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最後の診察

その日の正午にアンソニー様が正式な王位継承者となり、四年後に即位することが王名で発表された。

午後はお祝いの挨拶のためにひっきりなしに訪問客があり、結局アンソニー様は半日早く床上げをせざるを得なかった。


私はそのまま控えていても特にすることも無かったので自室に戻り、白のお仕着せを脱いで普段着に着替えて散歩に出掛けた。

すっかり慣れ親しんだ王宮薬草園やバラ園を巡る。

そして最後はずっと行きたいと思っていた王室図書館に足を踏み入れて時間を忘れて本に囲まれた至福の時間を過ごした。


気が付くと辺りは暗くなっていて、司書さんが閉館を知らせる鐘を鳴らしながら書架の間を歩いていた。


後ろ髪をひかれる思いで足取りが重いのを自覚しながら自室に戻った。ら、やっぱり居た。


非常に不機嫌な顔をした侍女さんが部屋の真ん中でうろうろしながら私の帰りを待っていた。


「エリザベス様!このように遅くまでどちらにいらっしゃったのですか?」

「えっと、薬草園とかバラ園とかを巡った後に、王宮図書館に籠っていました…。」

正直に答えるとそんなことは聞いていないとばかりにため息をつきながら首を振られる。

いや、だってどこに居たかってきかれたから答えたのだけど。


「殿下がずっとエリザベス様をお呼びです。私ども傍仕えが午後中探しておりましたのに見つけられないのですっかりお怒りになられて。なだめるのに大変苦労しております。」

それは私のせいなのかと疑問に思わなくもなかったけれど、うすうす予想していたので、身支度を整えたら参りますとアンソニー様に伝えていただけるようにお願いして早々にご退出願った。


一日外と埃っぽい図書館に居たので、とりあえずお風呂に入った。


ちょっと悩んだけど、いつぞやアンソニー様にもらったバラの香りのする石鹸を初めて使った。


髪も入念に洗って、でも結わずに降ろしたまま、いつもの白のお仕着せと白衣を着て何とも表現できないソワソワする気持ちを胸に抱えてアンソニー様の執務室まで行く。


浮足立っているのか通い慣れたいつもの廊下がものすごく長いような短いような感じがする。

ともすると自室に走って逃げ帰りたいような気持をなんとか抑えて、意を決して扉をノックするとアンソニー様の少し怒った声が聞こえた。


「入れ。」


殊更ゆっくり扉を開けて、入口すぐのところに立って室内を見渡すと、椅子ではなく執務机に軽く腰掛けて腕組みをしたアンソニー様が不機嫌さを隠そうともせずに私を見つめていた。


「えっと、ご機嫌よう、アンソニー様。お呼びだと伺いましたが。」

ちょっとオドオドしながら膝を折って挨拶をすると、アンソニー様は盛大に舌打ちをして言った。


「私のご機嫌がいいように見えるなら、お前の医者としての観察眼も地に落ちたな。」

なかなか辛辣である。


こちらとしては、このくらい感情を隠さずに居てくれるとかえって居心地が良い。


「そんなに怒らないでください。午後は特に御用も無いだろうと思って王宮内をいろいろ見て廻っていたのです。」


「どこに居た。」


「薬草園とバラ園と王宮図書館です。」


「大方そんなところだろうと思って、すべて探しに行かせたのに見つからなかったぞ。」


「ではすれ違ってしまったのでしょうかねえ。」とぼけてごまかしてみたけど、実は出来るだけ見つからないように人目につかない場所を選んですごしていた。

アンソニー様の姿や気配が無い所で、ゆっくり自分の心に向き合う時間が欲しかったからだ。


私のごまかしが分かったのかそうでないのかは読み取れなかったけど、アンソニー様は軽くため息をついて腕組みをほどき、立ち上がって近づいてきて私の傍に立った。


「髪を結っていないのだな。」少し切なそうな眼で私を見下ろしポツリと言った。


「はい。アンソニー様はもうお元気になられましたので夜間の看護は必要ございません。であれば私の本日のお勤めは終わりましたので。」


「そのわりにお仕着せと白衣なのだな。」ふと気づいて面白そうに笑う。


「これは、なんと申しましょうか、私の戦闘服のようなものでして。着ていないと無防備と申しましょうか何も身に着けていないような心もとない気持ちになりますので。」

言った端から表現が悪かったことに気付いてぎくりとする。案の定アンソニー様はニヤッと笑って言った。


「ほう、何も身に着けていないような気持ちにねえ。」

色気たっぷりに繰り返されればもう私の負けである。


慌てているのを見透かされているのを承知で赤い顔をしてツンとすまして横を向くしかない。

そんな私に忍び笑いを漏らしつつ近づいてきたアンソニー様は、何も言わず私のうなじに両手を回して髪をそっとかき分け白衣の紐をほどいた。

次いで背中の紐もほどくと私の白衣を脱がせた。


「今日はもうこれは無しだ。」そう耳もとでささやいて白衣をソファに放ってしまう。


私は次から次へと繰り出される色気の波状攻撃に成すすべもなく、催眠術にかかったかのようにされるがままになるしかなかった。


あまりにいたたまれなくて涙目になってアンソニー様の顔を恨みがましく見上げると、いつものいたずらが成功した時の笑顔で私の顔を覗き込み、それから私の腰を引き寄せて優しく抱きしめてくれた。


「すまない。いつもりよりリラックスした姿の主治医殿があまりに可愛くて。加えて男としては自分が贈った石鹸の香りなどさせられては堪らない気持ちにもなろう?」

情熱的な言葉のわりに抱きしめる腕は優しい余裕に満ちていて、私を怖がらせないようにしているのが分かってちょっと落ち着いた。


私やっぱりこの人に抱きしめられるのが好きだと自覚する。

すごくドキドキするけどどこか安心する。


「お前と夕食を共にしたい。まだ食べていないだろう。」

「食事ですか。はい。まだです。」抱きしめられたままアンソニー様を見上げて答える。


「よく考えたらお前とは数多くの普通ではない体験を共にしてきたが、食事をしたり散歩をしたりそういった普通の事をしていなかったと思い至ってな。」

そういって軽くため息をついたアンソニー様は少し後悔を滲ませた声で続けた。


「一緒にゆっくり食事をしたいと思ったのだ。食事をするのに白衣はいらないだろう?」

口調がまたからかいを含んだものになる。


そして私の手を取って執務室の隣の居間に続く扉を開けると、そこには二人分の美味しそうな夕食が用意されていた。

給仕係が飲み物やお料理を一通りセットし終わると、アンソニー様は給仕係を下がらせ、自分で私のお皿に料理を取り分けて、飲み物を注いでくれた。

こちらが恐縮してしまう甲斐甲斐しさで思わず笑ってしまう。


美味しい食べ物と飲み物のおかげで、私達の間にあった何とも言えない緊張感は霧散し、他愛のない話で笑いながら楽しい食事の時間が過ぎた。


デザートとお茶を楽しんでいるとノックの音とともにエールリヒ様が入ってきた。

「失礼。数点ご確認いただきたいことがあるのですが。」そう言いながら書類を差し出すエールリヒ様に苦笑しながら書類を受け取り、アンソニー様は執務室に続く扉を押して入っていった。


そろそろお暇する頃合いかと思い、席から立ち上がってアンソニー様に一声かけようか逡巡していると見透かしたように隣室から声がかかる。

「エリザベス、まだ帰るなよ。」ここまであからさまに釘を刺されるとさすがにこっそり帰るわけにもいかず、執務室に移動していつものように邪魔にならないよう暖炉の脇の長椅子に座って二人が仕事をしているのを眺めていた。


一週間前までは当たり前の風景だったのに、今日は自分とは遠い世界のような距離を感じた。


二人と自分の間には見えないけれど決して通れない半透明な幕が下りている。


前世も今も階級意識とは無縁だと思っていたけれど、それは私の無意識のどこかに根付いていたみたいだった。

果たすべき役割があるときは、たとえどんな場所にあっても自分の存在意義を見つけられるけれど、それが無くなった今となっては、ここは自分が居るべき場所ではないという思いが頭を支配する。


知らず滲んでくる涙を書架を見ているふりをして人差し指でこっそり拭って振り返ると、私を見つめているアンソニー様と目があった。

泣いていたのがバレたんだろう。

アンソニー様は軽く吐息をつくと、手に持っていた書類をエールリヒ様に渡した。


「残りは明日の朝一番に確認しておく。今日はもう休もう。エリザベス、就寝前の診察をしてくれるか?」

アンソニー様はそう言ってナイトガウンに着替えるために寝室の衣裳部屋に入っていった。

私はソファに置いたままになっていた白衣を身に着けて、いつものようにアンソニー様の寝室のベッドの横で待つ。


エールリヒ様もいつも通り私の居室へと続く秘密の通路の入口のところで待機した。


私はこれが最後の診察と決めていた。

だとしたら最後まで主治医らしく誠心誠意努めたい。

白衣が私の心を奮い立たせてくれる気がした。


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