漆黒の竜
この瞳の色には覚えがある。
「つかぬことを伺いますが、殿下は日光にあたると皮膚が赤くなったり腫れたり水膨れになったりしますか。」
「いや、そんなことは無い。多少赤くはなるが。」なるほど、皮膚は特に異常無いようだ。つかつかとベッドの近くによって王子が座っているベッドによじ登る。
「失礼いたします。」と申し訳程度に言って、王子の横に向かい合って座り瞳を覗き込む。
「殿下の母君の家系に殿下と同じような瞳の色の方はいらっしゃいましたか。」私が聞くと王子はびっくりした顔をして答えた。
「母方の祖父がそうだ。」ああやっぱり、皮膚には症状が無いところからして恐らく伴性遺伝の眼白皮症だろうな。今回の症状には関係なさそうだけど、念のためカルテに書いておこう。
「ありがとうございます。では、失礼してお体を拝見いたします。」まずは脈をとるが特に異常はなさそうだ。聴診器で心音と肺音を聴きたいのだけど怪しい器具だから使わせてもらえないかしら。
「あの、こちらの器具を殿下の体につけて、体の中から聞こえる音を聴きたいのですが、お許しいただけますでしょうか。」そう言って聴診器を取り出すと不思議そうな顔をされる。日常的に命を狙われる可能性のある王子としてはこんなものは体にくっつけたくないだろうことは予想に難くない。
ところが意外に王子は聴診器を手に取って観察し始めた。
「これはどうやって使うのだ。」使い方に興味があるみたいだ。
「こちら側の二つを耳に差し込みまして、こちら側を体に当てますと、体の中の音が聞こえます。」そう言いながら自分の耳と腕にあてて実演してみせる。本当は自分の胸にあてられれば良かったのだけど、まさか王子の前でいきなり胸元をくつろげるわけにもいかないのでしかたない。王子の向こうでエールリヒ様がいぶかし気な表情をしているのが見える。
「良い、やってみろ。」
「殿下。お止めになるべきです。」エールリヒ様が間髪入れずに止める。
「なぜだ、パウル。この者が暗殺者に見えるか。」まるで面白がるように聞く王子にエールリヒ様は生真面目に答える。
「可能性は十分あります。」王子は面白がる様子を変えずに、大人しく成り行きを見守っていた私に向き直って聞いた。
「暗殺者に疑われているのに、平然としているのは何故だ。」
「エールリヒ様のご懸念は尤もかと存じますので。私の施す医術はこの国の他の医師の方とは違いますことから、このような疑惑を持たれることは予想の範疇でございます。そもそも素性が分からぬ動物に医術を施してきた人間を召喚して殿下の治療にあたらせようとすること自体に無理がございます。」暗に宰相閣下の暴挙を匂わしながらそう言うと、王子はまたもや面白がるような顔をした。
「そなたはなかなかに興味深い性格をしているようだな、エリザベス嬢。」年頃の女性を捕まえて麗しい王子様が言うセリフとしてはあまり色気がないけど、まあ褒め言葉として受け取っておこう。
「ありがとうございます。」私がそう返事をした直後、バルコニーの外から低い獣の唸り声のようなものが聞こえた。
初めて聞く動物の声に好奇心が抑えられなくなって、失礼と一言断ってベッドを滑り降りてバルコニーに音を立てずに近寄る。そしてカーテンの影からそっと覗いてみると、そこに漆黒の鱗をもった美しい竜が座っていた。
その全身はまさに黒曜石のような輝きを放っていて、その硬質な光は、触れた時の冷たさを想像させた。
瞳はどこまでも深い夜空を映したような紺色をしている。
気配を消してそっと覗いたつもりなのに、その竜はまっすぐに私を見つめていて、その眼は不思議な慈愛と好奇心に満ちているように見えた。
まさか幼い頃から憧れてきた竜にこんなところで会えるとは思ってもみない。黒い竜はもう私の存在に気付いているようなので、いまさら気配を隠してもしかたがない。バルコニーへの扉を静かに開けて、相手を驚かさないようにゆっくりと近づいてみる。
私が一歩近づくと竜も少し首を伸ばして私の様子をうかがう。また一歩近づくと首を伸ばすといった具合に互いに少しずつ距離を詰めて竜の前に立つと、竜は好奇心に満ちた目で私の顔や髪の匂いを嗅いだ。竜も匂いで相手を識別する動物なのだという発見に胸がワクワクする。しばらく私の匂いを嗅いでいた竜はまた断続的に小さな鳴き声をたてた。