17.メインストーリー
木村には声が聞こえた。
子供のような幼げな声だった。
どこから聞こえたかも木村にはわからない。
ウィルを見るが、彼はスィミアをジッと見つめている。
『悲しいの? 怒られたの? 虐められたの?』
「誰?」
やはり木村には声が聞こえる。耳ではない。頭に直接語りかけてくるようだった。
声をかけて周囲を見るが、喋っている人物はいない。
「聞こえたのか、キィムラァ」
「え、うん。いったい今のは誰の声? 頭の中に聞こえてきたようだけど」
どうやらおっさんにも聞こえていたようである。
空耳でないことに安堵し、おっさんに聞き返した。しかし答えは別のところから返ってきた。
「おぉ、ついに坊やも聞こえるようになったかぁ。儂もよく聞こえておるぞぁ」
アコニトのは葉っぱのキメすぎによる幻聴だろうが、木村は違うと強く表明するところである。
ただ、おっさんの様子がいつになく真剣なことに気づいた。
『泣かないで。キミが泣いてると、ボクも悲しくなってくるよ』
謎の声も泣きそうに声を震わせ始めている。
『ほら、顔を上げて。涙を拭いてよ』
スィミアの啜り声が少しずつだが収まりつつあった。
謎の声の語りかけが、効果を示しているのだろうと木村は判断する。
「ほぉれ、どうしたぁ、もう泣かんのかぁ? 顔を上げてみぃ。泣き顔を儂に見せるんだぁ。ぎへへぇ、ぎひぃ」
いまだに異変に気づいていない様子のアコニトが、蹲っていたスィミアに顔を近づけている。
葉っぱも吸っていないのに顔がひどく歪んでいるのは、心の歪みの現れだろう。
『キミをいじめていたのはコレかな?』
「………ぅん」
スィミアが腕で泣き顔を隠しながら、小さく頷いた。
『嫌なヤツだな。――消しちゃおう』
声と同時に、アコニトの頭が消えた。
かんに障る笑い声の発生源が失せ、残響だけが遺跡の中をこだまする。
アコニトの首からは、彼女の血とも言える紫の煙が、全開にした蛇口から出る水のように噴き出している。
「ぅわっ! ……うゎぁ」
木村の無意識からの声は二つの驚きを秘めている。
最初の「ぅわっ!」は、アコニトの頭が突如として消え去ったことへの驚き。
次の「うゎぁ」は、頭が消え去ったにもかかわらず、アコニトの体がまだ動いている事への恐怖。
頭をなくしたアコニトは、スィミアを指さしている。
泣き顔を馬鹿にしているアコニトがそこにまだいるかのようだった。
声が出るはずもないのに、なぜかアコニトの下卑た笑い声が木村には聞こえてきた。これこそ幻聴である。
『しつこいヤツ! いなくなっちゃえ!』
アコニトの腕や、尾が、次から次へとどこかに消えさっていく。
限界が訪れたようでアコニトは地面に倒れた。倒れてからも消失は止まらず、最後は跡形もなくなった。
『ほら、虐めてたヤツはもういなくなったよ。元気出してよ。悲しいことも、怒られたことも、虐められてたことも消え去るくらい目いっぱい遊んじゃおう。ボクたちはもうトモダチ。そうだよね?』
「……うん」
スィミアは今度は首をより強く頷かせる。
『――良かった! 一緒に遊んで楽しもう! ボクに聞かせてよ。キミはどんな遊びがしたい?』
「……こんな世界、間違ってる。みんな、みんな。みんな! 消えてしまえばいいんだ!」
『ステキだね! やっぱりキミと遊ぶのはとっても楽しそうだよ! じゃあ行こう! ほら、一緒に!』
スィミアが立ち上がった。
泣きはらした顔には、怒りや悲しみ、憎しみといろいろな感情が混ざり合っている。
スィミアのすぐ側に何かがいる。
姿が見えず、魔力の察知もできない木村にはそれが何なのかはわからない。
ただ、とてつもなく良くないものだと感じ取った。
『さあ、ボクも手を貸すからね。邪魔するヤツは消していこう。ほら、あいつらを意識して』
スィミアが木村を見たが、その後すぐに視線をボローに移した。
異変を察知したボローが挑発スキルを使い、スィミアの対象を変更させていたのだった。
「消えろ!」
スィミアが叫び、手を向けるとボローの股間についていた棒が消え去る。
「消えろ。消えろっ! 消え去ってしまえ!」
ボローの体が先ほどのアコニトと同様に消え去った。
その勢いは先ほどよりも凄まじく、あっという間に体全体が消滅した。
彼の防御スキルは発動していたのだが意味をなさない。スキルそのものが消し去られてしまったいる。
「退くべきだろう」
ルルイエが木村の肩を掴んだ。
木村は不思議な光景を見た。目の前にいたスィミアが高速で遠ざかり、気づけば点になっている。
その点も消失したと思えば、周囲の景色が変わっていた。
古遺跡の中に立っていたはずなのに、次の瞬間には古遺跡の外でいたはずの遺跡を眺めていた。
隣にウィルはいるが、彼も木村と同じく唖然と古遺跡を見ている。
その古遺跡からおっさんが走って出てきた。
「追って来るぞ。カクレガに避難するんだ」
おっさんがすぐさま地面に手を突っ込んでカクレガの入口を開く。
木村やウィル、それにルルイエも乗り込んだ。
木村はカクレガに入るとき、古遺跡がちらりと視界に入った。
古遺跡の入口横の壁に穴が無数に空いていくのが見えたが、スィミアはまだ出てきていなかった。
カクレガが急発進し、謎の攻撃が来るんじゃないかと木村は怯えていたが追撃はなかなか来ない。
ルルイエが部屋の方へおもむろに歩き出したので、ひとまずの危険は去ったと理解し、木村たちも彼の後を追う。
部屋に入り、木村はボローが部屋の隅に立っているのを見て、とりあえず復活できたようで安心した。
アコニトの姿は見えないが、おそらく彼女の居室で復活しているのだろう。
ルルイエは地図の前に立った。
その後、彼は指である一点を示す。
「ここに向かえ」
木村がおっさんを見ると、おっさんが頷く。
カクレガの赤い点がゆっくりと、ルルイエの示した地点へと移動していく。
「いったい何がどうなってるの?」
木村がルルイエを見る。
ルルイエは答えず、ウィルを見るだけだ。
まるで「あれが何だったか当ててみせろ」と、教師が生徒に促しているようである。
「スィミアのすぐ近くに、異常な魔力の流れを感じました。その流れの中心点には魔力がありませんでした。まるで、そう――穴のようです」
ウィルは感じたことをそのまま述べる。
ルルイエは小さく首肯した。及第点だったようでウィルもほっと息をつく。
木村は首をかしげるだけだ。魔力を感じない彼には流れだの、魔力がないだのと言われてもさっぱりわからない。
「あの声は?」
「声?」
ウィルはわからないと首を振り、ルルイエを見た。
「君はあのときも声と言っていたな。私にも声は聞こえなかった。どんな声かな?」
「えっと、子供のような幼い声で、無邪気で、無垢で、どこか不気味な感じ。あ、それと耳じゃなくて頭に響いてた、と思う。あんなのは初めてだった」
ウィルはわかっていない様子だ。
ルルイエは口をつぐんでいる。
『こんな具合かな』
口を閉ざしたルルイエの声が木村にも聞こえた。
しかも古遺跡と同様に、頭の中に直で響いてきている。
「あ、これです。こんな感じ」
「……何をやってるんですか、これ?」
ウィルが指で頭を押さえている。彼にも聞こえているようだ。
彼の顔が今までで一番気持ち悪そうな顔になっていた。
『相手の頭に声を送り込んでいる。正確には声と言うよりは、声を示す魔力波のシグナルだろう。頭が声と錯覚しているだけだ。しかし、魔力の痕跡は見えなかった。別のやり方だろう』
「もうやめてください」
ウィルにしては珍しく強い口調である。
彼にもルルイエの声が頭に響いているのだが、声と共に頭を強く揺さぶられる感覚も味わっていた。
「普通はそうなるだろうな。君は何も感じないだろう」
「感じる? 何を?」
ルルイエに問われた意味が木村にはわからない。
木村がわからないことにルルイエは満足そうに頷いていた。
「声の主を穴と呼ぶなら、穴が彼女と何らかのパスを繋いだ」
「パスを繋ぐ?」
「一種の契約だ。君は聞いていたんだろう。彼女が何かに『うん』と答えた瞬間、穴と彼女との間に契約が結ばれた」
木村は思い出す。
幼い声が「トモダチだよね?」と尋ね、スィミアがそれに「うん」と答えていた。
「穴の性質を彼女も受け継ぎ、彼女もまた消失の力を得た」
「あれが消失なんですか? もっと違うものに感じましたが」
「いかにも。通常の消失であれば、わずかな時間だけ世界から魔力と存在を隠すだけのものだが、あれは消失の到達点とも言える。全てを隠し通し、世界から存在を消し去っていた。もはや――消滅と言って差し支えない」
木村はルルイエのテンションがよくわからない。
解説する口ぶりだけは楽しそうなのだが、顔はどんどん嫌そうな表情になっている。
「あの穴は触れた存在を否応なく消滅させる。周囲の魔力を自らに取り込み、消滅させることで自らを保っている。魔力が薄いところでは消滅させるものがないため存在を維持できない。おおよそこの世界では存続できない代物だ。あらゆるものを消滅させるが故に、消滅以外の力も行使できないはずだ。だが、契約をおこなっていた。消滅以外に唯一できることが他者との契約だとすれば、あの穴が彼女と契約を結んだ理由も推測ができる。まず、力を分け与えることで自らの消滅の力を低減する。さらに、契約者に力を行使させ周囲の魔力を奪い、自らの存在の継続をより安定させるためだろう」
ルルイエが一気に喋るが、木村は理解が追いついていない。
「要するに、穴と彼女は周囲を消滅させ続けるということですね」
ウィルのまとめに、ルルイエも「いかにも」と頷いた。
ようやく木村も理解できたが、ずいぶんと物騒な話だと感じた。
「彼女たちは追ってきてるのか?」
「いいや、こちらには気づいていない。より魔力が多い方へ移動している」
木村は安堵した。
しかしウィルは愕然としてルルイエを見た。
「教授……。まさか彼女たちは?」
「学園に向かっている」
ルルイエが地図の遺跡から学園へと指を這わせた。
その指を見ていた木村は、地図が以前と変わっていることに気づいた。
「扉の×が消えてる」
「どうやら結界を解いたことで扉が戻ったようだな」
しばらくぶりにおっさんが会話に復帰した。
緊迫感が一気に消え失せる。
「けっきょく扉ってなんだったの?」
「結界の奥に扉があった。結界を解き、魔力が流れ込み扉が起動した」
「そのとおりだ」
「素晴らしい理解だ」と、おっさんもルルイエの言を認める。
「……書物で、メシアン様が異界より出でし終焉なる魔物と戦ったと記載がありました。もしや終焉なる魔物とはあの穴のことだったのでしょうか」
「可能性は高い。終焉が無を示すのなら、全てを飲み込み消滅させるあの穴と契約者が該当するだろう」
あの穴が、終焉なる魔物と呼ばれていることは木村にもわかった。
「で、けっきょく扉は何なの? あの声は一体?」
「扉は扉だな。あの声は竜だ」
「…………竜?」
予想外の答えが返ってきて木村も聞き返すのに時間をかけた。
「ああ、竜だ。恐ろしい存在だ」
「竜って、帝都で見たやつじゃないのか」
「あれは大きい蜥蜴だ」
そういえば、あのときもこのおっさんは同じことを言ってたなと木村は思い出す。
あのときは議論をしている余裕はなかった。
「あんなの竜じゃない。何か、もっと違う化物だ」
今さら竜の議論をするとは、木村も思っていなかった。
古遺跡で出てきたような意味不明な化物を竜と考えているのなら、確かに帝都で出てきた竜は竜じゃないのかもしれない。
「ところで教授。僕たちはどこへ向かっているんですか?」
そういえば、目的地がおかしいと木村も感じていた。
学園とはまったく関係ない地点にカクレガは進んでおり、もうじき指定された地点に着く。
「爺さんが隠していた転移魔法陣がある。君を安全な地点に転移させる」
木村にとってありがたい話ではある。
消滅だかを使う化物などとは戦いたくなどない。
アコニトはおろか、ボローの防御すら一瞬で消されていた。
しかし、あの化物を無視して良いのか疑問が残る。
それに学園へ向かっているのなら、そちらが危険なのではないだろうか。
「教授、学園を見捨てるんですか?」
「学園には、君たちを送った後で私が行く。万が一にも検体を巻き込むわけにはいかない。これが優先順位の第一位だ」
ルルイエはしっかりと木村を見て告げた。
木村は釈然としないものを感じたが、礼は言っておくべきだと判断した。
「ありがとうございます」
「ウィル。君も彼についていけ」
「いえ、僕は――」
「こちらに来ても足手まといだ。彼を守るために力を尽くせ」
「えぇ……」
木村は少しだけウィルに同情した。
彼の拠点である学園には帰れず、訳のわからない自分たちに同行させられ、しかも守れとまで言われている。
「私はあの竜とやらに興味が湧いた。試してみたいこともある。近くにはいない方が良い」
「あぁ……」
ウィルは何か納得するように頷いた。
ちょっと残念そうに木村は見えたのだが、諦めているようにも見える。
指定された目的地にカクレガが着くと、ルルイエは部屋から出た。
「転移先は覚えていないが、爺さんが隠しているくらいだ。安全な地点だろう」
少なくとも今のここよりは安全だろうと木村も思う。
「私が外に出て、転移魔法陣を起動させる。君たちはここで待機していてくれ」
「わかった」
おっさんが開けた出入り口で彼は木村たちに告げる。
木村もすぐに返答した。
「教授。あまり無茶をしないでくださいよ」
「そうです。勝てそうになかったら、退いてください」
ウィルの声に便乗し、木村もルルイエを気遣ったつもりだった。
しかし、ルルイエとウィルが木村を見つめてくる。
見つめられて木村も「あれ?」と思う。これ、前にもあったやつだ。
自分が何か思い違いをしているのではないかと思い至った。
「また会おう」
ルルイエは木村の思い違いを正すこともなく外に出た。
閉まるカクレガの扉、徐々に消えていくルルイエの背を見て、木村は嫌な予感を覚えた。
ここまでの話の流れに、ある既視感を抱いたのだった。
パーティーに場違いなほど強い仲間がいて、敵にも負けず劣らずの化物がいる。
その化物から主人公たちが逃げる時間を稼ぐため、強い仲間が単身でパーティーから離れ、命がけで化物と戦う。
まるでシナリオの一場面――序盤でよく見かけるやつではないか。
そして、単身で残った奴はだいたい生き残る。
しかも、そいつが次に現れるときは、主人公たちの敵として現れるのだ。
木村はイベントストーリーにおいて大切なことを忘れていた。
大抵のソシャゲで、イベントはボスを倒してからが本番なのである。
ソシャゲならばアイテムを入手するため周回に次ぐ周回が始まるのだが、ここは異世界であった。
イベントボスが倒され、短い会話もあって、イベントはとっくに終わっている。
イベント終了後、木村が以前に思案した異世界版メインストーリーがシームレスに展開されていた。
メインストーリーの序章は、後にこう呼ばれることになる。
――グランツ神聖国消失事変、と。




