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抗毒素血清

ふと背後に生き物の気配を感じて振り返ると、まぎれもなく私が前に治療した山岳ヤギがそこに居た。


怯えさせないように静かに姿勢を低くしたまま近づくと、ヤギは身じろぎもせずに静かな瞳で私を見つめて立っている。

診察鞄から好物の野菜を取り出して差し出すと美味しそうにボリボリと食べ始めた。


咀嚼がある程度納まったところで局所麻酔をかけて経静脈から血液を採取する。

ヤギは状況を理解しているのか、特に嫌がるそぶりも見せず、採血が終わるまで静かに立って待っていてくれた。


血清を取るのに十分な量の血液が採れたところでそれをしっかり蓋のできるガラスの器に移し替える。

採血したところをしっかり押さえて止血を確認したところでヤギにお礼を言ってもう一つ野菜をあげた。


そこで黒の竜を振り返る。

「黒の竜、このガラスの器の周りを雪で覆ってくれる。王宮に着くまでお願い。」


たいがい黒の竜をこき使っていると思うけど、アンソニー様を救うために今の私が頼れるのは黒の竜しかいない。

他に選択肢はない。


立ち上がって黒の竜のところに戻ると対岸にいた原始の竜の姿はもう見えなくなっていた。

もう一度お礼を言いたかったけど仕方がない。

自己満足かもしれないけど神殿に向かってお辞儀をして黒の竜の背中によじ登る。

今回は自分で自分を黒の竜の背に括り付ける。

とにかく落ちないようにということだけ心掛けた。


帰路も変わらず私の精神力と体力の限界に挑んだ感じだった。

原始の竜があの不思議な光で癒してくれなかったら、無事に王宮まで帰りつけなかっただろう。


王宮にたどり着いた時にはもう日暮れが近づいていた。

アンソニー様の寝室のバルコニーに黒の竜が降り立つと、中に居たエールリヒ様が飛び出してくる。

黒の竜に自分を括り付けた紐を解こうとするけれど、上空を飛んできた寒さでかじかんだ手では思う様にほどけない。

見かねたエールリヒ様が解いてくれた。


「お願いしたものはご用意いただけましたでしょうか。」

「ああ、都の鍛冶屋を総動員して急ぎ作らせた。中庭に用意してある。」

終わりが見えてきた。


とりいそぎベッドに走り寄ってアンソニー様の容態を確認する。

肩からの変色部位は恐れていたほどは広がっていない。

瞼をめくってみても明らかな出血の症状は見られない。

口を開けて歯茎を押してみても血は出てこない。


大丈夫そうだ。

間に合った気がする。


静かな顔で眠っているアンソニー様の手を握り締めて心の中でもう少しだから頑張ってくださいと祈った。

そして再びバルコニーに戻って黒の竜によじ登る。


「黒の竜、もう一つだけ頼みたいことがあるの。中庭に連れてってくれる。」

そう言う私に黒の竜は私を落とさないように気を付けてそっと中庭に舞い降りてくれた。


そこに用意されているのは二百メートルにもなる長い鎖とその先に小さな金属製の筒状の容器が付いたものだ。

反対側には革でできたベルトのようなものが付いている。

金属製の容器に山岳ヤギから分けてもらった血液を移してしっかり蓋をする。

逆側の革のベルトを黒の竜のしっぽに取り付ける。


「黒の竜。このまま真上に飛び上がって、この器を上空でグルグル振り回してくれる?大体一秒に一回転くらいの速さで十分間振り回し続けて欲しいんだけど出来るかな?」


私のリクエストに黒の竜は大したことも無いといった様子で静かに飛び上がっていった。

上空で黒い点のようになった竜が同じ場所で滞空しながらしっぽをグルグル回している様子が見える。


十分経ったので上空に向かって叫ぶと少しずつしっぽの回転を落とした竜が長い鎖をしっぽにぶら下げた状態で降りてくる。


目の前に降りてきた容器を受け取って鎖から外す。

容器をまっすぐに保ったままそっと開けてみると思惑通り山羊の血液がいくつかの層に分かれていた。


何をしたかと言うと血液の遠心分離だ。

血液から血清という成分だけを取り出すために、1000Gぐらいの強い遠心力を血液にかけて、重たい血球とかを下に落とし、軽い血清部分を上に集める必要があった。

それで黒の竜に上空でグルグルまわしてもらったのだ。


前世で獣医をしていた頃は〇立製の遠心分離機を使っていた。

遠心分離が終わると流れる「この木なんの木」のメロディーが好きだったなあとふと思い出す。

ちょっと集中力が切れて現実逃避してしまったけど、血清はいくつかの層に分かれた血液の一番上の層なので、そこだけを吸い込んで別の器に移す。

この中にヘビの毒を中和してくれる抗体が含まれているはずだ。


あとはこれをアンソニー様に投与するだけだ。

注射針と注射筒も私がこの世界に来てから領地のガラス職人さんと鍛冶屋さんと一緒に自作した。

前世で使っていたテ〇モ製の注射針と注射筒が懐かしい。


まだ低体温状態で保たれたままのアンソニー様にゆっくり血清を投与する。

抗体は低温環境下でもヘビの毒にくっつくからもう少しこの低温のままで維持しよう。

黒の竜は冷気を維持するのは全然問題ないみたいなのなので、私の魔力が尽きる前に少しずつ普通の体温に戻そう。


それにしても今回のことで黒の竜の魔力やその他もろもろ実力の底知れなさを知った。

私がした数々のお願いをことごとく涼しい顔でこなしていたものね。

竜の涼しい顔って変な表現だけど、そんな風に見えた。


あと、後になって気が付いたけど、酸素が薄いはずの上空を飛んでいた時に私が普通に呼吸出来ていたってことは、たぶん黒の竜が何か魔法を使って酸素を補ってくれていたのだろう。

本来の氷の魔法だけじゃなくて、空気も簡単に操ることが出来るということだ。


竜と契約を交わせるって強大な力を手に入れることと同義だ。


夜十時頃になってゆっくり体温を正常に戻していく。

意識は戻らないけれど症状が悪化していないので抗体が効いている可能性が高い。

そのまま夜明けまでベッドの横で観察をし続けたところでやっともう大丈夫な気がした。

そしてそう思った瞬間、私の意識は途切れた。


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