91.メインストーリー 7
カクレガは黒点に包囲され、身動きがつかない。
「入口が、またこじ開けられた。……黒点の他にも何かいるね」
木村やウィルは当然として、おっさんも入口の方向を見ている。
ただ、おっさんの顔に浮かぶのが焦りや真剣さよりも、困惑が大きいことが木村は気になった。
「……なぜ、ここにいるんだ?」
そんな台詞がおっさんから出てきたのは、黒の領域がまた部屋を覆ったときだ。
逃げ場などないはずだがどうしてか木村は焦りを感じない。
おっさんが戦闘モードに入っていないからだろう。
『黒葬』
男の声が聞こえた。
低く重い声が、木村の頭の中に響く。
部屋を塗りつぶしていた黒が凄まじい勢いで退いていく。
あっという間に部屋が元どおりになった。
『追弔』
声がした後は何も音がしない。
「黒い印が消えたよ」
ケルピィが長く感じた沈黙を破った。
木村も地図をちらりと見たが、確かに黒点はなくなっている。
代わりに別のモノが通路の奥から来ていた。
黒の領域は退いたが、代わりに何かがいることは明白だ。
先ほどまでとはウィルの様子が違う。
得たいの知れない恐怖から、明確な敵意に代わっている。
通路の奥から現れたのは、黒く大きな昆虫である。
カマキリに細い翼を六本ほど生やし、爪を小さくして手のように五つに分けたような姿だ。
身長はそこまで高くない。おっさんと同じくらいだろうか。
特撮物の敵役にでも出てきそうな外見であった。
「お前がなぜここにいる?」
おっさんが黒い昆虫に話しかけた。
『創の作品を壊した。代わりに、ここのゴミを掃除してくれと頼まれた』
おっさんは「ああ……」と呆れ気味に頷いていた。
どうやら事情を把握したらしい。
『ここが例の……方舟、アーク、オーク艇、泥船、筏? 最終的に何になったのだったか?』
「カクレガだ」
『そうだったな。もう少し頑丈にすべきだ』
「俺もそう思うぞ」
昆虫が木村を見た。
興味はないようで、すぐに視線が移る。
黒の昆虫がウィルを観察し、刃のような爪で挑発するような仕草を示す。
「おい」
『少し試すだけだ。偶然とはいえ、助力にはなっただろう。これくらいは許せ』
「違う。やるなら訓練室でやれ。お前が動くと物が壊れる」
『……是非もない』
黒い昆虫はおっさんの言葉に大人しく従った。
知り合いなのは間違いない。先頭を二人で歩いて世間話をしている。
「強いよね?」
「わかりません。魔力は一般的な人よりも少ないです。しかし、魔力の淀みがまったくない。美しさすらある。この距離でも魔力を探知できないの初めて、いえ二人目です」
一人目こそ木村本人だろう。
ウィルの探知する魔力とはいわゆる他者から漏れる魔力だと木村は聞いている。
基本的に強い存在ほど無自覚に大きな魔力を発し、その魔力の波動を彼は感じ取っているらしい。
その黒い昆虫は話し方に高揚がまったくないものの、おっさんと話がはずんでいるように見える。
とりあえず敵ではなさそうなので、成り行きを見守ることにする。
訓練室は騒然としていた。
それはそうだろう。
緊急事態警報が鳴ってから、あんな化け物が訓練室に現れたらそりゃ黙る方が難しい。
訓練室の中心ではウィルと謎の昆虫が向かい合っている。
どういうわけか戦闘をするようだ。
ウィルは戸惑っている。
当然だ。いきなり乱入してきて、訓練室で戦闘ってどういうことなのか。
「始めるんだ!」
おっさんが声を出して、すぐさま距離を取った。
一瞬で木村の隣にやってくる。
ウィルが躊躇いがちに魔法を昆虫に放った。
昆虫はスルリと魔法を避けて、ウィルの前に立つ。
その鋭い爪を喉元に突きつけた。薄皮一枚を切ったところで爪を止める。
『術士。次はないぞ。命をかけて放て。さもなくば生きる価値などない』
昆虫が元の位置に戻る。
ウィルを挑発するように昆虫は爪をクイクイと曲げた。
今度こそウィルは躊躇なく魔法を放つ。
しかし、彼の魔法を昆虫はなんなく避けている。
『その位置で術を放ったら反撃は必須だぞ』
『次の術を考えているか? どうして単発で終わらせようとする? 繋げ。できるだろう』
『魔力の探知に意識を向けすぎだ。もっと五感を使え。鋭敏な魔力探知はどこに意識を向けているか相手に悟られる』
頻繁にアドバイスまでしている。
力量差は明らかだ。
「で、あれは何なの?」
「知り合いだな」
おっさんが答えた。
「竜でしょ」
「黒と呼ばれている」
竜であることは否定するつもりがないらしい。
「黒――黒竜ね。おっさんは何て呼ばれてるの?」
この質問には相変わらずだんまりである。
他の竜の存在はあっさりバラすのに、自分だけは秘密のようだ。
「あの黒竜は強いよね?」
「強いぞ」
強いが地味な強さだ。
不思議な技を使っているようには見えない。
もちろん動きは速いが、木村の眼でもなんとか追えるような動きである。
それでいてウィルの魔法攻撃を避けている。遊んでいるようにも見える。
そう遊んでいるのだ。決してウィルを馬鹿にしているような動きでもなければ、なぶる動きでもない。
どちらかと言えば、強くなるよう促しているように見えなくもない。
そしてそれを――、
「楽しんでる?」
「戦うのが大好きなんだぞ。アドバイスは相手にも強くなってもらい、自らが苦戦したいからだな」
途中でテュッポやゾルが入ってきて三対一になったが、やはり全て避けるか受け流すかしている。
意味がわからない芸当だ。見えない位置からの攻撃すら避けているように見える。
「あれ、どうやって避けてるの?」
「相手の放つ魔力を感受して、どういう攻撃を放つか事前に察しているんだ。その後は合理的な動きで対応するだけだな」
一種のパッシブスキルだろう。
それでもワイルドハントで見たとんでも技はない。
感受してもあくまで察するだけだし、その後の動きはデタラメでもなんでもない。
最小限の動きで避けて攻撃も行なう。動きが玄人くさい。
『――腕を振り抜きすぎている。次のモーションへの動きが鈍い。――その大剣の振り方はなんだ? 力に任せすぎている。連携をまるで考えていない。――この場面で強い魔法は必要ない。接近戦がしやすいよう弱くても相手を妨害する術に切り替えろ。相手を動かす誘導だ』
ダメ出しの連発である。
かなり余裕がありそうだ。
『素材は悪くないがな。――もういい』
途中で飽きてしまった。
黒竜は訓練室を見渡して他に対戦相手がいないか見た。
『そいつは?』
黒竜が爪で倒れている倒れている竜人を示す。
「駄目だぞ。先ほどの奴に精神をやられた。しばらくはこのままだろう」
『情けない。ポテンシャルの無駄だな。生きる価値がない』
心底呆れたという様子で黒竜は頭を押さえた。
けっこう辛辣だな。
『吾でも仮想対戦ができるか?』
「可能だぞ」
『……少し前に恐ろしい力を振りまいた奴がいただろう。あのあたりはいけるか?』
「その取り巻きからやらせてやるぞ」
黒竜と仮想ワルキューレの戦いがおこなわれた。
ロゥや壺といったとんでも対決ではない。動きだけでワルキューレと渡り合っている。
「神聖術で相手をする上で一番厄介なタイプかもしれません」
木村もウィルの言わんとしていることがわかる。
魔力をほぼ感じず、大きさも人とほぼ同じで強さがわかりづらい。
それでいて魔法を普通に避けてきて、隙だらけの本体を攻撃してくる。
ワルキューレですら黒竜の餌食になっている。
基本的に彼女たちの攻撃は大技だが、黒竜はあっさりと魔法も武器による攻撃も避けている。
さらに相手の弱点となる箇所を見つけて、そこを執拗に攻めて削っていく。
大型モンスターのスタンダードな狩りを見ているようだ。
見ていてハラハラする場面が何度もある。
『――できるな』
スクルドが出てきた。
ウィルはスクルドからまったく知らない存在だ。
このあたりからは姿が出ただけで、魔力を浴びて見ることもできなくなる。
しかも後遺症として残るらしく、魔力を弱めても同じ波動を浴びると震えが出てくるらしい。
「あれは真似できませんね」
運命切断の剣を見て、ウィルは首を捻っている。
体調はよくなさそうだ。
「ルーンですか? 神聖術に取り入れれば強くなれそうです」
震えてはいるが楽しそうにも見える。
一方で黒竜はスクルド相手でもさほど苦戦していない。
むしろ剣を振らせなければいいだけというスタンスで、相手の動きを初動から止めている。
『もっと楽しめると思ったのだが、与えられた力に頼りすぎているな。面白みがない』
弱体版とはいえ、スクルドもあっさりと倒してしまった。
「最後だぞ」
ついに最終ボスである。
スレイプニルに跨がったオーディンが現れた。
登場しただけでウィルが凍り付いた。弱体版でも恐ろしいようである。
『――ほう。凄まじいな』
「残念だが戦闘情報が足りてないぞ。一撃だけになるがどうする?」
『かまわん。やれ』
「わかったぞ」
黒竜の表情は昆虫に近いのでわかりづらいが、楽しそうに見える。
何が来るかとわくわくしているようだ。
オーディンは以前と同じ台詞を吐いて槍を構えた。
そして、緩やかに投擲する。
『絶対勝利が穂先に誓われているな。その力、受け流してみせよう。――黒葬』
謎の黒印に襲われたときに聞いた台詞だった。
同時に木村やウィルの視線が黒竜の手に釘付けになる。
手からどうやっても視線が動かせない。周囲の景色すらその手に集まってきている。
ただ、視界の端にある槍だけが、なくなった景色を背景にして緩やかに飛ぶ。
『吾が集めきれないとは、だが――追弔』
黒竜が飛んできた槍の先端を掴んだ。
鋭い両手で槍の穂先を掴み、集まった景色がさらに点へと圧し潰されていく。
槍の穂先も徐々に圧縮されて、点に近づいた。
『――供華』
黒竜が爪を開けば、周囲の景色が一気に開く。
飛び込んでくる景色が色鮮やかで、黒竜の上に散らばる光の結晶群がまるで散っていく花びらのようだった。
オーディンの槍が光の華に変わってしまった。
『全力をもってしても完全には防ぎ切れんか。本物であれば死んでいたな』
黒竜の腕がボロボロになっている。
血の色まで黒であり、訓練室の床を汚していた。
両腕がやられているが、黒竜は笑っているように見える。
『まだ強くなる余地があるということだ』
笑っている。とても楽しそうだ。
このあたりを見るとやはりこの存在は竜だな、と木村も思うようになった。
笑いが止まると、黒竜は顔を木村たちに向けた。
その後で、腕のケガも気にせずスタスタとやってきて、ウィルの前に立つ。
『見ていたが、先ほどの騎人を相手にどう戦った? 戦えたか?』
「いえ。神気に圧倒され意識すら保てませんでした」
『戦うべき時に戦えない戦士など戦士にあらず』
痛いところを突かれたようで、ウィルも黙ってしまった。
彼としても気に病んでいるところだ。戦いたいが、相手の魔力に体が勝手に反応して動かない。
『感知機能を厚くする鍛錬はおこなっていないのか?』
黒竜がウィルを見て、その後でおっさんを見る。
おっさんが首を横に振った。
「氣の素質がないんだぞ」
『術士としての才はある。その方面で鍛えれば良い。このまま潰すには惜しい』
おっさんがどうぞお好きにと、手でウィルを示した。
黒竜はその手を見たのかどうかわからないが、ウィルをまた見つめる。
『一番得意な術は炎か』
「炎の弾ですね」
『その炎で自らの体を包んだことはあるか?』
「いえ、まさか。ありませんよ」
『やれ。最優先事項だ。自らに炎を宿せるまでは他の鍛錬の必要はない』
めちゃくちゃだった。
面倒見が良いと言うべきか、単に強くして自分が楽しみたいだけか。両方かもしれない。
『最終目標は――』
黒竜がその爪をウィルに向ける。
なんだろうと木村とウィルは見ていた。
木村には何かをしたようには見えないが、ウィルの顔色が急激に変化する。
彼の顔から汗が噴き出てきて、体も震えているように見える。
『この十倍の気当てに堪えることだ』
黒竜が腕を戻すと、ウィルはその場で膝をついた。
肩で息をしている。魔力をぶつけたのだろうか。
『気に当てられ恐怖を感じることは通常の反応だ。しかし、恐怖の中でも動けなければ他の術を鍛える意味などない。使う機会がないのだからな』
黒竜は言うべきことは言ったと移動する。
ゾルとテュッポの前にも行って、特訓メニューを勝手に設定した。
木村はおっさんを見るが、おっさんは無理だと言わんばかりに肩をすくめている。
こうして黒竜が訓練指導官として付いてくることになった。
黒の印がけっきょくなんだったのか聞きそびれたことに、木村は気づいていない。




