6.信頼度レベル
アセンドス三世は、変わり果てたセリーダを見て膝から崩れ落ちた。
変わり果てたと言っても死んでいるわけではない。
きちんと鼻と口で呼吸しているし、手と足も全て揃っている。
ただ、アコニトが拘束され、セリーダを汚染していた毒が抜けた。
催眠が切れ、セリーダはハテノ鉱山で彼女が何を失ったのかを思い出した。
生まれてから甘やかされ尽くした彼女は、悲しみに耐える術を持っていなかった。
天真爛漫が代名詞だったセリーダの陰鬱な現状を、アセンドスは直視できずにいた。
何かをしてやりたいが、何もしてやることができない。
家臣相手であれば、気持ちのこもらない励ましをいくらでもかけられる。
しかし、最愛の娘に心ない対応をしたくはなかった。
帝国でもっとも大きな力を持つ王は、娘相手にできることがない。
それどころか彼女を窮地に立たせてしまったのはアセンドス自身だった。
自らが視察に行ってみよ、などと言わなければ……。
後悔がアセンドスを支配している。
しかし、後悔に苛まれど彼は一国の王である。
王としての責務を果たさねばならない。
さしあたり、セリーダと同行していたという人物と話す必要があった。
謁見の間には、王と数人の文官、武官が並ぶ。
広さに対して人の数が足りていないのは客観的な事実であるが、忙しい時期にしてはよく集まった方と言って良い。
ただ、集まった高官たちは戦争前ということで、余裕がなく剣呑な面持ちである。
一方、立場を入れ替えて木村である。
元々が陰キャな帰宅部なので、こういった公式の場には慣れていない。
運動部の壮行会でも、応援サイドでぼんやりしていた。
木村の緊張は誰から見ても明らかだった。
逆に木村の側に立つおっさんはあまりにも堂々としすぎている。
もしも彼が玉座に腰掛けたとしても、風格だけは認められるだろう。
なおアコニトもいる。
口には猿ぐつわを噛まされ、両手、両足に魔法を付与した枷を嵌められ、両隣に兵士が付いていた。
兵士の手には剣が握られており、その刃はアコニトの首にかかっている。
まごうことなき罪人である。
「此度の一件はすでにケインから聞いておる。大義であったな」
アセンドス三世が労いの言葉をかけた。
この場を借りての質問もいくつかあったが、全ておっさんが返答した。
「なぜあの場にいたのか?」
「キィムラァと修行中であった」
「魔物を倒したのは誰か」
「キィムラァでございます」
「セリーダをあのような状態にしたのは誰か」
「女狐でございます」
このような質疑応答が淀みなくおこなわれている。
回答の度に、女狐が暴れるので抑える兵士達は気が気ではなかった。
おっさんの言にいくつかの嘘が混ざっていることを王は感じたし、知ってもいた。
まず、おっさんと木村が修行でハテノ鉱山にいたのは疑問だ。
あの鉱山一帯は、魔鉄鋼が産出されたと聞いてから立ち入りを封鎖していた。
ただ、その前からいたと言われれば、そうかとしか言えない。
魔物を倒したのは木村とおっさんは言ったがこれは嘘だと王も側近も結論づけていた。
魔物が出たのは間違いないだろう。
ハテノ鉱山に魔物の痕跡はあった。セリーダの口からも同様の言が出ている。
ただ、木村からは魔力反応がほぼない。武器も持っておらず戦えるようには見えない。魔物を倒す術はない。
彼の師を豪語するおっさんの方は、ただ者ではない気配があり、ケイン騎士団長も実力が測りきれないと評価している。
実際に魔物の大半を倒したのは、このおっさんであり、弟子か何かである木村に箔をつけたいがための言だと、王は判断した。
セリーダについては説明を受けるまでもなかった。
「セリーダの護衛に関して、二人には褒美を出そう」
「ありがとうございます」
おっさんは美しい動作で礼を示した。
木村も倣って礼をする。
「そこの魔物は処刑し、死骸を街中に晒すこととする」
「ありがとうございます」
こちらもおっさんは美しい動作で礼を示した。
女狐は体をよじらせ暴れる。
これには木村も困惑する。
「キィムラァよ。何か言いたいことがあるなら申してみよ」
木村の困惑を見た王が、彼に発言する機会を振った。
「えーと、あの……」
こう言った場に慣れてない人間特有の「えーと」で始まった。
発言のたびに「えー」が出てきてしまう。
このような冗長語をフィラーと呼ぶ。
フィラーが多いと、話がまとまらず、聞き手に自信のなさや話の虚偽を感じさせてしまう。
「えーと、アコニトは確かに変な葉っぱを吸ってるんですが、魔物の大半を倒したのは彼女なんです」
王は黙って聞く。
ハテノ鉱山で死んでいた魔物から、女狐と同様の毒が検出されていたことから実はわかっている。
なお、護衛の大半を殺したのもアコニトということを木村は伏せていた。
「えーと、それと彼女が王女に毒をかけていたのは、えー、兵士や魔法使いの人たちが死んでしまって、セリーダ様の心が壊れるのを防ごうとしてのことなんです」
王もこの言葉に理解を示した。
今のセリーダは近いうちに壊れてしまうのでは……、と王も感じていたところである。
一方で擁護される女狐は木村の言葉に理解を示さなかった。
彼女がセリーダを毒牙にかけたのは、王女の心などどうでもよく、そのほうがおもしろそうだったからだ。
純真な少女が汚れ、堕落していく様を見るのはアコニトの数多くある楽しみの一つであった。
「えー、王女を帝都へ送る途中でもアコニトの力が必要になりました。えっと、道で出た魔物も彼女が倒しましたから」
しどろもどろではあるが、木村は言葉を紡いでいく。
ちなみに道で出た魔物とは、道ばたの「試練の塔」や「祠」で出た魔物であり、普通の道に魔物が出てきたわけではない。
「えー、アコニトの言動はとても擁護できるものではないんですが、えっと、僕自身も彼女に何度か助けてもらいました」
これは事実である。
アコニトの言動は擁護できるものではない。
王女に催眠をかけ、自身は葉っぱを吸い頭がくるくるぱーだ。
しかし、☆5の力は確かで、魔物を倒すことだけはちゃんとしている。
本当にそこだけだったが……。
「えー、その、だからですね、――なんとか彼女を助けてあげられませんか。僕には彼女が必要なんです」
主に彼女の力が――と続くのだが、そこは言葉になっていない。
ようやく木村は彼の言いたいことを言うことができた。
言ったものの王からの返答はない。長い沈黙が続いている。
まるで時が止まっているかのようだった。
「おい、キィムラァ。アコニトの信頼レベルが上がったぞ」
先ほどまで直立していたおっさんがすたすたと歩いている。
周囲は誰も何も言わず、見とがめるものすらいない。全員が直立不動だ。
時は本当に止まっていた。
「あの間抜け顔の女狐を見るんだ」
木村が振り返ってアコニトを見る。
彼女はポカンとした表情で木村の方を見たまま固まっていた。珍しい表情だ。
「意識しろ。お前さんなら見えるはずだぞ」
いつもの感覚だ。
一度目を塞ぎ、ゆっくりと開く。
“信頼度レベル”と書かれた枠が表示され、枠の隅に赤い点が付いている。
変更があったことを示す点だと木村は判断した。
信頼度レベルをタッチすると、ゲージが出てきた。
ゲージが右端まで一気に達し、レベルアップという文字とともにゲージがリセットされる。
下の方には別の文字が書かれている。
“信頼度レベル5で次の報酬をゲット
「アコニトの安めの葉っぱ」”
木村は心の底から要らないと思った。
信頼度のゲージが消え、おっさんが元の位置にすたすたと戻っていく。
「…………どこを見ておるのだ、キィムラァよ。」
王が木村の名を呼んだ。
慌てて、木村は視線をアコニトから王へと戻す。
「魔物は全て処刑――帝国の方針だ。お主はセリーダを案じてくれておるな」
「えっ……、あ、はい」
急に話が変わったので、木村は理解するのにゆっくり一秒はかかった。
セリーダの心が閉ざされるきっかけを作ったのが、木村自身であったことも大きい。
木村もセリーダの心については心配している。しかし、積極的に何かをしようとは思っていない。
「余は、お主が魔物の肩を持ったことは聞かなかったこととする。良いな」
王の周囲に控えている人物はみな目を軽く伏せて肯定を示した。
これ以上は詮索してやるなと、暗に王は部下へ伝えている。
「王の寛大なるご配慮に、私も木村同様に深く感謝いたします。どうかこの女狐はひと思いに処分してしまってください」
王の気遣いにおっさんが応えた。
「むぐがっ! がげががっごがが!」
アコニトが暴れ回る。
「貴様! 化けて出るからな!」と木村は聞こえた。
「連れ出せ!」
「むごっ! むがご!」
暴れるアコニトが謁見の間から連れ出されようとしていた。
木村は何かできないかと思ったが何もできないと悟ってしまっていた。無力である。
ピッピコーン!
文字にすればそんな音が謁見の間に鳴り響いた。
王を始め、部屋の全員が動きを止め、音のした方を見る。おっさんである。
「お、手紙が来たぞ」
おっさんの気の抜ける声が謁見の間に響いた。
いつものようにポケットからしわくちゃになった封筒を木村によこした。
ここで見ても良いものなのかと思ったが、おっさんは読めという目で見る。
王も何かあったのかという目で木村を見る。
木村は衆人環視の中で手紙を開け、書かれている文字を読む。
「“本日から討滅クエストが開催されます。強大な敵に挑んで貴重なアイテムをゲットしましょう”」
木村によって告知された内容の意味を、正しく理解できた帝国の人間はいない。