66.イベント「迷宮にて相まみえましょう」5
木村はアコニトの詳細なステータスを確認するため、彼女の部屋の前に立った。
「開けるぞ。覚悟は良いな」
念のためおっさんにも来てもらっている。
本当はウィルかフルゴウルにも頼みたかったが、正常な人とこの部屋は相性が悪い。
おっさんが扉の一部に触れると、扉は横にスライドした。
この部屋は半自動ドアである。
なお長時間ドアを開けっぱなしにすると警報がなるシステムまで導入されている。
内部の汚い空気が外に漏洩するのを、可能な限り防ぐためだ。
もちろん部屋には換気システムもついている。
仮にドアを完全に開けたとしても、空気は部屋の外から内側へ流れるようになっているらしい。
ある意味、換気システムが一番整っている部屋とも言える。
高性能な換気システムのため、木村はこの部屋の異常性に気づくのが遅れた。
甘ったるい臭いを感じたのは部屋に立ち入り、ドアが閉まってからだ。
部屋の中は薄暗く、よくわからないものが床に散らばっている。
食堂にある調味料の空容器や、髪の毛が入ったプランターなどと暗闇でわかる範囲でも意味がわからない。
おっさんが照明を付けた。
「まぶっ! まぶしっ! 目が! 目が焼けるぞっ! 頭が溶け落ちるっ! 切れっ、灯りを切るんだぁ!」
アコニトが叫んだ。
部屋の隅でひっくり返って、目を押さえている。
案の定と言うべきか、危ないクスリをやっていたようだ。
意識はあるようだが光にやたら過敏となって、叫び声がうるさい。
「もう夜だ。静かにするんだぞ」
おっさんがうずくまっているアコニトを蹴り上げた。
足はノーガードの腹へと綺麗に入り、アコニトが20cmは浮いた。
「――おっ! ……あぁぁ、おぁ、ゴポ、ゴェ」
口から空気を出した後で、苦悶の表情で涎と泡を噴き出し始める。
痛みのせいか、クスリのせいか異様に目が大きく見える。飛び出しそうだ。
蹴りはやりすぎだとも思う反面、静かになってよかったとも思う。
「言ったとおりだな。加護を得ているぞ」
どうやらおっさんは苦しむアコニトのステータスを見たらしい。
木村も見たいのだが、悶え苦しむアコニトの姿が背景になりそうで落ち着かない。
「ああ……、ああっ」
アコニトの苦しむ手が尻尾をまさぐり、手に怪しい針を掴んだ。
その針を自らの太ももに突き刺す。木村は何をやっているんだと呆然とみていた。
「あ……。あぁー」
歪んでいた顔が徐々に和らいでいき、恍惚とした表情に変わっていく。
目が片側だけ半開きになって瞬きを繰り返しており不気味だ。
舌も口から出ており、木村は怖くなった。
木村は薬中を直視できなくなった。
スキルのレパートリーは数種類なのに、クスリと状態のレパートリーは少なくとも十はある。
そもそも毒攻撃はまったく効かないはずなのに、どうしてクスリは効果があるのかもさっぱりわからない。
アコニトから意識を逸らすようにステータスを確認し、“闇竜の加護”なるものがついていることを木村は確認した。
ステータスのアップもあるようだが、そちらは装備ほど目立つものではない。
どうしてこんな奴に加護を与えるのか。
与えられた側がこれなら、与える側も与える側である。
「自己変化術式ってのをアコニトは持ってるの?」
「スペシャルスキルがそれだな」
なるほど確かに自らの姿を霧に変えている。
「それが変化するってトロフィーに書いてあった」
「訓練室で試してみるか」
おっさんがアコニトの耳を二本指でつまんで引きずった。
よほど触りたくないのがわかる。
「あぁー」
痛いのか気持ちいいのかわからない声をアコニトは発する。
床に散らばる小さなゴミを、より大きなアコニトで掃きだすように部屋を出た。
場所は訓練室に移った。
訓練室の真ん中にアコニトが設置された。
力なく横たわり、「うえあーふるふる」などと人類には理解できない声を出す。
ウィルとフルゴウルにも事情を説明し、来てもらった。
二人はアコニトの状態に関してまったく言及しない。人間ができている。
「準備は良いか?」
おっさんの声がかかる。
木村が返事をすると、アコニトの周囲に敵が現れた。
見覚えのある竜である。一番最初のトラウマである赤・青・黄の竜だった。
それが三体でアコニトを囲んでいる。容赦ないな、と木村は感じる。木村も今でもちょっと怖い。
訓練室の設定で、アコニトのスペシャルスキルゲージは満タンだ。
木村はさっさとスペシャルスキルのボタンを押した。
アコニトを見るが、何かが起きたようには見えない。
霧化も起きず、そのままである。
竜たちがアコニトに攻撃を加えた。
炎、氷、土塊が彼女を容赦なく襲う。
アコニトは死んだ。
跡形もない。むごい。
彼女の堂々たる死を確認して、竜たちも姿を消す。
「……何か起きた?」
「僕は何も感じませんでしたが、スキルは発動していたんですか?」
「うん。二回くらい確認した。発動はしてる」
謎である。
スキルは発動していたはずだ。
ゲージが消費されたのを木村は二度見どころか三度見はした。
設定の都合上、ゲージは消費してもすぐ回復するので何度か押してしまった。
フルゴウルを見ると、彼女は目を開いていた。
おっさんもアコニトのいた場所を、睨むように見ている。
木村もつられて二人の視線の先を見るが、アコニトはいない。
「……どうでした?」
「何もない」
「ですよねー」
けっきょく眼を開いても何もなかったらしい。
いつもどおりアコニトが華々しく死んだだけである。
赤竜の花火と同様に、より正しく発動するための隠し条件があるかもしれない。
「喫煙室で復活するのを待ってみます。正常な状態で使えば、また違うかも知れませんし」
「部屋で待つ必要はない。狐くんは死んでない」
移動しかけた木村の足が止まる。
フルゴウルは「死んでない」と言っただろうか。
「死んだ痕跡はない」
「じゃあ――」
「生きている痕跡もない。彼女のいた痕跡すらない。――何もない」
フルゴウルは周囲を見渡して痕跡を探しているようだ。
木村は、おっさんを見る。彼はまだアコニトのいた位置を凝視している。
「アコニトって、もしかしてまだあそこにいるの?」
「いるぞ」
いると言われても、彼女の姿はない。
フルゴウルにもやはり見えないようで、首を横に振っている。
「目に見えているものだけが、全てではないぞ」
そりゃそうかもしれないが、見えていたものが見えなくなるのはその言葉の趣旨と違うのではないかと木村は思った。
その台詞は心とか精神について言及するときのものではないか。あるいは臭いや音だ。
凝視している人間の言う言葉でもないだろう。
「……もげげぇべとろーん」
しばらくするとアコニトが元の位置から現れた。
動いていないようだ。相変わらず床にでろーんとみっともなく寝そべっている。
アコニトの尻尾が勝手に動き出し、彼女から離れ、歩いてどこかへ歩き去って行った。
分離する瞬間を見るのは初めてだ。あんなに自然に離れるのか、と木村はやや新鮮な気持ちになった。
「けっきょく、今のはなんだったの? 空気化?」
自身を毒の霧と化し周囲のものを溶かす技から、自分をしばらく空気に溶かす技に変わったのだろうか。
無敵と言えなくもないが、使い道がパッと思い浮かばない。
デイリーのサバイバルくらいか。
「闇の同化をしているぞ。不完全だな。不変と普遍のわずかしかできていない。不偏はまったく満たしていないぞ」
後半はよくわからない。
前半だけ聞くと、空気ではなく闇になったようだ。
闇というよりはやっぱり空気に近い。木村の思う闇は真っ暗闇である。
「……闇の同化は僕も知っていますが、こんな神聖術ではありませんよ」
ウィルも疑問を口にした。
彼の知る「闇の同化」は一瞬だけ物理や魔法攻撃をすり抜けできるものらしい。
一瞬の無敵化というか緊急回避みたいなものだと木村は考えた。
しかし、彼の知る闇の同化は姿を消すことはないと言う。
「神気をほとんど使わないという変わった特性を持つ神聖術なんです」
つまり消費コストの少ない回避技。
とても便利そうだ。
「想像しているよりもずっと難しいですよ。連続で使えるものでもありませんし、効果を伸ばすこともほぼできません。失敗することもあります」
一瞬かつ一度限りの博打回避ということか。
アコニトのやったことと比べると大きく違う気がする。
「やってみせましょう」
実際にウィルがやってみせた。
木村の手がウィルの腕を確かにすり抜けたが、アコニトのように姿が消えたりしていない。
「全然違うね。ウィルくんがやってみせたのは技だ。精気の消費や性質の変化も目に見えた。狐くんのものは発露が何もない。あまりにも自然体からの隠滅だったよ」
フルゴウルも違いに言及する。
おっさんも彼女の言葉に同意した。
「闇の同化は技ではない。術として起動させた時点で同化はすでに失敗しているな。闇の同化は為ることではない。ただ、そこにいるだけという在り方なんだぞ」
意味がよくわからなかった。
当のアコニト本人がまったくすごさを感じさせない。
すごさどころか知性や品格の欠片すら、こぼれ落ちている状態だ。
「けっきょくのところ、闇の同化は何なの?」
木村としては、闇の同化が神聖術かどうかみたいな議論はどうでも良い。
姿が消えて長時間の無敵と考えていいのかどうかが重要だ。
「完全な闇の同化なら不変、普遍、不偏の三つの要素を兼ね備えるな。不変はあの女狐がやってみせたことだ。自分自身が誰からも干渉されず、誰にも干渉しない。変わらないし変えられない性質だ」
要するに無敵だ。
姿も消えているが、おまけみたいなものだろう。
「残りの普遍と不偏は?」
「普遍とは『全て』だ。あの女狐の意識や存在は依然としてあの場にあった。場の全体を満たすように広げられていない。正常な状態で使えば、あの女狐でも普遍は満たせるかもしれないな」
見えない霧にはなったけど、一カ所にとどまっている、と木村は考えた。
霧になってからも動くのをたびたび見たので、こちらはクスリが抜ければできそうだ。
「不偏は?」
「不偏は『均一』だぞ。自らを場の全体へ偏りなく散らすことだな。これがとても難しいんだ。濃度だけでなく意識も均一にする必要があるからな」
意識を均一に散らす?
木村はいまいちわからない。
もっと言えば、普遍と不変もわかっているとは言いがたい。
「どうしてその三つが揃うと闇の同化なんて呼ばれることになるの?」
「闇の同化以外に妥当な呼び名がないからだろうな」
なんじゃそりゃ、と木村は嘆息した。
木村としてはやはり空気の方がそれらしく感じる。
無敵になれることはわかった。
合点がいかないことが木村にはまだあった。
「メッセや負傷者が無事だったのは闇竜の力によるものだよね」
「そうだな」
やはり木村が想像したことは闇竜の仕業であっているらしい。
それなら闇竜は、まるで時間停止や魔物払いのようなことまでしている。
「不変の効果で、互いに不干渉ならどうしてそんなことが起きたの。何も起きないはずじゃないの?」
「そうだぞ。正確には普遍もあるな。この二つが揃うと、周囲から何も干渉できなくなるんだ」
「……いや、だから何もないならそんなことにならないでしょ」
「――わかりました。いや、はっきりとはわかっていないんですが、なぜそんなことが起きるのかは説明ができそうです。言われるとおり、“その場には何もない。何もないから、何も変化が起きようもない。故に周囲からは何かが起きたように見えた”んですね」
「やや違うが、概ねそうだぞ」
「それは、なるほど、神聖術ではないですね。恐ろしい存在と言えます」
木村はよくわからない。
フルゴウルはわかった様子である。
「あの何もない状態は、空間的な広がりを持ち、その内部では、時間の流れや生命の活動までもが『ない』状態にされるということかな。その広がりから外れたときに活動が元に戻る、と」
「概ねその理解で正しいと思います」
「『ない』わけではないぞ」
木村もフルゴウルの説明でようやく朧気にわかってきた。
姿が消える無敵状態の時間停止をする霧状態が、闇の同化ということだろうか。
おっさんは不満そうな顔つきだ。何か違うが何が違うのかをうまく言えない様子であった。
無敵、時間停止、ステルス……言葉にすると盛りだくさんですごいが、戦闘では要するに戦力外ではないか。
いや、空間的な広がりを持つとも話していた。
敵の範囲攻撃から味方を守ることもできるかもしれない。
そうなるとかなり便利そうな技になる。ただ、スペシャルスキルを潰すほどの価値があるのか。
強い技を持ったボス相手には使えるだろう。相手によってオンオフを切り替えれば良い。
「ドラゴンハンターとやらはまさに暗中模索をしているんだね。掴みようもないものを掴もうとしているわけだ」
そういえば、迷宮の中のドラゴンハンターは闇竜を探しているらしい。
時間停止で無敵状態の闇竜を倒すことはできず、そのうちドラゴンハンターも諦めるだろう。
ここまで考えて木村は嫌な予感に突き当たった。
いかにもドラゴンハンターは闇竜を血眼になって探しているのだ。
気配だけは感じるとかケルピィは言っていたはずだ。その闇竜はいったい今どこにいる。
先ほどは機械玉になった寂しいケルピィの側にいたはず。
「闇竜ってパーティーメンバーって認識で良いんだよね。もしかしてずっとカクレガにいるの?」
「いるぞ。具体的にカクレガのどこかはわからないが、気配を感じるな」
闇の気配がどんなものかは置いておく。
闇竜はカクレガにいる。
「ドラゴンハンターも、闇竜の気配を感じとれるって聞いたよね。闇竜の気配が迷宮にないって気づいたら、彼はどうするんだろう?」
フルゴウルとウィルも気づいてくれたようだ。
「追ってくるんじゃないかな」
「いえ、あの芸当ができるんです。まずは歪みの範囲を広げるんじゃないでしょうか」
おっさんが無言でウィルをピッと指で示す。
正解と言っているようだ。
「どうやら歪みに捕らわれたぞ」
遅かったようだ。
気づくのが早くても、イベント中のためカクレガは自由に動かせない。
「カクレガのステルス機能をアップさせるべきかな?」
「へぇ、ここはカクレガというんだね。うまく隠れていて見つけづらかったよ」
聞いたことのない声が、木村のすぐ背後から聞こえてきた。
聞こえてすぐ、おっさんに腕をつかまれ、彼の背中側に回された。
ウィルとフルゴウルも臨戦態勢に入っている。
臨戦態勢には入っているが、ウィルは怯えが見えるし、フルゴウルからは諦めが見える。
おっさんの背中越しに、謎の声の主を木村は見てみる。
どれほどの相手か興味が湧いた。
特徴のない男だった。
街並みの中を歩いていれば、一般人Aと認識されるだろう。
服装は王都のものとは違うが、それでも異質さを示すものではない。
彼よりも、彼の隣に浮く召喚石の方が木村にはよほど目に留まる。
赤褐色で低レアをうかがわせる色である。
「ん~。あの竜はいるな。……君はなんだろう。竜みたいだけど、違う気配もする。どっちでもいいか。倒してしまえば、結果でわかるからね」
男はとつまらなさそうな乾いた笑いをこぼした。
木村は男が手を挙げたのを見た。
その手には何かが握られている。
具体的な物質ではない。その手から伸びる空間がぐにゃりと歪んでいた。
「ウィッチ。今日は良い日だ。きっとレベルも上がる。それじゃあ、まずは君から。さよう――」
「ほべぇええええ! ギンギラギンにかがやいとるぞぉ! 太陽だ! 儂を燃やせ! 世界が! 燃えておるぞぉおお、べへべへべ!」
尻尾のないアコニトが奇声を上げた。
奇声を上げつつ低レアの結晶へと四足で走って突撃していく。
低レア結晶が驚いたようにピカリと光った。
さらに一般人Aも、奇声の方を向く。その手に握られた空間の歪みもアコニトを向いた。
「んごおおおおおおお! 一つに! 儂らは今! 一つになるぞぉ! 目を開いて見るんだぁあああ!」
歪みがアコニトの形を曲げていく。
痛いのかどうなのかはさっぱりわからない。
言ってることも、その言葉が何を示すのか誰もわからない。
アコニトの動きは止まり、その場でぐにゃぐにゃと複雑に捻れていく。
ただ、全員の視線が、歪んでいく彼女に釘付けになっているのは、千載一遇のチャンスであった。
木村は動いた。
コマンドを開き、歪むアコニトを見つつ、スペシャルスキルのボタンを押す。
「ん? ――何!」
「んべぇええええ! 儂は死なん! 儂は永久に不滅なのだぁあああ!」
一般人Aが驚いた様子である。
アコニトが歪んだ状態のまま、再び動き出した。
奇声は上げたままで、召喚石から方向を変え、一般人Aへと突撃していく。
「天気晴朗ナレドモ波高シ! ヒョオオオオ!」
アコニトが叫び、一般人Aにぶつかった。
彼女と男の間にあった空間の歪みを無視するように彼女は男を押し倒す。
まるで逃げ出した珍獣が、町の人間を襲っているようだ。
「イッツ・ショータァアアアイム!」
そして、アコニトと一般人Aの姿は消えた。




