67.メインストーリー 5
闖入者の一般人Aが、闇の薬中と一緒に消えた。
その場にいた全員がわずかな時間、制止と沈黙をもって状況を見つめる。
真っ先に動いたのはフルゴウルだ。
消えた二人が戻ってこないと判断するや否や、彼女はすぐさま残されたものの処理に取りかかる。
彼女は手に筺をつくり出し、残された召喚石に放り投げる。
「全力でこの結晶を破壊するんだ!」
ウィルも彼女の声で意識を取り戻し、結晶から距離を取って魔法を使用した。
おっさんは木村を掴んで、戦場から距離を取る。
「キィムラァ。スペシャルスキルを使い続けるんだぞ」
おっさんが何を言ってるのか、木村にもすぐわかった。
スペシャルスキルの連打である。
訓練室でのみ有効な戦法だ。
アコニトの姿は消えてしまったが、いるのは間違いないようでスペシャルスキルゲージは満タンである。
姿はないのにボタンだけは配置されていた。
要するにあの二人が出てこないよう、スペシャルスキルを使い続けなければならない。
木村はとりあえず、ボタンが一定周期で溜まりしだい押し続ける。
「攻め手を止めるな! 硬いが押し切れないこともない! 一気に倒すんだ!」
フルゴウルが開眼状態で叫んでいる。
彼女も筺を攻撃に寄せて、閉じ込めてからの爆発やウィルの魔法を詰めての擬似連鎖を使っている。
低レア結晶は、見た目の色の割に普通に強い。
強いと言うか、異常に硬い。耐久力から言ってボスではないだろうか。
特に結晶を覆う、空間の歪みでウィルの魔法やフルゴウルの爆発が遮られる。
結晶の攻撃自体は弱いのだが、魔物を召喚する力を持っている。
魔物からの攻撃が地味に厄介だ。
「空間の歪みが突破できない。しかし、あちら側からの術は通っている」
ウィルがぶつぶつと呟きながら、炎、氷、雷、風、土と様々な魔法を結晶に撃つ。
やはり空間の歪みバリアで、結晶まで魔法が届いているようには見えない。
「神聖術が当たったときも、あちらからの神気は漏れている。姿も通す。こちらの神気も完全に逸れているようには見えない。――フルゴウルさん。僕たちの神聖術は、結晶の歪みにぶつかった後はどうなっていますか?」
「消えてはいない。歪んだ空間を進み続けている。歪みの中を彷徨い、届くことなく消えているようだ」
二人は結晶からの攻撃が弱いことを見抜き、周囲の敵の掃討をメインにしている。
掃討が済みしだい、結晶の分析をしていた。
「一方通行ではない。こちらからのルートが歪んでいるだけ。それなら正しく通り抜けるルートがあるはず。――新しい術を使います! 時間を稼いでください!」
ウィルがフルゴウルに知らせ、彼女は頷いた。
まるでウィルが少年漫画の主人公のようである。
本来の主人公である木村は、アコニトらが出てこないようボタンをポチポチ押す作業に従事している。
「いきます」
どうやらウィルが開発していた魔法がついにお披露目されるらしい。
木村はスペシャルスキルボタンをポチりながら、ウィルが何をするのか注目する。
彼が懐から取り出したのは石ころだった。
深呼吸をした後、彼は石ころをおむすびでも握るように両手で包み込む。
目を閉じて集中しているようだ。
押し寄せる魔物の攻撃をフルゴウルが筺で防ぎ、さらに攻撃へと転じ足止めしてみせている。
「――できました!」
ウィルが包んでいた手を離したが、石は石のままだ。
彼は石ころを、結晶めがけて投げつける。
木村は、石が光って飛んでいったりすると思っていたので期待を裏切られた気持ちだ。
光りもしないし、自動的に飛んでいったりもしていない。
石ころは結晶に飛んでいくが、結晶の周囲を覆っていた歪みのバリアに遮られる。
訓練室の床に石ころが転がった。
バリアを貫通したり、石が爆発したりもしない。
「……失敗?」
「いや、成功しているぞ。冥府の導き手から力の使い方を参考にしたようだな。立派なものだ」
そういえば、冥府の導き手も石を投げて都市を復活させていた。
これはあの魔法と同じものなのか、と木村は考えるがどう見ても違っている。
地面に転がった石ころが、かたかたと揺れ始めた。
石ころから細い線が出てくる。目を細めないと見えないくらいの黒い線だった。
石から出た糸が伸び、結晶の周囲をぐるぐると取り囲む。
黒い糸は何十、何百と巻き続けていく。石ころは全て線に覆い尽くされ消え果ててしまった。
「見つけたようです。――凄まじい歪みですね。まるであの限られた空間だけで無限遠をつくり出すかのような……」
ウィルは、ここから消えてしまった一般人Aに恐れを抱いているようだ。
卵の球形に糸が絡んでいたが、その糸が徐々に内側に入り込んでいき、糸は結晶をがんじがらめに縛った。
「これで! 終わりです!」
黒い糸が徐々に赤みを帯び、結晶に食い込み始める。
結晶は断末魔のような光をピカピカと明滅させ、地面に砕け散った。
糸が再び収束し始め、あっという間に元の石ころに戻る。
戻った瞬間に石は砕けて粉となった。
「キィムラァ。やったな。ボスが撃破されたぞ」
おっさんが声をあげた。
やはりと言うべきか、先ほどの結晶がボスだったらしい。
最初のトンネルで撃破と言われたボスはいったい何だったのだろうか。偽物か?
「報酬だぞ」
金の宝箱も出てきた。
中身を見れば、今度はちゃんと報酬も入っている。
一つだけよくわからない素材が入っていた。
“分不相応な成長遂げたウィッチの末路”
「それは触らない方が良い。歪んでいるよ」
「フルゴウルさんの言うとおりです。歪みを感じますね」
呪われたアイテムだろうか?
木村は、アドバイザーの指示に従い、呪いのアイテム以外を回収した。
呪いのアイテムは触るのも躊躇われ地面に転がっている。
一つの問題は片付いたが、より大きな問題が残っている。
その問題のせいで、木村は今も定期的にスペシャルスキルボタンを短い周期で押さざるを得ない。
「もう一人の方は、ウィルがさっき使った新しい魔法でどうにかなったりしない?」
「無理です。あの結晶を守っていた歪んだ空間障壁は、もう一人によるものです。あの障壁は術者本人が消えて弱くなっていたはずです。――にも関わらず、僕の全身全霊を織り込んだ新術で、辛うじて突破できたんです。本人がいたら通らないでしょうし、ましてや術者本人に対してはどうしようもありません。第一に、彼が手にしていた歪みを前にして、あの術を成功させられる気はしません」
消えている一般人Aはやはり規格外のようだ。
一縷の望みをもってフルゴウルを見るが、彼女も無理だよと言って首を軽く横に振った。
諦め半分でおっさんを見た。
おっさんはよくやったなと親指を立てて示している。
味方と敵でやばい存在が消えたので、彼にしては都合の良い展開とも言える。
「ふむ――。先の歪曲人も、倒すことはできないが消えてもらうことはできているわけだ」
それはそうだ。
しかし、木村が定期的にスペシャルスキルボタンを押さなければならないし、訓練室から出ることも出来ない。
「狐くんの『闇の同化』は不完全なんだろう?」
フルゴウルがおっさんを見た。
おっさんは頷く。
「そうだぞ」
「不完全な『闇の同化』でも先ほどの歪曲人を消せる。闇竜とやらは完全な闇の同化を使うことができ、かつ、私たちの味方についているわけだな?」
木村もフルゴウルの言いたいことが理解できた。
アコニトから闇竜にバトンタッチしてもらえば良いということだ。
「闇の同化は完全だが、あいつは味方というわけではないな。勝手についてきているだけだ」
最低じゃないか。
戦闘の手伝いはしないのに、面倒な奴を連れてきて木村たちを巻き込んでいる。
「……それなら勝手に出て行くこともありますか?」
「あるだろうな」
ウィルの質問におっさんも答える。
さらに最悪になった。めちゃくちゃ身勝手な奴だ。
アコニトに加護を与えたのが納得できるほどの身勝手さである。
「闇の同化なのですが、不変と普遍はわかりました。今のアコニトさんの状態が概ねそうなのですよね。これに不偏が入るとどうなるのですか?」
そういえば、戦闘に入る前にそんな話をしていた。
不変で無敵、普遍を入れると範囲無敵。これで不完全。普遍が入るとどうなるのか。
おっさんは答えない。それぞれの性質は答えたのに、どうしてこれには答えられないのだろうか。
「僕の予想ですが、これに不偏を入れるとまったくの別物になりませんか?」
「別物?」
「はい。不思議だったんです。『「ない」わけではない』という言葉。それにどうやって気配とやらを感じているのか。闇の同化は、技ではなく一つの在り方とも言われていました」
木村も断片的ではあるが覚えている。
意味がわからなかったので、シンプルに姿が消える時間停止の無敵技と考えていた。
「僕もキィムラァと一緒にあちらこちらを巡り、この世界が何となくわかってきました。そして、アコニトさんやフルゴウルさんが別の世界から来ていることもわかりました。力の扱い方や感じ方が僕たちと違いますからね」
話が変わった気がしたと木村は感じた。
闇の同化の話ではなかったのか。
「それに先ほどの歪んだ方も、その力の種類や存在感から別の世界から来ているとわかります」
「そうなの? カゲルギ=テイルズじゃなくて?」
「違いますね」
「ハハ、あんなのがいたら私の耳に入っているよ」
フルゴウルは笑っているが、別に笑うところはなかったと木村は思う。
そもそもカゲルギ=テイルズじゃない異世界ってなんだ。
木村の世界にもあんなのは当然いない。
こここそが異世界だろう。
「もしかしてですが、各地にある扉の先は――」
「ウィル。チュートリアルだ。黙ってよく聞くんだぞ」
おっさんがウィルの言葉を遮った。
普段よりも圧が強く感じる。ウィルも口を閉ざした。
木村はスペシャルスキルのボタンをまたポチりと押す。
「――今、言おうとしたことは決して口にするんじゃない。考えるだけに留めておくんだ」
「言うと、どうなりますか?」
おっさんは無言である。
にこやかな顔の裏で何を思っているのかが読めない。
ウィルも察したようで、首を縦に動かして口にしないと示した。
「良いことだ。知ることも本来は良いことではないが、お前はもう知るにたり得る力は得ているだろうな」
遠回しにウィルの成長を褒めている。
木村も何となくわかったが、今は扉がどうこうよりも現状をどうにかして欲しい。
またボタンをポチり。
「けっきょく、そのことが闇の同化がどう繋がるの?」
「闇の同化の完全条件。すなわち不変、普遍、不偏の三つを備えるとですね。おそらく――」
そこでウィルはおっさんを見た。
おっさんは頷いて話しても良いと示す。
「一つの世界が生まれます」
驚いて、ボタンを押す指が一瞬止まったほどである。
聞き間違えたかと思った。
「……意味がわからないんだけど、えっ、世界? なんで世界が生まれるの? 闇の話でしょ」
「いえ、合っているかはわかりません。話を合わせていくとそうではないかと思ったんです」
おっさんが無言なのは合っている証拠でもある。
違ってたら否定するだろう。ある意味でわかりやすい。
「僕は、最初、闇の同化により『ない』状態がつくり出されると思いましたが、『ある』と否定されました。それでは何があるのかと考えていったんです……が、考えるまでもなく、答えは示されていました。『不偏により意識を均一に散らす』んですよね。意識があるんです。見えませんが、感じることができるのは、アコニトさんや闇竜の意識を感じているのでしょう。アコニトさんたちの意識の広がりが在る。言うなれば、あの目に見えない広がりはアコニトさんの意識という空間なのです」
絶対に入りたくない、と木村は思った。
「私は絶対に入りたくないね」
「俺もだな」
フルゴウルはわざわざ口にした。
おっさんも賛同する。そんなにはっきり言われると、黙っていた木村が馬鹿みたいである。
木村だって声に出して言いたかったのだ。
「じゃあ、あれはアコニトの意識の広がりで、アコニトワールドがあるってこと?」
「概ねそうです。おそらくまだ自我……個の形の意識という概念が強く、この世界と分離できていません。そこが不完全なのでしょう。もしも不偏を備えると完全に分離された統一された意識の世界になると思います」
なんだか思ったよりも、ずっとすごいことをしているように聞こえる。
……それよりも重要なことを言っていた気がする。
「まだ不完全ってことは、あの一般人Aに出てこられる可能性もあるの?」
「ありえます。歪曲人が世界を歪める力を持っているなら、アコニトさんの不完全な闇の同化ならあるいは……。完全な闇との同化なら難しいと思いますが――」
とりあえずボタンをポチる。
「微かだが歪んできたよ」
フルゴウルがアコニトのいた場所を見ている。
ウィルもびくりと震えた。どうやら歪みを検知したようである。
闇竜にすぐさま替わってもらいたいところだが、出てくる気配はない。クソ竜め。
どうやったら替わってくれるのか。
闇竜の好きなものでおびき寄せればいいが――、
「……あ」
木村は思い至った。
闇竜が今までどこに現れたのか。
「すぐに訓練室を出よう」
どちらにせよ、いつまでもここにいるわけにはいかない。
一か八かの賭けだ。とりあえず全員で逃げる準備をしてみるとしよう。
「しかし、ここから出たところで間違いなく逃げ切れませんよ。何らかの手を打たなければ全滅は必至です」
「いや、ここにいないことが大切なんだ。元に戻ったら誰もいないでしょ。寂しくなるんじゃないかな」
ウィルとフルゴウルも理解はしてくれたようだが納得はしていない。
木村だって納得はしていないが、他に手立てがない。
三十六計逃げるにしかずである。
他に案は出なかった。
最後にボタンをもう一度ポチってから、すぐに訓練室から出る。
その後はカクレガ全体に放送をかけ、誰かと一緒にいるよう呼びかけた。
「出てきました」
ブリッジでウィルが告げた。
一般人Aの力を感じとったようだ。
全員が固唾を呑んで、成り行きを見守る
すぐにでも空間が歪むと木村は思ったが、何もない時間が続く。
「…………アコニトさんが死亡しました」
これはいつもどおりだ。
むしろ今まで生きていたことが賞賛に値する。
木村は今回のイベントのMVPは間違いなく彼女だと思っている。
もしも生き残れれば、感謝を込めて彼女の脱ドラッグの助けをしようと考えていた。
もちろん本人は要らん支援だと嫌がるだろうが……。
「……あ、これ、すぁ」
ウィルがぽつりと言葉を残して倒れた。
フルゴウルも目を開いて膝から崩れ落ちる。
ささやかながら、木村は彼女が倒れないように支えた。
「あ、あぁ……」
フルゴウルはどこか一点を見つめて、浅く早い呼吸をしている。
見上げればおっさんの表情も曇っていた。
どうやら逃走作戦は失敗したようだ。
木村は、自らの旅がここで終わることを感じた。
死んだらどうなるのだろうか、地球に帰るのか普通に死ぬのか。
そもそも簡単に死なせてくれるのだろうか。
「キィムラァ」
「うん」
おっさんがにこやかな顔で、親指を上げて示す。
「――脅威は去ったぞ」
木村は言葉が出なかった。
しばらくしてから、やっと小さく息を吐くことができた。
細く長い息が、体から抜けていく。
ウィルとフルゴウルは意識を失っていた。
間違いなくあの一般人Aは、二人が気を失うほどの力の発露をさせたはずだ。
だが、脅威は去ったとおっさんは話す。
こちらは本当のことを言わないが、嘘も言わない。
脅威が去ったと言うことは、あの一般人Aがどこかに行ったんだろう。
「闇竜――いや、知り合いがやってくれたの?」
「そのようだぞ。元の位置に帰ったみたいだ。また、会えなかったな」
寂しそうには見えない。
むしろ喜ばしそうな表情であった。
ただ、脅威は去ったということで、闇竜に関して尋ねるのはやめた。
今は倒れた二人を横にさせることの方が大切だろう。
「二人を医務室に運びたいんだけど、手伝ってくれる」
「もちろんだ。やり方を教えるぞ。木村もウィルでやってみるんだ」
木村は俗にファイヤーマンズキャリーと呼ばれる運び方をおっさんに習った。
まだ問題は残っている。
とりあえず生き残れたので、次の問題に直面することになるだろう。
ずばり歪んだ王都だ。
しかし、それは後に考えれば良い。
今は木村も少し横になって休みたい気分だ。
歪んだ王都のことは、いったん忘れることにする。
こうして二人を医務室のベッドに運び、今回のイベント攻略は終わった。
―― ―― ――
時間はわずかに巻き戻る。
訓練室で、一般人Aことアピロとほげほげ言ってる狐が現れた。
「戻れたか」
アピロはまず自身を暗い世界に追いやった狐を見る。
狐は空を見てふごふご言っている。天井に何かあるのか手を伸ばして取ろうとしていた。
もちろん天井には何もない。アピロもこの存在が何かわからず、下手に手を出すことができないでいる。
下手に触ると危険だ。
「状況は――」
周囲は明るいが、人の姿はない。
戦闘の痕跡が見て取れた。いったいどれだけの時間あの空間に囚われてしまったかアピロは考えた。
「……ウィッチ?」
彼を初めて受け入れてくれた存在の姿は見えない。
しかし、彼女の気配はする。
場所は――、訓練室の真ん中。
無造作にコロリと転がっている結晶からだ。
アピロは恐る恐る近寄った。そして、彼にはないことに解析も使わず、その結晶を手に取る。
アピロにはわかる。
この結晶がウィッチのなれの果てだと。
彼女はもう自ら光って、その意志を伝えることができなくなった、と。
「どうして……、どうして、こんな…………」
久方ぶりの感覚だ。
自らの一部が欠け落ちて、立っている感覚がなくなっていく。
この感情の名をアピロはもはや忘れて久しい。
同時に、もう一つの久方ぶりの感覚が彼を襲う。
自身の力が満ちていく感覚だ。
喪失感と充足感という二つの相反する感覚が今の彼には宿っていた。
「はは……、“同朋の喪失”。初めての称号だ」
アピロは喜びと同時に、自身がウィッチを同朋と思っていたことを外部から知らされた。
称号というシステムは彼の世界に備わる機能の一つだ。
客観的な事実を伝えてくれる。
「レベルも上がった。“到達者”。ついにレベルが9999になったんだ。誰も至らぬ高みにたどり着いた。僕は到達したんだ」
焦がれていたはずの頂点にたどり着いた。
そのはずなのに、アピロの底から湧き上がるのは熱ではない。
暗く、どこか寒い冷気が溢れて出てくる。
「最後の鍵は竜じゃなかった。ウィッチ、君だったのか。やはり君は僕にとって大切な存在だったんだ」
手に握った結晶にアピロは話しかける。
結晶はアピロに何も返さない。
「なんだぁ? 結晶とままごとをしておるのかぁ」
アピロが、声のした方に目を向けると狐耳の女が彼を見ていた。
横になったままの状態で、つまらなさそうな表情でアピロを馬鹿にしたような目で見据えている。
「君はおもしろい力を使うね。久々に苦戦したよ」
「あぁん? あれはうぬか? せっかく人が良い気持ちでおったのに、れべるがどうこうとか叫び、儂の意識で暴れておった無邪気な童は?」
「童?」
アピロは笑ってしまう。
この狐耳は何もわかっていない。
奇妙な力を使えるだけだ。彼はこの狐耳よりも遙かに長い時を生きている。
「まあ、いいさ。僕はね。たどり着いたんだ。大切なものは失ったけど、そのおかげで全ての頂点に立つことができた」
「ほぉーん」
アコニトはすでに男から興味を失っている。正確ではない。最初から興味などない。
香でも焚くかと、彼女は尻尾をまさぐるが尻尾はどこかに行ってしまっていた。
「――わかるかい。僕が今までにどれだけの道を歩いてきたか」
香は焚けないし、尻尾は勝手にどこかへ行っている。
それに知らない男が勝手にわちゃわちゃと並べ立てて、アコニトは不愉快だった。
カクレガのほぼ全員がふだん彼女に抱く想いを、彼女は目の前でぺちゃくちゃ喋る男に抱いた。
「素晴らしい功績だぁ。うぬの名はなんだぁ?」
「アピロだ」
アピロは誇らしげに名乗る。
アコニトも頷き、体を起こした。
胡座をかき、頬杖ついてアピロを見上げる。
「よぉし! 童アピロよ。頂点に立ったうぬに、神である儂が神託をくだそう。儂が神託を下すことは滅多にないぞぉ。心して聞くんだぁ」
アピロは狐耳の女を黙って見下ろす。
神を名乗る狐耳が滑稽であったが、その所作には幾分か真に迫るものを感じた。
「うぬはなぁ。なぁんにもなれずに死ぬぞぉ。大したことをやってのけていると誇っているようだがなぁ。そんなことは人に胸を張って言うことではないぞぉ。なぁにが、れべる9999だ。意味がわからんわぁ。聞いていて恥ずかしい、勘弁してくれぇ」
アコニトがゲラゲラと笑う。
表情はおもしろいくらい柔軟に彼女の気持ちを表していた。
逆にアピロは表情が固まっている。
無意識的に彼の手には歪曲剣が握られていた。
「黙れ。僕は到達者だぞ」
「ヒャヒャヒャ! なぁにが到達者だぁ! 笑いの頂点に到達したのかぁ? ん~? 素晴らしい功績だなぁ!」
「僕は――」
「すまなかった」
アコニトが笑いを止め、凜々しい顔つきで謝罪をした。
あまりの変わり身にアピロは思考が止まった。
「うぬは見事に成し遂げたんだなぁ。立派だぁ」
「え、あ。ああ」
アピロは狐につままれたような気持ちである。
まるで心からの言葉に聞こえた。ぼんやりとアコニトの顔を見つめる。
「うぬは誰にも成し遂げられんことを成し遂げた」
「そうなんだ。僕は――」
「だがなぁ。人はそれを賞賛はせん。うぬが他人をどうでも良いと思っているように、他人もうぬをどうでも良いと思っておるわぁ。わかるか? うぬのやっていることは、空想の中でひたすら高い砂の城を築くだけのことだぁ。いずれ崩れるし、高いことに意味なんてないと誰もが気づいておる。それに気づかないから、うぬは童なんだぁ。――儂の言っとることがわからんだろぉ? だからな。もう黙っておれよ、小童。部屋の隅にて、れべるとやらをせっせとあげておけ、なぁ。儂はもう寝るから、後は一人で好きにせい」
アコニトはそのまま後ろにごろりと倒れた。
そして、いびきをかいて寝る。
アピロは歪曲剣を振り回し、狐耳の女を跡形もなくねじ曲げた。
たった一振りなのに、彼は肩で息をしている。
「お前に! お前に僕の何がわかる!」
もちろん返答を期待したものではない。
すでにアコニトは死んでいる。
彼は歪曲剣に、彼の全身全霊の力を込めた。
周囲がどんどんと捻れていく。
「全てをねじ曲げる!」
そうすれば、そうすればきっと――
「そうすればどうなるんだろうか?」
レベルは上がるか?
――上がらない。
気は晴れるか?
――晴れない。
ウィッチは帰ってくるのか?
――帰ってこない。
アピロは頂点に到達してしまった。
同じ高さには誰もいない。
下をみても、誰の姿も見ることはできない。
登っている途中は楽しかった。無我夢中で上を目指していた。
他の人と競い合い、時に蹴落とし、ねじ曲げて、がむしゃらに頂点を目指した。
これからどうする?
どうすれば良い?
尋ねようにも応えてくれる人はいない。
友も、仲間も、家族も、敵も、共感してくれた人もいなくなった。
自らがねじ曲げてしまった。
彼は、自らの歪みの中にただ一人でいる。
いつも一人だ。
しかし、昨日は一人ではなかった。
もう戻れない。右手に握った結晶は何も共感してくれない。
狐耳の言葉がアピロの頭の中に響き渡る。
「後は一人で好きにせい」と、毒のように彼の意識を侵していった。
「僕は――」
彼の心に寂然とした気持ちが宿った。
誰もいない。いや、人がいるのはわかる。空間は把握している。
多くの人がいて、雑然と動いている。彼らはみな繋がりを持ち、一緒に行動していた。
「僕は一人で――」
彼の周囲を暗闇が覆った。
世界が暗くなる。この闇は良くないものとアピロも感じたが、抵抗する気は起きない。
今は誰も感じたくない。
誰もいないところで一人でいたい。
この暗闇がそれをもたらしてくれるなら――。
訓練室から、ひっそりと一人の姿が消えた。
アピロはいつか暗闇から抜け出すだろう。
それでも彼はずっと一人のまま、誰にも共感されることはない。
彼にとって唯一の救いは、彼が登攀を楽しんだレベルによって、彼自身が消し去られることである。
だが、その未来は遙か遠く、まだ足音すら聞こえていない。




