32.イベント「しゃぼん玉われた」5
32.イベント「しゃぼん玉われた」5
木村はラウンジでお茶を飲み、優雅な時を過ごしている。
正面からややずれた位置にアコニトが座り、彼女もまたのんびりとしていた。
イベントのボスはすでに倒されている。
デイリーすら発生しないのでやらないといけないこともない。
さらにはカクレガにもアクセスできないので、製作や訓練、地図の確認、キャラとの交流、食料の確保などと一切のことから解放された状態だ。
小川のようにゆっくりと時間が流れていき、木村はその流れに体をぷかぷかと浮かせている。
天井を漂う泡の一つに自らがなったと錯覚するほどだ。
「泡が……、多い」
ぼんやりと天井の一角を見ていたのだが、泡がぷくぷくと溢れていた。
天井全体をゆっくりと見回しみる。全体的に見ても、後方の車両より泡の数がずっと多い。
「ふわふわと気持ちよさそうだぁ」
アコニトも木村の声につられたのか、天井の泡を目で追いかけ始めている。
この列車の先頭車両の煙突からも泡が出ていた。車両の中にも泡がこんなにもたくさんある。
さらに言えば、今回のイベントは「しゃぼん玉われた」で、これらの泡はしゃぼん玉ということだろう。
「なんでしゃぼん玉が?」
今までここはそういうところなのだと思い込んでいた。
思い込むというよりも、他のことで頭がいっぱいでしゃぼん玉にまで気を回す余裕がなかった。
しかし、時間やイベントから追われることもなく、ぼんやりとうつつを抜かしているとどうしてこんなに泡があるのか気になってくる。
「おぉい、坊やぁ。余計なことを言うなぁ。儂まで気になってきただろぉ」
アコニトもややそわそわと天井の泡を見始めている。
そもそもここの機関部はどうなっているのか。魔法なのは間違いないだろうが、何がどうなったら煙突から泡が出るのか。
なぜイベントのタイトル名は「しゃぼん玉われた」なのか?
今まで棚に上げていた疑問がようやく目の前に降ろされてきた。
そして、その答えは遙か遠くではなく足を伸ばせば届くところにある。
「ちょっと……見に行ってみる?」
「いいぞぉ」
ここでごちゃごちゃ考えたり、下手な議論をするよりも先頭車両まで見に行った方がずっと早いし間違いがない。
木村が席を立てばアコニトも立ち上がり、前方の車両へ向かうために扉を潜った。
そして、進んだ先で乗務員が木村とアコニトを待ち構えていた。
「大変申し訳ありませんが、この先はお通しできません」
そりゃそうだ、と木村も頷く。
先頭車両どころか、二両目にあたる一号車の乗務員専用車の手前で丁重にお断りされた。
「戻ろうか」
木村が早々に諦めてアコニトを向くと、彼女は紫の煙を乗務員に吹きかけた。
乗務員が膝から倒れるところで、彼女は乗務員の頭を掴み、廊下の曲がった部分まで移動し床に転がした。
「……何やってんの?」
「ここに置いておけば、他の乗客からは異常に気づかれんだろぉ」
「いや、そういうことじゃなくて。なんで煙を吹きかけたの?」
「おぉい、坊やぁ。儂はどこぞの中年と違って暴力は好かんぞぉ。こっちの方がスマートだぁ。ん?」
「いや違う。それ以前の話。なんで倒れさせるの?」
「ん~? あぁ……。坊やはこの先がどうなってるか見たくないのかぁ?」
確かに見たい。
しかし、乗務員を煙で眠らせてまで見たくはない。
駄目だと言われたなら素直に諦めて、お茶を飲みつつ想像に花を咲かせば良いだろうと木村は思っていた。
「“これをしよう”と決意したのなら、実現できるよう手を尽くすべきだぞぉ」
おっさんみたいな道徳的な台詞がアコニトから出てきてしまった。
それ以前の倫理観がまずおかしいので、迷惑な決意表明である。
「ほれ、行くぞぉ」
アコニトが乗務員専用の扉を開けると、こちらも通路になっており、同じように部屋が分かれている様子だ。
泡の数がさらに増えていた。天井は泡で埋め尽くされ見ることができない。
部屋の扉の上辺まで泡が重なって下りてきている。
通路をまっすぐ進めば、機関車両への扉があった。
他の車両との扉と違ってかなり無骨で、見るからに重厚なデザインだ。
引いたり押したりではなく、銀行の金庫にあるようなくるくる回すタイプの輪が付いている。
「鍵がかかってる」
これは予想していた。
輪を回せば開くのだとは思うが、そもそも輪がロックされ回らない。
鍵穴がなくパネルみたいなのが付いているので、指紋か顔かで生体認証するのだろう。
「上から泡が出とるなぁ」
見上げれば泡だらけである。
その泡がぽこぽこと一定のリズムで下や横に押されている。
ときどき泡の隙間から穴が見える。どうやら通気口かパイプで機関車両と繋がっているようだ。
どうやらこれ以上は進めそうにない。
「戻ろうか」
「まだだぁ。儂の深淵を引き出せぇ。あの隙間から中を見てくる。あちら側からなら開くかもしれんぞぉ」
深淵を引き出せというのは、スペシャルスキルを使えということだ。
アコニトのスペシャルスキルは、彼女自身を毒の霧として化して全てを溶かすというものである。
もはや毒というより酸とかそのあたりなのだが、いちおう判定としては毒らしい。
そのため毒無効には効かない。全てを溶かすとはいったい?
本来の力だと毒を超えた何かになるようだが、その水準に達するには少なくとも限界突破が必要となる。
限界突破するには材料がまだまだ足りていない。
「列車を溶かしちゃわない?」
「ここの作りは頑丈だから問題ないぞぉ。それに儂の深淵なら少しは操作できるからなぁ」
「わかった。やってみよう」
木村は意識を集中させ、アコニトのスペシャルスキルを発動させた。
彼女の輪郭が徐々に曖昧となり、薄紫色の霧へ変化し、周囲に広がり始める。
上の泡が小さな音を立てて割れていき、薄紫色の霧が上に見えていた穴へと入り込んでいく。
しばらく待っていたが、扉には何の反応もない。
霧が上部から戻ってきて、アコニトの輪郭がはっきりし始めた。
「鍵は無理そうだった?」
「無理だぁ。開けられんぞぉ」
「で、中はどんなのだったの?」
「つまらんもんだぁ」
木村は続きを待っていたが、アコニトの言葉は続かない。
天井を漂う泡をぼんやりと見つめている。
「……戻って、茶でも飲むかぁ」
「え、え? 中の様子はどうだったの?」
アコニトは答えない。
何も言わずにラウンジの方へ戻っていく。
どうやらここではできない話だと木村は悟り、黙って彼女を追った。
ラウンジに戻っても、アコニトはお茶と酒を頼み、静かに飲むだけでなかなか語ろうとしない。
お茶に酒を注いで、香りを楽しみつつ口に含んでいく。
「それで、アコニト? 機関車両の中はどんなのだったの?」
声が届く範囲に人はいないのだが、木村は小声で尋ねた。
アコニトがカップを静かにソーサーに置き、ようやく口を開く。
「坊やぁ。儂はなぁ。ヒトの心をもてあそぶのが大好きだぁ。身の程を弁えぬ欲に溺れ、借りものの力にうぬぼれ、あがいたあげく達成できない無力さを嘆き、どす黒い復讐の炎に身を焦がす……。こういった感情への変化をうまく焚き付けられたときはなぁ。心がぷるっぷるに潤っていくのを感じるんだぁ。わかるかぁ?」
もちろんわからない。
わかったのは、いきなり最悪の告白が始まったぞくらいのものである。
「無様に踊らせた奴のすぐ近くにおってなぁ。息遣いや顔や体の動きを、見て聞いて匂って触って味わって――全身で余すことなく感じとってこそ楽しめるものだぁ。儂はそう思っとる」
そういえば前回のイベントで、敵キャラの近くで楽しそうに虐めていた。
頭を飛ばされたが、それでも指を突きつけて下卑た笑い声を幻聴で聞いたのを木村は覚えている。
「儂はなぁ。これでもヒトが好きなんだぁ。――わかっとるよ。ヒトにとっては迷惑極まりないと思っとるんだろぉ」
「うん。正解」
「正直者めぇ。だが、それで良い。ヒトとわかり合える神など、力を持ったヒトと変わらんぞぉ。儂らは、ヒトとわかり合えないからこそ神なんだぁ」
「……はぁ。よくわからないんだけど、けっきょくのところ機関部はどうだったの?」
文脈のつかめないアコニト哲学を聞かされていたが飽きてきた。
もしかして、自分を焦らして楽しんでいるだけなのではないかと木村は疑い始めている。
「儂の知る光のわんこもヒトが好きだぁ。愛で方こそ違うがなぁ」
光のわんことはダイニング車両で一緒だったケリドだろう。
彼女はあの最悪の料理の匂いを嗅いでいたが大丈夫だったのだろうか。
「わんこはこのことを知っておるのかぁ? しばし会わんうちに趣味が変わったかぁ、それとも――」
是非とも「このこと」について教えて欲しい木村なのだが、アコニトは語ろうとはしない。
アコニトのやや悲しげな横顔を見ると、木村も無理強いができない。
できるのは煙管に火を付けるのを止めるくらいだ。
ただ時間ばかりが過ぎていった。
―― ―― ――
時間を戻し、線路を遙か後方に移動して機関士のビッツである。
彼は機関車両の中で熊の魔物と対面している。
「ママ……」
見るからに異質な存在。
二本足でこそ立っているがほぼ熊だ。
東の方にいる半獣人をみたことはあるが、ここまで獣ではない。
怖くて後方を見ていないが、おそらく全ての問題はこの熊の魔物が連れてきた。
ようやく静かになってくれたのはいいが、終わりを告げる静寂だ。
この熊男こそがビッツの死そのものだろう。
「此筺是何?」
意外にも熊男が何かを呟いた。
ビッツが見上げれば、熊男はビッツなど眼中になく、周囲の操作盤を見ている。
「再問。此筺是何?」
熊男がまたもや口を開き、ビッツを見た。
ビッツの心臓が止まりかけた。その視線があまりにも破壊的なものに感じたのだ。
言葉がやや聞き取りづらかったが疑問形であり、熊男の目は列車の操作盤を見つめている。
「ここは操作室です!」
声が裏返った。
裏返ったことは自覚しているが、そんなことは気にせず彼はただ全力で熊男に返答をおこなった。
「操、作?」
「はい! この操作盤で、精気動力列車をコントロールしています!」
もうやけくそだった。
ただビッツは彼にできる説明を全力で行う。
熊男は言葉が通じないわけではなかった。
細かいニュアンスこそ伝えられないが、大きな意味や単語は理解してくれている。
それに想像よりもずっと話を真面目に聞いてくれている。後ろで酒を飲んでいた傭兵たちよりもよほど文明的だった。
体格の大きさと見た目の怖さとは違い、質問の節々から興奮らしきものをビッツは感じた。
興味に満ちあふれた子供のようである。
文化の違いがあるのか、列車の仕組み以前に列車の必要性のところから説明をした。
ビッツとしても、これで合っているかはわからないし、とりあえず彼として考えているところを告げた。
ひたすら熊男と話をしていた。
終わってみれば一瞬に感じたが、間違いなく時間としては長かっただろう。
途中で列車の操作を行い、速度の調整やブレーキのかかり具合を披露し、熊男は精気の移動が見えているかのように目で追っていた。
「列車至里?」
ビッツもグ・ザマヒの言葉がだいぶわかるようになった。
「この列車はどこに向かっているのか」という問いである。
この問いにはビッツも答えられない。
すでにこの列車は、ビッツの知らない土地を走っている。
そのため、彼は彼の目標地点を言うに留めた。
「この列車は、泡吹列車を、追跡してます」
単語ごとに区切って話す。
助詞や助動詞はつけているものの、これくらいに区切れば熊男にも伝わることはわかった。
「我知泡吹列車。也在追」
熊男も泡の出る列車を追っていたようだった。
ビッツも思わぬところで話が繋がったように思えた。
「それでしたら――」
このまま泡の列車を追いましょう、と続けることはできなかった。
大きな揺れと振動が彼らを襲ったのだ。足が床から離れ、天井に体が飛んでいくことを感じる。
揺れと音の中でビッツは何もできず、目を瞑っていた。
音がまともに聞こえるようになり、平衡感覚も戻ってきたところでビッツが目を開けると茶色い地面が見えた。
足はまだ地面に付いていない。体に圧がかかっていると思い体を見れば、グ・ザマヒに胴体を抱えられている状態である。
「没有線路」
視線を上げれば、列車が見慣れた高さよりも低くなっている。
普段は見ることのない天井部分をビッツは見た。
列車が横転している。
なぜ横転したのかと、周囲を見渡す。
列車が引きずった跡を追いかければ、大きなくぼみが出来ており、その部分の線路がなくなってしまっていた。
線路がなければ、列車はまともに走れない。
当たり前のことである。
なぜ線路がなくなったかという問題もあるが、より大きな問題がある。
この後、どうするかだ。
ここがどこなのか、ビッツにはわからない。
見渡す限り近くには何もない。いかにもな荒野である。
見たこともない獣が、遠くからビッツたちを群れで眺めてきている。
「我追泡列車」
グ・ザマヒが「泡の列車を追う」と言っているのはビッツにもわかる。
しかし、追う手段がない。まさか走って追うわけではないだろう。
ビッツは地面に降ろされ、グ・ザマヒは列車に近づく。
彼が黒い車体に両手を触れさせた。
「ぇ……」
車体がゆっくりと浮かびあがった。
あまりにも意味のわからない光景にビッツも言葉を失っている。
物を浮かせる能力があることは彼も知っているが、これはあまりにも規格外だ。
彼の知っている能力者が十人やそこら集まったところで、この機関たる車体は浮くことなどない。
グ・ザマヒは浮き上がる車体とともに線路へ近づいていく。
「小片。見、位置。小片!」
グ・ザマヒが声を上げた。
小片というのはビッツのことである。
なぜビッツが小片なのかはわかっていないが、ビッツもとりあえず移動する。
彼は腰を屈ませ、線路と車輪の位置関係を見る。
車輪はどれも無事だ。あれだけの横転をして、どれ一つとして欠けていないのは幸運だ。
いや、あまりにも綺麗すぎる。
欠けるどころか、車軸の曲がりや歪みすら見当たらない。他の部品も彼が見る限り何も生じていない。
まるで何かの力によって衝撃から守られたような印象を受ける。
ビッツも、横転後はグ・ザマヒに抱えられていた。
最後の光景を思い返すなら、彼は天井に頭をぶつけたはずなのだが痛みはまったくない。
まさかと思ってグ・ザマヒを見た。
彼もビッツを見ている。
「位置、良?」
「あ、後方は良。前方が少し左、もう少し左……良」
ビッツは意識を戻して、車輪の位置を伝えた。
車体はゆっくりと降ろされていき、車輪も無事に線路に嵌まる。
操作盤に戻ると新たな問題が発生していた。
ビッツは顔を曇らせる。
「有問題?」
「精気が、ない」
ゲージが赤を指している。
これでは精気動力の起動ができない。
起動さえできれば、走行しつつでも精気は溜められる。
特に今回は牽引する車両もないので、走行中の精気不足を心配する必要などほぼない。
しかし、一番精気を消耗する起動時の必要精気が足りない。
黄色ならまだしも、赤の領域になっては精石による補給すらできない状態だ。
ステーションからの高出力精力の補給しか、起動はあり得ない。
当然ながら、ステーションは周囲にない。
ビッツも絶望的な現状をグ・ザマヒに伝える。
彼は補給位置を見せろと告げてきた。
「これですよ」
グ・ザマヒは見せろとは告げたが、彼は最初から位置がわかっているかのようにビッツよりも先に移動をした。
精気精製炉の扉は開き、中の精石が飛び出したのか空になっている。
奥に見える炉心は光を失い、ただの危ない棒だ。
「ちょっ! 死にますよ!」
グ・ザマヒが炉心の棒に腕を伸ばした。
炉心の棒は、起動中はもちろん危険なのだが、起動していないときでも精気を吸ってくる。
毎年、これに直接触って精気を全て抜き取られ、死ぬ奴が数人ほど出るのだ。
「良。起動」
グ・ザマヒがしばらく腕を引っ込んだ後に、引っ込ませ淡々と告げる。
どうやら少し精気を抜かれたようだ。残念ながら少しばかり精気が多くても、人の精気では純度も量も起動には及ばない。
ゲージを見せれば理解するだろう。
微動だにしていない針を見れば、グ・ザマヒも詰んでいることを理解するとビッツは考えた。
「え……、安全、領域?」
ゲージの針は赤どころか黄色も超え、満タンに近い位置にある。
「本当に? どういうこと?」
「起動」
グ・ザマヒの声で、ビッツは慌てて起動行為に入る。
右側に備えられたレバーを上げる。
「精気弁開放。――炉心、起動を確認。機関室への精気充填を確認。精石の投石に移る」
間違いなく百以上はこなした動作である。
各ゲージに動力が送られていることを指をさして確認する。
精気精製炉にまた戻り、扉を開けて、精石庫にスコップを差し込み、数十ほどの精石を炉に投入する。
扉を閉めて、すぐさま操作盤の前に戻る。
「炉心出力安定。各車両への精気充填に移る。車両ゼロ。主力確認に移る。出力開放二十パーセント。弁を固定。――固定確認。逆転器を前極端へ――逆転器確認。発車準備良し」
一通りの準備を済ませ、グ・ザマヒを見る。
「いつでも発車できます。合図を」
「我征! 発!」
ビッツの知っている合図でこそないが、彼は出発動作に入る。
「出発合図を確認」
彼は足のレバー踏む。
殺風景な荒野に力強い汽笛が鳴り響いた。
周囲で様子を見ていた獣や魔物の類いも音に驚き逃げていく。
「弁を開放。出力、二十五……三十……三十五。弁を固定。逆転器引き上げ――」
列車は大きな衝動もなく、スムーズに動き出していく。
しばらく速度が安定するまで操作を続け、大きな操作も要らなくなったところでビッツはグ・ザマヒを見た。
「是美的動行!」
グ・ザマヒの顔はビッツでもわかるほどに満足していた。
列車出発の一連の流れをよほど気にいってもらえたらしい。
ビッツも久々に機関士としての敬礼をグ・ザマヒに示す。
グ・ザマヒもビッツの動作を真似て、不格好な敬礼を返してくれる。
毛深い肌で、身長もずっと高く、力も意味不明だが、目だけはキラキラと憧れを抱いてビッツを見ていた。
ビッツは、自らがなぜ機関士になったのかを思い出した。
自らも子供の頃、機関士の人がかっこよく見え、今のグ・ザマヒのように敬礼を返した。
現実は夢見た頃のように楽なものではなかった。
厳しい試験、訳のわからない異動、クソみたいな上司……と、なる前もなった後も辛いことばかりだ。
挙げ句の果ては、傭兵たちを後ろに詰んでよくわからない列車にまで追いつくという、意味のわからない仕事まで飛んでくる。
おまけに謎の抗争に巻き込めれ、機関車両以外はどこかに消え去ってしまう。
機関車両だけになってしまったが、彼の大切なものはまだ乗ったままだった。
自らが子供の頃に夢見た――わくわくさせた乗客を運ぶ、そんなカッコイイ機関士になる。
彼は、今まさに夢見た機関士となって乗客を運んでいる。
列車は走る。
たった一人の乗客を、終点に送り届けるために。




