12.イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」1
遠征組を見送り、木村達はカクレガに戻った。
先ほどよりも人数が減り、さっそく木村は寂しさを覚えた。
人数が減って見た目がまばらになっただけでなく、音としての賑やかさも失われていた。
見送りに来ていなかったアコニトが、ソファを占領しイビキをかいて寝ていたのだが、今だけは目を瞑っておいた。
木村はおっさんと肩を並べて地図の前に立っている。
先ほど旅だった二組が、カクレガを表す赤点から徐々に離れていくのがわかる。
二組はそれぞれ北西と南西に向かっている。
そして、赤点も東へとゆっくりだが進んでいるらしい。
「……カクレガは、どこに向かってるの?」
赤点をぼんやり見ていて浮かんできた疑問を木村は口にする。
滅びた帝都から逃げるように移動したが、肝心の移動先をまったく聞いてなかった。
「わからないぞ」
「は?」
木村はおっさんを見た。
おっさんはいたって真面目な表情で地図を見ている。
「カクレガが自動で進み始めたからな」
おっさんの指が赤点を示し、そこから東へと動いていく。
地図の東は、ほぼ真っ白である。
「カクレガは察しているのだろう――東で何かが起きる、と」
「なに、その嫌な機能……」
ピッピコーン!
突如の通知。
木村がビクリと震える。
「ひょわっ! ぴえぃいい!」
アコニトも奇声をあげて目を覚ました。
最悪の目覚めだったのだろう。尻尾が逆立っている。
木村はだいぶ慣れてきたがやはり驚く。
緊急地震速報と同じような感覚になりつつあった。
もう、この音自体が一種の恐怖だ。一斉になり出さないだけまだマシか。
アコニトも恐々とした様子で木村たちをソファの隅から顔を半分だけ出して覗く。
聞きたくないのだが、聞かずにやばいことに巻き込まれるのはこりごりだという彼女なりの覚悟の現れである。
木村やアコニトの思いなどおっさんが知るわけもない。
彼はにこやかに木村に手紙を差しだした。
「“イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」開催予定!”」
木村はとりあえず題名を読んだ。
ふりがなに従い読みはしたが、後半は意味がわからない。
見たこともない字もある。文字面からなんとなく暗さだけは感じとることができた。
「イベントストーリーか。楽しみだな。――おっ、地図が更新されたぞ」
ちょうど目の前の地図の表示が一部変わった。
ナギカケ帝国の国境を越え、別の国に入ったらしい。
未だ真っ白な地図に、国名だけが表示される。
「グランツ神聖国」
名前だけではどんな国なのか、はっきりとわからない。
異世界らしい宗教的な国なんだろうと木村は考えた。
ついにイベントストーリーが始まる。
だらだらとした異世界でのデイリークエスト生活に、ようやく刺激的なものが投入されるはずだ。
リリース当日からイベントストーリーを開催するソシャゲもある。
木村も連続ログイン10日目の特典をすでに受け取っているので、この開催は遅いと言えるだろう。手遅れかもしれない。
あるいはメインストーリーが充実しているかだ。
メインが重厚なら、イベントストーリーを遅らせたことはわかる。
しかし、異世界のためか木村達にメインストーリーはない。
実はあるのかもしれないが、少なくともまだ木村達はそれらしき話に首を突っ込んではいない。
デイリークエストや中止された討滅クエストだけだったが、ついにイベントストーリーがおこなわれる。
異世界が関わっていることも、木村には嫌な予感しかさせない。
イベントストーリーのキャラが、異世界で暴れ回る光景が浮かんでくる。
通常は問題を解決するのがプレイヤー側である。
しかし、果たしてそうなるかも怪しい。すでに帝都で実証済みだ。
なるほどイベントストーリー上の問題は解決するのかもしれない。
ただし、解決にあたり、この世界にどれだけ爪痕を残すのか、それこそが一番の問題だ。
しかも、最初のイベントストーリーだ。
運営は間違いなく力を入れてくるであろう。
木村はこのゲームの運営をまったく信用していない。
ここの運営は、すでにいろいろとやらかしている。
イベントストーリーでも何かやらかしてくる可能性が高い。
こういう運営は力を入れれば入れるほど、何か大きなことをしでかす。
木村は、ソシャゲの運営と彼らが催すイベントを異世界に投下する爆弾と捉えている。
木村は思い違いをしていた。
彼が見てきた多くの異世界転生もので、猛威を振るうのは多くのケースで主人公側だった。
過去の事例に則り木村も当然の如く、強大なソシャゲのモンスターやイベントが、無力な異世界の人間や環境に災禍をもたらすと考えている。
彼が思い違いをするのも無理はない。すでに帝都での前例があったのだから。
ただ、このパターンに例外があることを彼は失念している。
そして、例外的な存在が常に主人公が強くなるのを待ってから出るわけでもない。
ここは異世界であり彼らの世界だ。彼らは自然と世界に存在する。
異世界の法則に、より詳しいのも異世界人側である。
彼らの世界に無闇に飛び込んでいった木村達側に問題があると言える。
何はともあれイベントはじきに開催される。
木村は嫌な予感を覚えつつも、楽しみな気持ちがあるのも自覚していた。
とりあえず、あのやばかったバランス崩壊の竜はもう出てこない。
そのため、前よりはマシだろうと彼は高をくくっていた。
木村の予想は、前半は当たっているが、後半は外れである。
終焉の跫音は、彼のすぐ近くに迫っていた。
―― ―― ――
グランツ神聖国は、今でこそ「神聖国」と御大層な名前で呼ばれているが、元は神聖術の一研究機関である。
その名も――グランツ神聖術学園。
神聖術は魔法と捉えてもらえば良い。
人の、人による、人のための、「神より授かった聖なる術式」を追究する機関は、次第に勢力を増し、母体であった国を逆に支配するまでとなった。
その際に規模が縮小したため、他国と比べて領地は狭い。
それでも狭い範囲ではあるが、彼らは自分たちの力を他国に認めさせている。
彼らの頂点はかつての名残で学長と呼ばれており、その下に二人の副学長、さらにその下に十名の教授がいる。
教授より下にも、多くの階級と呼べるものが存在するが、実質的に神聖国を支配するのは学長、副学長、教授までの十三名だ。
学長、副学長ともなると権力の使い方を弁えている必要がある。
しかし、教授までなら神聖術への理解の深さだけでも就くことができる。元が学園であったことの名残だろう。
神聖国の一室に、まさに神聖術への理解の深さだけで教授になった男がいた。ルルイエである。
ルルイエは派閥争いにも参加せず、教育にも力を入れず、研究にも消極的で、極めて無気力であった。
「教授。学長の遣いの方が、『今年度の教材を早く提出してくれ』と仰ってましたよ」
研究室に入ってきた助手のウィルが、ソファで寝そべっているルルイエに声をかけた。
声をかけられた無気力側はゆっくりと指を上げ、離れた机を示す。
「あ、もう作られてたんですか。それじゃあ、僕が渡して――」
優男が机の前に行き、薄い冊子を手に取ろうとしたところで動きを止めた。
冊子の表紙にあり得ない文字が書かれていたのだ。
「教授! これはまずいですよ! 以前もお叱りを受けたでしょう!」
ウィルは切羽詰まった様子でルルイエに詰め寄った。
表紙に書かれた文字は、この学園では読むことすら憚られるものだ。
“魔/法”
表紙にはシンプルにこれだけが書かれている。
他国は神聖術を、妖術だの奇術、方術などと好き勝手に読んでいるが、ここグランツ神聖国において、神聖術は「神聖術」のみ呼称が許されている。
神から授かった聖なる術式。
この思想が、この学園、ひいてはこの国の基礎にあるからだ。
「君は――君の言う神聖術が本当に『神から授かった聖なる術式』と思っているのか。幸せ者だな。私には悪魔の法則に感じるがね。歪みしか感じられないよ」
ソファに寝転んでいたルルイエがようやく声を出した。見た目通りのだるそうな声である。
もしもこの発言を、彼以外の者が口にしたなら学園からの追放、あるいは謹慎が約束される。
ルルイエであれば黙認される理由は、彼が行使する神聖術が一種の悪魔的な力に基づいていると周囲も感ずるところであるためだ。
かつてルルイエが着任一ヶ月目の教授会で同様の発言をした際に、副学長および他教授からお叱りを受け、売り言葉に買い言葉で口論となり、実力を以て言葉の表すところを示すこととなった。
結果として、ルルイエ一人に副学長および当該教授は完敗を喫した。
その後、副学長は退任に追い込まれ、教授の枠も一つ空いた。
ルルイエ事変とも呼ばれている。
「ルルイエは神聖術を扱わない」とまで囁かれるほどだ。
それほどまでにルルイエの神聖術は、他者の神聖術とは別格であった。
下手につつくとやぶ蛇なので、可能な限り関わらないと全教授は心に刻み込んでいる。
ルルイエに面と向かって口が出せるのは、口が本体と言われるほど口うるさい副学長と、過去に当代一の神聖術使いと評された現学長くらいである。
ちなみに、「現在の当代一の使い手はルルイエ」と、学長本人が公言したのでやはりルルイエの実力だけは誰もが認めざるを得ないところではあった。
それとルルイエ研究室、ただ一人の助手であるウィルも平気で口を出している。
最初は遠慮していたのだが、遠慮していてはやっていけなくなり、今では立派にルルイエと他部署を繋ぐ連絡役兼お目付役である。
「ともかく私は書いたぞ。『魔法』は絶対に駄目だと言うから、ちゃんと分けた」
「間に“/”を入れれば良いってもんじゃないですよ。せめて魔だけでも別な言葉に変えられませんか」
「いいや、魔は魔で良い。これこそが私の言いたかったことだ。魔と法、この二つは別物なんだ。読めばわかる」
「読めという割に薄すぎますよ」
ルルイエの作ったという冊子は薄い。
数ページあるかどうかだ。
「いいから読め」
ルルイエの言葉少なめの説得を前に、ウィルは冊子をめくって読もうとする。
しかし、冊子のページは堅く貼り付いており、めくることができない。
「まさか……。あっ、またやってる! これも『もう絶対するな!』って言われたばかりじゃないですか!」
冊子には魔法がかかっていた。
魔法を読み解かなければ、めくることすらできない無駄に手の込んだ仕掛けだ。
数日前に、副学長への決算報告で同じ仕掛けを施し、彼らを激怒させた。
渡した段階ではただ困惑させただけだったが、めくろうと四苦八苦する彼らに対して「読み解けないんですか? 副学長なのに? うちの助手でも読めたのに?」と挑発したためだ。
「まったく。……表紙から難しすぎませんか。読ませる気がないでしょう」
「難しいと言うわりに、君はあっさり表紙をめくっているね。前書きもすらすら読んでいる。私の見込んだとおりだ。やはり君は『魔法』の才能があるよ」
ルルイエにすれば最大の賛辞なのだが、喜びがたい言葉にウィルは顔を引き攣らせて応えるだけだ。
ウィルは見開き一ページをさらりと読み解き、次ページへ進まず冊子を閉じた。
「いちおう持っては行きますが、どうなっても知りませんからね」
「学長なら受け取るだろう」
「そうでしょうか」とウィルは首を捻りつつも、冊子を手に研究室を出ようとする。
「例の二人はどうなった?」
ルルイエがぽつりと質問を投げかけた。
「例の二人……? ああ、あの二人ですね。一人はベイスラー教授が引き取って、もう一人は地下送りにされたようです」
ウィルは二人が誰を指すのかすぐに察した。
二日前、学園に密偵が潜り込んでいたのをルルイエが指摘し、すぐさま捕らえられた二人のことだ。
二人は別々の組織にいたようだ。
互いのことは知らず、仲間ではない様子だった。
どちらも手練れで、神聖術に助教授以上の才覚を示し、捕らえる際に被害が出たという。
一人はベイスラー教授の目に留まり、彼に引き取られた。
ベイスラー教授は北にある古遺跡の研究をしている。遺跡にかけられた封印術式に苦戦していた。
捕まった人間は、封印を解除する何らかの手段か情報を持っていたのだろう。
そうでもないとベイスラー教授の目に留まるはずはない。
もう一人は地下送り――牢に入れられている。
追放されず、処分もされていないということは一定の実力があるということだ。
追放するには神聖国にとって危険すぎ、処分するには同様に惜しい。
あるいは、手が付けられたものじゃないかだろう。
ちなみにこの二人はイベントストーリーの重要キャラであり、異世界に出現後、暗躍および活躍する間もなく捕らえらた。
そのため、イベントストーリーは始まる前からすでに破綻している。
もちろん学園側の誰もそんなことを知るよしもない。
一人は研究室に入り、もう一人は地下送り。
少なくともウィルにとってはそれまでの話だった。今このときまでは。
「ふぅん。じゃあ、地下の方はうちで引き取ろう。手続きをしておいて」
「はい?」
「――ああ、冊子を渡すついでだ。『西から変な気配が学園に向かってきている。明日にでも何か来る』と学長に伝えておいてくれ」
「…………はい?」
ルルイエはもう言うことは言ったと、ソファに寝そべり目を瞑る。
各部署への連絡と事務処理、地下の人間の解放請求で、ウィルは一日を消費することになる。
無価値な一日だったと彼は振り返るのだが、このときの彼はまだ知らない。
明日は今日よりも最悪、最低であることを。




