回復
「で、お前が救ったのはあの男か?」そうツキシロが顎で示すほうを見ると、そこにはアンソニー様が顔だけこちらを向けて横たわっていた。
「アンソニー様!」慌てて寝かされていた台の上から駆け下りて、魔法陣の砂をまき散らして駆け寄ると、アンソニー様は生気の無い顔にわずかに笑顔を浮かべた。
「生き返ったか。よかったな。」荒い息の下で私を案じる言葉をかけてくれる。
「アンソニー様がこの神殿に連れてきてくださったのですか?」
「ああ、黒の竜とな。私たちだけではあの毒はどうにも出来なかったが、お前には原始の竜の加護がついていることを思い出して、ここに来れば助けてもらえるかと考えた。」
「あ、そうだ加護ってツキシロがつけてくれたの?」ツキシロを振り返って尋ねる。
「ああ、お前が生まれ変わったときに授けた。今度の人生では殺されたりすることなく天寿を全うして欲しくてな。」
「そうなんだ。ありがとう。あ、そうだ助けてくれたお礼も言ってなかった。ありがとう。もう死んじゃうかと思った。」
「あの程度のことは造作ない。この世界であればたとえお前が死んでしまったとしても蘇らせられる。あの世界と違ってこの世界では私は強力な魔法が使えるからな。宿る器を失った魔素はすべて私のところに戻ってくる。私が原始の竜と呼ばれている所以だ。」
「そうなんだ。じゃあ私ってば結構ラッキー?寿命以外では死ななくて済むってこと?」
「そうはいっても痛みや苦しみは感じるのだから無茶をしてはだめだ。私も心配する。」そう言ってツキシロは私の頬に手を当てて優しく撫でた。人外の美貌の青年に至近距離で見つめられてドキドキしてしまう。
「そろそろいいかな。私は王宮に戻りたいのだが。」なぜか機嫌の悪そうなアンソニー様の声で我に返る。
「アンソニー様、大丈夫ですか?そんな大変な状態で私をここまで連れてきてくださってありがとうございます。アンソニー様のおかげで命拾いしました。」
「お前は私の命の恩人なのだから当然だ。お前が元気になって良かった。」そう言って身を起こしたアンソニー様は手を伸ばしてさっきツキシロが撫でた側の私の頬を撫でた。なぜか耳まで触るので思わず顔が赤くなってしまう。
甘やかな雰囲気を払拭したくてツキシロを振り返る。
「そうだ、ツキシロ、アンソニー様の体も直してもらえない?」
「「断る。」」なぜか二人から同時に断られてしまう。
アンソニー様は忌々しそうにツキシロを見ているし、ツキシロは見下すようにアンソニー様をみている。
なんだ、この二人。
しかたがないなという感じでツキシロが浅いため息をついて言った。
「この者の体にはもう毒は残っていない。お前が血清で中和したからな。このままでも死ぬことはない。お前が気に病むことはない。」
要するにアンソニー様を治すつもりはないけど、私が心配するのはかわいそうだから死なないということだけは保証してくれるということかしら。
なんとも冷たいものである。そうなると、主治医としては出来るだけ早く患者を休ませなければいけない。
「わかりました。アンソニー様、急いで王宮に帰りましょう。」そう言ってアンソニー様を助け起こそうとしたその時、私は目に見えない柔らかな液体の様な物に包まれて、そのまま宙に浮いた。
突然の事にびっくりしていると、私を包んだ液体はゆっくりとアンソニー様から離れて、ツキシロの傍まで移動し静かに私を降ろした。ツキシロが優雅な動きで手をあげ、私のウエストに手を廻し抱き寄せた。
真意がわからなくてツキシロの顔を見上げると、ツキシロは私ではなくアンソニー様に厳しい眼差しを向けていた。
「明日香はお前と一緒には帰らせない。」
「ツキシロ?」いぶかしげに声をかけると、ツキシロは一瞬視線を私に向けて目元を和らげたが、すぐに鋭い視線をアンソニー様に向けた。
「明日香を転生させたのは、くだらない国同士の争いに巻き込まれて命を危険に晒させるためではない。そもそも明日香は自国の民でそなたが守るべき存在であるはずなのに、自らの勝手な都合で囮にしたばかりか、その命を危険に晒すとは。許されると思っているのか。そんな場所に私がおめおめと明日香を帰らせると思っているのか。」
ツキシロの容赦のない追及をアンソニー様は蒼白な顔で受け止めていたが、それでも視線を逸らさずしっかりとツキシロを見据えて、大きく息を吐いた。
「全く反論の余地はない。私が誰よりも一番そのことを痛感している。」そう答えたアンソニー様の瞳には、深い悲しみと後悔の色が滲んでいた。
とっさに私はツキシロの腕を掴んで自分に向き直らせてその眼を見つめて言った。
「ツキシロ、アンソニー様のせいじゃないのよ、私が関わると決めたの。何も見ていない、聞いていないフリをして過ごす事も出来たけど、そうはしたくなかったの。私の性格を知っているでしょう?」
ツキシロは変わらず厳しい視線を弛めず私の顔を見つめている。
「あの頃もそうだったでしょう?目の前で苦しんでいる動物がいたら私はいつも必死で助けていたでしょう?ツキシロはいつも心配そうに傍にいてくれたよね。救えなくて悲しんでいる私の傍で励ましてくれていたよね?覚えているでしょう?」
さっきまで、久しぶりに再会したツキシロは姿形以外はあの頃と何も変わらないように感じていた。でも今目の前に立っている人外の存在はその身に圧倒的な力を宿している事がヒシヒシと感じられる。
本能的に恐怖を感じて、一歩引きそうになるけど、絶対に引いていけない事を知っている。
怖がる本能を理性で抑え込んで、無理やり一歩前に進む。
一瞬目に見えない壁のようなものに押し返される錯覚を感じたけれど、無視して前に進んでツキシロにもう一度抱きつく。そしてそのまま顔を見上げて言った。
「ね、覚えているでしょう?知っているでしょう、止めてもダメだって。私はもう必ず元気にしてみせるって決めたの。」
抱きつく腕に力を込めるとやっとツキシロの体から力抜けて、纏う空気が柔らかくなった気がした。
ツキシロが優しく抱きしめ返してくれる。昔もそうだったように。私が抱きつくと、長い鼻で優しく抱きしめ返してくれていた。
「私は昔も今もお前にはかなわないな。」
体を起こしたツキシロは私の頬に手を当て、優しく撫でた。
「ケガをするな。次にケガをしたら無理にでも私の傍に連れて来て、もう帰さない。」
「いや、それ無理だって。あの頃だっていつも傷だらけだったでしょ?」
そう言った私にツキシロは微笑むだけで返事をせず、そのまま視線をまたアンソニー様に向けた。
「ケガをさせるな。次は無い。」
そう告げる声は絶対的な強者の力に満ちていた。
「誓って。」
そう答えるアンソニー様の声にはいつもの力強さは無いけれど、強固な意志が感じられた。
またあの暖かな不思議な力に包まれて、アンソニー様の横に届けられる。
思わず笑ってツキシロを振り返る。
「自分で歩けるよ。」
「あの頃と同じだ。私はいつでもお前を乗せて歩いていただろう。」
「ツキシロ、また会えるよね?」
「もちろんだ、私はいつでもここに居る。これからは私もお前に会いに行こう。」
「ありがとう。待ってる。」
「そうだ、明日香。帰る前に前世で命を救ってもらったお礼に何か願いを叶えてやろう。」
「そんなのお互い様だよ。ツキシロだっていま私の命を救ってくれたもの。」
「お前が私の命を救うのと、私がお前の命を救うのでは重みが違う。なんでも好きな事を願え。」そう言われると、実はずっと前から困っていることがあった。
たぶんツキシロでもどうにもできないと思うけど。
「あのね、前の世界では診察するときにCTスキャンとか超音波検査の機械とかあったんだけど、この世界には無いから、診断が難しいんだよね。ほら、ツキシロも足をくじいたときに骨に異常がないか調べるのにX線の装置を使ったでしょ?ああいうのって手に入らないかなあ。あと、抗生物質。ずっと抗菌活性のあるカビを探しているのだけど、まだ見つけられてないんだよね。」
「よく分からないが、病やケガの原因がわかり、病を引き起こす小さな生物を体内から取り除くことができればよいのだな。」
「うん、うん。そんな感じ。」まあ、ツキシロにCTとか分かってもらうのも難しいだろうから、あんまり期待せずに待っておこう。
「じゃあ帰るね、ツキシロ。」
「ああ、また会おう明日香。」
「帰る前にひとついわせてもらおう。この者の名前はエリザベスだ。アスカではない。」アンソニー様が不満げに口を挟んだ。
ツキシロはアンソニー様を一瞥する。
「私にとってはどちらでも良い話だ。」
これ以上居ると二人の間のよくわからない不穏な空気がエスカレートしそうなので、立ち上がったアンソニー様を支えて慌てて神殿の出口に向かう。
外に出ると黒の竜が気遣わし気に待っていた。
黒の竜の背に乗り込んで振り返ると、神殿の入り口に出てきたツキシロが竜の姿に戻って見送ってくれていた。




