#105 インターホン
「ただいまー!」
玄関に足を踏み入れた瞬間、少しだけ体から力が抜けた。
ヒオちゃんと並んで靴を脱ぎ、「変なことがなくてよかったね」と言い合う。
けれど胸の奥に残るあのざわつきは、まだ消えてくれない。
背中にまとわりついていた視線。
気のせいだと思いたいのに、頭のどこかで「そうじゃない」と囁く声がある。
しかも、さっき無意識に優斗の名前が浮かんだことを思い出し、妙な気恥ずかしさまで加わって落ち着かない。
「ちょっと怖かったけど、なっちゃんと一緒だったから大丈夫だったかも~!」
ヒオちゃんがそう言って笑いかけてくる。
その笑顔は、無邪気で、でもどこか何かを探るような光を宿していた。
「そうだね。あたしもヒオちゃんがいてくれて心強かったよ。ありがと」
そう返しながら、つい窓の外に目をやる。
街灯に照らされる静かな道――誰の姿もない。
けれども、皮膚の奥にひりつくような違和感は、まだ完全には消えなかった。
「なっちゃん、まだ気になる?」
「……ううん。多分気のせいだと思うけど、なんとなく」
曖昧に答えると、ヒオちゃんは「そうだね、気にしすぎるのもよくないよ」と肩を軽く叩いてくれた。
その仕草は明るくて、いつも通りの彼女らしいのに――ほんの一瞬だけ、彼女の視線が玄関の方へ鋭く走った気がした。
夕飯の話をしていた、そのとき――インターホンが鳴った。
「え……?」
この時間に鳴ることなんて滅多にない。
私とヒオちゃんは顔を見合わせ、立ちすくむ。
「誰だろう……」
「ちょっと待って、私が見る」
ヒオちゃんに下がるよう促し、慎重にモニターを確認する。
そこには――誰も映っていなかった。
……え?
いたずらにしてはタイミングが良すぎる……よね。
心臓が強く脈打つ。
玄関に手を伸ばしかけたとき、ヒオちゃんが「待って!」と鋭い声で制した。
「なっちゃん、開けない方がいい」
「……うん」
結局、二度目の呼び出しはなく、玄関を施錠しカーテンを閉めても、不安は消えなかった。
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夏音たちの家へ向かう道を、一定の距離を保ちながら進む。
背中に感じていたあの刺すような視線が、徐々に薄れていくのが分かった。
「なぁ、ヤエ。……そろそろいいんじゃないか?」
棟哉の声に意識を向ける。
確かに、さっきまでの圧迫感はなくなっていた。
「うーん……戻ってもいいのかな……?」
「まぁ、気のせいだったんだろ。ほら、あいつらも無事に家に入ったし」
棟哉の指先、街灯の下で夏音と天名が家に入っていく姿が見えた。
それを確認し、わずかに肩の力が抜ける。
……やっぱり気のせ――
「……よう、八重桜」
突然、背後から声がして心臓が跳ねた。
振り返ると岡崎が立っていた。
「岡崎!? なんでこんな所に……」
「お前がコソコソ歩いてんの見たからだよ。何してんだ?」
唐突な登場に拍子抜けする反面、心臓の高鳴りはすぐには収まらない。
「いや……なんでもないよ」
「なんでもないって顔じゃねぇな」
岡崎が探るような視線を向ける横で、棟哉は無言で夏音たちの家の方を見やっていた。




