138.イベント「Happy unbirthday eve」15
西エリアにたどりつき、今は食事タイムである。
CP-T3から転がり降りたニネミアに、魔物たちは餌と言わんばかりに襲いかかった。
しかし、餌はニネミアではなく魔物たちである。
魔物たちの攻撃はニネミアには無意味で、ニネミアに触れた部分から消え去ってしまい、あっという間に死骸になっていった。
残った死骸をトリキルティスが切り分け、リコリスが炎で焼き、木村はカクレガから持ってきたスパイスをかけて調理する。
ほぼほぼ焼いているだけなので調理と呼ぶのもおこがましい。
「いける! 素材の味が伝わってくる!」
そりゃ、素材を焼いただけだから伝わるだろ、と木村も思う。
隣で一緒に食べていたトリキルティスが木村にもお裾分けと焼いた肉を出してくる。
「意外といけるよ、ね?」
「ん」
リコリスも言葉短めに肯定した。
食べ物に関して上手いも不味いも言わない存在なので珍しい。
ただ、おいしいということがわかっても、元の素材を知っているので木村には食欲がわかない。
元はムカデだ。しかも人並みに大きなムカデ。ぞわわぞわわと動くところを間近で見ていたし、今も霊体の残骸が周囲に転がっている。
魔物と言えば聞こえはまだ良いが、これはただの大型の虫と言える。
木村はどうにも見た目に抵抗があった。
「ゲテモノは上手いってのはやっぱり定番だね」
トリキルティスが楽しそうに話す。
慣れた手つきだったので過去にもこういった経験がありそうだ。
彼女の手にはムカデの焼き肉、しかも頭の部分のためか長めの触覚もついている。
木村の手はますます出なくなる。むしろ、背中に回したいほどであった。罰ゲームじゃないのか、これ。
「キィムラァくんが、食べないなら僕が頂戴しよう。――はぁー、人の手が込んでるのもいいけど、こういうのもいいねぇー」
ニネミアはご満悦だ。地べたに尻から足までを付けて、むぐむぐと木村の分まで遠慮なく食べていく。
ムカデの触覚が彼の口の端からにょろっと出てきていて木村は意識が遠くなる。
食欲はもはやゼロをくだり、マイナスにまでいこうとしている。
「懐かしいなぁ。ここから遠く西にあるテロデリアルへの遠征を思い出すよ」
「テロデリ……、どんな思い出があるんですか?」
木村の問いに、ニネミアは遠い視線を空に向ける。
伸びていた触覚が徐々に口の中へと吸い込まれ、彼はようやく口を開けた。
「僕がエルメラルダになる前だね。テロデリアル周辺――テロデリアルは当時の大国の首都とでも考えてくれればいい――に魔物が出てきて難儀しているから、鎮圧に手を貸してくれないかと要請があってね。友好関係もあったことから小規模の遠征軍として赴いたんだ。実際にはエーティルが受けた要請なんだけど、彼女がいつまでたっても行かないから僕が代わりに行ったんだよ、小規模だったのはそのせいだね」
はぁ、と木村も気が抜けた返事をする。
リコリスとトリキルティスは興味があるようで、木村よりも耳を傾けていた。
彼女たちも東日向の神として、魔のモノとの戦いは常であったため、場所と立場は違えど身近な話でもあった。
「僕たちがテロデリアルについた頃には、すでに都の防衛ラインは魔物によって突破されかけていた」
「えぇ……、大国なんですよね? 魔物に?」
木村が地面に散らばったムカデを示す。
確かに大きくて気持ち悪いが、強いかと問われると強くはない。
霊体だから木村たちには厄介だが、実体であれば勝負にならない。現地民でも魔法なしで倒せる強さのはずだ。魔法があればなお楽に倒せる。
「魔物と聞いていたんだが、ここにいるような可愛いものではなかったんだ。魔道も使えたし、言葉を解し、連携が取れていた」
「ほぉ」
リコリスが剣呑さを増した。
言葉を話す魔のモノに対する殺意が木村でもわかるほどだ。
「それだけであればテロデリアルも苦戦程度で済んだだろうが、魔物たちが奇妙な装具を着けていた」
「装具?」
「僕たちで言えば、剣や槍、それに鎧だね。わかるかな。魔物がそれらに該当するモノを着けていたんだ。ある程度の群れのトップクラスが着けていて、それぞれの装具が超常の力を発動できた。その装具の力により苦戦を免れなかったようだ」
木村に心あたりがあった。
そのような装具を創る奴の顔が思い浮かぶ。
しかも、場所がここから西の都市とくれば奴しかいない。創竜だ。
通常であればその装具について詳しく聞くべきところだが、あまり木村としても掘り返したい話ではない。
ニネミアに焦点を移して話をすることにする。
「『ようだ』と言われるからには、ニネミアさんはさほど苦戦はしなかったんですか?」
「しなかったね。この点に関しては黎明国として誇るべきことだが、彼らの使用する魔道や装具の力と、僕らの扱っていた魔道では質が違う。彼らの魔道は帝国で言うところの魔法に近い。便利なモノを軍事に転用してみました程度だ。装具においても同様。不可思議な力ではあれども力の方向性が元は軍用ではないと見えた。どうにでもなる。あのエーティルが出張らなかったのもそのあたりだろう」
「あの女はなかなかに戦略家だね」
リコリスが理解したようで頷いた。
言葉だけ聞けば褒めているようだが、雰囲気は変わらず剣呑である。
魔物の強さは黎明国基準で言えば弱い。
しかしながらテロデリアルからすれば力はずっと上である。
加えてエーティルは性分は戦好き。テロデリアルと黎明国の友好関係を好ましく思っていなかった。
故に彼女は、テロデリアルが魔物に滅ぼされるのを待っていた。友好国を攻めれば身内から後ろ指をさされるが、魔物に奪わせてから、その魔物たちとの戦を制するならば人道を外れず、堂々と戦って西方を黎明国の支配下における。
木村はけっきょくエーティルが戦略家であるの意味を理解できなかった。
この話は理解も深掘りもされず過ぎ去っていく。
「魔物は大したこともなかったが、それよりもあの時、あの場には喫緊の課題があった」
魔物の強さに関しては笑い話のような軽さで話したが、最後のところで急に真剣みを帯びた。
ここからが本題だと木村も身構える。
「まさか、すでに防衛ラインが魔物たちに突破されていたということでしょうか?」
「違う。――食べる物がなかったんだ」
木村もそういえばもともと食事の話だったと思い出す。
魔物との戦いの話になってきていたが、流れが変わってきた、というより戻ってきた。
「すでに理解していることとは思うが、改めて認識を一致させておこう。僕は人よりたくさん食べる」
「はい。わかります、とても」
朝からずっと食べているし、今もムカデ肉を食べている。
足は止まるが、手と口は止まらない。
そんな確認はいらない。
「遠征だから持って行ける食べ物も限りがあった。テロデリアルにつけば食べる物がたくさんあるぞと僕たちは考えていた。期待していたんだ。それがまさか、今にも防衛ラインが突破されかねないということで、到着したその日から、テロデリアルを通過して最前線まで連れていかれるとは思わなかったんだ」
「それは、そうかもしれません」
「そして最前線には当然として食べ物は最低限しかない。おいしい食べ物なんてもってのほかだ」
「そうでしょうね」
「それでも僕は食べたかったんだ。困難な状況でも、食べ物に関しては妥協したくない」
「そんなに……」
突破されかけている防衛戦に温かい食事を持ってきてくれる奴はいない。
それどころか食事すら怪しい状況だ。それでも温かくておいしいものが食べたいなら――。
ここでようやく木村も最初の話がどうして今の話に繋がるのかに理解が及んだ。
「え? もしかしてですけど、この食事が懐かしいと言われたのって、最前線で自給自足をしたとか? その食べ物ってまさか」
「そうだよ。襲ってきた魔物を食べた。大きかろうが、魔道を使おうが、言葉を話そうが獣は獣、虫は虫、鳥は鳥。食べてしまえばみな同じ。装具は外して再利用もできる」
木村はやや勘違いをしていた。
ニネミアは反戦主義者だと。反戦主義には違いないが有効範囲は狭い。
種族は人間に限ると判明した。人間以外は等しく食べ物らしい。獣耳の半人半獣はどちらに該当するか怖くて聞けない。
この点で言えば、木村は魔物でも言葉を話し、意志があればヒトと見なすので違う。
漫画やアニメの見過ぎと言えなくもない。
「魔のモノからしたら恐怖そのものだったろうね。死骸を晒すよりもずっと効果的だ」
木村とトリキルティスはニネミアにやや引いている中で、リコリスは楽しげに笑い、とうとう話に乗ってきた。
ニネミアもリコリスの話に頷く。
「なんとね。嬉しい誤算があった。腹に入ればみな同じと思ってたけど違ってたんだ。魔物たちの血肉を食べると力が湧いてくるじゃないか! 味だけじゃなくて、エネルギー源として彼らは極めて良品だった。僕の供をしていた魔道士だけじゃなくて、テロデリアルの兵士たちも力がぐっと増した。本当に不思議な生物だったね。僕たちと違って――血が緑色だったから。また食べたいなぁ」
木村は「ん?」と疑問が生じる。
独立していた話だったはずが、ここでの話や木村たちとの異世界巡りとも繋がった。
血が緑色――その特別な魔物ってもしや宇宙生命体の子孫かそれに該当する何かではないか、と。
「そこからは反転攻勢だよ。攻めて、食って、力をつけて、また攻めてでね。魔物たちも攻勢に出て最前線付近にいたのが裏目に出た。あの場にいた首領級を僕たちでほぼ食い尽くした。本ッ当においしかった! もっと食べたかったから陥落された西の地域にも出張って食い荒らした。そこからはテロデリアル周辺で魔物の目撃報告がなくなった。後から聞いた話だと、魔物たちが慌てて西に逃げていった様子が各地で見られたとか。もっといて欲しかったんだが……」
「くっ、ふふっ」
リコリスが震えている。
どうやら彼女のツボに入ったようだ。
木村としては笑い話ではなく恐ろしい話だった。
戦いの話が跡形もなくなり、食事の話に代わってしまっていた。
やるかやられるかの話が、気づけば喰うか喰われるかの話にすり替わってしまった。
食事どころか狩りの話だったようにも思える。そりゃ、自らが食べ物と見られるような地域に、知のある魔物は住まない。
もしかして魔物だけで無く、デモナス地域にいた魔物たちが東に出てきていなかったのは、ニネミアたちに食べつくされた過去があるからではないかと邪推してしまう。
真偽は不明として、青竜(宇宙生命体)とニネミアが接触することは避けるべきだろう。
『助っ人を確認』
声がした。青竜だ。
木村の心臓が驚きのあまりドキッと跳ねる。
まさに接触を避けようとした瞬間に、やってきてしまった。
木村の背後からふわふわと蜥蜴が宙に浮かんだままやってくる。
「おっ! おお! これはもしや!」
「違います! こちらは食べ物じゃないです! 青竜さんです。味方です!」
木村は慌てて説明する。
うっかりで食べられては困る。
「話には聞いていたが、なるほど君が――。僕はニネミアだ。今日は食事をしにやってきた」
その説明は間違っているはずなのだが、あながち全て違うとも否定できない。
朝から今まで食べ続けている。なんならこの後も食べるつもりでいる。
「青竜と聞いているが、君も食事を取るのかな」
『不要。現状、この体は食事を必要としていない』
ニネミアが手に持った肉を青竜に向けるが、青竜は淡々と拒否する。
木村は緊張している。ニネミアは穏やかそうに話をしているが口からの涎を隠しきれていない。青竜(宇宙生命体)を食べ物としてみている節がある。
しかも、青竜の見た目はニネミアから見ると人ではなく食べ物扱いで、中身はかつて味わった緑色のオリジナルが入っている(と思われる)。
宇宙生命体から見てもニネミアは(おそらく)子孫の仇ということになる。戦闘の勃発を防ぐため、可能な限り互いに距離を取るよう仕向けたい。
『助っ人の危険性はどの程度か?』
「けっこう高めです」
特に貴方にとっては、と続くのだが口にはしない。
『「けっこう高め」とはどの程度か、具体的な数値もしくは表現の提示を求める』
「えっと、彼に戦闘の意志はないのですが……」
戦闘の意志は皆無だが、食事の意志が強すぎる。
うっかり青竜食べちゃいましたともなりかねない。
「ただ、反物質? とかいうモノを出せるようです」
用語が正しかったかどうかを確認するためおっさんを見る。
おっさんは無言で頷く。
「反物質って知って……あれ?」
木村が青竜を向き直ると姿が見えない。
首をさらに回転させると、視界のぎりぎりのふちに青竜がいた。
『確認。「助っ人は反物質を出せる」。訂正の箇所は?』
「ないです。制御できるとは聞いていますが、……だよね?」
木村はおっさんをもう一度見た。
おっさんは頷く。
木村が青竜を見返すと姿がすでにない。
体ごと振り返れば青竜は背中を向けて、木村たちから猛スピードで離れていっている。
願ったとおりに青竜はこの場から離れていってくれたが、木村はかえって不安になってくる。
青竜は反物質が何かを知っている。危険性を理解しているからこそ、一目散に逃げたのだ。ニネミアの力は予想どおりに危険なもので間違いない。
「ハン物質ってなんだい?」
話を聞いていたリコリスがいぶかしげに尋ねてくる。
木村も説明に困った。木村自身もよくわかってない。青竜の逃亡を見る限りでは危険極まりないものだ。
「えっと……、クリーンで高効率なエネルギーと言えば良いんでしょうか。すごい力です」
「聞いたところだと制御はできるんだろう?」
「当然だよ。制御できなければ食循環のエルメラルダとは呼ばせていないさ」
「そうかい」
リコリスは納得した様子だ。
木村としても、それで納得するのかと軽く驚いてしまったがすぐに事情を理解した。
リコリス自身もかつては「崩壊」という身に余る力を持っていた。恐ろしい力でも制御ができるのなら問題ないという意識なのだろう。
さらに言えば、制御ができることに加え、(食事面以外であれば)人間性もまともであることも好判断の材料にされた。
こうして穏やかな時間が過ぎていった。
西地区での魔物キャンプも夕刻を迎えた。
「もう日も落ちる。そろそろリスのところに、おっと」
空から飛翔した銀色の槍がニネミアに突き刺さった。
突き刺さった槍は勢いのままにニネミアの内部へと突き進んでいくが、反対側から出てくることはない。脂肪に吸着されて消え去った。
リコリスとトリキルティスはすでに戦闘態勢へ移っている。槍が飛んでくるよりもずっと先に武器を構えていた。
一方のニネミアは穏やかなものだ。手に持った肉を食べ切ってから、槍が飛んできた方向を見る。
「どうかしたのかな? わざわざ君が出てくるなんて」
ニネミアの視線の先には水銀の魔女――エーティルがいた。
大鳥に乗ったまま、木村たちを見下ろしている。
「私が貴様に出向く理由は一つしかありません。メーティルから伝言です。『食事はいかがですか――ブタくん』」
「……食事に呼ばれたからには是非もない。喜んで参上させてもらうよ」
両者の間に緊張が走っているのが木村でも見て取れた。
しかしながら、それは互いに対する警戒心や恐れではなさそうである。
両者ともここにはいない何か、あるいは見えない事情に対して抱いたものがあるようであった。
「歩いて行くには遠い。君が彼女のところまで送ってくれるという理解で良かったかな?」
「そんなわけがないでしょう。そこ、貴方がコレを送り届けなさい」
「えっ?」
木村が指名された。
蚊帳の外だと思っていたので木村も意外である。
「えっと送るだけですよね?」
「食事の同席を許可します」
「いえ、食事いらないです。送るだけでは駄目ですか?」
「食事の同席を許可します」
「でも、」
「食事の同席を許可します」
「あぁ、はい」
木村も諦めた。
食事の同席は強制イベントであった。
同席は良いとして、一人で行くのは怖いので仲間を巻き込むことにする。
「こちらの三人も一緒でも? 特におっさんは強制だと思いますが」
リコリスとトリキルティス、それにおっさんだ。
「そこの大男、鳥人は許可します」
リコリスはメンバーから外された。
これはなんとなくわかる。臨戦態勢のまま食事の席に座られると木村も怖い。
トリキルティスは選ばれたが不服そうである。これもわかる。弱いからいてもかまわないと言われているようなものだ。
「ウィルはどうでしょう? あの魔法が好きな青年です」
「あれは……、かまいません。許可します」
東に行くのなら、魔法好きなウィルは外せないだろうと思い提案したが、やや許可に時間がかかった。
そこで時間をかけると先ほどのトリキルティスの即断の許可がやや不思議に感じる。
木村の疑問に沿うようにエーティルが問いを投げた。
「そこの鳥人以外にも、貴方の仲間には動物の血を帯びている者が他にいますね」
エーティルが見ているのはトリキルティス。
彼女は翼の生えた人である。いちおう種族的には神だが、見た目は鳥人だ。
「……いますが、それが?」
「連れてきなさい。小さければなお良いです」
「えっと、なぜでしょうか? 小さければなお良い?」
「メーティルはね。動物が大好きなんだよ。特に小動物には目がない」
エーティルではなくニネミアが説明してくれる。
可愛いもの好きのようだ。獣人の郷に行けば楽園だったかもしれない。
「人の特徴を見いだして、動物の名で呼ぶんだ。僕はブタくん。他だと凶暴ワニくんとか迷惑子猫ちゃんとか」
「あ、そうなんですか」
姉が姉なら、妹も妹だなと木村は思う。
ただ、ニネミアがブタくんなのは納得してしまう。
そこでふと思い至った。
「……えっ、あれ? もしかしてリスさんって?」
貧困街エリアのボス、特殊能力者の名前はリス。
なんだか動物みたいな名前だとは当初から思っていたのだが、ここに来て木村に予感があった。
「アレを『リス』と名付けたのはメーティルです」
まさかの名付け親。
元の名前はどこにいってしまったのか。
名前は可愛いが、扱う力は名前とは裏腹に可愛げがない。
初代皇帝が動物のリスで良いのか。威厳も迫力もなくなるのではないか。
「伝えました」
エーティルは質問を受け付けることもなく、水銀の大鳥は翻り、颯爽と飛び去った。
木村は残されたニネミアを見る。膨らんだ顔はいつになく思案顔である。
「……どうしますか?」
「言ったとおりさ。食事に誘われては断ることなどできまい。行こう」
はぁ、と木村はため息に近い肯定である。
CP-T3に乗り込み、前人未踏の東エリアに突入することになった。
CP-T3を運転し、帝都ではなく北エリアを経由して東エリアへむかう。
途中でリッチたちがいる墓地を見る。
霊体のアンデッドだけでなく、実体のあるアンデッドも一緒に霊園を作っていた。
肝心のリッチは見えない。帝都のどこかで霊園作りに勤しんでいるのであろう。
さぼっているアンデッドもちらほらいて、その中に頭が欠けた女性もいる。
やはり脳が勝手に戻ることも無く、博士か助手は上の空であった。
CP-T3を走らせていたが、先ほどから沈黙が続いている。
おっさんは無言だし、リコリスは余計なことを喋らず、ニネミアも無言。
ムードメーカーのトリキルティスは、カクレガの小動物メンバーに事情説明のため出て行ってしまいいない。
彼女は明るく話しやすいので、小動物メンバーと意思疎通が取りやすい。食事会の話をしてもらうにはうってつけだ。
「メーティルさんと何かあったんですか?」
ニネミアが静かすぎるのが気になって木村から声をかけた。
登場時からずっと口を動かしていたのが、メーティルと食事が決まってから急に動かなくなった。
ニネミアがエーティルとは水と油とは聞いていたが、メーティルとどういう関係だったのかは聞いていない。
「僕はね。エーティルとは反りがあわないんだ。彼女の主張は往々にして僕とは真逆でね。時に、もしかして僕はわざと彼女と逆の意見を考えてしまっているんじゃないかと思うほどなんだ」
「仲が悪いってことですね」
木村は要約してしまったが、どうにもニネミアの反応が悪い。
そもそも妹のメーティルを尋ねたのに、なぜか姉のエーティルの話が出てきてしまった。
「僕もずっと昔は好き嫌いで考えていた。ところがね。味の好みが違うだけかもしれないと考えるようになった。僕と彼女の料理嗜好が真逆なだけだと」
「同じじゃないんですか?」
好きと嫌いの話から逸れていないと木村は感じ、そのまま聞き返した。
「違うんだ。エーティルに対する好悪と彼女の感想に対する好悪は別物だ。僕とエーティルはあくまで同じ位置にいて、同じモノを見聞きし、同じモノを食べている。僕と同じようにエーティルも出てきた料理には真摯にむかっている。真逆なのは料理に対する感想だ。そう考えれば親しみも湧いてくるものだよ。なるほど、この味をそう捉えることもできるかと、その視点はなかったなと感心することさえある。僕はね、彼女に尊敬とも呼べる意識がある。……少なくとも当時のエーティルは僕にそんな意識を抱いてくれてはいなかったようだがね」
ニネミアはやや寂しそうな様子だった。顔の脂肪もいつもよりしょんぼりしている。
確かにニネミアはエーティルに対して敵対意識を出したことはなかった。
エーティルはモロにニネミアに敵対意識を出していたが……。
「この点で言うとメーティルは違う。彼女は僕たちとは別の位置に立っていて、見ているモノも、食べているモノも別物だったと思う。可愛くて、誰からも愛されていて、博愛精神――どれも素晴らしく、僕は彼女とまともに話ができなかった。ドキドキするんだ」
「……ドキドキ」
「うん」
木村はメーティルがエーティルとは別物という話にたどりつくと思ったが、様子が違うことに気づいた。野暮な話になった気がした。
メーティルが違うという話ではなく、ニネミアの気持ちがメーティルに対しては別になるという話ではないか。
「あの、それってもしかしてなんですがメーティルさんに恋をしているのでは?」
「そう考えたこともある。しかし、僕は年下よりも年上の方が好みだ。別の女性と恋をしたこともある。その時に抱いた感情とメーティルに抱いた感情はやはり違う」
「はぁ、そうなんですか」
女の子にちょっと優しくされると恋をしてしまう木村とはステージが違う。
安易なアドバイスもできない。
「その娘は誰からも愛されていたと言ったね。術の可能性はないのかい? 催眠や誘惑とかね」
リコリスが目つきを鋭くして尋ねる。
発想が怖いと木村はルームミラー越しにリコリスを見たが、彼女はいたって真面目である。
ニネミアは「ない」と首を横に振る。
「僕にその手の魔道は一切効かない。僕に唯一効果的な魔道はおいしい匂いと味を出すものだけだよ」
冗談のように言っているが、おそらく本当に並大抵の魔法は効かないと木村も予想がつく。
酒も酔わず、攻撃系の魔道も効かない。あらゆるものに対する耐性が凄まじい。
逆においしい匂いと味を出す魔道は誘導だけなら有効な気配もする。
「……メーティルを前にするとね。僕はドキドキして、」
「あ、すみません。自分から切り出しておいて申し訳ないんですが、この話はやめませんか。すごく緊張感に欠けます。それより食事の話にしましょう。黎燦国の食事について聞きたいです」
「いいね。実に良い。僕は黎燦国の料理については一家言あるからね」
先ほどまでの沈黙もどこにやら、ニネミアは次から次へと黎燦国の食事について話し始めた。
そうして、とうとう東エリアに到着したのである。
木村たちの進路を示すべく、水銀の海がCP-T3の行き先だけ分かれていく。
まるでモーゼだ。行く先で十戒を授けられるかもしれない。
水銀が止まり、人の形を取ったエーティルがCP-T3の進みを止めた。
木村は外に出て、ニネミアもおっさんとリコリスに押されて出ていく。
木村たちが外に出ると、カクレガの入口も開き、トリキルティスらや、カレドア城で回収されたウィルが出てきた。
トリキルティスと一緒に出てきたのはテイとネネだ。これは予想どおりである。
テイはかなりの古参メンバーで、ネネは割と最近加入したメンバーである。
どちらも鼠っぽい見た目で背も低いが、設定上出身は違う。
ネネは東日向の出身なのでトリキルティスを知っている。
知っているどころか崇めているほどだ。さすが六大神と呼ばれるだけはあった。
ちなみに、六大神のアコニトとさらにその上のリコリスに関してはネネが崇めるモノとは違うようである。
トリキルティスに聞いたところだとアコニトは偽物と思われ、リコリスは古すぎて今の子たちは知らないということだった。
当のアコニトとリコリスは崇められることに関心がないので気にしていない。
テイと比べて、ネネの方が穏やかだ。
穏やかといっても、子どもっぽい元気良さはある。
テイが天真爛漫すぎた。いまだに刈り尽くされたアコニトの尻尾からは天敵扱いされている。
出身は違えども、年が近いためか仲は良く、最近はだいたい二人セットで見る。
「お食事~!」
今もわーわーと騒いでいるところをトリキルティスになだめられていた。
エーティルが「黙れ」とキレないか不安だったが、彼女も明らかな子どもには敵意を見せず普段より穏やかだ。
ただし、その視線は子ども二人に対してだけであり、特にニネミアに関しては汚物と同様の視線が向く。
「油断するんじゃないよ」
「はい」
リコリスは入れ替わりで入るウィルに説教をしている。
敵地に乗り込むんだぞ、魔法が見られるからと油断したりハメを外すなと口うるさい。
「それとこれだ」
リコリスがウィルの腕に炎を付けた。周囲からわからないようこっそりとだ。
木村も以前に見たことがある。催眠状態になると自らの身を焼いて正常に戻す乱暴な快復技である。
この付与魔法はすでにウィルは使える。それをわざわざリコリス神が御自らウィルの腕に付けたところに彼女なりの優しさが感じられる。
「発動条件を緩くして、威力をあげてるからね」
木村は耳を疑った。優しさ成分が反転した。
ウィルも「え?」とリコリスを見たが、リコリスは真剣そのものである。
先ほど車の中で聞いた話のためだと木村は何となくわかるが、ウィルからすれば意味もわからず、腕に暴発しやすい火力増の発火装置を括り付けられたようなものだ。
「ね、念のためだから……」
いちおう木村はリコリスの行いをフォローした。
ウィルも不承不承で受け入れる。
「これが発動したら――わかってるね」
「神聖術を周囲に対して使用する」
「速く、広くだ」
物騒な話である。
食事に行くのに本当にそこまでする必要があるのか。
そもそも発動したらおそらく片腕が火に飲まれる。魔法を使う余裕があるだろうか。
木村としては、食事よりメーティルより何よりも気になっていることがある。
このエリアに消え去ったアコニトだ。一人で行かせたきり、まるで帰ってこない。
今回の食事会で再会できることを何よりも期待している。
地面から水銀がせり上がり、みるみるうち建造物を形取っていく。
「ヘルメス宮殿だね。懐かしい」
「黙って入りなさい」
宮殿の背は高くない。
木村が今まで見た宮殿類の中では質素な部類に入る。
色こそ水銀の反射で眩しいが、建物の造りはちょっと豪華な建物かそこらだ。
「ぴかぴかだ~!」
「あっ、待ってよ、テイちゃん!」
木村の緊張とは別に、小動物組は場違いなほど明るい。
左右に現れる水銀の人たちが木村たちに礼を取ってくるのがどうにも落ち着かない。
さほども広くないのですぐに目的の部屋にたどりついた。
水銀の扉が波打つように開き、テイが「一番乗り!」と入っていく。
木村も入ろうとするが、後ろを見ればニネミアの足が止まっていた。
同じくエーティルの足も止まっている。
「……えっと、どうされたんですか?」
両者とも気まずい雰囲気だ。
食事に招待された際と似たような緊張感がある。
「ここに来てなんですが、先に伝えておきます。メーティルは、貴方を食事に招待しました――」
「『しかし、彼女が食事を取ることは、もはやままならない』――違うかな?」
「違いません」
「え?」
本当にここに来ての話だ。
食事へと招待したのに、招待したメーティル本人は食事ができないとエーティルは言う。
そして、ニネミアはそのことを知っていた。
「『一緒に食事を』とは言わなかったからね。それに今の君の完成度を見れば一目瞭然だ。彼女、もう目を開けることも困難だろう。ましてや食事などできるはずもない」
「え、え?」
「今なら僕はまだ引き返せるが? 良いのか? 正直に言おう。僕は止めて欲しい。それかリスを連れてくるべきだ」
「私が、貴方をリスなしでメーティルに会わせようと思いますか? これらは全て、あの子の意志です。あの子がこうして欲しいと言うのなら、私は尊重しなければなりません」
「……だろうね。君も難儀な状況のようだ」
「あの、えっと?」
木村は二人の会話が理解できない。
互いにわかったような口ぶりで話を進めていく。
「さてキィムラァくん。食事にしようか」
「入りなさい。メーティルが待っています」
そして、二人は勝手に決意を決めて木村を追い越していく。
ニネミアが扉の前で軽く呼吸をした。
狭い扉に太い体をぎゅうぎゅうに押し込んで入っていく。
木村もその後に続いた。
目の前にはニネミアの肉の壁があり、何も見えない。
ニネミアは数歩ほど歩いたがそこからは動かない。
木村が声をかけたが反応しない。様子がおかしいと木村も察する。不穏な流れだ。
横に動いて様子を見ようとしたが、おっさんが木村の肩に手を置いて動けない。
全身が石のように固まってしまっている。無言だが、これ以上、近づくとまずいというおっさんからのメッセージでもある。
不穏さに拍車がかかる。
「『こんにちは、キィムラァさん』」
女性の声だった。
それにキィキィという周期的な音が聞こえた。
声と音が近づいてきて、ニネミアの脇からようやくその姿が見えた。
水銀でできた流線型の車椅子に乗せられた女性が姿を見せる。
車椅子を押しているのも女性だ。こちらは初めて見る女性であり、木村に礼を示した。
「『私は喋ることができないので、プラムを通して会話をさせていただきます』。プラムです。私のことはどうかお構いなくお話しください」
車椅子を押す水銀の女性がまたしても軽く一礼を示す。
周囲が水銀に埋め尽くされている中で、車椅子に座っている女性だけが唯一水銀ではない。
すなわち、この女性こそが東エリアのボスであるメーティルということになる。
ボスはわかったがわからないことがある。たくさんある。
まずその一つ目を木村は確認した。
「あの、大丈夫じゃ、ないですよね?」
車椅子に座っている女性は痩せこけている。
目の辺りは窪み、頬は欠けて、唇はカラカラに乾いていた。
服は上等そうだが、袖から出てくる腕は枝かと思うほどに細く不安になってくる。
かつて貧困街エリアで見た薄い光の彼女の面影はもはやないに等しい。
医療に疎い木村が見てもわかる。この女性は死の間際にいる、と。
貧困街エリアの住人たちと良い勝負だ。
「『そうですが、気にしないでください』」
木村の見立ては正しかった。
見立ては正しいが、聞くまでもないことを尋ねてしまったとやや恥ずかしい気持ちになる。
「『時間もありませんので簡潔に言いましょう。来て頂きありがとうございます。貴方の仲間たちもとても可愛い子が揃っていますね』」
「……あ、はい。そうですね」
普通に謝意を表明され、仲間の話に移った。人選は間違いなかったようだ。
木村も理解がやや遅れたが肯定する。
「『仲間の方々を紹介して頂いても?』」
紹介してくれと言うが、紹介しようにもその仲間の姿はニネミアが邪魔になって見えない。
それに先ほどから仲間の誰も喋らないのが異常だ。不穏な気配をもはや限界突破し、最悪の事態が生じていると思わざるを得ない。
それでもいちおう尋ねられたとおり紹介していく。
主導権は相手にあり、それを覆す術を木村は知らない。
「鳥っぽい姿をしているのがトリキルティスです。それと鼠の二人がそれぞれテイとネネですね。尻尾が小さいのがテイで、大きくて長い方がネネです」
ここまで紹介したところで、霊体のメーティルがピクリと動いた。目も一瞬だけ開きかけた。
お付きのプラムが心配そうにメーティルを見下ろす。
「メーティル様。どうか安静に。いえ、失礼しました。――『貴方、動物が好きじゃないでしょう』」
「え? いや、嫌いではないですが詳しくはないですね」
「『あちらの人間の方は?』」
「ウィルですね。魔法が大好きで、水銀のエルメラルダの魔法が見たいと前から言っていたので連れてきました。たぶん喜んでいるんじゃないでしょうか」
そのウィルの姿は見えない。
木村も不安になってくる。間違いなく大丈夫ではない状況だ。
「『そうですか。水銀の魔法が見たい、と。――フクロウかモグラかと思いましたけど違う。凶暴性を内に秘めている……カバですね。あぁ、カバくん、貴方は日の光もまともに浴びられず、夜中だけ水から出てきて草を食む』」
プラムがメーティルの言葉を発したと同時にボッと音がした。
ニネミアの左から赤い光が発された。低い天井に赤い炎が伝わったのを木村は見た。
かつて製造室でカクレガの尻を丸焼きにした光景がフラッシュバックする。
「うわっ!」
「なんですか!」
木村とプラムが叫んだ。
「わ! え! ……え? あ、わ、わあああああ!」
遅れてウィルも驚きの声を出した。そして、何かに気づいたようでさらに叫びをあげる。
ニネミアの向こう側から、先ほどとは比べものにならないほどの炎が生じる。
炎は生じたが、先ほどの炎とは色合いが違う。燃えるような赤から、橙に近い赤に変わった。
木村も知っている。これがウィルの炎魔法だということを。
それであれば先ほどの炎はリコリスの炎。
「エーティル様!」
プラムが声を出すよりも先に、エーティルが動き、炎はすぐに止まった。
プラムはメーティルを炎から守るようにニネミアの影へと移動させた。すなわち、木村の側にメーティルの車椅子がやってきた。
「……水銀の魔法だけじゃなくて、催眠系の魔法も使えますよね?」
木村はメーティルに尋ねる。
ウィルに仕掛けてあったリコリスのお守りが起動したとわかった。
そうであればメーティルが使える魔法は水銀だけではないということになる。
あるいは催眠系の魔法を使うのはメーティルではなく、後ろにいたプラムという可能性もあるが。
メーティルはすでに死に体で返事はない。プラムはメーティルを見ている。
「『時間切れです、キィムラァくん。答え合わせはまた次の機会に。――食事が始まります』」
「食事が、始まる?」
木村は何のことかわからない。
わかりそうなのはエーティルかニネミアだ。
エーティルは姿が見えない。一方、ニネミアはようやく木村たちを振り返った。
「ニネミア、さん?」
彼の口からはおびただしいほどの涎が垂れている。
今まで理性的だった目が、ジッとメーティルを捉えて離さない。
ニネミアは食事を前にする獣のようであった。
「もう、我慢が、ドキドキが、止められ――」
そこでニネミアの口が大きく開いた。
顔の面積の割りに小さな口だったはずだが今は恐ろしいほどに開ききっている。
ニネミアとメーティルの間を遮るようにエーティルが入った。
しかし、ニネミアが邪魔と言わんばかりに手を振るとエーティルの水銀の体が消え去ってしまう。
すぐに水銀が補充され、回復し、ニネミアを止めるべく、地面や壁の水銀がニネミアを覆っていく。
「フゥウウウ! 食べたい。食べたい食べたい食べたい食べたい。食べたぁい!」
理性が完全に飛んでしまった声だった。
水銀に塗れてもニネミアは動きを止めない。
むしろ活動が増している。今までにないほど激しく動いている。
「うっ――」
無限に押し迫る水銀とひたすらに暴れ狂う贅肉の戦いのさなか、とうとうニネミアが動きを止めた。
木村の見ていた景色が遠くなっていく。おっさんが木村の肩を掴んでの強制移動を始めた。
団子状になった水銀が消えた。
ニネミアの姿が現れる。ニネミアは両手を広げていた。
周囲を覆っていた水銀が消え、ニネミアの立っていた床も消えた。
ニネミアの周囲の物体が全て消されていく。
消える範囲が徐々に広がり、車椅子に乗っていたメーティルも徐々に姿が消えていく。
メーティルだけではない。トリキルティスやテイにネネまでもが消されていって姿がなくなっている。
キャラが消えたところまではゆっくりだったが、そこから先はあっという間だ。
ニネミアを中心に球状に消え去る範囲が広がっていき、木村の遠ざかる景色に消滅の範囲が急激に迫ってきた。
やがて消滅の速度が緩やかになり、今度こそニネミアとともに姿が遠ざかっていく。
景色が止まった。
遠くに見えて浮かんでいたニネミアが落ちていく。
落ちる先は地面が球状に抉られた地層の遙か下である。
失った空気を取り戻そうと、凄まじい風が消滅した球状部へと流れ込んでいく。
おっさんが固定していなければ木村も風に巻き込まれて、抉られた穴の中に飛んでしまっていたに違いない。
木村はしばらく動けなかった。
立ち尽くして、失われた大地を見つめていた。
「……何が起きたの?」
「ニネミアが反物質を作りだしたぞ」
「えっと、簡単に言うとどういうことなの?」
おっさんがなるべくわかりやすく説明をしていく。
ニネミアが、ため込んだエネルギーでごくわずかな反物質とやらを生成した。
その反物質がエーティルの水銀と反応し対消滅。水銀と反物質の質量分のエネルギーを放出。
放出されたエネルギーを吸着し、自らのエネルギーに転換し、さらに周囲に反物質を展開。半径が広がり、表面積も増える。反応が増加。消滅が加速度的に増したのはそのせいとのこと。
途中でニネミアが我を取り戻し制御をしたため、消滅した範囲が狭く済んだというわけである。
「え、待って。狭いの、これ?」
狭いと言いつつ、西エリアの四分の一近くが球状に抉られてしまっている。
控えめに言っても大災害だ。
「狭いぞ。大したものだな」
むしろこれくらいで済むのはすごいといった口ぶりだ。
木村は甘く見ていた。この魔法が暴走して地図から消えるのは街だと考えたが、下手をすれば国ごと消える可能性もある。
こんなのを後ろに乗せて走り回り、食事も目と鼻の先でしていた事実が恐ろしい。そりゃ青竜(宇宙生命体)も全速力で逃げる。
「ニネミアさんは?」
「生きているぞ。下だな」
近づかないと見えないが、崩れそうなので近づきたくない。
横の消失範囲が見るからに広いので、球状に消失したのなら縦の消失範囲も同等で、高さは目もくらむものになるはず。
木村は高所恐怖症というほどではないが、好んで高いところからの風景を見たいとも思わない。
「メーティルさんたちは?」
「消滅したな」
素直に良かったと木村は思えた。
姉が姉なら、やはり妹は妹だ。招いておいていきなり催眠をかけてきた。 リコリスの年の功に恐れ入る。
姉はわかりやすく暴力的だが、妹はやり口が陰湿だ。あまり関わり合いたくない相手である。
「おぉぉい! 誰かぁ! そこにおるだろぉ! んー、この中途半端で童貞臭い香りは坊やだろぉ、わかるぞぉ。おぉーい儂だぁ!」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
随分と懐かしい声である。なんだか馬鹿にされた気がしたがそこは今は聞かなかったことにしておく。
「おっさん、この声って」
「空耳だな。キィムラァ、もうカクレガに帰るべきだぞ」
おっさんのこの冷遇は間違いない。
アコニトがいる。
「アコニト! そこにいるの!」
「おるぞぉ! みんなのアコニト様はここだぁ! この穴ぼこはなんだぁ! 肥えた狸もおるぞぉ!」
「……肥えた狸?」
すぐにわかった。ニネミアもいるようだ。
カクレガの入口が開いた。おっさんがアコニトを無視して入っていく。
木村も思いついてカクレガに入った。その後、カクレガで移動して、穴の底へと進んでいく。
カクレガが再び開けば、懐かしのアコニトがいた。
「アコニトだ!」
「儂だぁ」
今はクスリではなく煙草を吸っている。
しかも二本を一気に吸っていた。もうちょっとマイルドに吸えないものだろうか。
アコニトはいろいろと尋ねてきたが、今の問題はニネミアである。
先ほどから倒れた状態のままずっと空を見ている。お腹が動いているので生きているのはわかるが、近づいても大丈夫か不安になる。
「おぉう、肥え狸。空を見てどうしたんだぁ? お星様が見えるかぁ?」
煙草を両手に一本ずつ挟みこみ、アコニトはニネミアの腹に飛び乗った。
汚い狐と太った狸の図である。カップ麺になってもあまり食欲をそそられないキャッチだ。
なお、その肥え狸がこの大穴を作りだした張本人である。すでにおっさんが木村の肩を掴み、カクレガは閉まる直前だと察するべきだ。
「やってしまった。僕は、また、自制ができなかった」
ニネミアが放心したまま空を見つめている。
アコニトも空を見つめる。暗いので星はよく見えるが、星座はまったくわからない。
「気にするなぁ。儂もよく自制を失いやらかすぞぉ。反省しているだけお前は偉いんだぁ」
「いや、アコニトも反省してよ」
「反省しないから儂は儂なんだぁ。違うかぁ?」
違わないけど違って欲しい。希望を伝えたところでどうせ変わらない。
それよりもニネミアである。
「ニネミアさん。やってしまったことは仕方ないでしょう。それに彼女たちは明日になれば復活しますよ。どうします? ここでずっと夜空を見ていますか? リスさんに挨拶をするんじゃないですか?」
「……そうだね。リスに挨拶をしよう。きっと僕の最後の食事になる。君たちの食事を披露してもらえるかな」
「リン・リーに相談してみます」
立ち直りが速い。
素晴らしいことだ。木村もこの速さは参考にすべきと感心した。
貧困街エリアへむかおうとするが、どうやって地上に戻るかが問題となった。
ニネミアはイベントゲストのためカクレガに入れない。かといって自力でクレーターを上がることはできない。
魔法で持ち上げるにしてもそもそもニネミアが魔法を問答無用で吸って干渉できない。
アコニトは飽きて、喫煙室へ行ってしまった。
一日の最後に難題が降りかかってきた。
貧困街にて木村たちは夜食をしている。
リン・リーが作った料理を外に持ち出しただけなので、これは木村も抵抗なく食べることができる。
ニネミアとリスが並んで食事をしている。リスは食欲がないのか、食事を見ても反応を示さない。ニネミアだけが止まることなく口と手を動かしていた。
デブとガリのコントラスト比が大きすぎる絵面である。もしも、これを写真に撮って何も聞かされず見せられたら合成かと思うかもしれない。
ちなみにニネミアは、身体強化をマシマシにかけたゾルが力業で持ち上げて登った。
やはり全てを解決するのは力かもしれないと木村も思わざるを得なかった。
おっさんが得意げにプロテインを勧めてきたのがうっとうしい。
他の地域ならこの食事会に参加する人物は多かっただろうが、貧困街エリアなので参加者は少なく盛り上がりに欠ける。
カクレガのメンバーだとリコリスだけが参加している。ときどきトリキルティスがリン・リーの料理を持ってくるくらいだ。彼女がつまみ食いをしているのか、運ばれてくる料理がやや減っているように木村は見えた。
他のエリアキャラだとリッチがやってきていた。
朝はニネミアと一緒に飲んでいたし、リスもリッチにはわずかに懐いているように見える。
「リス、君は皇帝になったようだね。なったというよりはやらせられただけだろうが、見てみたかったよ。きっと僕は笑う」
ニネミアが一方的に喋るが、リスはまるで興味を持たない。
そもそも聞いているかが怪しい。
「僕はまたやってしまったよ。メーティルを見て暴走してしまった」
メーティルという単語にリスが過敏に反応した。
「彼女を巻き込んでしまった。君がいれば防いでくれたんだろうね」
「……あー」
リスの「あー」にどのような感情が含まれているのか木村は読み取れなかった。
言った直後にリスもまたニネミアと同様にうなだれてしまう。
「今さらなんですけど、なぜ暴走したんです?」
「……僕はね。メーティルを見るとドキドキするんだ」
「ええ、はい。それは聞きました」
「ドキドキすると食べたくてしょうがなくなるんだよ。過去にもやらかして彼女を食べかけた。そこをリスが止めてくれたんだ」
「あぁ、そうなんですね」
ドキドキすると食べたくてしょうがなくなるの気持ちがさっぱり理解できない。
先に言っておいて欲しかったが、思い返すとニネミアは話そうとしていたのにそれを遮ってしまったのが木村なので責められない。
それと王城での食事中に、リスに何度も世話になったと離していたのはこういうことかと木村もようやく理解した。
ついでにエーティルがニネミアをとことん嫌っていた理由も理解が及んだ。見たら妹を食べたくなる爆弾を近くに置きたいわけがない。
「それって催眠の類いですよね。やはりメーティルさんの?」
「メーティルには違いないが、催眠かと言われればどうだろうか。話したとおり僕にその手の魔道は効かない」
「でも、明らかに様子がおかしかったですよ。普段だとあんな状態にならないでしょう。何か特殊な力ではないですか。リスさんみたいな」
「それはあり得るね」
ニネミアを止めることができたのは唯一リスのみ。
そして、彼は特殊な力を持っている。メーティルが特殊能力者である可能性はどうか。
「……いや、やっぱり違うかも。リスさんと同じような力なら僕はわかりますから」
特殊能力者は初回遭遇時に表示が出る。
おっさんも尋ねてくるのでわかる。メーティルには出てこなかった。
「そうなんだね。それなら、」
「料理、もう一丁お待ち!」
トリキルティスが料理の追加を持ってくる。
ニネミアは話を切り上げ、料理に夢中になっている。
料理も減ってきた頃になり、木村は別の気になっている点を尋ねた。
「メーティルさんのあの状態はどういうことですか? リスさんなみにガリガリでしたけど」
「……ああ、あれはね」
ニネミアもやや話しづらそうな雰囲気である。
それでも口は動く。
「メーティルはエーティルのような水銀毒の耐性がない。使えば使うほど毒に冒される」
「え? 水銀の魔法が使えるのに、水銀の耐性がないんですか?」
「そうだよ。昔から全般的に耐性が弱くてね。一度は魔道士の道を断ったほどだ。彼女は占星術者の道を究めるものと僕は思っていた。エーティルもきっとそうだったろう」
エーティルは自らにも他者にも厳しかったが、妹のメーティルだけは例外的にベタベタに甘かったようである。
これは木村にもわかる。それも催眠かもしれないと木村は疑ってしまう。
武力のトップとしてのエルメラルダに君臨すべくエーティルが励み、学問的なトップな位置づけにメーティルが立つ。
おそらくエーティルが望んだ理想的で彼女にとっての平穏な未来だった。
「ところがそうはならなかったんですね」
「そのとおりだ。そうならなかったんだよ……。けっきょく何がメーティルを変えてしまったのかがわからずじまいだ。――僕らが生きた時代はとにかく異常だった。あらゆる要素が僕らに平穏を許そうとしなかった。今だから確定的に言えるが、まさしく僕らは歴史の転換点にいたんだ」
反物質という別格の力を扱えるが、平穏を望んだニネミア。
自らの意志はほぼほぼないが、別格の力を扱うニネミアをも殺しきる特殊能力者のリス。
特殊能力者のリスにただ一人命令をすることができ、水銀創生と催眠(らしき力)を使う水銀耐性のないメーティル。
上記の三人とそれぞれで関わりを持っていたエーティル。
この四人が歴史のうねりの中にいた。
さらに木村の知識を入れるのなら、宇宙生命体の子孫もそこに関わっている。
加えて、彼らに装具を提供し、後にリスに折れた剣を与えたであろう創竜も加わる。
その折れた剣の力とやらでぶっ殺された青竜が現れたのも当時の出来事だ。
裏で暗躍していそうな創竜が怪しいのだが、彼がこのうねりを作りだしたとも思えない。
ニネミアやリスといった能力者を創り出せるわけでもない。もしも彼がうねりを創ったのなら嬉々として「僕が歴史の転換点を創ったんだよ!」と言っていただろう。
当初はもしや程度の微かな疑念だったが、ここまでくると今回のイベントはそれぞれ別の時代の出来事に見えて、何かの共通事項が裏にあるのではないかと木村も感づく。
しかし、それが何かがまだはっきりと見えてこない。無関係そうな広場エリアと北エリアが鍵を握っているのかもしれない。
「リス。メーティルに会いに行かないのかい?」
ニネミアがリスに尋ねたが、リスは何も返答しない。
「……そうかい。君は随分と気にしているようだが、彼女は君に怒りなんて覚えていないと僕は思うよ。なに、僕の勝手な妄想さ」
けっきょく夜遅くまで料理を食べ、ニネミアはその場で眠ってしまった。
彼の贅肉を壁にしてリスも寄り添って寝ている。
ニネミアが寝返りをうって、リスが潰されないか不安になりつつも木村はカクレガに戻った。
重くなりつつある瞼を押さえつつ、ブリッジで今日の振り返りを行う。
十日目もようやく終わる。朝から夜までと実に長い一日だった。
ゲージ変化を確認する。
★十日目の終わり
王城:2%⇒2% 変化なし
広場:14%⇒14% 変化なし
貧困:2%⇒1% 東エリア崩壊の余波をわずかに受けた
北墓:70%⇒89% 西エリアと南エリアまで霊園を拡大
東銀:48%⇒28% 消滅
南竜:1%⇒1% 変化なし。半死半生
西緑:21%⇒21% 変化なし
今日のメインは西エリアが初めて20%全てが削れたことだろう。
その結果、アコニトがカクレガに戻ってきた。木村は喜ばしいが、他は喜びがない。むしろマイナスだ。
リン・リーは切実な様子で、アコニトが鶏にならないかと相談しにきた。
貧困街エリアが地味に崖っぷちだ。
もしも東エリアの消滅がさらに広がっていれば、もう今日にでも消滅していた可能性もある。
しかも、まだ貧困街エリアの天敵は来ていない状態だ。
北エリアが100%に近づいている。
今日は90%に達すると考えていたのだが、中途半端な数字で止まってしまった。
その北エリアに関してニネミアは一言だけ示唆していた。「嗅いだことのない不思議な香りがした」と。
CP-T3の車内でぼんやりとしていた時に感じたことらしい。降りていればもっと詳しいことがわかったかもしれない。
どちらにしても感覚的な意見過ぎてはっきりとわかるかどうかは不明だ。
とうとう天敵ラッシュも折り返し地点を過ぎた。
残りは三地点。広場エリア、貧困街エリア、北エリア。
広場エリアはかつての皇帝フリューゲル。
北エリアは冒険者の頂点であるチューリップナイツという名前は可愛らしい三騎士。
それぞれ推測なのであっているかはわからない。
今日の収穫として、不明だった貧困街エリアの天敵が判明したことが大きい。
リスの横でニネミアは何でもないことのようにあっさり告げた。
「リスの天敵? メーティルでないなら、エーティルだよ」
まさかのエーティルである。
エーティルといっても、メーティルが創りだした水銀のエーティルではない。
実体を持つ生身のエーティルの方だ。
「しかし、エーティルが自分のことをはぐらかすなんてね。ふふっ」
木村には何が面白いのかわからないがニネミアには面白いことのようだ。
水銀のエーティルが南エリアの会談ではぐらかしたのは、リスの天敵が自らだったことをはぐらかすだったためのようである。
なぜはぐらかすのかと木村は疑問を呈したが、ニネミアは笑うだけで答えない。気づいたこともあるようだが深くは語ろうとしない。
「僕が一方的に彼女を語るのはアンフェアというもの。後は彼女本人から聞いてみると良い」
「話になると思えないんですが……」
すでに水銀のエーティルを見ている。
生身のエーティルと何が違うのか。話の前に戦闘が始まる未来しか考えられない。
「話になるよ。間違いない」
ニネミアは断言した。
その後、夜のカレドア城を見る。
すでに暗く、明かりがうっすらと見える程度だ。
「君がうらやましい。是非とも代わって欲しいくらいだ。僕の知らない彼女と話がしてみたいなぁ。キィムラァくん。いいね。僕の分まで頼むよ」
ニネミアは本気であった。
生身のエーティルと話をしたかったようだ。
明日の天敵はどこが来るだろうか。
人が来るからといって、良い結果になるわけではないと今日わかった。
ニネミアクラスはなくとも、すでに帝都全域はHPがミリなので不意の一撃で消滅があり得る。
どこが来るとしても全力で当たるだけだと決意して木村はブリッジを出た。
『Unhappy rebirth』4日目 反物質 ~Antimatter~ 完了