27.迷子
イベントのない期間が十日も経った頃だろうか。
朝、木村が休憩室にやってくると、おっさんとウィルが地図の前にいた。
「おはよう。……どうしたの?」
挨拶を軽く済まし、木村は何があったのかを尋ねた。
この二人が、そろって地図の前にいることなど滅多にない。
ウィルは製作室で図画工作に夢中で、おっさんはどこかを散歩している。
「見るんだ、キィムラァ」
おっさんが地図を指さす。
カクレガの赤い印が点滅し、その右下――南東に大きな町のアイコンがついていた。
「テファネル丘陵の都?」
書かれた文字を木村は読んだ。
どうやら次の目的地が明らかになったようだ。
「テファネル丘陵の都を、僕は本で見たことがあります。獣人が支配する街の中では最大級と書かれていました。こんなところにあったんですね」
木村は嫌な予感を覚えた。
帝国にしろ、神聖国にしろ、どちらも爆心地は中心都市であった。
次に滅ぶとすれば、その獣人が住まうテファネル丘陵の都になるのではないか。
「行ってみたかったです」
「……ん?」
要領を得ない発言に木村は戸惑う。
次はテファネルの都に到着するぞという話の流れではなかったのか。
「進路が変わったんだ。カクレガをよく見るんだ」
おっさんが地図上のカクレガを指さす。
「ほんとだ」
カクレガの赤点は、進路を直角に変え、南東ではなく南西に動いている。
その方向の地図はまだ真っ白のままだ。
ピッピコーン!
朝っぱらから聞きたくもない音を聞いてしまった。
ウィルもこの音に悪い印象を抱いたようで、彼が顔を引き攣らせたのを木村は見逃さない。
木村やウィルの心の内など知ったことじゃねぇと言うように、おっさんがにっこりと顔をほころばせつつ手紙を差し出してきた。
「“イベント「しゃぼん玉われた」開催予定!”」
どうやら第二弾のイベントが開催されるようだ。
開始は三日後であり、カクレガが進路を変えた原因もわかった。
ただ、イベントの名前が前回にもいやまして暗い。
前回と違い、難しい漢字を使ってないし、意味もはっきりとわかる。
意味がわかってしまうので、もうタイトルからして嫌な気配を感じさせてくる。
本当のメインストーリーがどんなものなのか木村は気になっている。
すごい暗い話が続いてるんじゃないだろうか、と。
あるいは逆にとても明るいかだろう。
メインストーリーとイベントストーリーは対照的なことが多い。
メインが暗ければ、イベントストーリー明るくはっちゃけており、メインが明るいならイベントはシリアスな傾向だ。
両方とも暗いというならシリアスで物語を読ませる傾向になるはずだが、イベントの話がおもしろくて仕方ないということもなかった。
そもそも木村は、メインもイベントもストーリーを追わない人間である。
戦闘がおもしろくて、キャラが可愛いならそれで良い派だ。
周回も楽で、ガチャがたくさん引ければなお良い。
もしも現実で、木村がこのソシャゲをしていたらどうなっていただろうか。
三日を待たずにアンインストールしていたに違いない。
特に最初はガチャがひどすぎた。
カクレガは南西に進んでいく。
具体的にどこへ向かっているのかも、何が起こるのかもわからない迷子状態である。
ただ、碌でもなくいことが起こるという確信だけが木村にはあった。
―― ―― ―― ――
さて、迷子になっているのは木村たちだけではない。
木村たちを追っていたダ・グマガ渓谷の熊人――グ・ザマヒもまた迷子である。
彼は南東に自身が駆ければ、すぐに対象へ辿り着けると考えていたのだが、すでに数日が経過してしまっている。
頼りの匂いがたどれない上に、魔力も探査することができない。
さらにカクレガは昼夜休まず動き続けている。
瞬間速度こそさほどないが、そこそこ速い速度で安定して進んでいく、加えてステルス性能が異常に高い。
熊人はすでに追うことに飽きて、帰ろうかとも何度か考えた。
しかし、せっかく渓谷の皆に鼓舞され外に出たのに、手ぶらで帰ったのでは彼の矜持が許さない。
それにときどき現れる謎の祠や塔で、対象の痕跡が見受けられることがあったのも彼を引き返すきっかけを失わせた。
彼自身も渓谷を離れ、こんなに遠くへ来たことは初めてである。
これ以上は帰るのも億劫になると考え、今日一日だけ追いかけて駄目だったら諦めようと考えている。
そして熊人ことグ・ザマヒは、テファネルの都にたどり着いてしまった。
ここまで来る間に、外の人の住処を彼は何度か見つけた。
さほども興味がなかったので無視していたが、このテファネルは雰囲気が違う。
他の住処よりもずっと大きく、見るからに人も多い。
なにより武具を手にした人が入口に数多く立っている。
ダ・グマガ渓谷で生まれ育ったグ・ザマヒは、他の個体と自らが違うことを理解している。
他の個体が、それぞれ強い縄張り意識を持つのに対し、グ・ザマヒはさほど縄張り意識がない。
入ってくる存在を排除しなければならないともさほど思っていない。
むしろ侵入者などあまりにも珍しいので、排除する前に自分を呼んで欲しいと思っているくらいだ。
「そこのお前! 止まれ! 止まらんか!」
獣人の兵士たちが、無造作に近寄ってくるグ・ザマヒを怒声と武器によって止めた。
グ・ザマヒも、言葉がうまく聞き取れてはいないが、彼らが自分を制止しようとしたことはわかった。
「何者だ? どこから来た?」
「ダ・グマガ谷」
ガ・ザマヒは最初の質問が聞き取れなかった。
次の質問で出身地を聞かれたことはわかったので答えた。
兵士は「は?」と顔をした後に、グ・ザマヒの姿を見直した。
身につけているものは、何かの魔物の毛皮だけである。
熊人に見えるが、体格が兵士よりもずっと大きい。
ダ・グマガ谷というのも兵士には聞き覚えがあった。
北西にある帰らずの渓谷が、正確にはそのような名前だったと記憶している。
「何かダ・グマガから来たという証はあるか?」
グ・ザマヒは首をかしげた。
うまく聞き取れていないだけであるが、見下ろされる兵士は恐怖を覚えている。
獣人である兵士は、狩られる側の恐怖が無意識的に生じた。
「我見欲、門内」
よく聞き取れないので、グ・ザマヒは彼の希望を告げた。
せっかくここまで来たので門の中が見たい。
もはやグ・ザマヒは、彼が何を追っていたのかどうでもよくなっていた。
都の中の方がよほど土産になる話だ。追っている対象も中にいればなお良いというもの。
「待て。しばし待て」
兵士の対応はマニュアルから外れたものであるが、彼は彼自身の生存本能に従い行動をしている。
彼は状況を説明するため、石の門扉のすぐ横に備え付けられた屯所に走って行く。
一方のグ・ザマヒも本能で行動している。
目の前の大きな石の板が、ゆっくりと動く光景が彼には新鮮だった。
手を触れずに物を動かすのは、彼の力に通じるものがある。ただ、これくらいなら押した方が速いだろう。
グ・ザマヒは自らの身長よりも数倍以上はある石の門扉に近づき手を当てた。
周囲の兵士は彼が何をしているのかわからず、田舎者とあざけりつつその光景を見ている。
石の門扉は、力学の仕組みにより動いているだけであり、獣人の戦技やスキル、魔法も使われていない。
戦技や魔法であっても、この石の門扉を開けることなどかなわない。
数多の侵略者を食い止めた壁である。
その壁から異音が生じた。
仕掛けの壊れる音なのだが、誰も聞いたことがないので何の音なのかわからない。
扉が仕掛け以上の速度で動き始めた。
しかも閉じようとしている方向と、逆の方向に扉が動きつつある。
数十年もテファネルの都を守った門が、一人の純粋な力によりこじ開けられつつある。
周囲の兵士も理解が追いつかず、門が開かれるまで誰もその場を動くことができなかった。
指揮官ですら、言葉を失って何も指揮をすることができない。
石扉を開けっぱなしにし、グ・ザマヒは都に足を踏み入れた。
沈黙を続ける兵士たちにかまうことなく、グ・ザマヒはテファネルの街並みを見つめる。
「多大、多精緻……。」
初めて見る大きくそれでいて精巧な街並み、色鮮やかな服を着こなす人々――、人が人らしく生きるための文化的な光景に、原始的な彼は興味が尽きない。
もしも彼がこの都に興味を失ったとき、この都がどうなるか?
テファネルの歴史は岐路に立たされていた。




