#100 考えすぎ
昼休みになり、僕は自分の席で弁当箱を開いた。
目の前の夏音が、いつものようにくるりと僕の方へ向き直り、弁当箱の包みを解いている。
本来なら「いただきます」と笑い合い、昨日の出来事やくだらない話をするはずだった。
でも今日は、言葉が喉に引っかかったまま出てこない。
「……いただきます」
小さな声が耳に届いたが、どう返せばいいのか分からず、僕はただ黙って箸を動かす。
視界の端には、俯きがちな夏音の横顔。
箸先が唐揚げをつつくたびに、胸の奥でやけに強い鼓動を感じた。
……なんで、こんなに意識してんだ、僕。
夢の中のあの光景――柔らかい空気、耳に残る声、布団越しの温もり。
全部がまだ鮮明に残っていて、現実の夏音と重なってしまう。
「……優斗、その唐揚げ美味しそうだね」
不意にかけられた声に、心臓が一段と跳ねた。
顔を上げると、彼女が箸を持ったまま僕の弁当をちらりと見ている。
「あ、うん。これ、昨日水津木家のお母さんが作ってくれたやつ。……食べる?」
「あ、いいよいいよ! ただ気になっただけ!」
ほんの一瞬、ぎこちない笑みを交わす。
だけど、すぐにまた沈黙が戻ってきてしまった。
……何なんだ、この空気。
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昼休み、いつものように優斗の前に座り、弁当を広げた。
でも、何を話せばいいのか分からない。
こんなこと、一度もなかったのに。
あたしが意識しすぎてるだけ……普通にすればいいだけなのに……。
何度も自分に言い聞かせても、夢の中の優斗の声や温もりが消えない。
目の前にいる彼の存在が、やけに近く感じてしまう。
「……いただきます」
口にしてみたものの、返ってきたのは小さなうなずきだけ。
そのまま気まずい沈黙が続く。
……話題、話題……何か……。
思い切って彼の弁当を覗き込み、ぽつりと声を出した。
「……優斗、その唐揚げ美味しそうだね」
小さな声だったけど、優斗はすぐに顔を上げた。
「あ、うん。これ、昨日水津木家のお母さんが作ってくれたやつ。……食べてみる?」
「あ、いいよいいよ! ただ気になっただけ!」
笑顔を交わしたのは一瞬だけ。
すぐにまた沈黙が降りてきて、胸のもやもやは消えないままだった。
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「あいつら、一緒に飯食うのはデフォなんだな……」
席で弁当を広げながら、ちらりと二人の様子を伺う。
普段なら賑やかな声が聞こえるのに、今日は妙に静かだ。
(いつもなら夏音ちゃんが軽口叩いて、ヤエが突っ込むのに……)
箸を止め、二人をじっと観察する。
ぎこちない間と、時折交わす短い会話。
まるで距離感を測り合っているようだ。
(……お前ら、何あったんだよ)
気にはなったが、今は突っ込まずに様子を見ることにした。
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帰り道、夏音、天名、棟哉と並んで下校する。
いつもなら、棟哉のどうでもいいネタに天名がツッコミを入れ、夏音が笑いながら加わって――そんな騒がしい帰り道になるはずだった。
けれど今日は、耳に入ってくるのは僕たちの足音と、街路樹を揺らす風の音ばかり。
横目で夏音をうかがっても、彼女は前を向いたまま何も言わない。
僕のほうも、声をかけようとしては飲み込むばかりだ。
……話さなきゃ。
いや、でも何を……?
沈黙がじわじわと重くのしかかってくる。
そんな空気を破ったのは、棟哉だった。
耐えきれないといった様子で、肩越しに振り向く。
「おい、お前ら、いったいどうしたんだ?」
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帰り道も、ほとんど会話がないまま歩いていた。
優斗の横顔が何度も視界に入り、そのたびに胸がざわつく。
夢の中の光景が、ふとした拍子に蘇ってきて、言葉を発しようとする舌が固まってしまう。
そんな時、前を歩く棟哉くんが急に足を止め、振り返った。
「なぁ、お前ら、いったいどうしたんだよ?」
思わず立ち止まり、優斗と視線がぶつかる。
不意の視線の重なりに、心臓が跳ねた。
「実は……私、変な夢を見ただけで……」
「え、えっと……妙な夢を……」
「え?」「へ?」
ほぼ同時に言葉を発し、互いに顔を見合わせたまま固まる。
空気が一瞬止まった後――
「はぁ? 夢ぇ? そんなの気にすんなよ! 夢は夢だろ!」
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「……夢は夢か。そうだな」
自分でも驚くほど素直に、そう口から出た。
横を見ると、夏音も安堵したように小さく頷いている。
その後は、まるで水面に小石を投げ入れたように、会話がぽつぽつと広がっていった。
棟哉がくだらないモノマネを始め、天名が「やめなさいって!」と笑いながら突っ込む。
その笑い声に、僕も自然と笑みがこぼれた。
さっきまでの重苦しい沈黙は、風に溶けるように消えていく。
夢のことは胸の奥にしまっておこう。
でも、こうして少しずつでも、いつもの日常に戻っていけるなら――それで十分だと思えた。




