白昼の暗殺劇
もう少しで正午の鐘が聞こえてくる夏の日差しがまぶしいその日、私は昼食を運んできてくれた侍女さんと一緒に食事の準備をしてまさにご飯を食べようとしていた。
部屋の外の廊下をバタバタと慌ただしく走る足音が聞こえ、勢いよく扉がノックされたと思うと、返事をする間もなく扉が開かれアンソニー様の侍従が飛び込んできた。
「医務官殿、急いで殿下の部屋にお越しください。」蒼白な顔をしてただならぬ様子の侍従さんを見て、何かが起こったことはすぐに分かった。
慌てて白衣と診察鞄をつかんでアンソニー様の居室に急ぐ。寝室に飛び込むと、ベッドにアンソニー様が横たわっていて、その隣にエールリヒ様が立っているのが見えた。
アンソニー様の顔色があり得ないほど悪い。
ベッドに駆け寄るとアンソニー様がうっすらと目を開けた。
「エリザベスか。」
「しゃべらないで!」
「エールリヒ様、なにがあったのですか。」
「騎士団の訓練中に肩を刺された。裏切り者が居た。」エールリヒ様がこちらも蒼白の顔で答える。
押さえていた布を外して患部を見ると鎖骨の上縁に直径1センチほどの刺し傷があり、その周囲の組織が赤黒く腫れて変色してきていた。
「凶器はここにありますか。」
「ああ。これだ。」
みると刃の部分は直径一センチほど、長さは五センチほどのアイスピックのような武器だ。
先端に近いところに小さな穴が開いている。
握りの部分が二重構造になっていて、内側が前後に動くようになっている。
見た瞬間寒気がした。アイスピックのような形をしているが注射器のような機能も併せ持っている。
刃の内部に毒が仕込まれていたことは明白だ。
「刃はどの程度の深さまで刺さりましたか。」
「根本まで刺さった。」
であればおそらく毒は全量が打ち込まれたと考えて間違いないだろう。
「アンソニー様、体がしびれるような、呼吸が苦しいような感覚はありますか。腕が動かせないとか、感覚がなくなっている感じは。」
「ない。刺された部分がひどく痛み脈打っている感じがするが。」苦しそうな息の下でアンソニー様が答える。
不幸中の幸いだ。恐らく神経毒ではない。
「今から麻酔をかけます。患部の感覚が無くなりますが心配ありません。目をつぶって楽にしていてください。」
そう言ってアンソニー様の肩に麻酔をかけて傷を観察する。
まずは生理食塩水で患部を洗って観察する。
刺された部位は左肩の真ん中あたり。鎖骨の上縁。
人間の解剖学には詳しくないけれど、動物の体から推測すると太い動脈も静脈も走っていないはずだ。
じわじわ血が滲んできてはいるが、動脈を損傷したときのように傷口から心臓の拍動に合わせて血液が出てきている様子もない。
であれば厄介なのはむしろ毒の方だ。毒の成分が分からなければ対処法も分からない。
「エールリヒ様、犯人はどうなりましたか。」
「アンソニーがその場で取り押さえた。」
「身体検査はしましたか。何か持っていませんでしたか。」
「持っていたのはその武器の鞘のようなものだけだった。」
「それはどこにありますか。」
「ここにある。」
そういってエールリヒ様は胸ポケットから布に包んだ金属製の鞘のようなものを出して私に渡す。
受け取って観察してみるとずっしりと重い。
厚みが一センチ以上はありそうな黒い金属の筒だ。
隠し持つ武器の鞘としてはかさばるので適していないように見える。
この形状はなにか特別な理由があってのことに違いない。
ふと鞘を包んでいた布を見るとエールリヒ様がいつも持っている白いリネンのハンカチである。
そのハンカチにかすかに黒い染みが出来ている。改めてハンカチを握りなおしてみるとかすかに湿っている。
「エールリヒ様、この鞘は犯人から取り上げたとき冷たくありませんでしたか。」
そう聞く私にエールリヒ様はびっくりしたような顔をして答える。
「なんでわかった。」これで毒の見当がついた。
「説明は後です。」そういって私はアンソニー様に向き直る。
患部の周囲の赤黒い腫れはさっき見た時より明らかに広がってきている。
私の見立てが正しければいずれこの毒が全身にまわって体中から出血して多臓器不全に陥るだろう。
ヘビの出血毒だ。
致死量を注入された可能性が高い。
命を助けるには抗毒素血清を投与する以外に方法は無い。
だが血清は無い。
アンソニー様を救いたければ今から作るしかない。
問題は何とかして血清を作ったとしても血清を投与する前に毒が全身にまわって死んでしまう危険性が高いということだ。
時間が無い。
何とかして毒のまわりを遅くする方法はないか必死で考えたが思いついたのは一つだけだった。
迷っている時間は無い。
横たわったアンソニー様に覆いかぶさるようにして話かける。
「アンソニー様、貴方の体内に注入された毒はヘビの毒です。毒を消す薬を打たなければ助かりません。私は今からそれを手に入れに行きます。ただし、私が帰ってくるまでに出来る限り毒のまわりを抑えなければ間に合わないので今からアンソニー様には眠ってもらい、黒の竜の魔法で体を冷やします。この毒は酵素という物質で出来ていて、人の体温ぐらいの温度で強い作用を示します。温度が下がれば作用が弱くなります。アンソニー様の体の体温を下げて時間を稼ぎます。」
はっきり言って出来るかどうか自信は無い。
私は魔力で局所麻酔をしたことはあっても、全身麻酔はしたことが無い。
私の魔力で全身麻酔を長時間維持できるとは正直思えなかった。
でも麻酔をかけずに低体温療法の温度帯まで体温を冷やすのはアンソニー様の負担が大きすぎる。
もう一つの懸念は黒の竜の魔力だ。
低体温療法はアンソニー様の体温を厳密に34℃付近に維持する必要がある。
黒の竜にそこまで繊細な魔力の微調整ができるかどうか、やってみるしかない。
「アンソニー様、この方法を私は今まで誰にも試したことがないので、成功するかはわかりません。ですが、他に方法は無いと思います。必ず救ってみせます。私を信じてください。よろしいですか。」
そう問いかける私に苦しげに眉根を寄せていたアンソニー様は眼を開けてかすかに頷いた。
いつもは美しい輝きを宿している紫の眼が心なしか黒く混濁している。体内で出血が進んで瞳に血の色が混じってきているのかもしれない。
「いまから眠っていただきます。私がお名前を呼び続けますので聞こえたら手を握り返してください。」
アンソニー様の右手を左手で握って、右手で瞼をそっと閉じさせてそのまま体中の魔力を右手の掌に集中する。
名前を呼び続けながら少しずつ魔力を注入していくと、握り返す力が弱くなってきてついにアンソニー様の右手がシーツの上に力なく落ちた。
全身の魔力をごっそり持っていかれた感じがするけど何とか全身麻酔が出来たようだ。
あとは何時間これを維持できるか時間との闘いだ。
振り返ってバルコニーに居る黒の竜に向かって話しかける。
「黒の竜、アンソニー様の周りを冷気で覆って体を冷やしてくれる。アンソニー様の呼吸と心臓の拍動が今より少なくならない限界まで冷やしたいのだけど、出来るかしら。あと刺された肩の周りは重点的に冷やして。」私の問いかけに黒の竜は静かな声で鳴いた。
黒の竜の言葉が理解できないので出来るのかどうか不安だけれど、アンソニー様と黒の竜の絆の強さに賭けるしかない。きっと頑張ってくれるだろう。




