122.イベント準備 下
木村は土の臭いを感じながら園の中を歩いていた。
土の臭いにまじり、徐々に花の匂い、さらにはお茶の香りがまじってくる。
植物園の中心に白い机が置かれ、その上には小ぎれいなポットとティーカップが用意されている。
机を囲むようにセットされた椅子の大きさは大中小の三つ。
すでにペイラーフが椅子にかけていた。
「来たね! お菓子はこっちに! ゴードンも呼んできてよ!」
ペイラーフは木村からお菓子を預かると、皿に並べていく。
木村はゴードンを呼ぶため菜園に向かったが、こちらもやはりペイラーフの声が聞こえていたようで作業を止めてテーブルに歩いてくるところであった。
三人でテーブルを囲み、静かにお茶を飲む。
ゴードンはもともと寡黙なので、酒を飲まないとほとんど喋らない。
ペイラーフもお茶とお菓子を口にしている時だけは、異常に静かになってしまう。
お茶会という題目にしては会話がないのだが、気まずくなることはなかった。穏やかな時の流れを感じる。
コケコケ
静かな場に鶏の声がまじる。
竜人鶏である。すっかり園が生息域になってしまった。
木村がお菓子のカスを地面に落としたので、それを狙って彼の足下をうろつく。
もっとよこせと木村の足をつついてきたので、木村は自らのクッキーを半分に砕いて地面に落としてやる。
「すっかり鶏が板に付いてきたね!」
鶏が板に付かれても困るのだが、と木村は唸るが意外と鶏はみなに好かれている。
ゴードンも地面の虫を食べてくれて喜んでいるし、ペイラーフも植物を食べず、寄ってくる虫だけをつまむので邪険にはしていない。
リン・リーも新鮮な卵が手に入ると喜んでいた。ゲージに閉じ込めて育てる鶏よりも放し飼いにさせて良い餌を食べさせた鶏の方が上質の卵を産むと力説していた。
さらに、この竜人鶏は夜に野菜を盗みに来る泥棒を退治してくれる。
「ところで、この後、北エリアの墓地に行くんだけどペイラーフも一緒に来てくれない?」
「やだね! だいたいあたしの治癒じゃ死人は治せないよ!」
「ごもっとも」
拒否されるのはわかっていたので木村も深追いはしない。
ゴードンを見るが、彼も首を横に振った。
「誰を派遣するか迷ってるんだよね」
フルゴウルが言うには、協力を得るため各エリアに連絡役兼説得役兼人質を配置すべきということだ。
言った本人も広場エリアに派遣するので反論もないのだが、北エリアを誰にするかが課題である。
「その子はどう?!」
ペイラーフが地面でさらなる餌を要求する鶏を見た。
木村も竜人鶏を見る。餌くれとふくらはぎを容赦なく攻撃をしてきている。
「退屈してる様子でね! ちょうど広いところを散歩させてあげたかったんだ!」
だからと言って墓地を散歩させるのはどうなのか? 説得役という役目もまるで果たさない。
木村は疑問をグッとお茶で流し込み、鶏を見つめる。
鶏もつぶらな瞳で木村を見返している。
「それで鶏を連れていくことになったんですね」
カクレガの出入り口でウィルが呟いた。
すでに北エリアまでカクレガで来ている。後はここにいるであろう何者かと話をするだけである。
鶏は木村の両腕に抱かれて大人しくはしている。
暴れないでおいてやるというふてぶてしさをどことなく感じさせる。
この偉そうな鶏を墓場に派遣することが今回の最終目標となる。
「中央にいるあのヒトガタだね。さっさと話をつけにいくよ」
相手を刺激しないよう少数メンバーである。
戦闘要員のリコリスと会話要因のウィル、派遣要員の鶏だ。
リコリスとウィルはこのメンバーに納得しているが、木村は納得していない。
このメンバーが到底相手を刺激しないメンバーとは思えなかった。
大切なのは人数ではなく、メンバーの人種ではないか。
ついでに言えばおっさんもいる。
アコニトがいないだけマシか。
北エリアもカクレガ内で調査はした。
反応があるのは一つだけ。墓地の中央に魔物が一体いる。人の形をしている魔物だ。
リコリスはあの人の形をした魔物をヒトガタと呼ぶ。呼ぶ声にどこか恐ろしさを感じたのは木村だけではない。
「先に言っとく。――話が通じるなんて期待をするんじゃないよ。ヒトガタで、墓場を住処にする奴なんて碌な奴じゃないからね」
リコリスが先頭を歩きながら、後ろを付いていくる木村とウィルに告げた。
彼女の経験論が多分に含まれている。長い時を生きてきた彼女はそういった魔物を討伐した実績があった。
「話が通じないなら武力行使だ」
いつもどおりではないかと木村は思う。
この巫女装束の強キャラは武力が前に出過ぎている。
そもそも話し合いで解決したことの方が稀だ。アコニトも手は早いが師匠よりはマシだった。
そのアコニトはすでに派遣地である東エリアに送った。
不承不承の様子ではあったが、いちおう水銀の海をペタペタと歩いていったのを木村は確認した。
フルゴウルとトリキルティスもすでに広場エリアと西の魔物エリアに派遣済みである。
リコリスはまだ送るには早いのでこちらを手伝ってもらっていた。
「気をつけるべきことはありますか?」
ウィルがリコリスに尋ねる。
彼も墓場に住む人型の魔物を相手にする機会はなかった。
アンデッドということから土、腐敗、病のあたりは系統として使いそうだとは考えていた。
「あんたの見立ては?」
「見た限りでは神気量はさほど多くありません。戦闘になれば制圧できるでしょう。ただ、腐敗や病を使われると対応が厄介かと」
「神気の量に重みを付けすぎてるね。ヒトガタは自らの強さを惑わすことが多い。わっちだって本気で力を抑えれば警戒されないほどには薄まるよ。厄介と言ったが、あんたが言ったくらいのは厄介とは言わない。魔の系統とは常に炎を纏って相対するべきだ。気をつけるのはそんなことじゃない」
散々な批判だった。
前半に関してはウィルもオーディンや黒竜で感じたので素直に反省する。
後半に関しては無意識制限の解除の話である。炎属性の自己付与を厚くすることで魔法の抗力が増すということだ。要は簡易的なバリアである。
「それでは気をつけるべきことは?」
「話が通じたら警戒しな。最大限の警戒をな」
「……話をしに行くんですが」
「だからだよ。話が通じる魔物は厄介だ。特に今回は場所が死臭の充満する墓場。しかもヒトガタ。話をしているうちに死に取り込まれることもある。違和感を覚えたら躊躇なく手をだしな。その時点を過ぎたらもう手遅れになるよ」
木村はふと思う。
メンバーを間違えたのではないかと。
あまりにも脳筋だ。話が通じても通じなくても武力行使になる確率が極めて高い。
もう出口も間近であり、今さら「やっぱチェンジ」とも言えない雰囲気なので、木村はとりあえず武力行使になりそうなら待ったをかけようと決めた。
木村とウィルは警戒心が足りていない。
リコリスは大真面目に気をつけるべきことを話していた。
話ができるということは少なくとも耳から音が伝わっているということである。
もしも音で精神を操る系の魔法であれば、その時点ですでに攻撃を受けていることになる。
さらには、話ができるからには言葉も伝わるということだ。音だけでなく言葉の意味にすら魔法を込められるなら、攻撃をされているという認知すらできない。
話をしているうちに徐々に心が相手の虜囚にされることもある。俗にいう催眠だ。
「『一体の亡霊は一人を連れていく。一匹の半屍人は集落を連れていく。一匹の言葉を解するヒトガタは郷を連れていく』――奴らは憎むべき存在だ。あんたらはそのへんがわかってない」
リコリスが緊張感の足りていない木村とウィルに、彼女の国の格言を送った。
連れていくとは黄泉の国に連れていく――すなわち死ぬということ。
言葉を解するヒトガタは生者の基盤を揺るがす存在である。
彼女はそれを幾度となく見てきていた。
リコリスがウィルに対抗する魔法を教えた。
精神系への対策として、自らにあらかじめ魔法を掛けるという方法だ。
仲間に対して敵意が生じることをキーにして発動し、微少な痛みが自らに生じるというものである。
痛みにより精神を引き戻すという荒技ではあるが、シンプルな割りに効果が大きい。年寄りの知恵というやつだが、ここにそれを口にするものはいない。
「もしもこれが発動したら、即時発動する術を広範囲にばらまく。いいね」
「はい。火花を散らします」
「目を閉じて、耳も塞いで戦えるならさらに効果的だ」
「それは……難しいかもしれません」
リコリスもウィルの言葉に頷く。
精神系や幻惑系は光と音を遮断することが重要なのである。
場を乱すことで相手の術を散らしつつ、自らの攻撃を加えることが重要ということだ。
木村も途中からようやく、今から話にいく存在がどれだけ警戒に値すべき相手か理解してきた。
相手が一人で、魔力もさほど多くない、しかも人の形をしているといった点で状況を甘く見ていたが、どの点も甘く見てはいけない点であった。
墓場という地形も不気味である。この配置に何らかの意味があるのではないかと推測をしたが、この点に関しては推測の域を出ない。
「さて、行くよ」
カクレガの扉が開く。
冷たい空気が入り込むのを木村は感じた。
墓場の一部が盛り上がり、そこから四人と鶏一匹が現れる。
墓地の中央にいた存在も突如として現れた木村たちに気づき、警戒を露わにした。
墓地の存在も近づく木村たちに警戒心を増し、近づく木村たちも墓を椅子にしていた存在が立ち上がったことに警戒した。
木村も近くに来て、その存在が霊体化していないとはっきりと確認できた。
周囲の墓は、他のエリアと同様にぼんやりとした光で、透過もしているが墓地の中心の存在だけは実体に見える。
「これをやったのはお前らか」
男の声だった。低い声だが年寄りとは違い、声に張りがあった。
姿は上から下まで黒いローブを被っており、顔がはっきりと見てとれない。
ローブから出した指が透過している墓を示す。
その指は不気味なほどに白く、血が通っているようには見えなかった。
「そうとも言えます」
木村が曖昧に答えた。
もしもここがカレドア城ならはっきりと「はい」と答えただろう。
「――そうか」
短い返事とともにローブ男のすぐ前方に黒い玉が現れた。
手の平サイズの小さな黒玉は宙に浮いている。
男が玉に手を伸ばすのと、リコリスが駆け出すのは同時だった。
開戦の火蓋がすでに落とされている。
武力行使になったら止めようと木村は考えていたのだが、声を出すよりも早く戦いが始まってしまう。
気づけばすでにリコリスは両手に炎刀を出しており、ローブの男が出した黒い障壁を一刀のもとに切り伏せて男に迫る。
リコリスのあまりの速さと強さにローブの男も驚きが浮かんでいる。
「ッ!」
ローブの男が黒い玉を握るが、その腕は炎を纏った刀で切り落とされた。
さらに返す刀でそのまま炎刀が男を斬りつけた。
しかし――、
「……消えた?」
炎刀は空振りに終わった。
切り落とした腕だけが地面にボトリと落ちる。
「転移に見えたのですが、神気反応が以前感じたものと違いますね」
「随分と珍しい魔法だぞ」
おっさんも少し驚いている様子であった。
リコリスが周囲に忙しく目を配り、のんびりと魔法考証をしていたウィルとおっさんを睨む。
「後ろから神気――」
ウィルが神気反応に気づき声を出したが、言い切るよりも早くリコリスが彼の横を通り抜ける。
木村とウィルが振り返るとローブの男がすでに切り刻まれているところであった。
リコリスはローブごと男の両足を切り落とし、残った片腕の肩にもう一方の刀を突き刺し、そのまま地面に組み伏せる。
「ぐっ! お――」
倒れた男の口に炎刀を突きつけていつでも殺せる状態を作り出した。
もしもわずかでも抵抗の兆しがあれば、男の口に構えた炎刀が喉を貫き、頭を燃やし尽くすことになる。
完全に味方キャラがやって良い所業ではない。殺意しか感じられない攻撃である。木村でもヒトガタに対する憎悪らしきものをリコリスから感じるほどだ。
ただ両足と片腕を切り落とされてもローブの男は生きていた。
「ま、待ってください!」
「待ってるだろ」
これでもリコリスは容赦をしている。
容赦していなかったら、男は最初の転移もどきすらできず両断されていた。
「話を」
「だったら早くしな」
木村も焦る。
話をしようとは思うが、ここから何を言っても悪くなる気配しかない。
腕と両足を切り落としておいて、「これから青竜を倒しに行くんで協力してください」と言えるほど無思慮でもない。
さらに言えば、木村がしたかったのは話である。双方向のコミュニケーションだ。リコリスが急かす話とは通告であり一方通行のものであった。
木村は何を言うべきか迷った。
時間が経つほどリコリスの苛立ちが増していくのがわかり余計に焦る。
「…………何か、言い残すことはありますか?」
悩んだ末に木村の口から出てきたのは、別れの言葉を迫るものだった。
もうどうしようもなく関係が悪化しているので、どうせならこのままここで北エリアを消滅させていいのではないかと計算が働いたのだ。
北エリアの残りHPはほぼゼロであり、おそらくここでこの男が倒れれば終わりだ。
イベント開始前に不安要素が一つ消せる。
「ヒトガタ、変な真似をしたらわかってるね」
リコリスが炎刀を男の口から離す。
ウィルは木村から出た言葉に呆然としていたが、リコリスはむしろ及第点だと頷いた。
彼女は、原則、ヒトガタの魔物は世界から消滅させるべきという考えである。
仲良くしましょうなどと木村が言えば、男を焼却するつもりだった。
問答無用で焼却するのが良回答だが、最後の一言程度で済ませるなら可である。
ただし、その最後の一言も魔法の行使でなければ二パターンしかないので実際は聞いても無駄なことだ。
無意味で哀れな命乞いか、木村たちへの罵詈雑言。
どちらを口にしてもリコリスはすぐさまヒトガタを灰にするつもりでいる。
「……お前らのやったことが具体的に何かは俺にはわからん。転移として話をさせてもらう。俺がここに転移される前に、俺の側に二人ほど人間がいた。少年と少女。そう、ちょうどそこの鶏を抱えた小僧と同じくらいの年頃だ」
木村は男と目が合った。
知っているかというような無言の間ができたので、木村は知らないと首を横に振った。
「あいつらも俺と同様に光に包まれていた。この近くに転移している可能性がある。俺はこのとおりのアンデッドだが、あいつらは人間で俺とは無関係だ。お前の憎む対象ではないはずだ。元の場所に帰してやってくれ。あいつらには、まだまだやるべきことが残っている」
男がリコリスを見た。
リコリスも感情を排した目で男を見返す。
木村はなんとなく話が理解できていた。
この男はどこからか転移されてきたらしい。そして、彼の側にいた人間二人も転移された。
男は無関係と言うが、きっと無関係ではない。人間なのはおそらくそうなのだろう。
この男は自らの命乞いはせず、その人間二人を助けようとしている。
木村は好感を抱いたが、木村が抱く好感程度でリコリスが止まることはない。
もうひとつ気になっていたことを木村は尋ねた。
「あなたはどこから来ましたか?」
「スコタディ霊園だ」
「知ってる?」
木村はおっさんを見る。
おっさんは目を閉じて記憶を辿っている。
「近くに街か目印になりそうなものはありました?」
「すぐ東にサブマという街がある。目印……、北にウリ山系、西にディアトン川、南にモッペ湿原」
「どれも“俺”は知らないな」
おっさんが知らない。
木村はこの反応に心あたりがあった。
「あの、もしかしてですけど『冒険者』という言葉に聞き覚えがありますか?」
「あるな。俺は、生前は冒険者。今もダンジョンのボスで冒険者という立ち位置だ」
「あ、そうですか。ああ、そうなんですね。あー」
当たりを引いた。
冒険者どころかダンジョンとかいう、今のこの世界にはない単語が出てきた。
ほぼ確定である。この男は未来から来ている。しかもサ終後の存在が不確かな未来からだ。
「ん」
リコリスが男から離れて後ろに飛ぶ。
両手に炎刀を出して、警戒を増している。
どこかから馬の鳴き声が聞こえた気がした。
木村の抱いていた鶏が急に暴れ出して、地面に降り立ちどこかへ走って行く。
「げ……、あ、良かった」
仰向けに倒れた男の体の上にポサリと冊子が落ちた。
馬の鳴き声で、もしかして本神が降臨するのではないかと心配したが現れたのは冊子だけである。
冊子は木村も見覚えがあった。
木村も過去のイベントでもらっている。オーディンの小言集だ。
内容は面白くもないのだが、重要なのは内容ではない。この冊子を持っていると、オーディンの庇護の下にあるという証になるということだ。
あくまでオーディンの庇護にあるというだけで、すぐさま木村たちの味方と判断することはできないが敵対する必要性もない。
少なくともここで消滅させてはいけないということは確かである。
か細い未来への架け橋だ。
リコリスと男は成り行きがわかっていない。
木村は理解できたので、今さらだが腰を据えて話をすることにした。
「リコリスさん。戦闘はもうなしです。おっさん、ペイラーフを連れてきてもらっていい? 治療しないと」
「わかったぞ」
おっさんはあっさりとカクレガに入っていく。
一方のリコリスは炎刀を引かない。
「説明しな」
「この人……人じゃないか。……男の方は他の霊体と違って実体です。こちらの攻撃もしっかり通っていました。過去の情報から構成された存在ではありません」
墓は違うようだが、アンデッドの男は実体がある。
カレドア城や他の地域のように半透明ではなく、しかもリコリスの攻撃で腕が落ちたようにダメージが通る。
「このことから最初は、この男の方は過去にいた存在ではなくて、もともとここにいたか、どこか別の場所から転移されたのかな、と考えました」
リコリスも木村の言葉に頷く。
頷きはすれど木村の方を見ない。アンデッドの男から目を逸らさないようにしている。
ときどき竜人鶏がアンデッドの男をツンツンとつついているが、飽きたのかどこかへ離れていってしまう。
「でも、今回のイベント内容から別の可能性も考えられます。この男性が未来から来ているという可能性です。概要では五十年先だかも混ざったと書いてありました。実際、僕たちは前のイベントで未来から来た人とも会いました。サ終後の未来からです。その人が今の世界には存在しない『冒険者』だったとも話していました。その男性は『冒険者』という言葉を知っている。トドメはその冊子ですね。未来を守ろうとしている神が作ってる冊子です。その男性が不確かな未来からの来訪者であることを示すものでもあります」
「未来から来たのはわかった。生かしておく理由は?」
「安易に殺されると、不確かな未来がさらに不確かになるということ。それに、南エリアを抑える際の戦力は多い方が良いということ、でしょうか……」
「それだけかい?」
命を助けるにはまだ理由が足りなかった。
木村はすでにアンデッドの男よりもリコリスの方が怖くなっている。
どれだけヒトガタに対して恨みつらみがあるのか。未来と戦力を秤の片側に乗せてもなお殺意の方が重い。
「他には、えっと……、男の方がさっき話していましたが、人が二人ほど時間転移に巻き込まれているようです。あの状況で嘘を言うとは思えないのでこれは本当のことでしょう。巻き込まれた二人に関しては見つけたら保護しようと考えていますが、そこはご理解いただけますか?」
リコリスは頷いた。
人には甘い。
「その二人は僕と同じくらいの年頃で、場所も時間もまったく知らないところに放り出されたことになります。他のエリアも相当物騒ですから、一人ではないにせよ、ひどく心細い思いをしているはずです。仮にその状態の二人を保護して『カクレガは安全です。心配しないで』と言ったところで心は落ち着かないでしょう。ですが、もしもその際に知った顔がいたら、二人も少しは安心できるのではないかと思います」
ひどく長く感じた沈黙の後に、リコリスは足を下げた。
得物はそのままだが、とりあえずの譲歩といったところである。
「はいはい! どいてどいて! あたしが来たよ!」
「彼を治したげて」
「はいよ!」
墓場でもお構いなく大声を出してペイラーフがやってきた。
やってくるだけで空気の暗さが晴れやかになるようである。貴重な存在だ。
ここにアコニトも加わると空気の重さもなくなる。時と場所、状況によるが彼女もまた貴重な存在だと派遣してから木村は気づいた。
彼女を水銀の海に旅立たせてしまったが、どうしているかが気になった。
もうすでに死んでカクレガに戻っているかもしれない。だが、普段はすぐに死ぬのに、一人で動かせた時に限ってなかなか死なず、謎の活躍をすることも木村は知っている。
「はい! 動かないでね! まず足から治すよ!」
そもそも足は両方ともなく、片腕は切られ、もう片方の腕は肩口を貫かれているので動けない。
この状態で生きていること自体が不思議だが、そこは魔物なのでそんなものなのだろうと木村は見ている。
人間なら楽にさせるべきか迷う状態だが、魔物なので回復する余地はある。ペイラーフは回復力はカクレガに右の出るものはいない治癒能力者である。
木村も何度か見ている。対象が単体なら、死んでなければそれなりに治すレベルに達している。切り落とした腕も状態が良ければ元どおりになるほどだ。状態異常だって特殊なものを除いて消せる。
「あの、キィムラァ。あれ、良いんですか」
「え? 何が?」
ウィルが戸惑った様子であった。
木村は何のことかがわからない。二人の会話も耳に入らずペイラーフが回復魔法を発動させる。
彼女の白い杖がほわんと光り、男の太ももと切り落とされた足がくっつ……、
「あ!」
「あ……」
「…………ぁ」
「あぁ」
ペイラーフ、木村、治療を受けていた男、ウィルの声が混ざった。
ウィルは「やはり」とさらに続ける。
木村は最近のゲームは知っているが、昔のゲームを知らない。
そして、昔のゲームと同様の法則が異世界にもあったことを知らなかった。
アンデッドに治癒魔法をかけるとどうなるかである。ダメージを受けるのである。
生者なら完全回復するというプラス方向の効果が裏返る。しかも瀕死状態のアンデッドだ。
治癒術の浄化光を浴び、男は砂のようにサラサラと朽ちていった。
その後、ほのかな光の結晶が残る。
「え、え? どういうこと? 回復が間に合わなかった?」
木村は混乱した。
昔のゲームの理屈なんて彼は知らない。
キャラはキャラだ。キャラは回復魔法で回復するという理屈である。
回復が間に合わなかったとは言いつつもそうは見えなかった。
どちらかといえば回復魔法で死んだように見えた。
「アンデッドを回復すると攻撃になるんです」
「え? そうなの? 邪属性に聖属性が天敵みたいな話?」
「実際に見たのは初めてなんですが、書物では『強制活性』と書かれていましたね」
「強制活性?」
木村が思ったよりも難しそうな話だった。
「アンデッドの方々は身体の成長が著しく遅くなっているのですが、回復系の術式をかけることで成長が進み、身体にダメージを負うということです」
木村もなんとなくわかった。
ここで終わるかと思ったがウィルはさらに続ける。
「教授はもっと詳細に言及されていました。アンデッドは神気が内に溜まりやすい性質があるのですが、身体の成長が進む際の神気量流出が凄まじく止めることができず、身体を維持できないでしたか。すでに体を損傷して神気も多く失い、流出面が大きいところに回復を当てれば――」
「こうなるってことね」
「さらに言うならば」
完全にウィルは魔法論スイッチが入った。
木村だけでなく、ペイラーフやリコリスも辟易してくる。
「彼らの体表には目に見えないほどの小さな生物がびっしりと付いており、その生物もまた体表を経由してアンデッド化の影響を受けるようです。その微少なアンデッド化した生物がさらに宿主アンデッドの状態を安定させます。アンデッド循環ですね。状態異常除去の神聖術によりアンデッド循環が緩まり、他の神聖術の効果が増します。ペイラーフさんの治癒術式は神気の流出とアンデッドの弱体化という二つの側面で彼らを害します」
ダブルパンチである。
アンデッド絶対殺すウーマン――ペイラーフの誕生である。
ウィルが語り終え、場は沈黙に包まれた。
木村は先ほどまでのリコリスへの説得が全て無に帰した。
ウィルは気づいていたのだが、止めるべく声をかける相手は木村ではなくペイラーフだった。
ペイラーフは治すつもりで意気込んで来たのに、トドメを刺すという結果になり気まずさで声を出せないでいる。
「あんたはよくやった。あいつも穏やかな最期を迎えたよ」
唯一、全てに気づいていて黙っていたリコリスが、ペイラーフの肩を優しく叩く。
今日もっとも穏やかな声であった。戦闘が終わった後の安堵感がその声に込められている。
「帰るよ」
言うが早いか、すでにリコリスは踵を返してカクレガの入口に向かっている。
その背中と肩からは緊張という重みが薄れていた。
木村もやっちゃったものは仕方がないと諦めた。
土の下からよみがえったものが、土に戻ったと前向きに捉えることにする。
せめて今際の際に話していた「転移に巻き込まれた二人」は助けてあげようと静かに誓った。
木村の後におっさんが続き、ペイラーフも割り切ったのか立ち上がってカクレガにスタスタ帰っていく。
「けっきょくどういう神聖術だったんでしょうか」
珍しく一番悔いが残っているのがウィルだった。
転移らしき神聖術を間近で見て、ぜひどういった術式なのか知りたかったのだが男は消えてしまった。
おっさんも珍しいと言ったくらいなので、もう見ることもできないかもしれない。
せめておっさんから術式を聞いておこうと決めた。
墓標代わりに置いておいたオーディンの小冊子が風でめくられる。
ある一ページが開かれて、文字が怪しく光った。
光が収まるとページはすぐに閉じてしまう。
コケ、と完全に回収を忘れられた鶏がどこかで鳴いた。
最終目標はひとまず果たされた。




