒオちゃんが小さくつぶやく。
声色はいつも通り柔らかいけれど、その目がどこか遠くを見ている気がした。
「なんとなく……さっきのは、普通の視線とちょっと違うような……そんな気がしただけです。気のせいかもしれませんけど」
先生は小さくうなずき、「なるほど」とだけ返す。
その短いやりとりが、妙に胸に引っかかった。
「……何かあれば、必ずすぐ知らせてくれ。心配しすぎる必要はないが、念のため注意しておいてほしい」
先生はそう念を押し、私の目をまっすぐ見つめる。
「……はい、分かりました」
私がうなずいたそのとき――ヒオちゃんはほんの一瞬だけ視線を逸らし、窓の外をちらりと見やった。
その仕草は……何故か胸の奥がざわめいた。




