舞踏会の秘密
その日から本番まではあっという間に過ぎた。
先生はもうこれ以上私に新しく教えることは無いと言って、当日に役立ついくつかのコツを教えてくれた。
「円舞曲を踊る際はくるくる廻りますので、目を回さないようにお気をつけください。コツは一か所を見つめ続けることです。王宮のボールルームには歴代の王の肖像画が飾られていますが、正面に一つだけ女性の肖像画がございます。伝説の癒しの乙女の肖像画だと言われていますが、その肖像画を目印になさると良いでしょう。」これもコツを掴めばできるようになった。
アンソニー様は忙しいのかあの日以来練習には顔を出さず、あの浮遊感を味わえないのは残念だったけど、アンソニー様との至近距離のダンスは心臓に悪いのでほっとしてもいた。
今日は本番で朝から大忙しだ。アンソニー様が手配した侍女さんたちに早朝からたたき起こされ、薔薇の香りのするお風呂に入れられ、ゴシゴシ洗われ、お風呂上りにまたもやバラの香りの香油で全身のマッサージをされる。
髪も特別なブラシと油で梳かされて私の頑固な癖毛が美しく波打つ適度なまとまりとツヤのある髪に生まれ変わった。
お昼の休憩を挟んでお化粧とヘアメイクと着付けである。
アンソニー様がこの日のために私に仕立ててくれたドレスはわずかに黄色みがかった白が私の緑色の髪によくなじむパールホワイトの美しいドレスだった。
下地は真珠のように輝くシルクで作られ、全体が精緻なレースで覆われていて、ハイネックの首とデコルテの部分だけは下地がなくレースだけで覆われて肌が透けるデザインになっていた。
背中が肩甲骨の下あたりまで大きく開いているのが恥ずかしいが、床まで届く美しいレースのケープが肩に縫い留められていてそれが背中全体を覆っているのでそれほど抵抗は感じ無い。
ドレスの生地と同じ布で仕立てられた美しい靴は初めて履いたとは思えないほどしっとりと私の足になじみ、ストラップ付で脱げる心配なく思い切り踊れそうで足をいれるとワクワクした。
「殿下からダンスを踊るのでコルセットはあまりきつくせずに、パニエは柔らかく軽いものをと申しつかっております。」着付けを担当してくれる侍女さんが教えてくれた。
そんな細かいところまで気が利くなんて正直意外だ。でもその心遣いはありがたく受け取っておく。
髪型はハーフアップで顔の周りの髪は編み込みにして毛先を適度に散らして華やかさを出し、残りは細かなウェーブをつけて背中に流した。
最後に見事な真珠細工の髪飾りとどこかアンソニー様の瞳の色を彷彿とさせる青紫色の宝石が美しいネックレスを身にまとって鏡に向かうと、白いバラの精のような装いの少し幼げな女性がそこにいた。
柔らかなメイクと、全部上げずにおろした髪がもたらす印象なのか、自分で思う自分の印象よりはるかに幼い姿で、この姿でアンソニー様と顔を合わせるのかと思うと何とも言えない面はゆさ感じるけれど、実際のところ私はまだ十八歳なのだ。
前世の記憶を持っているせいで、歳相応の装いをすることに気恥ずかしさを感じて避けて来たけど、今日くらいはありのままを受け入れて楽しもうと思った。
なんといっても辺境の貧乏領主の次女が王家主催の王宮舞踏会に出席する機会など普通ならあり得ない。一生に一度あるかないかのチャンスなのだから、体験してみない手はない。こんな時でも私の一番の行動原理は好奇心なのだ。
侍女さんが緑色の小さな薔薇を一輪渡してくれ、それを持って会場に行くようにと言われた。
すべて身に着けて控室に移動すると、そこには打ち合わせ通り、エールリヒ様が待っていてくれる。
今日の私の役目はアンソニー様のパートナーだけど、王族ではないので入場は別々だということで、エールリヒ様がエスコートしてくれることになったのだ。
高まっていく緊張を何とかこらえながらエールリヒ様に従って会場の入り口の扉までたどり着き、入口で名前を呼ばれ会場に入っていく。
「エールリヒ侯爵家 パウル・エールリヒ様ならびにエリザベス・ブラックウェル嬢。」
名前を呼ばれた瞬間に会場からいくつか鋭い視線が向けられた気がしたけれど、知っている人がいるわけでもないので気にしても仕方がないと思い、そのまま会場の左奥まで進み、国王夫妻とアンソニー様の入場を待った。
国王夫妻の後に続いて入場してきたアンソニー様は濃紺の儀礼用の軍服を着て、胸元に勲章をつけた軍の最高司令官の装いだった。日に焼けた金髪を後ろになでつけ、美しい青紫の瞳に力を宿して壇上から会場を見渡す姿は、将来の国王にふさわしい威厳を湛えていた。
会場を見渡していたアンソニー様の視線が私の居る辺りまで来て、エールリヒ様の隣に立つ私を見つけた途端、アンソニー様が甘さを含んだ瞳で小さく笑った。途端に私の心臓が暴れだし、顔に血が上ったのを感じた。
落ち着け私、自分を見てわらったなんて自意識過剰も甚だしい。エールリヒ様を見て笑ったに違いない。
陛下の開会の挨拶が終わり、音楽が奏でられ始めて、人々が移動して自然と会場の真ん中に大きな空間が用意された。次に何が始まるのか興味深々で会場の方を見ていると、左手の方から人が近づいてくる気配がする。周囲の人達がざわつく気配を感じてそちらに目を向けると、アンソニー様が私の目の前まで来て立ち止まったところだった。
アンソニー様は何も言わずバラの花を持った私の手を取り、手を開かせて花を受け取り自分の胸元に飾った。そして持ったままの私の手を自分の口元に近づけて掌にキスをした。
「私と踊っていただけませんか、エリザベス嬢。」完璧な笑顔に返事をすることすら出来ないでいると、アンソニー様はそのまま私のウエストに手を回し、そっと押して会場の真ん中へ連れていく。
「あの、ドレスと靴ありがとうございました。コルセットとかのことまでお気遣いいただいて。」落ち着くために何か話さなければと、あわててとりあえず思いついたことを周りに聞こえないように小声で伝えると、アンソニー様は足を止めて私の耳元に顔を寄せて色気たっぷりの声でささやいた。
「私がレディのドレスの下を気遣えないほど無粋な男だと思ったか。」
一瞬何をいっているのか理解できずフリーズしたが、言外に含まれる艶めいた意味を理解して一気に全身が朱に染まる。
アンソニー様はいたずらが成功したとばかりに声を殺して笑っているが、恥ずかしさに涙が滲む目で恨みがましくにらみつけるとなだめるように手をとられ、ホールドのポジションをとり再び私の耳元に顔を寄せささやいた。
「そう怒るな。さあ、出番だ。お前がどれだけ踊れるのか疑り深い客たちの眼を覚ましてやろう。」
その言葉を合図に私のスイッチが切り替わる。
いきなりトップスピードで一歩目を踏み出したアンソニー様に遅れることなく寄り添い、雲の上を滑るように踊る。ドキドキする滑走感と浮遊感が体中を満たし、はやる心が抑えられなくて笑顔が溢れる。
楽しくて、その思いを分かち合いたくて見上げれば、アンソニー様も見たことのない子供みたいな笑顔で笑いながら踊っていた。
アンソニー様の視線に特別な意思を感じた瞬間、いままでにない浮遊感を感じる。
気が付くとアンソニー様が私を持ち上げて廻っていた。子供のように声を上げて笑いながら、持ち上げては回転し、持ち上げては回転し。私はびっくりしたけれど面白くなって、ついつい自分も笑ってしまっていた。
その後も立て続けに二曲踊った私達は、ダンスの輪から離れて歓談する人達に混じる。
アンソニー様は私を片時も傍から離さず、次々と声をかけてくる出席客に私を紹介していった。
「殿下、こんなに愛らしいお嬢さんをどこから見つけて来たのです。」
「ある日突然、王宮の庭に舞い降りたのですよ。私の守護天使かと思いましてね。保護した次第です。」うん、嘘は言ってない。守護天使ではなく実際には主治医だけどね。
「殿下、素晴らしいダンスを見せていただきました。」
「ブラックウェル嬢と踊るダンスにはいつも格別なものがあります。この一体感は他のパートナーでは得難い。」うん、これも嘘ではない。
「殿下、ブラックウェル嬢の本日の装いは本当に素敵ですねえ。」
「ありがとう、私が選んで贈らせてもらったものだ。彼女の美しい緑の髪と瞳とは少し趣を異にするが、私の瞳を写した色のネックレスを身に着けていてもらいたくてね。」
うん、これも嘘ではない。
けど、アンソニー様、なんかちょっと誤解を招く言い方が多くありませんかね?そう抗議しようと袖を軽く引っ張ると、笑顔で黙っていろという無言の圧力を感じて黙った。
その後も次々とされる同じような質問にそつなく、微妙なニュアンスをたたえながら答えていったが、とある壮年の紳士に声をかけられた瞬間、アンソニー様の腕が一瞬緊張したのを感じた。
「殿下、こちらが噂の女性ですかな、いやあ、聞きしに勝る愛らしさだ。」
「クメール国大使。今宵はお楽しみいただけておりますかな。」
「聞くところによると、殿下の執務室の近くに部屋をお与えになり、二日とおかずお召しになっているとか。」
「この者は私の主治医なのでね。診察に便利なように近くの部屋に住まわせているのだよ。もっとも私としてはそれ以上の関係を望みたいのだが。最近やっと色よい返事をもらえたところでね。」
アンソニー様が私のウエストを引き寄せて、私を胸の中へ囲いこみ、クメール国大使が私を上から下までなめるように見た。
ここに至ってやっと、私は自分に求められている役割をはっきりと理解した。とっさにうっとりとした顔をしてアンソニー様を見上げて体の力を抜いてしな垂れかかる。アンソニー様はそんな私に少し驚いたような顔をしたが、すぐに目元に甘さを滲ませて私の頬に優しくキスをした。
その後もしばらく歓談したあと、エールリヒ様が迎えに来てくれて会場を後にした。
自室まで送ってくれたエールリヒ様に就寝の挨拶代わりに尋ねる。
「疑っておられるのはクメール国ですね。」
「そうだ。」それだけ答えてエールリヒ様は帰っていった。




