100.イベント「私のカツラを知らないか?」3
五日目に入った。
ドライゲンの空気は以前に増して重々しい。
髪のない兵士達があちらこちらで髪を探している。
昨日、保管所からなくなった髪は、けっきょく見つかっていない。
そのため昨晩からずっとこの調子で兵士達は髪とその手がかりを探す羽目になっている。
「昨日から考えていたのですが、犯人は髪を盗んでどうするんでしょうか?」
ウィルの疑問はもっともなものである。
木村も気になっていた。もっと言えば二人だけでなく全員が気になっている。
「ただの愉快犯であれば髪が目的ではなく、髪がなくなったことによる騒ぎを目的としているのだろうね。そして、それは成功している。――厄介だよ。とてもね」
フルゴウルが言葉とは裏腹に楽しそうに呟いた。
いつも作ったような微笑みを浮かべているが、今日の笑みは木村でも本心が現れているように見える。
「犯人の姿がまったく掴めていないですからね。王様も焦ってますよね。『髪を探せ』とだけ言われても兵士達は困るでしょう。あら探しされる住民も迷惑でしょうし」
「もしも私が王の立場なら、今回の犯人は最悪の存在と言わざるを得ないね。王としては犯人を人民の敵として非難の矛先にしたいところだろうが、その犯人は姿をまったく現さない。彼の持ち味である細やかさと実行力を示すほど、兵士を始め、人民からの求心力を失わせている」
木村もフルゴウルの話を聞き、彼の育った日本のことを思い出していた。
日本の政治でも内閣の首相や閣僚の不祥事や不手際が続き、支持率が低下し、首相が替わったり、選挙になったこともあった。
ここは異世界であり、民主主義でもないので選挙はない。
王は簡単には変わらない。
「今回の犯人は王の支持率低下を狙ったものでしょうか?」
支持率が下がり続けたまま政を続けるとどうなるか。
日本のように総辞職解散総選挙リセットがあればまだ良い。
リセットがなければ人々に不満が溜まり続け、いずれ爆発することになる。
「犯人は反乱を狙っている?」
ただの愉快犯ではない可能性が高まってきた。政治犯だ。
うっすらとしていた不穏な気配が、木村でもわかる濃さに急変する。
「気になることもある。あまりにも事件が知れ渡るのが速い。髪が盗まれたのは昨日だよ。すでに全都民が髪が盗まれたことを知っている雰囲気がある」
昨日、髪が盗まれたことはあっという間に周知の事実となった。
人の口に戸は立てられぬというが、その伝わる速度があまりにも速い。
夕方には兵士だけにとどまらず、一部の都民にも知れ渡ってしまっていた。
そのため秘密裏におこなう予定だった捜索活動も、本日五日目は堂々とおこなっているわけである。
「犯人が話を拡散している、と」
ウィルがフルゴウルの言いたいことを口にした。
SNSもない世界でどうやって話を拡散できるのか木村は気になった。
当然、人づてということになる。そうすると、犯人はどこかで姿を晒しているのだろうか。
「その話、王様にも伝えた方が良いんじゃないですか?」
「彼はもう気づいているよ。次の一手もわかる。私たちにした対応と同じだろうね」
「どういうことです?」
「民衆を集めて、彼自らが今回の事件のあらましの説明、不手際の陳謝、今後の対応を話す。これには別の目的もある。そちらこそが主目的だ。わかるね?」
木村もなるほどと頷いた。
姿の見えない木村たちを城で堂々と迎えたように、自らを餌として犯人を釣るわけだ。
ただ、疑問も残る。
とてつもなく素朴な疑問だ。そもそも論でもある。
「犯人、現れるんですか?」
今まで姿をまったく見せなかった存在だ。
王を餌にしたところで姿を見せるとは思えない。
ただの説明会で終わりにならないか。
「――ふむ。ここまで話を掘り下げたところで、私の意見を述べておこう」
フルゴウルは犯人が現れるかどうかをすぐには答えなかった。
代わりに意見という形で述べていく。
「犯人はやはり愉快犯だ。政治犯ではない」
話を聞いていたウィルと木村もフルゴウルを黙って見返す。
今までの解釈をあっさりと翻してしまう。
「今までの話の流れで政治犯じゃないと?」
「一見、政治犯ともみてとれるが、本性は愉快犯だろう。もしも私が犯人の立場なら国王とその側近の髪はそのままにする。そうすれば政治家と一般都民の違いが視覚的にも明確になる。誰が敵なのかを示すことが重要だからね」
今回の脱毛事件は見境がない。
むしろ積極的に偉い人間でも禿げさせていた。
「全員禿げてますからね」
「そのとおりだよ。愉快犯の線でいけば、彼の標的は都民全員だ。彼らが慌てふためく姿を見て楽しむわけだ。もしも、彼らが一同に揃う舞台があるとすれば、だ」
「犯人は姿を現す。さらには別の何かも起こす可能性だってある」
フルゴウルは頷いた。
しかし、その後で眼をわずかに開いて独りごちた。
「しかし、なんだ。事件の本質から外れていないか」
「本質ですか?」
フルゴウルは返答しない。
本人もまた考えがまとまっていないようである。
「愉快犯ですらないかもしれない」
その声は木村とウィルの耳に入ったが、二人は聞き返さなかった。
朝も過ぎ、斯くして流れはフルゴウルの言ったとおりに進む。
昼過ぎにでも王が民の前で今回の件を話す場が急遽設けられることとなった。
場所や時間、兵士達の配置で対策室は忙しい。
フルゴウルやウィルも積極的に話し合いに参加している。
木村とモルモーは、部屋の隅で彼らの邪魔にならないようお茶を飲んでいた。
「大丈夫なんですか、あれ」
モルモーが木村に尋ねた。
木村は首を横に振る。
「駄目だと思う」
二人が見るのはアコニトだ。
あの彼女が珍しく対策側に立っている。
普段ならがんばっている連中を小馬鹿にしながらお茶かタバコをしているが、今回は違う。
兵士らが図面を広げて話しているのを、腕を組み、背後で仁王立ちして見下ろしていた。
表情が微妙に穏やかなのがいっそう怖く、誰も彼女を見ようとしない。頭を除けば完全に強キャラのポジションだ。
「やる気があるのは良いんだけどね。なんでだろうね。やる気を出せば出すほど失敗するのが目に見えるようで……」
木村の正直な思いに、モルモーも頷いた。
慣れないことはしないに限る。これはアコニト自身の言葉でもある。
その彼女が今回は珍しくどころか初めてやる気だ。やる気というより殺る気が見て取れる。
犯人を絶対に殺し、ステータス異常「禿げ」を解除するという意志が出ている。
「モルモーさん、アコニトが暴走して都民を殺さないようマークしておいてもらえますか」
木村が危惧しているのはこの点だ。
やる気なのは良い。別に犯人殺しが失敗しても成功しても木村としてはどちらでも良い。
ただ、犯人を殺すために都民をいたずらに巻き込むのは止めるべきと考えている。
脱毛による混乱こそあれど、ここまで死人ゼロだ。イベントの死者数最低記録を自らの手で壊したくはなかった。
「その件に関しては私も働きますのでご安心を」
モルモーも死者を増やして上司の機嫌を損ねるのは避けたいところだった。
死者を出さないよう動く点に関して二人は意見が一致している。
逆に言えば、それ以外は違うと言うことだ。
「他の点に関しては働かないんですね」
「そりゃあもう」
カクレガから持ってきたお茶を飲み、あくび混じりでモルモーは即答した。
上司からの命令がない限りは働くつもりはないようである。
今の上司代理は木村だが、彼も命令する気はない。
「今回の犯人をモルモーさんはどう思われます?」
「え、私ですか?」
「はい。フルゴウルさんは政治犯の可能性もあったけど、やはり愉快犯じゃないかと言ってました」
「へー」
モルモーは興味なさげである。
彼女は基本的にフルゴウルを嫌っている節があった。
嫌うというよりは関わろうとしていない。距離を置くというのが正しい。
「それで、あなたは?」
「わからなくなっています。政治犯の可能性も示されて、そうかもしれないと思いました。推測ではなく、犯人の口から直接聞きたいところですね。どちらにせよ、犯人が昼の演説を狙って出てくれれば良いと思っています」
モルモーが木村をぼんやりと見てくる。
木村も数秒なら堪えられるが、十秒以上続くと沈黙に堪えきれなくなる。
「……えっと、なんでしょうか?」
「いえ。いつものことながら随分と中途半端な位置にいるな、と思っただけですよ」
「中途半端?」
「ええ。今回に関して言えば、もったいないですね」
「もったいない?」
木村は首を捻った。
中途半端、もったいないと連ねたモルモーの言わんとしていることが木村にはわからない。
「今までのことで身構えているのはわかりますがね。いったん頭を空っぽにしましょう。ゆっくりお茶でも飲んでもらえますか」
モルモーが木村の空になったカップにお茶を注いでくれる。
木村も言われたとおり、努めて頭を無にしてお茶を口に含んだ。
ちょっと苦みが強いのは、甘めのお茶菓子と合わせるためだろう。
「脱毛から始まった今回のイベントですが、私はかなり楽しんでいます」
モルモーの心境説明が始まった。
「シエイに役回りを投げず、私自身がここにいるのも楽しんでいることが理由ですね」
当初こそ彼女をセンサー役として連れてきていたが、イベントの二日目以降は彼女の方から来ている印象だ。
もしもモルモーが行かないのなら、シエイでもさほど問題はない。
センサーがあまり役に立たない相手とわかっている。
「髪がなくなって大騒ぎ、次は集めた髪がなくなって混乱、王がわざわざ事態を説明。冥府の基準でいけば完全に喜劇ですよ。平和そのものではないですか」
彼女は穏やかな顔で述べる。
木村は表情を読む能力が高いわけでもないが、彼女が本心から言っていると感じた。
二日目くらいにも似たような話を聞いていたことも大きい。「髪がなくなったくらいでよくここまで騒げますね」と言っていた気がする。
彼女は吸血鬼であり、いつも変身している。
実際の姿をカクレガの誰も見たことはないのだが、人の形をしていない。異形の魔物である。
彼女の価値観で言えば、今回のイベントはおふざけにしか該当されるものだった。
そして、おふざけをさながらモニター越しで見るように楽しんでいる。
「もしも今回の出来事を起こした存在が今すぐ死んで冥府に行っても、地獄の王の裁定になんら影響は与えないでしょう。誰も死んでいない。むしろ健康になっている。エリュシオン行きすらありえます。以前に話を聞いた女神ではないですが、今回はどちらか決めた方が良いですよ」
「どちらか、ですか?」
ようやく先ほど聞いた「中途半端な位置」、「もったいない」に繋がると木村は感じた。
選択を迫るところが水の館で会った女神に重なる。
「アコニトさんと一緒に犯人を捕まえるため力を尽くす。もしくは、私と同じ立ち位置で極力我関せず物見に徹する。――このどちらかです」
イベントにおいて、木村の置かれている立場はいつも中途半端である。
巻き込まれる異世界の住人とはやや離れた立場にいつつも、イベントを持ち込む元凶となっている。
それがわかっていつつも途中で諦めたり、ちょっとだけ戦ったりといつもそんな流れだ。
対岸の火事を見つつも、ときどき野次馬気分で火を見に行っている。
前回のワイルドハントでもある程度は守ったが基本的に自らの命を大切にして一部の犠牲を見捨ててきた。
最後の最後で退けなくなって、戦いに身を投じたがあれは例外だろう。
「そうは言ってもあなたも優柔不断ですから決められないでしょう。今回、私の側につくメリットを説きましょう」
モルモーはさらりと貶したが、すぐに後の言葉に移った。
木村も自覚はあるので特に言及しない。
「まず、今回のイベントですが先ほども言ったように、私のように距離を離して見れば喜劇です。髪の毛が抜けただの、集めた髪が消えただの、兵士が髪を必死にンフフ……」
言っていて面白くなったのかモルモーは笑って言葉が止まってしまう。
木村も感じる部分はあった。今回のイベントはまずタイトルからしてふざけている。
生じた出来事の原因や手段は見事だが、起きたことを考えれば彼女の言うようにこれまたおふざけだ。
「ですが、まだ五日目です。この先もおふざけが続くとはわかりませんよ」
「イベントがねじ曲げられなければ続きますよ」
条件付きではあるが、モルモーは断言した
木村も怪訝に感じて彼女を見返す。
「あなた方は『犯人』と呼んでいますが、私の中で今回の主役は『演者』です。『犯行』と言われますが、人間のみならず私たちの誰にも悟られずこれだけのことをしでかすのは、まさしく『曲芸』です。イベントの案内文に出てきたのはヅラウィ曲芸団でしたか。そのメンバーがやっていると考えるのが妥当でしょう」
その線はすでに考えた。
しかし、一介の曲芸団とは言え、異世界に来てここまでの舞台が整えられることはないと考えた。
まず団員であるなら、木村たち同様に衣食住の問題が発生する。
このことを木村は反論として述べた。
「――人じゃないならカツラでしょう。文面でもひとりでに動き出したとありましたし」
「そんな馬鹿な。冗談にもなりませんよ」
この話も前にウィルたちとした。
笑い話程度で終わったはずだ。動くのはアコニトの尻尾だけで充分だ、と。
しかし、モルモーは真面目な表情である。
あのとき彼女は話の場にいただろうか。いなかった気がする。隅でアコニトと一緒に寝ていた。
「冗談を言っているつもりはないですが……。尻尾ですら独立して動くんです。カツラなら当然動くでしょう」
「いや、尻尾はそうですけど、カツラはカツラですよ?」
当然の疑問を木村は口にした。
尻尾はアコニトの神気か何かを浴びているだけだ。カツラとは訳が違う。
モルモーが先に違和感に気づいた。
椅子に体重を預けて、口をやや開けて天井を見る。
「得心がいきました。あなたたちはずっと人に絞って探していたんですか?」
当然である。
芸当からしてカゲルギ=テイルズのキャラとは考えていたが、人型だと考えて木村たちは探していた。
木村たちですらそうだ。ましてや帝国の兵士達は当然、人の姿をした不審者を血眼で見つけ出そうとしている。
「一般的にカツラは何で作られているかご存じですか?」
「……髪でしょう」
地球なら化学繊維かもしれないが、この世界ならカツラの素材は実際の髪だ。
現代でも人の髪から作られるカツラは光沢がなく自然に見えると木村も聞いたことがある。
記憶は曖昧だが、癌治療で髪が抜けてしまった人のために自らの髪を切って送るプロジェクトの番組か何かで見た。
「そうです。髪で作られることが多いですね。それでは誰の髪ですか?」
「誰って、そりゃあ……そうか。人じゃないかもしれないってことですか」
「はい。神の毛髪から作られるものもあります。特に、髪は素材の元となった存在の力を帯びることも多い。私の上司も髪は悪用されることがあるので処理に気をつけているくらいですからね。さらには髪を使う特殊な技もあるくらいです。加えて、カツラを付ける側の力も帯びることになる。こういった経緯を踏んだカツラが独自の生命を持っても何らおかしくはありません」
モルモーの説明に木村も納得した。
アコニトの尻尾ですら人格を持つに至った。
曲芸団の長が付けていたと書かれていたカツラだ。
仮に元の素材が神の髪ということでもあれば、生命をもってもおかしくはない。
今回のイベントで、捜査について話を聞くべき人物が誰だったのかも今さらになってわかった。
「カツラが今回のイベントのメインキャラ、もしくはボス……」
「そうなります。――なおさらあなたは見物すべきですね。今日の説明集会で演者は現れるでしょう。きっと曲芸を披露します。私は禿げ狐のやらかしをカバーしなければならない気配ですので、代わりに観客に徹してください」
「観客に徹する?」
「ええ、演者の目的はただ一つでしょうからね。王も兵士も聴衆も、私たちですら出演者になるのなら演目に出演しない観客が一人はいた方がいい」
木村はモルモーの言葉に理解が追いついていない。
観客だの目的だのと言われても困る。
「ここで話したでしょう。曲芸団の演目に地域性はあれど、最終的な目的はただ一つ」
木村も思い出した。
お茶を飲みながらアコニトも一緒に話した記憶がある。
曲芸の内容は日本、東日向、冥府とそれぞれ演目に違いがあった。
しかし、けっきょくは同じ目的にたどり着いた。
「――観客を楽しませること。ヅラウィ曲芸団の団員であろうカツラの演技。とくとご覧じていただきたい」
モルモーは今回のイベントをずっと曲芸団の団員による演目と考えていた。
観客として楽しんでいたので、木村たちにあるような緊張感が見られなかった。
木村も彼女のスタンスとその思惑を把握するに至り、緊張感がドッと抜けてしまう。
モルモーの考えはおそらく正しい。フルゴウルの意見も正しさを感じたが、モルモーの方がイベントをより正確に捉えている。
木村の中でパズルのピースと化していた手がかりの断片が、ピタリと嵌まった感覚がある。
今回のイベント像が明確な形をなして見えてきた。
同時にフルゴウルの言っていたこととも繋がった。
陰湿さがなく、愉快犯ですらない可能性もあるとはこのことだと。
フルゴウルも彼女なりに今回の異質さに気づいていたのだ。
ただ、彼女にはカツラに生命が宿るという前提がなく、事件にも積極的に関与していたので本質からズレてしまったわけである。ヅラだけに。
ズレていたのは事件の本質ではなく、イベントの本質だったわけだ。
そもそもカツラにしてみれば、一連の流れは事件ではなく演目というわけだ。
なるほど愉快犯ではない。目的は恐怖や混乱ではないのだから。
木村は決めた。
今回のイベントは見物に徹しよう、と。
もちろん被害が甚大になれば話は別だが、人に明確な危害を加えることもなさそうだ。
また、モルモーの完全な予想違いということもありえる。
ひとまず一人の観客として、説明集会という演目を楽しむことにした。
時は来た。
日は天頂を越えて城の影をわずかに斜めに落とし始めた。
城の前方広場には、万に至る聴衆が集まり、王は彼らに力強く演説をおこなう。
集まっているほぼ全員が禿げ頭なのが、場の緊張を良くも悪くもかき乱していた。なにより反射で眩しい。
木村たちは聴衆よりも王に近い位置に座っている。
歩兵、騎兵はもちろんとして、空には数多くの飛龍兵が飛び交っている。
探知魔法を発動している者、すぐさま発動できるよう待機している者も数十はいた。
わかる人にはこの場の物々しさがわかる。
狩り場が形成されていた。
強化しているウィルですらこの場には入らない、と話す。
当然である。発言したウィル本人に加えて、フルゴウルや姿の見せないアコニトも狩る側に回っている。
演説が始まった当初はいくらかの都民も戸惑いを感じていた。
それも最初の数分だけだ。王の演説が始まれば彼の声が都民の心を掴んでいく。
木村も完全に物見モードだったので、王の演説のうまさがわかる。
呼吸法や間の使い方といった巧さもあるのだろうが、それはまだ木村にはわからない。
木村にわかっているのは単純に喋りの上手さだ。木村が発する「えー」とかいうつっかえがない。
次から次へと原稿を見ることもなく、口からよどみなく出てくる言葉の数々に、木村は素直に彼自らとの経験や知識の差を感じている。
演説も終わりに近づき、民の意志は王の目指すところに近づいていた。
途中で一部の都民が野次を飛ばしたが、それにも細やかに対応し逆に好感へと反転させた。
実は声をあげた都民は王の仕込んだサクラなのだが木村は気づいていない。観客の一人として王に好感と尊敬を抱いた。
集まった都民の意志が「犯人、許すまじ」と一丸となった。
その瞬間を待っていたかのようにそれは現れた。
群衆の後方から音もなく一体の人型が姿を現した。
現れた位置は群衆から、人一人分を開けた上空である。
人々がその人型に声をあげるが、人型は堂々と群衆の声を踏むように空を歩いている。
大多数の人々は、その人物が空に浮いているように見えた。
その人物は軽装で、木村に言わせればジョギングでもするような格好だ。
髪だけが異常に長く、向かって右が赤で、左が青とまるで虹のようにグラデーションがかかっている。
顔は髪をかき分けるように現れ、多くの群衆がまるで彼の顔を好青年のように見た。
穏やかな顔で、長く奇抜な色の髪を揺らし空を歩く。
魔法を準備していたものは発動をギリギリで止めている。
兵士長も群衆に魔法を当てることを恐れ、攻撃指示が出せない。
加えて、王も兵士達へ攻撃を認めず、闖入者の行動を見守れと指示を出している。
多くの人間が闖入者を空に浮かぶ魔法使いと思う一方で、別の意見を持つ者もわずかだがいた。
一例を示せば、木村の良き仲間であるウィルである。
彼は闖入者の姿を凝視している。魔法を使った痕跡は確かに彼は見た。
しかし、それは一瞬だ。今は何も使っていない。今の闖入者は魔法を使わず空に浮かんでいる。
彼にはどうやって闖入者が空を歩いているのかその種がわからなかった。
フルゴウルは闖入者が空を歩く芸当の種は見てわかっている。
最初に闖入者が数本の髪を空中に引いた。恐ろしい強度であり、同時に長さも持つ髪である。
非常に見えづらいが空に張られているのは二本の髪だけ。闖入者はその今にもバランスの崩れそうな細い髪を踏んで、なおかつ穏やかな表情を作っていた。
闖入者の芸当とその据わった肝に敬服し、これに手を出してはならないと感じてしまった。
多くの人々が闖入者を人とみる中で、木村は闖入者の姿を人と見ることができていない。
木村の目には闖入者がかけた姿を欺く特殊な芸が効力を発していなかった。
「髪が服を着てる」
木村の目に見えているのは、上から下まで髪で構成された塊が服を着ている姿である。
いちおう人型を模しているようだが、色もあちこちで違っていて気持ちが悪い。
頭の部分だけカツラとわかる。あれが例の本体と木村も気づいた。
さらに木村は他の人の反応から、自身が見ている化物と他の人が見えているのは別物だとも気づいた。
気になって隣のおっさんを見るが、彼は眼を閉じている。
眩しいわけではないだろう。
「どうかしたの?」
「情報量が多すぎるんだぞ」
おっさんの言葉の正しい意味を木村は把握していない。
木村はおっさんも彼と同じように髪の化物が見えていると考えた。
「確かに情報量は多いかも」
現れたのはいいが、これから何をするつもりなのか。
この点に関して全員の意志は一つである。
髪の化物が群衆のほぼ中心で立ち止まる。
そして、優雅に一礼した。
「名乗るが良い」
アルマークは闖入者の礼に対して、名乗りをあげることを許す。
群衆は謎の青年の口が動くのを見た。
「みなさま、ごきげんよう。わたくしはズラウィ曲芸――」
「みぃつけたぞぉ!」
髪の化物が発する綺麗な声にかぶせるようにして汚い声が聞こえた。
木村もよく知っている声だった。
狐耳の禿げ頭が群衆の頭を踏み台にして、猛烈な勢いで髪の化物へ向かっていく。
もちろんアコニトである。彼女は群衆の頭を力強く踏んで跳躍し、髪の化物が空中に作り出した髪のレールを踏んだ。
彼女の眼には髪のレールが見えていないが、そこにあるとなぜか確信した。
神通力というわけではなく、ただの直感であった。
出会いは群衆のすぐ上空。
かたや、静かにたたずむカツラと髪の化物。
かたや、キヒヒと狂った笑いを見せつける禿げた狐の神。
髪と神――運命の邂逅である。




