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主治医の領分?

「いいか、お前には一か月後の宮廷舞踏会に私のパートナーとして出てもらう。私のパートナーを務める限りはその場にいる誰よりも美しく装い踊らなければならない。一か月必死で励め。」


朝と夜の診察以外は何もなく一か月以上放っておかれたと思ったら、朝一番に執務室に呼び出され下された意味不明な命令に私は軽く眩暈を覚えた。

「ええっと、舞踏会のパートナーってどういう意味ですか?」

「舞踏会のパートナーは舞踏会のパートナーだ。舞踏会に、一緒に出席して、踊る。」

「いや、まあそれはわかりますが、お聞きしたいのは何で私がパートナーを務めるのだという点でして。私は主治医ですよね。舞踏会のパートナーでしたらしかるべき貴族のお嬢様をお誘いになれば良いではないでしょうか?いままでもそうされていたのでは?」もっともな疑問を呈する私にアンソニー様はニヤニヤ笑いながら答えた。



「お前と出席するといろいろ面白そうだからだ。」

いやいやいや、アンソニー様。ちょっと待ちましょうよ。そんな理由で決めないでくださいよ。

「お前も毎日散歩と読書ばかりでは暇だろう。たまには体を動かすことも大事だぞ。」

いえ、私これでも結構忙しいのです。王宮の薬草園には面白そうな薬草がたくさんあるし、アンソニー様の執務室には読んだことのない本ばかりあるし。

体を動かすことの大切さは知っていますけど、そんな理由で王宮舞踏会とか願い下げですから。


「王宮舞踏会に着ていくドレスなど持っておりませんし、準備するお金も時間もございません。」かろうじてひねり出した理由を聞いて、アンソニー様はとってつけたような輝くばかりの笑顔で答えた。

「私のパートナーとして出席するのだからもちろん贈らせてもらおう。ドレスも靴も宝石も、誰にも負けないものを用意させよう。期待して待つがいい。」

どうやらこれは断れない案件なのだと察した…。


次の日から私の日課にダンスの練習が加わった。王室専属のダンスの先生は白髪の姿勢の美しい初老の男性で、亡くなった祖父を思い出させた。

「当日までに覚えていただくダンスは三曲ございます。どの曲もステップはそれほど難しくございませんが、円舞曲は動きも大きくテンポが少し早いですので習得されるまでに十分な練習が必要となります。私とのレッスン以外の時間でもご自身で練習されることをお勧めいたします。」そう言うと先生は早速基本の姿勢からレッスンを始めた。


まず背筋を伸ばしてまっすぐに立ち、伸ばした両手を肩の高さまで真横に上げる。

そのまま左手を九十度前に曲げて男性の右腕の三角筋と上腕二頭筋の境目にそえる。

肩のポコッてした筋肉が終わるとこね。で、右手は軽く曲げて男性の左手と握って右肩より少し高い位置でキープ。


首は天井から糸で吊り下げられているイメージで伸ばしながらも、肩はしっかり下に降ろす。

胸を突き上げて胸から首のつけねのデコルテの部分を広げるイメージだって先生は教えてくれた。

やってみると出来なくはないけれど、踊っている間ずっとそのままの姿勢を維持しなければいけないと聞いて、言うほど簡単ではないと気付いた。


次に下半身だ。肩幅に両足を開いて膝を軽くまげ、体重を左足に七、右足に三くらいの割合でかける。体の中心に一本軸があるのをイメージして、その軸をブラさないようにその軸の周りで回転することを教わった。


前向きにステップを踏むときは踵から着地してつま先で床を蹴り、後ろ向きにステップを踏むときはつま先から着地して踵で床を蹴る。男性と女性は体が向かい合い、男性の右半身と女性の左半身が半身で重なっているような状態で男女の間はこぶし一つ分の距離を維持するのだという。


ダンスをしながらどちらの方向に進むか、次にどんなステップを踏むかはすべて男性が決めてリードし、女性はそれを感じ取って従う、つまりフォローするのだと説明されたときは、盲目的にアンソニー様に従わなければいけないのかとちょっとモヤっとしたけど、でも、まあ、たかがダンスだし、初心者なのは私の方なので仕方がないと思い直した。


「はい。本日のレッスンはここまでで結構です。お時間のある時にご自分でも復習してみてください。」

先生がそう言ってレッスンが終わる頃には、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。特に背中と腕とお腹の筋肉の疲労度が半端ではない。

ダンスってあんなに優雅に踊っているように見えて、すごい全身運動なのね。これを当日重たいドレスを着ながら踊るなんて不可能に近いのではとそのまま先生に伝えると、


「大丈夫ですよ。殿下はダンスの達人で非常に巧みなリードをなさいます。当日は何も考えずに殿下の動きに従えばよろしいのです。」と言われたが正直意味がよくわからない。何も考えず殿下と手をつないでいるだけで踊れるわけがないではないですか先生。

とりあえずせめてステップだけでも間違えずに踏めるように必死で覚えようと心に決めた。


それからは毎日午前中に先生とレッスンをして、午後は薬草園に通い合間に読書をして夜ひとりでこっそり自主練習をする日々が始まった。

もともと体を動かすことは大好きだし、音楽に乗ってダンスをするのは想像以上に楽しい。踊るのは人の根源的な欲求に違いない。先生ともすっかり打ち解けて、レッスンの時間が待ち遠しく、踊りながら声をあげて笑う日も少なくない。

ある晴れた日はふざけてレッスンホールの外にあるバルコニーで先生と踊ったりもした。


ダンスの練習を始めて二週間も経った頃、午後いつもの日課で薬草園を散策していると、向こうからアンソニー様が歩いてくるのが見えた。

散策路の脇によけて頭を下げて待っているとアンソニー様の足が視界に入って止まった。ゆっくりと視線を上げるとまぶしそうに眼をすがめながらアンソニー様がこちらを見ていた。


「お前いま暇か。暇ならちょっとつきあえ。」

ああ、わりと嫌な予感がする前振りである。さりとて暇ではないと言って逃れられるほどの用事があるわけでもないので、言われるがままアンソニー様について歩いていく。


連れてこられた先は王宮内のバラ園だった。今はバラのハイシーズンで色とりどりのバラが競い合うかのように咲き誇り、天上世界に迷い込んだような空間を織りなしている。

アンソニー様はその一角で足を止め私を振り返った。

「ここに立て。」

「は?」

「いいから、ここに来て立ってみろ。」

「はい。」全く意図が分からないままに薄いオレンジのバラの横に立ってアンソニー様を見る。するとアンソニー様は十歩ほど離れて私を上から下まで眺めて、後ろを向くように言った。いやいやいや、意味が分からなくて気持ちが悪い。けどまさか王子に向かって気持ちが悪いのでやめてくださいとも言えず、視線を感じてぞわぞわする背筋をなだめつつ、早くこの時間が終わってくれと願った。


「髪の毛をほどいてみろ。」次の謎な指令がアンソニー様の口から発せられた。

「なぜでしょうか?」

「いいから。いちいち聞かずに言われたとおりにしろ。」すこしいらだった口調でアンソニー様が言う。

これ以上聞いても答えてもらえなそうだし、一刻も早くこの謎な状況から解放されたいと思った私は仕方がないので一つにまとめていた髪の毛をほどいた。

母親譲りのくせの強い豊かな髪が、横顔から肩、背中を流れ落ちるように広がり、赤みのない栗色の髪が強い太陽の日差しを受けて緑色に輝いて私の体を覆う。これで良いのかとそっと振り向くと、なぜか切なそうな顔をしてこちらを見ているアンソニー様がいた。


「アンソニー様。」と声をかけると我に返ったアンソニー様が言った。

「次はあちらの赤いバラの前に立て。それがおわったら次はあちらの黄色のバラだ。」意味不明なままに次々と繰り出される指示に釈然としないまま、ひたすらバラの前に立たされ、最後はバラ園を出てジャカランダの花の下で同じことをさせられた。


そしてアンソニー様はそのまま無言で去っていき、後には風でふわふわと舞う収集のつかない髪を恨めし気に手で押さえる私が残された。


どうするのよこれ。


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