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呼び出しの理由

そして今、私は二日前の自分の軽率さに軽い後悔を覚えつつ、王宮の宰相執務室で膝を折ってうつむき部屋の主の言葉を待っていた。


「立ち上がって楽にしなさい。」低音のよく響く声でロズワルド卿が告げた言葉を合図に、私は頭をあげ立ち上がって初めてこの国の宰相の姿を見ることとなった。年のころは五十歳くらいだろうか。中肉中背で姿勢が良く、鍛えられた体をしているのが服の上からでもよく分かった。白髪の混じった茶色の長髪を後ろになでつけ、口ひげとあごひげが顔の下半分を覆っている。瞳の色は灰色で、彫りの深い顔立ちとするどい眼光は見るものを圧倒する力がある。


「エリザベス・ブラックウェル嬢で間違いないかな。」そう言いながら私を上から下まで遠慮なく観察する。

「はい。初めてお目通りいたします。」

「此度は急な招聘にも関わらず、応じてくれたことに礼を言う。いくつか確認したいことがある。まず、そなたは動物に対して医術を施しているというのは間違いないかな。」

「はい、間違いございません。」礼を言うと言うわりに、問いかける声はどこまでも冷静で冷たい印象を受ける。答える声が震えて、全身から冷や汗が出る。この国に動物に医療行為をしてはいけないという法は無かったと思うけど、法治国家と言うにはまだまだ未熟な国だし、なにか咎められるのだろうか。人でも満足に医療を受けられないこの国で、動物医療など言語道断って言われて投獄されたらどうしようなどと、悪い予想が次々と頭に浮かぶ。


「そなたは、魔法が使えるというのは本当であろうか。」

「はい。魔法と言うにはおこがましいささやかなものでございますが。」そうなのだ。私はささやかではあるものの、魔法が使える。この世界には昔は魔法が使える人が多く居たそうだけれど、今は少なくなってきていて、魔法が使える人もその力は弱くなってきている。それでも王家に使える魔法使いには強い魔力を有する人もいるらしいけど、私の使える魔法は本当に魔法というにははばかられる程度のものだ。


「どのような魔法が使えるのだ。」

「痛みを一過性に感じさせなくさせる魔法でございます。例えば閣下の足にトゲが刺さったといたします。トゲを取り除くのに刺抜きなどで処置をする必要がございますが、その処置の際に痛みを感じさせなくすることが出来ます。」私が使えるのは一種の局所麻酔のような魔法だ。といっても範囲は限られるし、効力が持続する時間も限られる。動物の治療をする時にはけっこう役に立つし、小さな動物であれば全身麻酔もかけられるけど、人間ではせいぜい片脚程度しかかけられない。


「なるほど。試しにここで私に魔法をかけてもらうことは出来るだろうか。」宰相閣下は私の魔法に興味があるのだろうか。いまひとつ意図が分からないけれど、当然のことながら断ることは出来ない。

「はい。承知いたしました。」私がそう答えると閣下は突然机の上にあったペーパーナイフで自分の掌を軽く刺した。血が滲んで粒になり流れる。びっくりした私が携帯していたコットンで圧迫止血を試みると、興味深げに私の手元を見つめている。仕方がないので、軽く麻酔をかけると痛みが無くなったことに気付いたのか、納得したように頷いた。


「確かに。そなたは魔法が使えるようだな。」コットンをそっと離すと血は止まっていたので、簡単にアルコール消毒をして新しいガーゼをあてて布で巻いて宰相閣下の手を離した。その間閣下は珍しいものを見るように私の処置を観察しながら治療されるままになっていた。


「大変結構だ。」満足したように閣下が言う。

「噂に相違ないようだな。では早速本題に入ろう。そなたを呼んだのは他でもない。我が国の王子であるアンソニー殿下の治療をしてもらいたい。」

「は?あの、殿下の治療をとおっしゃいましたか?」

「そうだ。」

「あの、私がこれまで治療してまいりましたのは動物でして、ヒトの治療を行ったことはございません。」

「分かっている。だが、動物もヒトもそれほど変わるまい?」自国の王子が動物と変わらないとは、聞きようによってはかなり不遜な発言をしていることに気付いておられるのか、ちょっと皮肉な笑みを浮かべている宰相閣下を見て、この人は思ったよりくだけた実利主義の人なのかもしれないと思った。いきなり自分の掌を刺しちゃうような大胆さもある。


「殿下が病を召されていたとは存じませんでした。」

「当たり前だ、秘匿しているからな。」まあそうか、アンソニー殿下はこの国の唯一の王子で王位継承者だ。体調不良が明らかになれば諸外国をはじめ各方面がざわつき国の乱れにつながる。よほどのことが無い限り極秘に扱われるだろう。


「およそ一か月前から床に伏している。原因は不明だ。王家の侍医を含め国内の高名な医師の診察を受けたが回復はおろか、原因もつかめない。正直に言ってお手上げだ。そこで動物の医者として活躍しているという噂のそなたを召し出した次第だ。」お困りなのは分からないでもないですが閣下、いくらなんでもちょっと飛躍しすぎではないでしょうか。心の中で激しく突っ込む。どう表現すれば失礼に当たらないのか分からないけど、獣医にとってヒトを治療するというのは非常に心理的ハードルが高い。正直に言ってやりたくない。職業倫理にも著しく抵触する。でもどう言えば理解してもらえるか分からなかったし、どうやら言ったところで状況は変わらない気がした。まさか獣医師法や医師法にひっかかると言っても全く理解されないだろうし。


「承知しました。無礼を承知でお聞きしておきたいのですが、私が殿下の病気を治療できなかった場合には何かお咎めがあるのでしょうか。」突然呼び出されて、治療しろと言われた上に、できなかったら罪に問われるのではやっていられない。王宮の侍医ではないのにそんな責任を負わされるのはどう考えてもおかしいと思うけど、立場の弱さを考えるとそういう可能性も大いにありえる。


「特に咎めだてはせん。ただ、秘密は守ってもらうが。」閣下は特に気分を害した様子もなくそう答えたので、大きく胸を撫で下ろす。でもそんなことで良いのだろうか。万策尽きて私にお鉢が回ってきたのに、国の後継者である王子の病気が治せなくてもお咎めが無いなんてと強い違和感を覚える。不信感が顔に出たのだろうか、宰相閣下は畳みかけるよう言った。


「ではさっそくだが診察に行ってもらおう。」

「恐れながら閣下、今回こういったご依頼とは存じませんでしたので、診察に必要な道具を家に置いてきてしまいました。必要な道具を取りに帰宅させていただくわけにはまいりませんでしょうか。」いつも鞄に入っている聴診器は持っているけど、お手製の顕微鏡とか注射器とかの一式は置いてきてしまったのよね。


「道具を取り寄せることは許可するが、そなたが帰宅することはまかりならん。王宮の兵に取りに行かせるので、手紙を書くように。ただしその手紙に殿下の病気について書いてはならない。」まあ、妥当な判断だ。私が家に帰ってそのまま帰ってこない可能性もあるし、秘密をしゃべってしまう可能性もある。でも病気について書いちゃいけないのに、診療道具を手紙で取り寄せるってちょっと無理があるよなと思いつつ、これもまた言っても仕方がないことなので口には出さない。


「承知いたしました。そのようにいたします。診察に必要な白衣等は支給いただけますでしょうか。」

「口の堅い侍女を一人つけるのでその者に必要なものは用意してもらえ。明日の朝から診察できるように殿下には連絡しておく。」そう言って閣下は私を部屋から下がらせた。


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