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チュートリアルおじさんと異世界巡り  作者: 雪夜小路
Ⅴ章.レベル41~50
61/138

61.イベント前日

 明日からのイベントを控え、カクレガはすでに目的地に到着している。


 王都ムックリが地図に表示され、扉マークも王都にあったときは冷や汗ものだった。

 しかし、カクレガの目的地は王都から逸れていた。


 カクレガは王都から逸れ、やや離れたハトポポ川へと向かったのだ。

 そして、主流から枝分かれした支流の近くで止まった。

 木村は胸をなで下ろしたことを覚えている。


 川の近くに人工的な洞窟があり、そこがイベントのスタート地点になっている様子だ。

 入口の近くには兵士たちも立っているが、あれくらいならどうとでもなるだろう。


 本日はイベント前とあってか、デイリーも小さなイベントもない。

 朝におっさん宛のメッセージが来て、明日からイベントだからメンテするね、とあった。

 今日は、明日からのイベントに挑むための準備デイだ。


 悩むのは戦闘メンバーである。

 おっさんから聞く限り、今回は戦闘メンバーに縛りはない。

 前回のようにアコニト、ルーフォ強制とか、前々回のように自由選択が一人だけとかもない。


 完全に自由。

 自由すぎるとかえって困る。

 最初は敵も弱いだろうから、攻撃よりにしてガンガン攻めるか。

 あるいは対応がしやすいよう攻撃、防御、回復、サポートのバランスよりにするか。


 途中でキャラ変更が可能かわからないので、ひとまず木村はバランスよりで組むことにした。

 攻撃よりにしすぎて、いきなりボス戦に突入すると全滅しかけない。


 ブリッジの機能が使えるとして、サポートにはセリーダ安定となる。

 なにげにおっさんとアコニトを除くと、異世界に来た当初からずっと一緒だ。

 ずっと一緒なのに頭がおかしくなっており、戦闘以外で一番絡みの少ないキャラでもある。

 いつかはクスリから脱却しないといけないのだが、目処が立っていない。


 メインの一人目として、まともな回復役はペイラーフしかいないのでまず彼女を枠に入れる。

 クールダウン減少の結晶を飲んでいるため、以前よりは回復の頻度が上がったが、連発はできない。


 防御役はテュッポかボローで悩んだが、ボローにした。

 他のメンバーはもうあまり考え込まず、初期あたりのメンバーにしていく。


 すなわちアコニト、ボロー、ペイラーフ、ウィルがメインメンバーだ。

 ボローは充電の関係で短期決戦向けだが、装備の予備バッテリーで行動時間も上がったので大丈夫だろう。

 迷宮が狭いとアコニトの自爆が使えないかもしれないが、そこは仕方ないと割り切るしかない。


 最近はフルゴウルやテュッポが入ったことで誰かが抜けることが多かった。

 久々の初期安定メンバーで挑むことにする。なんだか懐かしい気持ちになってくる。


 念のためフルゴウルやテュッポは入れ替え要員としてブリッジに控えてはもらう。

 二人は地位や歳の関係で知識や経験が、木村たちとは段違いだ。そのあたりにも期待している。


 今回はすぐ近くに街はない。

 竜も出てこないとおっさんは言う。

 コラボキャラが出てきたりもしないだろう。


 誰かを巻き込んだり、巻き込まれる心配をせず楽しめる、初めてのイベントになりそうである。


 ただ、イベントで一つ気になることがあった。

 イベント名の“迷宮にて相まみえましょう”の後半部分である。


 「相まみえましょう」とは誰が誰にむかって言っているのかだ。

 迷宮の奥に少女がいるのは定番だが、そんな話なのだろうか。


 木村はますます今回のイベントに期待を抱くのであった。



 ―― ―― ―― ――




 木村がそんな淡い期待をしているころ、王都は熱狂をひた隠しにしている状況だった。


 地下の状況を知らない一般人たちは、翌日に行われる式典を楽しみに夜を迎えようとしている。

 地下に入っている人たちは、もはやどうしようもないと感じている。


「本当に開催するんだねぇ」


 ケルピィも水路の入口付近でぼやいた。

 上層部が開催に舵を切ったのは、地下水路に安定が見られたからだろう。


 ほんの数日前まで、慌ただしく変化をしていた地下水路は一昨日から変化が少なくなってきた。

 入口付近は、またもや狭くなり水路が復活している。


 大半の兵士たちは、中でなく外で待機している状況だ。

 けっきょく正規軍を入れての大規模な進行では、事態の解決にいたらなかった。


 まず、水路が入り組んでいるのがよくない。

 今は安定しているが、調査をしたころは道がすぐさま入れ替わり、仲間同士が出会い頭に魔法の撃ち合いもあったほどだ。


 さらに、水路の奥に異様な魔物がいる。

 百年に一度見られるかどうかの規模の魔物が奥に佇んでいた。

 西のハムポチョムキキ平野どころか、さらに西のデモナス地域クラスの魔物だ。

 目が合っただけで、全身から血の気が失せたことをケルピィは、今でもはっきりと思い出せる。


 あの魔物に対しては、ケルピィが進行停止を指示する必要もなかった。

 一般の兵士でも感じることができるらしい。全員が足を止めて、その場から引き返した。


 幸運なことは、あの強大な魔物は知性あるいは規則があるようで近づかなければ襲ってこない。

 逃げることが得意な隊員に試させたが、近づいてようやく警戒し、離れればすぐに警戒を解いた。


 逆に不幸なことは、あのクラスの魔物が三体以上はいることだ。

 それぞれの調査隊から、姿が違う魔物の報告があった。どれも異様な気配を持っていたとのことだ。

 無闇に突っ込んで全滅とならなかったのは、不幸中の幸いだろう。


 引き返してから、地下水路に最後の変化が生じて今の状態になった。

 すなわち最初の地下水路とほぼ同等の状態である。

 ただし入口付近だけであり、魔物も出てくる。


 入口付近に現れる魔物は弱い。

 鼠の魔物ほど弱くはないが、それでも正規兵が数人いれば余裕で倒せる。


 水路をさらに進むと、変容をみせる。

 道幅は広がり、天井も高くなる。水は浅く広がっていき、地面をうっすらと浸す。

 魔物は進むほどに強くなり、もはや強大な魔物がいるであろう奥まで進むことは困難になってしまった。

 進んだところであの強大な魔物がいる以上は、手の出しようがない。


 今や、ケルピィたちにできることは二つだけだ。


 一つは、入口付近で魔物たちが外に出ないよう戦うこと。

 もう一つは、地下水路がさらなる変容をしないよう祈ること。


 どちらにしても、彼らができることは防戦だけである。



 ここまでは悪いことだ。

 あるいはどうしようもないことと言っても良い。


 しかし、大規模な調査での収穫もあった。


「ヘェーーーイ! ミスター。どうしたよぉ、陰気な顔してよぉ! ほれぇ! おいらが注いでやんよぉ! ウッサウッサだぜぃ!」

「……ああ、どうも」


 ケルピィと同席しているのは二人の獣人である。

 この二人は大規模な調査のときに、なんとか手を組むことに成功した。


 一人は兎の獣人だ。

 軽薄で酒好き。今も酒をケルピィに勧めてくる。

 ケルピィも酒は好きだが、さすがに魔物が出てくる水路で酒を呑むほどの胆力はない。


「カァアアアア。うっまいねぇ! 果実の香りがすげぇよ、これ! なぁ、慚愧の旦那もそう思わないか!」

「……うむ」


 もう一人は猫に近い獣人だ。

 兎の獣人が白い毛をしているのに比べ、猫に近い獣人は黒っぽい毛をしている。

 毛の色が対比できるように、性格も対照的な二人だった。猫っぽい獣人は重厚で口数が少ない。


 どちらも酒好きで、ザルなことは共通している。

 さらに二人とも武器を持っている。兎の獣人は銃と呼び、猫っぽい獣人は刀と呼んでいた。

 彼らの持っている得物を、ケルピィは見たことも聞いたこともない。


 二人は同郷ではないが互いのことを知っていた。

 さらにヘイラード王国やこの王都のことは何も知らない。

 加えて言えば、ケルピィたちも彼らの話す地域のことをまったく知らない。

 二人だけでなく、他の第三勢力も同じことを言っているのを見るに嘘はついてないと判断した。


 遙か西のどこかと、この王都の地下水路が転移で繋がったのではないか――というのが神術省の見解である。

 ケルピィはこの見解に否定的だった。言葉が通じることの説明は付けることができない。


 言葉や彼らの来歴はともかく戦力としては申し分ない。

 この二人だけが他の転移者と違ってここにいるのは、戦力が他と比べ突出しているのに加え、奥の魔物を見てもまだ挑む気概が残っているからであった。


 他の転移者たちは正規軍で管理しているが、ここの二人だけが魔物討伐隊の預かりだ。

 手が付けられないから押しつけられたというのが正確だが、実力もあり話ができるなら、ケルピィはいてもらうことは悪いと思っていない。


 ケルピィがふぅと息を吐く。

 獣人二人の気配が変わっていた。両者が同じ方向を見ている。


「トリガーの」


 猫っぽい獣人が声をかける。

 ちなみに二人とも本名は明かさなかった。

 どちらも通り名をケルピィたちに告げている。


 兎の獣人が「ハッピートリガー」で、猫っぽい獣人が「慚愧一閃」である。

 互いにトリガーやら慚愧と呼んでいるし、かなり有名なようで他の転移者からは怖れられていた。


「気づいてるぜ! 慚愧の旦那! ほらよ! そこのあんた! 一発どうだ!」


 テーブルに置いてあったハッピートリガーの得物が、いつの間にか彼の手の中にあった。

 そして、その銃口は水路の奥へと向かっている。


 轟音が響き、銃口からは火花が散った。

 目にも留まらぬ速度で、暗闇を小さな光源が照らし、見張りの兵士の脇を抜ける。


「お?」

「む?」


 炎弾が弾かれ、狭い水路の中を飛び跳ねる。

 一瞬だけ弾いたであろう姿が見えた。


「相変わらず野蛮ですね。ハッピートリガー」


 女性の声だった。

 ケルピィはもちろん兵士たちにも緊張が走る。


「おおっとぉー! その声はもしかして福音ちゅわんかぁ! ウッササ! 盛り上がって参りました!」


 盛り上がってるのはハッピートリガーだけである。

 慚愧一閃は興味が失せたようで、彼の得物を置き、椅子に体重を預けた。


「慚愧一閃もいますね。状況の説明をしていただけます?」

「いいともさぁ! 座んなよ! ミスター。酒を一本追加だぁ!」


 暗がりから現れたのはまたしても獣人である。

 頭から生えた巨大な角が目立つ。


 頭と同じほどの大きさの角が二本、頭の上から伸び、途中で外側に曲がっている。

 獣の耳も大きいし、眼球の中の瞳が四角く、ヤギのようであった。

 性別は胸元の膨らみから女性だとわかる。


 ハッピートリガーと慚愧一閃が動きやすい服装をしているのと違い、ヤギの彼女はかなりゆったりとした服装だ。

 民族衣装か、あるいは儀式的な衣装と言うべきか。戦闘用には見えない。


 見張りをしていた兵士たちに、彼女を通すようケルピィは伝えた。

 おそらく止めることはできないだろう。強そうに見えないが、ハッピートリガーの炎弾をどうやって弾いたのがケルピィにはわからない。

 手に武器を持っているように見えない。服の中にもケルピィが見るに武器は隠し持っていない。

 服装は動きづらそうにもかからわらず、埃や汚れがついていない。皺すらない。

 この水路でこの衣装を保つことの異常性を彼は感じている。


 ヤギの彼女は、一礼して椅子に座った。

 ハッピートリガーの入れた酒を、遠慮なく呑む。


「……これ、すごくおいしいですね」


 彼女の第一声がこれである。

 挨拶みたいなものかと思ったが、お世辞でもなく本気で言っている様子だ。

 話をする前に「もう一口」と流し込んでいる。一口で空にして、ヤギの獣人たちがケルピィを見た。


「こちらの方々は?」

「ヘイラードっつう国の兵士たちよ! 福音ちゃん、知ってる?」


 ケルピィは「それが普通は最初だろ」と感じたが、今さら言っても仕方ない。

 言われた女性は首を横に振った。


「片田舎の小国など私の知るところではありませんね。あなた方はどうして彼らと? 群れるのが好きになったんです?」

「ウッサァ! 痛いところをつくねぇ! おいらたちにも事情ってもんがあるんだよ。福音ちゃんはその様子だと入ってすぐだ! そうだろ!」

「ええ。今朝に入ったばかりです。道が入り組んでいて進みづらいですね」

「でった! 福音ちゃんの方向音痴! どうせまた道に迷って帰れなくなるんだ! 神様も思わず苦笑い!」

「――黙れ、野兎が。煮詰めて配給するぞ」


 ドスのきいた声だった。

 丁寧に喋っていたが、こちらが地のようである。

 周囲の兵士は彼女の声にビクリと震えたが、ハッピートリガーはウサウサ笑っている。


「福音の。外を見てこい」


 慚愧一閃が一言だけ告げ、出入り口の階段を示した。

 他に一切の説明がない。


 ケルピィも慚愧一閃の勧めに同感である。

 口であれこれ説明もできるが、まず見てもらえるなら見てもらった方が話がずっと早い。


 ハッピートリガーと慚愧一閃の二人は、話が先だったので時間がかなり取られた。

 さすがの二人も外を見たら驚いていたので、彼女も同感だろう。


 彼らがここに入るときは、周囲に何もないド田舎だったらしい。

 大きな入口がどこからともなくせり上がってきて、話題になっていたとかだったようだ。

 ところが今のこの出入り口は、片隅とは言え王都の一部に繋がっている。何もかもが知っている光景と違う。


 ケルピィとおもしろがっているハッピートリガーが付き添い、彼女を外に案内する。

 彼女の予想を裏切らない反応に、ハッピートリガーは大笑いしていたし、ケルピィも少しだけ疲れが紛れた。


 その後は、また水路のテーブルで説明をおこなう。

 質問も出てきたが、大人しく聞いてくれるのでケルピィはそれだけで助かる。


「事情はわかりました。それで――座して成り行きを見守るのですか? 行動しなければ、変化は見込めません。こちらから攻めこむべきではないですか」


 先ほど地の部分を見たが、このヤギの彼女は丁寧な所作で隠しているようだが、中身はかなり好戦的で挑戦的、イケイケである。

 安い挑発だが、酒を呑む二人にはそこそこ効いているようである。

 ここで席を立たれても困るので、ケルピィがフォローに回る。


「その点についてはこちらの問題があったんだ。実力のある奴が、大急ぎでここに向かってるんでね。二人には急ぐ気持ちをどうか堪えて、待ってもらってるところだよ」


 ケルピィが事情を説明した。

 ここにいる戦力だけでは奥の魔物には対抗できない。

 西のハムポチョムキキ平野にいる隊員を呼び戻せることになったので待っている。

 性格にこそ難はあるが、あの平野で戦い抜けるので、おそらくこの二人とも肩を並べて戦えるとケルピィは踏んでいる。


「福音さんも一緒に行きません?」


 ハッピートリガー、慚愧一閃、さらに戻ってくる隊員、そこに彼女も加われば戦力になる。

 ケルピィは当然のように彼女も誘った。


「私は一人で――」

「死んじゃうよ!」

「死ぬぞ」


 すげなく断ろうとした彼女の声を潰すように、獣人の二人が言う。

 ハッピートリガーは冗談が混ざっているが、慚愧一閃からは嘘の欠片も感じられない。


「おいらのペンダントが切れたって言ったら信じる?」

「一閃できぬ魔物もいた」


 二人がそれぞれ事情を口にする。

 これはどちらも真剣な様子であった。


 どちらも彼らの代名詞たり得るものが通用しなかったことを示している。

 福音もその真意に気づき、考えを改めていく。


「……今回だけ、“特別に”同行してあげましょう」

「はい! ボトル入りまーす!」


 座るや否や、ハッピートリガーが瓶を開けて酒を注いでいく。

 ヤギの彼女も当然のように受け取り飲み干す。



 けっきょく追加の隊員は間に合わず、四人の飲み会は夜まで続いた。




 ―― ―― ――




 さて、駆け出しのトレジャーハンターが突然現れた迷宮に足を突っ込んでいた。


 彼女は頼りになる仲間たちと潜ったが、魔物にやられて彼女以外はみんな死んだ。

 ウィッチという魔法使いっぽい名前であるが、バリバリの前衛職である。

 泣くことにも疲れ、それでも死ぬのは嫌で逃げていた。


「私、おいしくないから! おいしくないから!」


 ヘドロの集合体からウィッチはひたすら逃げている。

 水の中からも触手が伸び、ウィッチの足を掴んだ。ウィッチはバランスを崩し、無様にこける。


 必死に触手をどかしたが、すでに道の両側は魔物が迫っている。

 水路からも魔物がゆっくりと湧き上がっていた。


 彼女は逃げ道を塞がれ、壁に後ずさりした。

 逃げるタイミングを計っているが、今度ばかりは難しそうである。

 背中をつけた壁は、壁ではなく格子状になっているが、びくともしないので逃げ道にはならない。


 絶体絶命の中で彼女は、今までの思い出がよみがえった。

 小さい頃から憧れたトレジャーハンター。体を鍛えた少女時代。

 村を出て、訪れた街とそこで得た仲間たち、初めての迷宮での失敗の数々……。

 そして、その仲間達の死に顔。昨日まではこんなことになるなんて思ってなかった。


「誰かっ! 誰か助けて!」


 ウィッチは一人の少女に戻り、外聞も気にせず叫んだ。

 ただただ生き残りたかった。


「aejoru, aorjagoa」


 男の声だった。

 ウィッチの聞いたことのない言葉で、すぐ背後からその声は聞こえた。


 魔物の動きが止まっている。

 ウィッチも何が起きているのかわからないが、躊躇いつつも背後を見た。


 黒い格子の向こう側に誰かが立っていた。

 格子に隠れてウィッチにはよく見えないがおそらく男である。


 男が格子を掴むと、格子はぐにゃりとねじ曲がった。

 格子が人の通れるほどにねじ曲がると、その男は格子の中から出てくる。


「pifajdfa? dkfjaofjpadfa?」


 男はウィッチに話しかけてくるが、ウィッチは聞き取ることができない。

 やや困った様子で男も首をかしげている。


 視界の隅でヘドロの魔物たちが動いた。

 男の着ている服は、はっきり言って一般人の服装だ。

 とてもじゃないが迷宮に潜ることを専門にしているものではない。

 街で食べ物を売っているか、畑でも耕している方が遙かに似合っている。


 先ほどはヘドロの魔物たちが止まっていたが、偶然だったようだ。

 ヘドロの魔物はまたウィッチたちへと動き始めた。


 ウィッチも考えがまとまらない。

 いきなり現れた男は強そうに見えないが、格子をぐにゃぐにゃに曲げていた。


「助けて」


 ウィッチのとりあえず出てきた言葉は、男にも伝わったようである。

 男は魔物に手を伸ばした。少なくともそれ以上のことをしたようにウィッチには見えない。


 ヘドロの魔物たちがぐにゃりとねじ曲がった。

 まるで雑巾を固く絞られるように捻られ、声の代わりに体を細かく震わせて消滅していく。


 魔物が消滅した後で金色の筺が現れる。

 美しい黄金色だった。


 死んでいった仲間達とこれを手にすることができれば、どれほど……。

 ウィッチの思いは暗い地下水路に消えていく。


「あーfjajdaf, これa;jfdlajfajij?」


 男は頭をぐりぐりと弄っている。

 ウィッチは男の声が少しだけ聞き取れた気がした。


「koれ,doう, this, tigaう。こうだ、こうかな? 聞き取れる?」

「あ、はい。聞き取れます」


 男は満足そうに頷いた。

 金色の宝箱を持って、手でぐりぐりと弄っている。


「曲がらないな。――これが何かわかる?」


 いきなりの質問にウィッチは戸惑った。

 しかし明らかである。


「お宝です」

「……宝?」

「はい。迷宮で魔物を倒したんですからお宝が出るに決まってます」

「…………そうなの? おもしろい発想だね」


 おもしろいと言いつつも男は興味をなくしたようで、お宝をウィッチに渡した。

 ウィッチは複雑な気持ちになりつつも、金色の筺を受け取る。


「遅れましたが、助けてもらってありがとうございます」

「ああ、うん、それはどうでもいいんだ。それより君は……えっと名前が――」

「ウィッチです」

「そう。ウィッチは竜を見てないかな?」


 今度の質問はウィッチも意味がわからなかった。

 竜というのはどんなものか知っている。空を駆ける全ての魔物の頂点だ。


「竜が、この迷宮にいるんですか?」

「いるよ。あちら側にはいなかった。間違いなくこちら側にいる」


 男は確信に満ちた声で答えた。

 先ほどまでは人畜無害そうな顔をしていたが、竜を語る顔にウィッチは思わず一歩引いてしまう。


「うまく隠れてて今までまったく気づかなかった。何が起きたのかなぁ。すぐ近くにいる。そんな雰囲気を感じる。どこにいるんだ。倒せば1上がるかなぁ」


 ウィッチは明確に男が怖くなった。

 男の笑顔は歪んでいる。竜など簡単に捻り殺せるといった様子だ。


「僕は竜を探すけどウィッチも一緒に来る? 話も聞きたいしね。運が良ければ歴史的瞬間に立ち会えるかもしれないよ。……でも、君はお宝の方が好きそうだね。そっちは興味がないから勝手に取って良いよ」


 実を言えば、ウィッチはこの男とは一緒には行きたくない。

 物腰は丁寧で、手も出してこないが、それ以上の歪みを男から感じる。

 しかし、ここに一人でいても死を待つのみであることは間違いない。今度こそ助けはこないだろう。


 それに、宝を好きに取れというのも魅力的だ。

 先ほどまで仲間の死を嘆いていたので、自分が薄情だとウィッチは思った。

 だが、死んでしまった彼らのためにも、生き残った自らが宝を持ち帰らなければならない。

 別にそんなことはないはずだが、謎の意識に駆られてウィッチは男の提案に頷いた。


「一緒に行かせてください。――お名前は?」

「……あれ、言ってない? ああ、ごめんね。名前を言ってなかったね。僕はアピロ」


 「よろしくね、ウィッチ」と男は微笑んだ。

 その微笑みがどこか空々しい。



 二人はそれぞれ竜とお宝を求めて歩き出した。


 イベントが間もなく始まろうとしている。

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