紫の瞳
翌朝、支給されたお仕着せと白衣を着てあてがわれた部屋で待っているとノックする音が聞こえた。
返答すると扉を開けて一人の青年が入ってきた。年齢は三十歳前後だろうか。背が高く細身で姿勢が良い。黒い髪で瞳は茶色がかった青をしていてとても美しいけれど冷たい印象を与える。
宰相閣下といい、王宮の男性はみんなこんな感じの冷たい見た目をしているのだろうかとちょっと怖気づいてしまう。
「エリザベス・ブラックウェル嬢か。」挨拶の一つもなしにいきなり身元確認ですか。
「はい。」反抗しても仕方がないので、素直に返事をする。
「アンソニー殿下の側近をしている。パウル・エールリヒという。宰相から連絡を受けて迎えに来た。」かなり迷惑そうに言われている気がして、正直どうしていいのか分からない。どう聞いても歓迎されている感じの声音ではない。
宰相直々の私の召喚はどうやら王子側ではあまり歓迎されていないらしいことを頭に叩き込んだ。政治的な背景が全く分からないから、私がこの王宮から無事に帰るためには、誰が誰の味方で誰の敵なのかをある程度読む必要があるだろう。ましてや王子の病気というのは国家の存亡もかかっている。
想像以上にややこしいことに巻き込まれたことを実感して、短く吐いた息を大きく吸いなおし気合を入れた。診療道具を入れたバッグを抱きしめる。
「準備は出来ております。」
王子の部屋に入ると室内はカーテンが引かれていて薄暗かったが、奥に設置された寝台の上に横になっている男性が居るのが分かった。先に入っていったエールリヒ様が寝台の横で屈んで何か話かけている。横になっていた男性がエールリヒ様の助けをかりて身を起こしてヘッドボードに背を預けてこちらを見た。振り返ったエールリヒ様に目線で促されてベッドの横に近づいて跪く。
「アンソニー殿下、初めてお目に掛かります。エリザベス・ブラックウェルと申します。宰相閣下より殿下の診察をするよう命じられまして参上いたしました。」とりあえずご挨拶と自己紹介、ついでに私がここにいるのは閣下の差し金だということを強調しておく。そうじゃないと門前払いされそうな気配を感じたので。
「わざわざ医術を嗜む女を見つけてくるなどご苦労なことだ。」皮肉気な声が頭の上から降ってくる。静かだけど体調の悪さはそれほど感じないハリのある声だ。
「宰相の命令ではそなたに拒否権は無いな。仕方がない。許す。」そう言われて顔を上げて見上げた王子は、およそ病気が似つかわしくない美丈夫だった。
ただ美しいというだけでなく、表現しがたい威厳のようなものを身にまとっている。年齢はエールリヒ様と同じで三十歳くらいだろうか。日に焼けてすこし乾燥していそうな金髪は短く刈り揃えられ、肌も日常的に日焼けをしている健康的な色をしていた。身長は座っているのでわからないが、鍛えられた大柄な上半身から考えると上背も十分ありそうだ。
「それではまず問診から始めさせていただきます。いま現在どのような症状がおありでしょうか。」
「下半身が思う様に動かせない。全体にしびれたような感覚がある。」
「全体ですか。腰はしびれておりますか。」
「腰はしびれていない。太ももからだ。」
「太もものどのあたりでしょうか。右も左も同じようにしびれておりますか。」
「左右同じだ。」
「太ももの外側あるいは内側など症状の強さに違いはありますか。」
「強さに違いはない。」
「ふくらはぎと足首はいかがでしょう。」
「ふくらはぎと足首も同じだ。左右同じように、外側や内側の違いはない。」
「全身のどこかに痛みはありますか。」
「痛みはない。」
「症状に変化はありますか。一日のうちで症状が軽い、重いなどの変化です。」
「考えたことがなかったので分からない。」
「熱はいかがですか。」
「無いと思う。少なくとも自分では気づかない。」
「いままでに同じ症状を経験されたことはありますか。」
「ない。今回が初めてだ。」
「殿下のご家族の方で同じような症状を経験された方はいらっしゃいますか。」
「私の知る限りではない。」
「症状が出始める前に背中や頭をひどく打ったことはありますか。」
「ない。」
「では一番最近で熱を出されたことは。」
「もう何年も昔だ。」
「頭痛はしませんか。」
「しないな。」
なかなか一筋縄ではいかない予感がしてきた。
「お前の質問は他の医者がする質問とは少し違うな。」王子は不思議そうに私を見つめる。そりゃあまあそうかもしれない。獣医といえども二十一世紀の近代医学の教育を受けた私と、中世ヨーロッパぐらいの医療水準のお医者さんとでは科学的な医療知識は全く違う。もちろん説明する気もないので曖昧にそうでしょうか的な表情をしてごまかす。
「続きはお体を拝見しながら伺いたく存じます。」そう言って私は窓際に近づく。
「観察しやすくするためにカーテンを開けても宜しいですか。」そう尋ねる私に王子は頷いて許可を出した。カーテンを開いて明るくなった室内を振り返って寝台の上の王子と目があった瞬間少し驚いた。王子の瞳の色は鮮やかな紫色だった。