新たなる門出
私が王宮を辞してから三度目の夏が過ぎた。
あのあと王宮を出た私は黒の竜に竜の頂に連れて行ってもらった。
失恋の傷を癒すのは新しい恋しかないと思ったから。
月白は少し驚いた様子だったけど、私を暖かく迎え入れてくれて今となっては前世の記憶も手伝ってすっかり熟年夫婦の域だ。
というのはもちろん嘘で、私のような人間が失恋の傷を癒す方法は一つしかない。
そう仕事である。
月白に会いに行ったのは、王宮に居る間に思いついたアイディアを実現するにあたって、月白に相談したい事があったから。
そのアイディアとは教育機関を兼ねた人間と動物の病院を作ること。
この世界の医療水準は前世の水準には遠く及ばない。
私一人が出来ることには限界があるけど、私の持っている知識を医学を志す人に伝えられれば少しはこの世界の医療の向上に立つのではないかと思った。
もちろん教育を受ける人の性別や年齢は問わない。
ただ、私の知識を広く一般にひろめるにあたって懸念があった。
私の知識は前世で得たもので、それをこの世で使うのは何かこの世界の理を歪めるような、歴史を変えてしまうようなそんな影響を及ぼしてしまうのではという心配が頭の隅にずっとあった。
だから動物しか治療してこなかったのだ。
まあ、もともと前世でも選んで獣医になったので、人より動物を治したいという希望はあったけど。
今回の事件があって、将来の国王であるアンソニー様というある意味歴史に大きく影響を与える人物の命を救ってしまったことは、この世界を本来予定されていなかった結末に導いてしまうのではないかととても心配だったのだ。
だからと言ってアンソニー様を助けないという選択肢が私の中にはなかったので、今回の件に関しては腹をくくって結果を受け入れるしかないのだが、今後、意図的に前世の知識を使って人々を治療していくならばその前に月白にどうしても確認しておきたかった。
「ねえ月白、前世の知識を今世でも使って大丈夫なの?この世界の歴史を歪めてしまったりしない?」そう尋ねる私にツキシロは優しく微笑んで答えた。
「お前が前世の記憶を持って生まれてきたこともまたこの宇宙の理の一部だ。是も非もない。お前の人格から前世の影響を消そうと思っても不可能であろう?前世の記憶すらも今のお前という人格の一部だ。それこそがお前らしさを作り出している。前世の記憶や人格を無理に抑えこむ必要はない。気に病むことなく精いっぱいお前らしく生きろ。力と思いの限りを尽くしてこの生を楽しんで欲しい。それがお前を転生させた私の望みでもある。」そうツキシロに言ってもらえて、やっと心が自由になった気がした。
病院を作ろう、医者を育てようと思ったのは、王宮でこの国を守るために頑張るアンソニー様のために私も何かできることをしたいという愁傷な想いも少しあった。
離れていても心が繋がっているなんていう夢物語は信じないけど、いつか私の作った病院の話がアンソニー様の耳に入って、少しでもアンソニー様の心を暖めてくれると良いなと思った。
あと、その時には私のことも思いだしてくれると嬉しいなって思った。
残らないと決めたのは私だけれど、簡単に忘れられてしまうのは寂しいというのが正直な気持ちだ。
もしいつか会えたら、あなたが大切に思っているこの国を守るために私も私なりに頑張りましたよって胸を張れる自分でいたい。
そんな思いで三年間必死に走ってきた。
幸いにして王家から報奨金を沢山もらえたので資金は潤沢だった。
なんとエールリヒ様は個人的に資金提供をしてくださって、優しい心遣いにまたほっこりした。
まずは領内から医師を志す人を募った。
領主の仕事を手伝ってもらうという名目でそれなりのお給料も出すことにした。
そうじゃないと働き手を失う家庭も出てしまうから。
私が一人で面倒をみれる人数なので、生徒の数は初年度は五人、次の年も五人、三年目になってやっと十人に増やした。
上級生が下級生の面倒をみるようにして、できるだけ効率良く運営できるようにしている。
病院も始めた。
ツキシロが授けてくれた新しい魔力のお蔭で、診断には苦労しないしウイルスや細菌による感染症はあっという間に治せる。
前世に比べて衛生環境が良くないこの世界ではそれだけでも十分沢山の人を救えた。
私以外の医師がこの力を使えないので、どうやって誰でも出来る形で技術を教えるかが今取り組んでいる課題だけど、試行錯誤の毎日は楽しい。
最近は初診の患者さんの問診や検査は三年目の生徒さんに担当してもらっている。
自分なりに推測して診断をしてもらうのはとても良いトレーニングになるから。
最近は噂を聞きつけて、領内以外の地域からもちらほら患者さんが来るようになってきていた。
その日も朝の問診と検査は三年生にお願いして私は朝の患畜さんたちのお世話と見回りをしていた。
それが終わったら三年生とのミーティングで今日の新規患者さんについての報告を聞く。
「本日は主訴が熱の患者さんが三名、足の痛みを訴える患者さんが一名、そして心窩部痛の患者さんが一名です。」
なるほど。
「診断名は付きそうですか?」
「心窩部痛の患者さんは今まで聞いたこともない症状で私達は誰も診断名を思いつきませんでした。」
「症状を読み上げていただけますか?」
「症状は三年前からだそうです。主訴は心窩部痛、それ以外の症状としては食欲不振と不眠が断続的にあるそうです。心窩部痛は夜間に生じることが多く、一過性だということです。」
症状だけだと逆流性食道炎のように聞こえるけど、胸部の痛みは気をつけて慎重に診断する必要がある。診察室に移動しながら頭の中でいくつかの可能性を挙げる。
「患者さんをお通ししてください。」
白衣を着て自分のデスクに座りながら学生さんに声をかける。
「ウェンデル・スタンリーさん、診察室におはいりください。」
入ってきたのはぼさぼさの髪で、ひげも伸び放題で顔の上半分は前髪で、下半分はひげで覆われていて、全然人相が分からない姿勢の悪い男性だった。
衛生状態があまり良くなさそうなので、滞在中にお風呂にはいってもらおう。
走り書きでメモをして、どこが悪いのか調べるために眼に魔力を集めて患者さんの体を改めて診た。
おかしい。
異常があると疾患部位に赤い光が集まっているように見えるのに、どこにもそれが無い。
不思議に思いながら改めて患者さんの様子を観察する。
背が高く、がっしりとした体格で鍛えられた体の印象がある。
体調が悪そうには思えないけどと考えながら、まじまじと観察してやっと気が付いた。
そう、やっと気が付いた。
はやる心臓を落ち着かせながら、震える手を押えて手元にあった紙に書きつける。
どんな顔をすれば良いのか分からない。
患者さんが前髪の間から私の横顔をじっと見つめている気がする。
病名を書いた紙を二つ折りにして患者さんに手渡す。
生徒達が不思議な顔をしてみているのが分かる。紙を受け取った患者さんがそれを見てペンを要求するジェスチャーをする。
ペンを渡すと私が書いた病名を消してなにやら別の文字を書いて私に返した。
『詐病→恋の病』
ああ、やっぱり。
「そんな病名はありません。」顔が赤くなるのが分かりながら、私にできるのはいつぞやのように横を向いてすました顔をするだけだった。
「確かに症状があるのだよ。まだまだ研究不足なんじゃないかな、私の主治医殿。」
久しぶりに聞いたアンソニー様の声はあの頃と変わらず低く甘く、涙が出そうなほど懐かしかった。




