急襲
次に目が覚めたアンソニーはひどい熱に侵されながらも迅速に行動を開始した。
すでにパウルが暗殺者の関係者の洗い出しを済ませ拘束していた。
あとは一人ずつ尋問して関与があった人物を明らかにする。
人目につかぬように自身の執務室で最後の関係者である王妃突きの侍女に扮した暗殺者を尋問していた時、隙をついて兵士の腕を振り払った女が隠し通路に飛び込んだ。
アンソニーとパウルは事態を理解するのが一瞬遅れたが、先に飛び出したのはパウルだった。
隠し通路に駆け込みその先に続くエリザベスの居室まで全速力で駆け抜ける。
アンソニーも我に返って後に続く。
しかし通路が狭いため体の大きいパウルやアンソニーには走りにくく、小柄な女の暗殺者には追い付けない。
敵がエリザベスの部屋に飛び込むのが見えた後、人のもみ合う音が聞こえた。
アンソニーが部屋に飛び込むと、パウルが暗殺者の手を後ろ手にねじり上げながら、床に押し倒し押さえこんでいた。
その横でエリザベスが左腕から血を流しながら倒れている。
「エリザベス!!!」悲鳴のような怒号のような声を上げてアンソニーはエリザベスに駆け寄ると抱き起した。
エリザベスは蒼白な顔で自分の左腕を見つめていたが、アンソニーを見ると弱々しく言った。
「アンソニー様、ハンカチをお持ちでしたらそれを丸めて私の脇の下にあててください。そしてクラバットでそのハンカチごと私の左の肩から二の腕にかけて血が止まらない程度に縛ってください。全身に毒が回る前に血流を制限しなければいけません。」
アンソニーは言われるままにエリザベスの肩と腕を縛る。
「次は、次はどうしたら良いのだ。エリザベス!どうしたら良いのか教えてくれ。」必死に言い募るアンソニーにエリザベスは力なく笑った。
「あとはもう出来ることはありません。もう血清は残っていませんし、その製法は私しか知りません。迂闊でした、製法をきちんと記録に残すか、誰かと共に作り覚えてもらうべきでした。一刻も早くアンソニー様を助けることばかり考えて、冷静さを欠いた私のミスです。この毒はアンソニー様に使われたのと同じヘビの毒ですから私の運が良ければ死ぬことはないでしょう。」
アンソニーがエリザベスの傷口に口付けて毒を吸い出そうとすると、エリザベスが止めた。
「毒の吸い出しには効果がありません。」
「では、どうすれば良いのだ!本当に何もできることは無いのか!」切迫感と焦燥感でかすれた声を吐き出した後、込み上げてくる絶望感を必死に飲み下すように奥歯を噛み締めた。
エリザベスは力なく首をかすかに振る。
その時、バルコニーから黒の竜が心配そうにのぞいているのがアンソニーの視界に入った。
「竜…。加護…。」一瞬考え込んだアンソニーはすぐに我に返りエリザベスをそこに落ちていたマントで包んで抱きかかえてバルコニーに向かう。
「アンソニーどこへ?」そう問いただすパウルに振り向きもせずアンソニーはバルコニーの黒の竜の背に乗りこむ。
「原始の竜に会いに行く。エリザベスには原始の竜の加護がついているはずだ。原始の竜ならエリザベスを救えるかもしれない。」そう言ってアンソニーはエリザベスを抱え直して黒い竜を飛び立たせた。
腕の中のエリザベスは全身を丸め、ギュッと目を閉じて息を殺すように痛みをこらえている。
ヘビの出血毒は毒の周囲から体が壊されていくとエリザベスが言っていた。
アンソニーが刺された時は体が内側から禍々しいものに食い荒らされるような激しい痛みに絶え間なく襲われた。
あの時はエリザベスがすぐに眠らせてくれたので耐えられたが、いま同じ痛みにエリザベスが苛まれている、そして自分はそれをどうにもしてやれないことが歯噛みするほど辛かった。
こうしている間にもエリザベスの体がじわじわと毒に蝕まれている。
エリザベスを失ってしまうかもしれないと想像すると、暗闇に飲み込まれそうな錯覚がする。
心臓に氷を押し当てられたように体が芯から凍り付いていく。
エリザベスをどう思っているのかという問いに向き合うことをアンソニーはずっと避けていた。
向き合っても意味がない、意味のある未来など描けないことが分かっているから見ないふりをして過ごしてきた。
だが、エリザベスが死ぬかもしれないこの時になって、逃れようもなくエリザベスの存在の意味をアンソニーはつきつけられていた。
それはエリザベスがどんな存在かなどというともすれば甘さを含んだ生易しいものではなく、エリザベスが死んだらアンソニーの精神は崩壊してしまう事を確信させる分かり切った問いだった。
エリザベスが死んだら?ただ耐えられないという純粋な思いが突き上げてくる。
わずかに想像しただけでも胸に鋭い痛みが走る。
エリザベスを失ったら自分の心も死んでしまうことをアンソニーは確信していた。
初めて見た時に一番印象に残ったのはその意思の強い眼差しだった。
髪を飾り気なくまとめ白いお仕着せを着てアンソニーの前に跪いたエリザベスは、顔を上げるとまっすぐな視線をそらすことなくアンソニーの瞳を見つめた。
少女から大人の女性になる狭間の独特の揺らぎを纏った、幼さの残る外見にそぐわない大人びた眼差しは、アンソニーの身分を身分とも思わない不思議な率直さに満ちていた。
王子ではなく只の一人の患者として、もっと言えば只の一人の人として扱うエリザベスに、初対面から抗いがたい居心地の良さを感じたのを自覚している。
そして意思の強い眼差しの印象をはるかに上回ったのは聡明さだった。
聞いたこともない高度な知識と技術を操り、驚くほどの冷静さで事態を読み、未熟さを感じさせない大胆さで行動する。
辺境の領主の十八歳になったばかりの娘がどうしたらこれほどの聡明さを身につけられるのかと強い興味を感じた。
そうかと思えば空を飛ぶことへの子供のような憧れを隠そうともせず、無邪気に喜んでみせる。
負けず嫌いでダンスが好きで。舞踏会でこの腕に抱いて踊ったエリザベスは文字通りバラの精のようだった。
少なくない女性経験を有するアンソニーだが、あれほど心躍る舞踏会は初めてだった。
国をかけての正念場に神経をとがらせていたが、それでもなおエリザベスとのダンスにアンソニーは夢中になった。
アンソニーの言葉や態度に翻弄されて顔を赤らめるエリザベスは、いつもの大人びた彼女に比べ歳相応な幼さを感じさせて庇護欲を掻き立てた。
だが状況を読み切った後の一瞬垣間見せた蠱惑的な振る舞いは、充分に成熟した女性を感じさせ、演技だとわかっていてもアンソニーの独占欲を煽った。
しかし、何よりも愛おしく思い出すのは共に過ごす日々で時折垣間見せる無防備なエリザベスの姿だ。
自分の執務室で没頭して本を読むエリザベス、バラ園を楽しそうに歩き回るエリザベス。
エリザベスが家族のように心を許してくれているのを感じて、無防備な姿を見るたびにアンソニーの心は暖められた。
エリザベスに惹かれていることをアンソニーはうすうす自覚していた。
気づいていたけれど認めたくなかった。
認めたくなかったから、エリザベスを囮に使うというアイディアを宰相が陛下の前で敢えて持ち出した時に、エリザベスが危険に晒される可能性があると分かっていても最後まで抵抗しきれなかった。
アンソニーがエリザベスを何が何でも守ろうとすれば、自ずと本人も周囲もこの気持ちを認めざるを得ない。認めれば向き合わざるを得ない。向き合えば先の無い未来を突き付けられるだけだ。
だから最後に逃げたのだ。
エリザベスを囮に使う代わりに絶対に危険から守るという言い訳を自分に許して。
それでも決めた瞬間からアンソニーは後悔し続けた。
せめてエリザベスに内情を打ち明けて、協力を乞おうと思ったが、その選択肢も選び切れなかった。
状況が切迫していたのは紛れもない事実だが、内情を打ち明けてエリザベスが自分の勝手な魂胆を知って離れて行くことが怖かったのだ。
本心を言えばフリでも良いから一時でも良いからエリザベスを恋人として扱いたかった。
そうでもしなければ漏れ出た本当の気持ちが知らず態度に現れて、周囲が気付くことになる気がしていた。
そしてエリザベスに恋をしているフリをする自分を思い描くと不謹慎極まりないが心が弾んだ。
ただ、同時にエリザベスが飾らない態度で接してくる度に心が痛んだ。
アンソニーによって自分が囮に使われた事を知ってもなお、エリザベスは怒る事も態度を変える事無く、アンソニーに率直にまっすぐに接し続けた。
そんなエリザベスの姿にアンソニーの後悔は深まり続け、そしてエリザベスを大切に思う気持ちは大きくなり続けた。
それなのにアンソニーはエリザベスを危険から守るという誓いすらも守れなかったのだから、エリザベスに合わせる顔が無いと言うのが正直な気持ちだ。
しかし、そんな複雑な想いなど一顧だにしなくなるほど、アンソニーがエリザベスを求めずにいられなくしたのは、毒に倒れた彼を生還させたエリザベスが絶え間なく与えたくれた慈愛に満ちた優しいぬくもりと献身的な癒しだろう。
眠らされていた時も、途切れ途切れの意識の中で体内の毒と戦っていたときも、暗闇の中で唯一感じたのはエリザベスの存在だった。
エリザベスの確かな存在と愛を感じていたからこそあの苦しみのなかでも自分が生還することをアンソニーは微塵も疑わなかった。
目が覚めた時にベッドにもたれて眠るエリザベスを見つけた時のあの気持ちを表現する言葉は愛しさしか無いと思う。
眠り続けるエリザベスを腕に抱いてベッドに横たえたときのかつて覚えたことの無い胸のときめき。
几帳面にまとめられた髪を解いたときの指先の震え。
疲れ切って眠るエリザベスの眠りを妨げたくないと思っても、眠りから覚める瞬間の無防備な瞳を見たくて名前を呼び続けてしまったこと。
目覚めた時に見せてくれた手放しの無邪気な笑顔。
一つ一つが思い出というには鮮やかすぎる。
思い出にはしたくない。
これからもあんな瞬間を重ねていきたい。
どうしたら良いのだろうかとアンソニーは途方にくれる。
これは掛け値なしの愛だ。
ひとたびこの感情を認めてしまったら、この先同じものを求めずにはいられない。
だが未来の国王として選ぶエリザベスではない伴侶にこの気持ちを抱けるとはアンソニーには思えなかった。
そしてアンソニーを殊更切なくさせるのは、エリザベスの献身的な看護も命を賭した行動も、アンソニーへの愛ゆえではなく、医者としての崇高な職業意識から来ていることだ。
きっと毒に侵されたのがアンソニーではなくパウルであったとしても、エリザベスは同じように懸命に治療にあたっただろう。
どこまでも一方的な自分の想いに自嘲さえ覚える。だがそれさえもエリザベスを失うかもしれない今の局面では些細なことに思える。
「死ぬな、エリザベス。」
「死なないでくれ。」
エリザベスは運がよければ死なないと言っていた。言葉どおりにとれば死ぬ可能性が高いということだろう。
そして誰あろうエリザベスだからその見立ては正しい。
アンソニーはいままでの日々でエリザベスが不正確な物言いをしたり表現をしたりしたのを見たことが無い。
運が良ければなどという表現は普段の彼女ではありえない曖昧な表現だ。
あの究極の瞬間でもアンソニーの心を慮ってそう表現したことが痛いほどわかる。
自分がほぼ間違いなく死ぬと分かっている瞬間でもエリザベスはアンソニーの心を守ろうとして笑うのだ。
恐ろしいほど無力な自分が見出した、唯一の、しかしそれすらも他力本願な道に賭けるしかない状況にアンソニーは絶望すら感じる。
だが今は絶望している時ではない。
今はもう意識を失って腕の中にいるエリザベスの命をつなぎとめようと固く抱きしめたまま、アンソニーは竜の頂へ黒の竜を駆った。




