レイプ犯を追え
蝉は7年間、幼虫として地中ですごし、地上に出て脱皮し成虫となり7日で死ぬ、と言われている
ハッハッハ激しい息遣いが暗闇に響く。走っている本人は息遣いなど聞こえない。ただ走る、逃げるために
足を交互に動かすだけ、土がぬかるんで足がぬるぬるする。逃げなくては逃げなくては、でもどこに?一瞬集中力が途切れた瞬間、足元が空を切った。
そのまま転がり落ちた。
少女が川に浮いた。蝉がうるさいほど鳴いていた。
「8月11日午前8時、新大川土手を散歩中の男性が発見した水死体について、推定年齢5歳から9歳、女児、着衣なし全裸、死亡後1日以内と推定されます。詳しくは鑑識待ち、事故と他殺両面から捜査始めてます」
担当刑事の秋津太郎が係長に報告した。
昨今、騒がれている児童虐待問題といじめ問題、被害者が全裸であることから事件性も考慮されて捜査が始まった。
と言っても担当刑事は秋津太郎と秋津とコンビを組んでいる佐藤和也の二人である。
後にマスコミやSNSを騒がす大事件になるとは、この時は想像もできなかった。
「これは殺しだと思う」
秋津が言った。
「なんでですか?」
佐藤が聞くと
「死体が浮いてた、溺死はたいてい沈む。肺に水が入ってるからな、浮いてたってことは殺されてから捨てられた。つまり肺が空気で膨らんで浮袋になった」
「溺死って浮いて発見されますよね」
佐藤がいうと秋津はあきれた顔で佐藤をみた。
「お前、溺死体初めてなのか?溺死体が浮いて来るのは死後数日たって死体が腐ってガスを含んでパンパンになるからだよ。そうなると男か女かなんて見た目でわからないし、顔だって復元しないとわからない。今回の死体はうつ伏せで発見されたから多少ふやけてるけど顔もわかるし性別だってみて分かった。多分死後 2、3時間で発見されたと俺は思う。絶対殺しだ。犯人は絶対に捕まえる」
佐藤は秋津と組んでまだ半年もたたない新人だったので勉強になると思った。が同時に秋津がやけに今までと違って、むきになっているような気がした。
「とにかく被害者の特定だな、発見場所は東京都 E区xx町△丁目、当時の川の流れから落とされたところは大体、この付近と思う」
秋津が地図をさした。「ただ連日の大雨で川が増水していつもより流れがあったのでもう少し範囲が広がるかもしれない、目撃者を探そう。なんでもいい、不審な人物、騒ぎ、いつもと違うこと、とにかく情報集めだ」
二人は連日、30度をこえる暑さのなか落下地点と思われる場所周辺の聞き込みをすることとなった。苦労した割にはたいして情報がない中、鑑識から結果が届いた。
「溺死。死亡前に首を絞められたなど目立った外傷はなし」
秋津が目をむいて質問しようとしたところで観察医の染谷が制して言った。
「死因は肺に水がいっぱいだったから溺死でまず間違いない。溺死でも浮いていることはたまにあるんだ。多分、服を着てなかったせいだな。服は流されて脱げたか落ちた時点で着ていなかったかはわからない。服は川から見つかってないんだろう?」
「では事故ということですか?」
秋津が聞くと染谷はとても言いにくそうに、というより気分が悪そうに言った。
「事故とも言い切れん。実はまさかと思ったが股間に裂傷が見えたのでレイプ検査をしたところ、子宮内から三人分のDNAを採取した」
秋津と佐藤が絶句していると染谷は答えた。
「つまり死亡前、数時間以内に少なくとも三人に被害者はレイプされている。膣内には裂傷が多数みられた。肺の水は新大川の水と一致したので死因は新大川での溺死だが事故とは俺は思えない」
秋津が言った。
「女児を大人三人がかりでレイプして殺したのか」
「殺しなら、なぜ精液つまりDNAを残したんだろう、そこは不可解なんだが」
染谷は頭を掻きむしりながら答えた。
「絶対、特定されない自信があるってことか」
秋津が声を絞り出すように答えた。
その日から秋津と佐藤は被害者特定に全力を注いだ
被害者の特定は難しかった。5歳であれば園児、6歳以上なら小学生だ。秋津と佐藤は保育園、幼稚園、小学校を中心に聞き込みをしたが夏休みであることから欠席児童を探すのは困難だった。先生たちに顔写真を見せても溺死体の写真をしっかりとみてくれる人は少なく該当者はみつからなかった。
そもそも幼稚園、保育園、小学校に通っていなかったら、この地域の子供でなかったら、もしかしたら出生届さえでてなかったら、そんなことさえ秋津が考えるほど手掛かりはなかった。
そんな時、佐藤が思いついたように言った。
「孤児院ってのはどうでしょうか?」
「孤児院?」
「ほら良く昔の小説にでてくる親のいない子供が預けられるところですよ、ああいうとこ今でもあるんですかね?」
秋津が答えた
「そうだな、思いつかなかった。調べてみよう」
秋津が調べてみると今は孤児院ではなく乳児院とか児童養護施設とか言うらしいが乳児院が該当地区で1件みつかった。聖母の園という名の宗教系の乳児院だった。すぐに二人はむかった。
尋ねてみると先生は修道女ばかりの園で二人は戸惑った。
応対してくれたの施設長のマザーアンナだった。
マザーアンナは初老で、マザーというからにはこの施設で一番偉いのだろうと二人は思った。
施設内を見学させてくれたが乳児院というだけであって子どもは乳児が多かった。
「私どもでは、理由があって子どもを養育できない親御さんや児童相談所からネグレクトなどの虐待で健全に発育できないと思われる乳児を育てています。基本1歳児までですが就学前までお預かりすることもあります。今は捨て子で親が不明というより親になんらかの問題があって育てられないお子さんが多いです」
施設長のマザーアンナが言った。
「それでそのお探しの子どもというのは先日、新大川で見つかった子なのですね」
秋津がマザーに写真を渡した。マザーは写真をかなり長い間みつめていたが小さく首を振っていった。
「わかりません。現在この施設で行方不明の子供はおりませんし、過去にいた子にしても育ちざかりですから写真だけでは半年もたてば見分けがつかなくなってしまいます」
秋津は食い下がった。
「里子に出した子供で行方不明になった子はいませんか?」
「里子に出した子供とは連絡を取るようなことはしてません。里子としてもらわれる子供はほとんど乳児で、里子だということを子供に語るのは里親さんの判断ですから私どもは存在を知られないようにしています。4、5歳児ではほとんどが児童相談所がらみなので、やはり私どもが連絡を取ることはありません」
とマザーが答えた。
「犬や猫の子とかわりませんね」
秋津がさらりと言う。染谷はマザーが怒り出すかと思ったがマザーは薄く微笑んでいる。そういえばこのマザーはあった時からほとんど表情が変わらなくて何を考えているのかわからない。他の学校長や園長等は死体の写真を見せられた時はあからさまに恐ろしそうだったり、不愉快そうだったりしたのに、ただ、しっかりと写真を見据えていた。
「それにしても修道女というのはこの暑さでもよくあんな服装でいられるますね」
秋津が重ねて失礼なことを言う。
「長袖にくるぶしまでのワンピース、頭は頭巾をかぶってベールまでして俺らはこの格好でも汗だくですよ」
と自分のワイシャツとパンツをさす
「これでも夏服と冬服がありますのよ。それに私どもは刑事さんとは違って聞き込みしたりしませんから、この修道院の中で走ることもなく静かに暮らしておりますので」
「暑い時期はTシャツで過ごしたいとか文句はでないのですか?自室では下着とかですごすんですかね?」
秋津は執拗に失礼な質問を繰り返す、それに対してマザーは薄い微笑みを浮かべたまま
「私どもは神に仕えるものですから、服装にも理由があり、みだれることはありません。持ち物は下着の数まで決まっております。刑事さんは私たちのようなものにお会いになるのは初めてですか?」
そこでやっと秋津も矛先をおさめ
「できる範囲でいいので養子や里子のその後を追ってみてくれませんか」
とマザーにたのんで乳児院をあとにした。
二人になると秋津は言った。
「あのマザーって人はすごいな、俺の挑発に全く乗らない、死体の写真も顔色を変えることなく誰よりもしっかり見てくれた」
「秋津さん、怒らせようとしてたんですか?失礼な事ばかり聞く人だとハラハラしましたよ」
と佐藤は言った。
「当たり前だろ人は怒ったときにボロがでるもんだ、あのマザーというのは人の善意だけを信じてる人だな、多分、養子のその後もできるかぎり調べてくれるだろう」
そこで秋津は佐藤に向き直って言った。
「人は善意だけじゃない、特にこの事件は悪意だらけの事件だ。気分が悪くなるほどにな。善意と悪意か。あの修道院はなにか臭うな」
「臭うのは秋津さんじゃないですか?」佐藤は言った。
「遺体が発見されて1週間、署に泊まり込んで行方不明者のリストを見てますよね。着替えとかシャワーとかどうしてるんですか?ちょっと心配ですよ。どうしてそこまで入れ込むんですか?」
「適当に水道で洗ってるよ。シャツは手洗いしてる、臭うか?早く身元を特定したいんだよ、身元さえわかれば犯人につながると俺は信じてる」
と秋津は言った。そして毎晩、読んでいる身元不明者のリストを思いだした。どの子も身体的特徴が細かく書かれていた。脇腹にほくろが三つ並んでいるとか転んで傷つけた後が膝に残ったとか、他人が見たら気にもしないようなことを親たちは特徴として書き込んでいた。
そして細かく書き込んである子供ほど迷子として保護されていることが多かった。夏休みのため外出先で迷子になる子供も多く他の月より行方不明者リストは膨大だったが大抵が2日以内に見つかって親元に帰っていた。秋津はリストの多さにうんざりすることもあったが、そのほとんどが早期に発見され親元に返されていること、親は自分の子供の特徴をよく覚えていることに親心を感じ心が温かくなることがあった。
また子供たちの名前も今は変わっていることに驚いた。凛、爽、湊などの1文字の名前が目立った。
そして自分の親だったらと思う。男だから太郎、女だったら花子にするはずだったとそっけなく言い放った自分の母、あの人は自分の特徴を言えただろうか?
同時に今回の被害者の女の子を思う。傷跡もなく、骨折などもしておらず、歯の治療もしてない目立った特徴の無い遺体、秋津が早く身元を見つけなければこの世に存在したことさえ否定されそうな一人の女の子、何としてでも身元を特定したい、犯人を見つけたいと秋津は心底願った。誰にも言ったことはないが、秋津がネグレクトつまり育児放棄されて育った過去を持つことから、どうしてもこの事件に入れ込んでしまっているのだった。
特に成果もなく署に戻って、また書類の山と一人格闘しようと思っていたところに佐藤がきた。
「今夜は俺も手伝いますよ。たまには徹夜も覚悟しています」
佐藤は行方不明者リストをみて驚いた。秋津は埼玉県まで範囲を拡張して探していたのだ。
「新大川の上流は埼玉県だからな。新大川の近くに殺害現場はあると俺は信じている」
佐藤は秋津が殺害と決めつけていることに、すこし違和感を感じたが
「秋津さん、今はネット時代ですよ。とんでもない遠くから被害者は連れてこられたかもしれないですよ、日本全国に広げて日にちで検索していったほうが良くないですか?」
と言った。そしてすぐに
「あれ?、この子、花子だって今どき珍しい名前ですね。目立った特徴なしか?でも失踪時期と年齢は一致しますね。住所は東京都内ですね。この子は里子、里子ってなんなんすか?」
秋津はその失踪届を奪い取ると詳細をみた。保護者の所在地は東京都、埼玉県に隣接するH市、大川花子8歳、身体的特徴なし、保護者は里親の田中武50歳、行方不明から5日もたってから失踪届がでていた。
秋津の頭の中で何かがはじけた。そして思った特徴のないことが特徴なのだとも気づいた。外れでもいい、この花子という子をもっと調べたいと感じた
届から分かったことは大川花子は7歳 1歳の時に乳児院から里子として田中家にもらわれた。小学校2年生 身体的特徴の書き込みはなし 身長110㎝位 体重20キロ位 髪型 おかっぱ 髪の長さは顎位
秋津と佐藤は顔を見合わせた。
「一致するな、すぐに確認しよう」
秋津は言った。
「そうですね。親だったら情報があり次第すぐに知りたいですよね」
と佐藤がいうと
「いや、7歳の子が行方不明から5日もたって捜索願いって遅いだろ。それにこの子は里子だ。里子ってのはな養子として親になるんじゃなくて数年養育する制度のことだ。連絡して違うといわれたらそれまでだ。ここは慎重に行こう」
と秋津がいう。
「えっ秋津さん親を疑ってるんですか?そんなことありえないですよ、赤ん坊の時から育てているんでしょ」
と佐藤が言うと秋津は
「妻が殺されたら夫を疑う。被害者の家族を疑うのが鉄則だろ。この子は里親が遺体をみて否定したら、それまでだろ。DNAが取れるもの。家族が犯人なら処分してるだろ。親との血縁がないからそっちからも判定は難しい、観察の染谷先生に朝一で相談してみよう、今夜は解散だ良く寝ろ。明日から忙しくなるぞ」
翌朝、染谷の研究室を二人は訪ねた。
「遺体の特定か?家族が外見で否定したら?DNA鑑定は髪の毛でもできるし歯ブラシでもいいぞ、何か身に着けていたもので洗濯されてなければなんとかなるかもしれん、しかし親から提供拒否されたら難しい、へその緒なんかあったら最高なんだがな、持ち物から指紋がとれればもっと簡単だ」
と染谷が言った。そして
「その後、遺体をよく調べてみたんだがな、気分の悪い話だがレイプについて、少し調べてみたところ、この連中は子供のレイプに慣れている印象がある。成人男性と7歳児だと膣が肛門まで避けたり、腸まで傷つけたりすることがあるらしいんだ。だがこの連中は膣内に裂傷は残しているが大人同士のセックスでもありうる程度の裂傷だ。相当自分をコントロールして射精まで行ったということだ。胸糞悪いがこいつらは初犯ではないと思う」佐藤は話を聞いているだけで吐きそうだった。
「こいつらは絶対捕まえます」
秋津が堅い口調でいった。
「そうしてくれ」
染谷がうなずいた。
大川花子の里親は田中武50歳。小学校の教員で妻、和子は48歳、和子も結婚前は同じく小学校の教員で現在は専業主婦。夫妻には実子である24歳の長女がいるが現在は独立してアパートで一人暮らし。大川花子のほかに10歳、7歳、5歳、2歳の里子を養育している。現在10歳の子供が最年長だが夫妻は子供が10歳前後になると里子関係を解消して、その子は別の里親に養育され、田中夫妻は乳児を新たに里子に迎え入れていた。その繰り返しで2歳から10歳までを育てており、里子を解消した子、実子を含めると8人の女の子を育てていた。
「おかしいですよね」
佐藤は言った
「なんで乳児の時から10歳までしか育てないんですか?」
「おかしいよな、赤ん坊から育ててれば情もうつるし親子の絆みたいなものもあるだろう、普通はな」
秋津が言う
「お金だって育てていくのに相当かかりますよね、なんで10歳なんだろう」
という佐藤に秋津は
「金は国や自治体から養育費として一人7万以上貰えるんだ、最近は金目当てに里親になるやつもいるらしい、田中夫妻が金目当てなのか?なんで10歳までなのかは本人からきくことにしよう、そらお出ましだ」
ちょうど警察署に田中和子が電話で呼び出されてきたところだった。秋津が電話で娘さんらしい遺体があるため確認のため夫婦で警察署に来るよう呼びだしていたのだ。夫婦でといったのにもかかわらず妻が一人で来たようだった。田中和子はやせ型ですこし神経質な様子だった。
秋津、佐藤、田中和子は簡単な挨拶をかわし、早速遺体の確認に向かった。
死体安置所では染谷が冷蔵庫のドアを開け遺体を引き出し、全身を覆っていたシーツを顔の部分だけおろしてみせた。
田中和子は緊張して顔が青白くなっていたが一瞥してすぐに
「わからない」
と言った。
シーツをあげようとする染谷を制して秋津は言った。
「もっとよく見てください。体全体を見せてもいいんですよ。なにかお母さんだけがわかる特徴が体にありませんか?」
和子はそう言われるともう一度顔だけをみて
「わからないんです。もう結構です」
と後ろを向いてしまった。染谷が冷蔵庫に遺体をもどす。
染谷を残して三人は安置所から取調室に移動した。
「時間がたってしまうと分かりにくいかもしれないですね、でもわからないということは違うとも言えないと思ってよろしいでしょうか」
佐藤が和子に優しい口調で聞く。和子はうつむいたまま答えない。
「今日はご主人とお二人でとお願いしたはずですがご主人はなぜいらっしゃらないのですか?」
今度は秋津が聞く。和子は
「主人は学校が急には休めませんので、生徒さんに迷惑がかかりますから」
と答える。
「なるほど里子より生徒が大事ということですか?」
秋津が挑発する。和子は急にきつい口調になって
「私たちが里子だから大事にしてないとおっしゃりたいの?そんなことありません。実の子同様、赤ちゃんの頃から育てた大事な子です。」
「でも顔を見てもわからない」
秋津が重ねて言う
「それは、私は死体って初めて見るものですから生きている人とは違って見えて、花子だと言われれば、そんな気もするし、でもあの子はまだどこかで生きている気もするんです」
和子が言う
「誘拐とかですかね?」
秋津が追い込む。和子は下を向いて黙ってしまう。この女はすぐに下を向いてだんまりだな、頑固な奴だなと秋津は思った。
「まあいいです。今日はこのくらいで、ところでお願いしていた花子さんが使っていた歯ブラシ、ヘアブラシ、本、服、おもちゃなどお持ち頂けましたか?」
秋津が訪ねると和子は
「歯ブラシは失踪した時に捨ててしまいました。帰ってきたらまた新しいのを出してやろうと思いまして、ヘアブラシと本、服、ぬいぐるみをもってきました。」
「それではお預かりして指紋やDNA鑑定で花子さんと確認でき次第ご連絡します」
「今日はありがとうございました」
佐藤が言って田中和子は帰って行った
秋津が預かったものを鑑識に届け急ぎで鑑定を願いでる。
佐藤が秋津にいう
「秋津さん、また乳児院の時とおなじ怒らせやりましたね、俺もちょっと解ってきました」
「だろ、しかも今度は本音がでた。里子だから大事にしてないとな、俺はそんなこと一言も言ってない。俺は怖い刑事、お前は優しい刑事ってことで田中和子には話していこう、それと旦那が来ないってのも気になるな、俺は夫婦でと念を押したのに、何か来たくない理由がありそうだな」
鑑識結果はヘアブラシは髪の毛がついておらず服は洗濯されておりDNA検査はできなかった。指紋は一致しなかった。というより本とぬいぐるみの指紋も一致しなかった。つまり他の二人の里子の持ち物を和子は提出したということだ。
秋津は歯噛みして言った。
「予想はしていたが他の里子のものをもってきやがったな」
秋津は遺体を大川花子と断定している様子だ。佐藤は大川花子が遺体と別人と言うことも考えたが、田中和子はなんだか怪しかった。里子をたくさん育てている母親なら自分の母と比べても、佐藤は一人っ子だったから想像だが、何かどっしりして頼れるお母さんというものを思い浮かべるが和子は神経質すぎる気がしたのだ。そこであえて秋津には反対意見を唱えなかった。
二人は大川花子のことを詳しく調べた。それによると花子は今では珍しい捨て子だった。そして乳児院はあのマザーのいる聖母の園だった。二人は急ぎ聖母の園に再びむかった。
「大川花子ちゃん、ええよく覚えています。あの子は珍しく捨て子で調べても実の親がみつからなかったのです。新大川の土手の草の中に隠すように捨てられていたと聞いています。まだ、へその緒がついたままでおそらく一人で出産して土手に捨てたのだと警察の方に聞きました。こういった場合、役所のほうで戸籍を作って名前をつけます。大体、発見場所にちなんだ名前がつけられるということで新大川でみつかったので大川、女の子なので花子と名付けられたのです」とマザーアンナは言った。
「とてもかわいい赤ちゃんでした。お二人が見えたということは新大川の遺体は花子ちゃんですの?」
「いえ、まだ確定できていないのですが可能性は高いと思います」
秋津が答える。
「花子ちゃんは田中夫妻にお預けしたのですが」
マザーアンナが言うと
「7.8年前の子のことを調べもせず覚えているのですか?」
と秋津が尋ねる
「ここの子のことは一人残らず覚えております。名前をきけば顔をおもいだします。それに田中夫妻はこの園から4人の里子を送り出しておりますから特に印象深いのかもしれません」
「4人もこの園出身ですか」
秋津が驚いて言う。
「はい、里親はなり手が少なくて同じ方にお願いすることも多いのですが特に田中ご夫妻は多いので気に留めていました。なんでも女の子は小学校に入ると反抗期が来て難しいとのことで手放して新しい乳児を育ててくれています」
マザーアンナは両手を握りしめて答える。
「そういう里親は多いのですか?」
今度は佐藤が尋ねる。
「一時期だけ里親をする人もいれば、ご自分の養子にされる方もたくさんいます。特にここは乳児の時にお預けするので子供は実の親と思っております。たくさんの養子縁組があったときいています。あの、田中ご夫妻はあの写真で花子ちゃんの見分けがつかなかったのですか?」
「写真どころか遺体と対面してもわからないの一言でして、困ってましてね。なにかこちらの園に花子ちゃんの所持品でも残ってないか聞きに来たんです」
と秋津が尋ねる。
「それでしたらへその緒と産着が残ってます」
「えっ」
二人は同時に叫んだ。
「7年も前のものが残っているのですか?」
「はい、全員の持ち物があります。里親さんが欲しいといえば差し上げますが、要らないと言われた時は、後々本人が欲しがることがあるので取っておくのです。大人になって出生に疑問をもってこちらを訪ねる子供もいますから」
マザーがまだ何か言おうとするのをさえぎって秋津と佐藤は
「臍の緒をください。産着も貸して下さい」
と同時に叫んでいた。
臍の緒の鑑定結果、遺体は大川花子と確定した。遺体が新大川に浮いてから3週間、遺体は名無しでなく大川花子となった、大川花子、大川花子と秋津は心の中で繰り返し、冥福を祈る。秋津と佐藤は念のため学校に向かった。
9月になって学校は2学期が始まり、うるさいほど鳴いていた蝉の声はまばらになっていた。担任教師は写真をみるとすぐに大川花子と確認した。秋津と佐藤の疑念は確信にかわった。田中和子はわからないふりをしたのだ。なぜか?花子の死に関係しているからだ。
翌日、秋津と佐藤は7時前に田中夫妻の家を婦警をつれて訪問した。事前連絡なしの訪問である。家の呼び鈴を鳴らすと田中和子がドアを開けた。驚く和子をしり目に秋津は大声で言った。
「大川警察署の秋津と佐藤です。話があります。家の中でよろしいでしょうか?」
和子は躊躇していたがそのまま秋津が大声で「実は」と話しはじめると近所の目を気にして家の中に招きいれた。奥では田中武が朝食をとっていた
「こんなに朝早く」
と非難めいた口調で和子が二人を睨むがかまわず秋津は言った。
「ご主人とお二人で聞いてほしかったものですから、朝早くすみません」
形だけ秋津があやまる。
「遺体が大川花子さんと確定されました」
「えっ本当に?なぜ?」
と田中夫妻が絶句していると秋津がそれには答えず
「ということで署の方で詳しいお話を聞かせて下さい」
と言った。
「そんな急に言われても子供もいますし、夫は仕事が」
と和子言いかけると秋津は言う。
「任意同行願います。なに2,3時間です。お子さんはこちらの婦警がみてますし学校は適当に理由をつけて休んで下さい」
二人に考えるすきを与えず秋津と佐藤二人で田中夫妻を連れ出し車に乗せてしまう。実にすばやい行動だった。
署につくと二人を別々の取調室に案内して秋津は佐藤に行った。
「手にいれたか」
「はい、ヘアブラシと髭剃りです」
秋津が和子と話している間に佐藤が素早く洗面所で見つけてもってきたのだった。
「よくやった。これで田中のDNAがとれる」
秋津が田中武 佐藤が和子の取り調べを行うことにした。
「花子さんだということを学校の先生が確認してくれました。一目でわかりましたよ。お母さん、里子さんの場合もお母さんでいいのですか?お子さん達には、どう呼ばせてますか?和子さん?お母さん?」
佐藤が田中和子にたずねる?
「先生です」和子が堅い口調で答える。
「先生?お母さんではなく、それはなぜ?」
少し驚いて佐藤が尋ねると
「それは私は一時的に子供たちを育て指導するのでお母さんでは手放す時に子供達も混乱しますし、私も情が移って冷静でいられないからです」
和子は淡々と答える。
「うーん先生ではお呼びづらいので田中さんと言いますね。田中さんはなぜわからないと答えたのですか?」
「それは本当にわからなかったから、花子と認めたくない気持ちがあったのかもしれません」
と和子が答える。
「認めたくなかった?それはどうして?」
佐藤が重ねて尋ねる。
「だって赤ん坊のころから育ててる、血のつながりがなくても我が子同然ですよ。死んだなんて耐えられない、認めたくないって思って当然でしょう」
「そういうケースはよく聞きますね。おつらいでしょう」
佐藤が寄り添うふりをする
「ええ、それは辛いです。本当に花子なんですか?なんでわかったんですか?」
そう聞く和子の前に佐藤は花子の遺体の写真を置いて尋ねる。
「もう一度よく見て下さい。花子さんですね」
和子は今度は写真を手に取り、しっかりとみつめる。そして言った。
「はい、そう言われればそんな気がします」
「では、しばらくお待ちください」
佐藤はそういうと写真と和子を置いて部屋を出て行ってしまった。
マジックミラーの後ろで様子を見ていた秋津に佐藤は言った。
「認めましたね」
取調室では写真を裏返し睨んでいる和子がいた。
「次は夫だな」
秋津は気合を入れるように頬を2,3度叩いて田中武の取り調べ室に向かった
田中武は両腕を組み脚を開いて取調室の椅子に座っていた。秋津は思った。少し頭の薄くなった50歳のこの男、小学校の教師だというこの男がおそらく花子をレイプして殺した。レイプ犯の残りの2人は誰だ。落ち着け、落ち着いて取り調べをするんだ。
「まずこの写真を見てください。」
花子の写真を目の前につきつけると田中武は怒ったように写真を取り上げ一瞥して
「花子です」と答えた。
「即答ですね、前回、奥様と来てくだされば我々も苦労することなかったんですがね」
と秋津が言う。
「どうして確認に来なかったのですか?」
「それは家内が違うといってましたので信用しました。今になっておもえばあれも気が動転したんでしょうね、普段から情緒不安定なところがありますので」
田中武が答える。
「奥様は情緒不安定ということは、子供たちに手を上げるようなこともあったんですか?」
と秋津が尋ねる
「それはありません。少し神経質というか悲観しがちという程度で子供に手を上げることは絶対ありません」
「手をあげたりすれば児童虐待ですからね。里親の資格はく奪もありえますよね。そうそう、そちらでは7人も里子さん、現在は花子さんも含めて4人ですか?それも小さい子ばかり預かっているそうですね。大変でしょう?なぜ小さい子ばかりなんですか?」
秋津が世間話のように尋ねる。
「児童福祉に少しでも協力したいと思いましてね。私は小学校の教師ですし、家内も昔は小学校の教師ですから、大きい子はよくわからないんです。それで何となく低学年の子までになってしまうのです」
秋津はそれには相槌を打たず突然、大声で言った。
「私たちは花子さんは殺されたと思っています」
「えっ」
田中武が絶句していると畳みかけるように秋津が尋ねる。
「なにか思い当たるふしはありますか?」
そこで、あらかじめ打ち合わせしていたとおり佐藤が入ってきて耳打ちするふりをする。
「ちょっと失礼」絶句している田中武を残して二人で部屋をでる。
次は秋津が和子の取り調べ室に入る
秋津が言う。
[田中さん、ご主人はあなたのことを神経質だと言ってましたが、子供にイラつくことや手を上げることはあったのですか?」
「突然、何ですか?主人が私のことを?そんな何なのあなた達?、私が子供を虐待してるとでも言いたいの?」
和子が切れ気味に言う。
「答えてくれてないですね。子供に手を上げることはあったのですか?」
「ありませんよ。絶対」
和子が叫ぶように答える。
「それに花子さんがなぜ死んだのかも聞きませんね?普通の親なら娘はなぜ死んだのか?苦しんだのか?と聞いてくるものですよ」
と秋津が尋ねる。和子は一瞬、絶句して答える。
「それは川に浮いてたって、溺死ということでしょう?」
「一概に川に浮いてたと言っても自分で落ちたのか?落とされたのか?どこから落ちてどういう状態で浮いていたのか?死ぬとき苦しんだのか?親なら気になるはずなんですが、何もお尋ねにならない、まるでどうして死んだのか知っているかのようですね」秋津が一気に責める。
「我々は花子さんは殺されたと思っています」
田中和子は何も言わない。もうだんまりを決めたようだ。そこへ佐藤が秋津を呼びに来る。
「ちょっとお待ちください。」
秋津は部屋を出て、佐藤に尋ねる。
「田中武の様子はどうだ」
「秋津さんが部屋から出てから、ずっと歩き回ってますよ、まるでクマ牧場の熊みたいです」
秋津と佐藤が田中武の様子をマジックミラー越しに見ると、落ち着かない様子で歩きまわる田中武がいた。秋津が部屋に入って武を椅子に座らせて和子にしたのと同じ質問をする
「田中さん、花子さんがなぜ死んだのかも聞きませんね?普通の親なら娘はなぜ死んだのか?苦しんだのか?と聞いてくるものですよ、それに遺体に会いたいともおしゃらない」
「それは家内に川に浮いていたと溺死だと聞いたので」
武が答えると
「誘拐されて殺されたとは考えませんか?ところで花子さんの捜索願いを出すまで5日もかかったのは、なぜですか?」
秋津は次々に質問する。最後の質問に武が答える。
「それは花子は今までも時々、家出することがあって2,3日で普通はもどるので大げさにしたくなかったのです。里親ということがわかってから色々と難しいことがあって、心配はして自分たちでいつも探してみつけていたのです」
「7歳の子が2,3日帰らないというのは相当、危ないことですよね。花子さんはどこに泊まっていたのですか?」
「聞いたところ公園の遊具の中で寝泊まりしたようです、食べ物は家からお菓子をもってでたようで。」
「ほう、それは随分と勇気があるお子さんですね。ちょっと信じ難い話だ」
と秋津が言う
「信じられなくても事実だ。違うという証拠があるのか?あるなら見せてみろ」
田中武が立ち上がって突然切れる。
「今はまだ証拠はありません、でも必ず見つけますよ」
秋津が静かに言うと武は椅子に座りこんだ。
そこへ佐藤がまた呼びにくる。
「奥さんが呼んでいるそうなので、しばらくお待ちください」
秋津がいうと明らかに苛ついた様子で武が大声を出す。
「なんで家内と別室なんだ?これは尋問か?私は被害者の親だぞ、人権侵害だ」
「任意同行していただけたじゃないですか?法律の範囲内ですよ、とにかくお待ちください」
秋津が静かに言って部屋をでる。次は和子の番だ。佐藤が部屋に入り秋津はマジックミラー越しに様子をみる。
「田中さん、なんで花子さんがいなくなってから捜索願いがでるまで5日もかかっているのですか?」
佐藤が和子に優しく尋ねる。
「それは花子は今までも時々、家出することがあって2,3日で普通はもどるので大げさにしたくなかったのです、里親ということがわかってから色々と難しいことがあって、心配して自分たちで、いつも探してみつけていたのです」
和子が答える。
「7歳の子が2,3日帰らないというのは相当、危ないことですよね。花子さんはどこに泊まっていたのですか?」
佐藤は秋津が田中武に尋ねたのと同じ質問をする
「聞いたところ公園の遊具の中で寝泊まりしたようです、食べ物は家からお菓子をもってでたようで。」
和子が答える。そこで秋津が取調室に入ってきた。
「ご主人のところにご案内します」
唐突にいうと和子を促し武の取調室につれていく。
二人を一緒の部屋に入れると秋津はいった。
「こちらでしばらくお待ちください」
部屋に二人を残し、秋津と佐藤はマジックミラー越しに二人の様子を観察する。
「花子は殺されたと刑事が言ってたが・・・」
武が和子に怒鳴るように言うと和子はマジックミラーの方をみて質問を制する。武も察したのか不機嫌そうにだまりこむ。
秋津は佐藤に言う。
「失踪届の質問、答えが一言一句一致してたな。事前に打ち合わせしたに違いない」
「本当ですね。秋津さんの思った通りでした。あの夫婦は怪しいですよ」
それから夫婦の様子を観察したが二人はみられていることを察して椅子に座りこんで各々、違う方を向いてだんまりを決め込んでいる。
秋津が言う
「今日のところはこれ以上引き出せないな。ただ家に帰ってからあの二人はどうなるかな。殺人と言い、和子には武が和子のことを神経質だと言ったことを仕込んだ。小さなほころびから嘘はばれていくもんだ。大喧嘩になるか、仲間割れしてくれれば最高なんだがな」
二人は待たされて、いらいらしている様子だ
「そろそろ帰すか、今日はもう何もでないだろう」と秋津が言うと佐藤は
「ええ帰しちゃうんですか?もっと強く尋問したら吐くんじゃないですか?」
と答える。
「あいつは人権侵害とか言いやがった。今日のところはここまでで相手の出方を見よう。もちろん逃亡しないように見張りをおく。それから家に残してきた子供の様子も気になる。もし田中武が小児性愛者だとすれば他の子供達も被害にあっていることが十分に考えられる。婦警にそれとなく探ってくれるよう頼んでおいた。さてどうかな」
と秋津はすこし声を落として話す。それから佐藤と秋津は田中夫妻の部屋に二人で入っていった。
「ありがとうございます。今日のところはこれでお帰り下さい。花子ちゃんの死は事件性がありますので遠出は避けてください。家までお送りします」
と秋津が言うと和子は
「結構です。電車で帰れますので」
と断った。
「そうですか、ではご自宅についたら婦警を帰して下さい」
夫婦は家路につき、署で二人は婦警を待った。婦警は帰ってくると真っ先に秋津のところに来て言う。
「相当しぼったんですか?青い顔して帰ってきましたよ」
秋津はとぼけて言う。
「帰り道で夫婦喧嘩でもしたんだろう。それよりご苦労さん、三人の子供の相手は大変だったろう?で子供の様子どうだった?」
「上の子が下の子の面倒をよく見てるので全然大変じゃなかったですよ。一番下の子もオムツは取れてましたし、みんな、いい子でした。私は子供好きなんで楽しかったくらいですよ」婦警は明るく言う。
「気になることはなかった?」秋津が尋ねる。
「気になるっていうと一番上の子、10歳の子ですね。その子が『私は蝉なの』っていうんですよ、どういうこと蝉ってあのミーンって鳴いている虫のことって聞き直したんですけど、蝉なのって繰り返して言うだけで。他の子と比べてもその子だけ暗い感じっていうか影があるかんじでしたね」
「蝉?」秋津と佐藤は同時に言った。
「性的に虐待を受けているような証言は取れたか?」秋津が婦警に尋ねる。
「それはダメでした。お父さんがお布団に入って来ることあるとか聞いてみたんですけど子供4人が同じ部屋で寝て、夫婦は別々の寝室で寝ているそうで、寝かしつけはお父さんの役なんですって、お父さんは絵本の読み聞かせやお話をしてくれて楽しいって言ってました。それ以上は聞けませんでした。ただお母さんのことは先生と呼ばせているようで変だなって思いました。」
「短い時間にそれだけ聞き出してくれてありがとう。また頼むことあると思うからよろしくな」
秋津が言うと婦警はにっこりして去っていった。
「家では性的虐待は行ってないのか?蝉って何だ?10歳の子が気になるが、子供の聴取は今の段階では難しいな、DNAの結果待ちだな、多分あの田中武って男は小児性愛者で被害者は多数になると思う」
それを聞いて佐藤が秋津に言う。
「それまで俺たちができることをしましょう。あの夫婦は絶対怪しいと思います。俺たちの読み通りだとしたらあいつは最低の変態、クズ野郎ですよ。聞き込みはどうですか?近所とか、学校とか、あの家から里子に出された子供たちとか」
「もちろん、それはしていこう、子供達の聴取は婦警にしてもらった方が子供達も話しやすいだろう。」
この時点で新大川少女溺死事件は殺人および連続少女監護者わいせつ・監護者性交等罪として人員を増やし、聞き込みが始まった。
監護者わいせつ・監護者性交等罪というのは平成29年の刑法改正によって新しくできた犯罪名で18歳未満のものにたいして監護するものがその影響力に乗じてわいせつな行為、性交等を行った場合、処罰されるという法律である。
近所からの聞き込みでは、いつも小さな女の子ばかりいて変だと思ったというものから、里子を育てるなんて立派だ、人格者だというものまであったが夫妻の評判は、おおむね上々であった。大川花子については活発すぎて隣家とトラブルを起こしていた。隣家の夫婦によると2階のベランダから隣家と共用の塀に飛び降りるというものだった。危ないし塀が傷むので苦情が来ていたが遊びとして花子は繰り返していた。
夫妻のもとから里子にだされた子供達への聞き込みは慎重におこなわれた。もしかしたら被害者で心に傷を負っているかもしれないので秋津と佐藤、それと婦警で行われた。おもに本人に話を聞いたのは婦警である。12歳、14歳、16歳の子に話を聞いたが3人とも男の秋津と佐藤は相手が脅えたため話せなかった。婦警には「蝉」についてきいてもらったが3人とも蝉の話になると体が硬直し、無言になった。性的虐待については具体的な情報は得られなかった。里親から聞いたことによると田中夫妻のうち和子はしつけに厳しく3人とも甘えるということをせず、自分から何かをしたいというような意思表示が乏しいが言われたことは完璧にこなすということだった。12歳の子の里親は2年近く養育しているが、いまだに養父が近づくと硬直してパニック状態になることから距離をおいて、接しているということだった。その養父に秋津が
「嫌になりませんか?」
ときくと問題があることは面接の時点でわかっていたので根気よく接していくという返事だった。佐藤は言った。
「里子、里親って全然知らなかったけど、いろんな人が苦労していろんな子を育ててるんですね。」
「実子だって、育てきれない親もいる、血がつながらなくても育てようとする人もいる、俺は30過ぎて独身で子供なんて考えられないけど、いろいろな人がいるな。って当たり前か」
秋津が珍しく自分の歳を持ち出して言う。
「秋津さんって30過ぎなんですか?いくつすぎてんですか?」
そういえば俺は相棒の歳も知らない、多分独身とは思っていたが何も知らないと佐藤は思った。
「6歳過ぎてるよ、若く見えるだろう」
珍しく秋津が軽口をたたく。
歳相応にみえるとおもいながら佐藤は言った。
「俺は28です。意外と年上なんですね。でも、まだこれから結婚して子供も持つかもしれないじゃないですか?」
「いや、俺は子供いらないし結婚もしない」
秋津が思いつめたように言う。佐藤はぼんやり思った。秋津は自分より経験が長い分、人の嫌な部分などたくさん見て悲観的になっているのだろう。刑事は異性との出会いも少ないから結婚できないと考えてるのだろうと。
秋津がいう
「人のことよりお前はどうなんだ、結婚考えているのか?」
「俺は学生時代から付き合っている彼女がいてそろそろかな?なんて思ってますよ」
佐藤が答える。
「そうか彼女に逃げられないようにして、良い家庭をつくれよ」
と秋津は言いながら心の中では良い家庭って何だろうと考えている。両親が仲良くて、子供をかわいがる家庭?何が良い家庭か自分にはわからないし、親になった時、お手本もないから、自分は親にならないようにしようと思う。
珍しく二人が軽口をたたきあったているのは次の聞き込みが気の重くなるものだと予想しているからだった。次は田中夫妻の24歳の実子に話を聞く予定だ。今までの子供達は未成年だし被害から年数がたっていないため話す言葉をもっていなかった。しかし、次は被害から8年は過ぎている成人女性だ。おそらく話が聞けるだろう。田中武が実子に性的虐待をしていればの場合だが。その場合はこの被害で逮捕できるかもしれない。
実子の田中伸子は24歳、自宅を出て都内の風俗店で働いていた。家を出たのは16歳、全寮制の高校に入学したからだ。高校卒業後も実家にかえらずキャバクラを転々とし、半年ほど前からこの風俗店で働いている。あらかじめ両親のことで話が聞きたいと尋ね、了承を得ている。面会場所は署内でもよかったが相手が話やすいよう伸子の指定場所にした。伸子は自宅や職場は避け、都内のカフェを指定してきた。
面会は田中夫妻の聴取から1週間後、秋津と佐藤、婦警の3人は指定されたカフェに約束時間の5分前には着いた。田中伸子はすでに席についていて3人に手を挙げた。電話で3人で行くことは話していたが婦警には目立たないよう私服できてもらったのに伸子にはすぐに3人を特定したようだった。店の隅の四人テーブルに3人は座る。田中伸子はセミロングの髪を後ろに束ねて、ふんわりとしたワンピースを着ていた。もっと派手な感じを想像していたが綺麗なОL風だった。軽く自己紹介したのちに秋津は言った。
「お待たせして申しわけありません。ところですぐに私たちがわかりましたね。なぜですか?」
伸子が答える。
「だって男2人に女1人の客なんてめったにいないもん」
そういわれて周りを見るとほとんどが女性グループだった。皆、自分たちの話に夢中で他のグループのことには興味がなさそうだった。秋津は伸子に街中のはやりのカフェを指定されたとき、話の重さや、誰かに聞かれる心配をしたが、こういった場所の方が昔からの喫茶店などより他人に関心がなく話を聞かれる心配が少ないのだなと思った。そして伸子は頭のいい娘だなと感じた。伸子は秋津たちに
「この店はかき氷がおいしいよ。あたし桃の氷頼んでいいかな」
と言い秋津たちにもかき氷をすすめる。婦警が同じく桃を頼むと佐藤まで
「俺もかき氷、桃もいいけど小豆も迷うな、でもやっぱり桃にします」
と言う。秋津は苦笑しながら自分はコーヒーと3人分の桃のかき氷を注文した。
3人はおいしいとかすごく大きくてたべきれないね、とか雑談しながらかき氷を食べたおかげで場の緊張がほどけた。食べ終わると他の子供達と同様、主に話は婦警がし、秋津と佐藤は聞き役に徹した。婦警が聞く
「今日はお父さんとお母さんの話が聞きたいの?どんな人達なのかしら?優しかった?厳しかった?」
「あいつらなんかしたの?」
それには答えず伸子が聞く。婦警は秋津の方を見て秋津がうなずくと答えた。
「実はあなたが実家をでたあと里親になったでしょう。その子たちを虐待している疑いがあるの」
婦警はあえて性的虐待の部分は、ぼかして答える。
「それであなたも虐待されたことがあるかききたいの」
「虐待って入れられたってことかな」
伸子が唐突に答えたため婦警が一瞬、息をのむが平静をよそおい続けて尋ねる。
「それはお父さんにされたこと?」
伸子が薄笑いして答える。
「引くよねー。あいつ私の7歳の誕生日に特別なプレゼントだとか言って自分のチンコ入れてきやがった。レイプだよ」
3人が返答に詰まっていると、伸子が答える。
「こういうこと聞かれるの初めてじゃない。私みたいな商売していると客が聞くわけよ。なんでこの道に入ったってね。適当にセックスが好きだからとか言ってたんだけど。実親にレイプされたからって言うと指名が増えるわけ。かわいそうな話が好きな奴多いんだなー。そいで可哀そう可哀そうって言いながら自分も同じことするわけよ。バッカみたいだよね。こっちは金になるからいいけどさ。あいつはただでやりやがったから」
婦警が尋ねる
「それは7歳のときから家を出るまで続いたのかしら?」
「いや、挿入は7歳の時だけだったかな、よく覚えてないけど生理が始まるとなくなったのは確かだから」
婦警がまた尋ねる。
「生理が始まるとなくなったのね。生理が始まったのはいつ?」
「10歳」
「10歳になると挿入はなくなった。触られたり他のことを要求されたりもしなかった?」
婦警が聞くと伸子は答えた。
「生理が始まったら汚いとか言ってきて、そばにもよらなくなった」
「そのことをお母さんに言ったことはある?」婦警が聞く
「ない。でも知ってたと思う。母親は7歳から急にあたしに意地悪しだした。無視したり食事を抜いたり。なんかライバル視して、こっちはあいつにレイプされて気持ち悪くてたまらないのに、あたしのことイヤらしいとか言ってバカにしてた。生理が始まって、あいつがあたしのそばにこなくなったら、大喜びであいつが女房が一番かわいいって言ってたとか自慢しやがって、知らねーっていうの。こっちはあいつに触られなくなってせいせいしてるのにわけわかんね」
「そう大変だったわね。ごめんなさいね。嫌な話させて。でも、もう少し詳しく聞かせてほしいの。挿入は生理が始まる10歳までで、他にも何かされたりしなかった?」婦警が事前の打ち合わせ通りに質問する
「体中舐められたり、とにかく、きもかった。ちょっと記憶が飛んでわからないんだけど、あいつ途中から勃たなくなって焦ってた。」
「殴られたり、首をしめられたりはしなかった?」
「それはなかった。」
「それから蝉についてなにか言ってたかしら?」婦警が少し変な質問だなと思いながら聞くと
「蝉?蝉は7年地中にいて7年目に成虫になって七日で死にます。って言ってたな。ねえ私の事件って時効なんでしょ」
突然言われて秋津は驚いた。確かに監護者わいせつ、性交等罪は10年で時効なので伸子が被害にあっていたのが10歳までなら田中武を逮捕できない。伸子は続けた
「親切な客がいて色々調べてくれたら10年で時効だから訴えられないって」
「知ってて色々話してくれたの?ありがとう」婦警が答えると
「やっぱそうなのか?警察が聞きに来るってことはもしかしたらって思ったんだけど、あいつが私にしたことは、なかったことになるんだ。まあもっと早くに言わなかった私が悪いんだよね。私って愚図だし、事務とかの仕事もできないから、こんな仕事してるしダメな奴だよね」
それを聞いてたまらず秋津は叫んだ
「君は悪くない。悪いのはあいつらだ」
伸子も婦警も佐藤もびっくりして秋津をみた。
「すまない大きな声出して、でも君は全然悪くない。多分あいつらは君につらく当たってなにかあると君が悪い、駄目だと思い込ませたと思う。でもそれは間違ってる。君は賢くて強い。だから今日、話してくれたんだ。君の事件もなかったことにはさせない。確かに時効はきてるが、ないことにはならない。裁判では君の事件も考慮される。何より今日、君が話してくれたことで他の子の事件も立件できるだろう。他の子たちはまだ幼くて話す言葉がなかったが君の勇気が事件の解決につながる。お願いだから自分が悪いとか思わないでくれ」
伸子はしばらく黙っていたが
「ありがとう」
と小さく答えた。別れ際にこれから連絡をするときはラインでと伸子から秋津にライン交換の申し出があった。伸子の聴取が終わって署に帰ってくるまで三人とも無言だった。婦警に礼を言って別れるとすぐに新しく事件に加わった刑事が近寄ってきて言った。
「大変だ。田中の野郎、人権侵害と言ってマスコミに泣きつきやがった」そしてテレビをつけた
そこでは小学校の教師が里子の死と性的虐待で警察に調べられているというワイドショーが流れていた。
刑事が続ける。
「あいつを見張ってた刑事がマスコミと田中が接触して話した内容を聞いた。田中は被害者面で警察の横暴を話したらしいが、マスコミも馬鹿じゃない。警察の人権侵害と現職教師のわいせつ、しかも複数のわいせつとコロシだったら、どっちが面白い?田中は自分で自分の首をしめたな」
秋津がテレビのワイドショーに目を戻したとき聖母の園が移った。
「田中は聖母の園のことはなんて言ったんだ?」
刑事が答える。
「ああ、なんか里子のほとんどは聖母の園からもらったからあの園に問題があるといったそうだ」
秋津は佐藤に叫んだ。
「聖母の園にいくぞ」
聖母の園につくと大勢の報道陣が敷地の外から中の様子を撮っていた。中には質問に答えて下さいとさけんでいるものもいる。
秋津はその様子を見て佐藤に言った。
「俺の捜査のせいでマザーアンナに迷惑をかけて申し訳ないと言いたくて来てしまったがこの様子で警察官の俺たちが入っていったら余計に迷惑かけるな、後で電話で話そう」
そして踵を返したちょうどその時、聖母の園の方で大きな声が聞こえた。振り返ると大柄なシスターが報道陣にホースで水をかけていた。報道陣は待ってましたとばかりに中継し罵声を浴びせる。大柄なシスターは一言も言わずカメラに向かって水をかける。秋津が間に割り込もうとかとした時、小柄なシスターが走り出てきて放水をやめさせると報道陣に一礼して2人で聖母の園の中に入って行った。報道陣は大喜びで神に仕えるシスターが水をかけるという暴力をふるいましたと声高々とマイクに向かって叫んでいる。
秋津はシスターの気持ちはわかるが、あれでは聖母の園の評判が悪くなる。世間は悪く思うだろうと思いながら足取り重く署に帰ると、SNSをチェックした。
そこでも警察の不当捜査、横暴という投稿は数件あったが多数は田中夫妻を人殺し、ロリコン、小児性愛者というものや死ね、殺すという誹謗中傷がほとんどだった。だが夫妻の住所や顔写真、娘の伸子が風俗店で働いていることまで書かれているものがあり、秋津は急ぎ田中伸子に、両親がマスコミに垂れ込んだこと、マスコミが伸子のとこにもいくだろうから、しばらく仕事をやすんで、住まいもホテルか信用できる人がいれば泊めてもらうように、そして困ったことがあれば力になるのですぐに連絡下さいとラインした。署の方にも報道陣から質問が来たが捜査中のことなので話せないと答えている。後はと秋津が考えていると電話がなった。鑑識の染谷からだった。
「田中武のDNAが大川花子の膣内の精液のDNAと一致した」
「本当ですか。ありがとうございます」秋津は電話に頭をさげた
「何度も確認したから間違いない、一人は田中武だ」
染谷は力強く言った。秋津と佐藤が田中夫妻の任意同行をしてから2週間がたっていた。
田中武は逮捕されて取り調べが始まった。
否定するかと思ったがレイプについてはDNA鑑定が決定打なったのだろうすぐに認めた。残り2人の名前と住所もすぐに吐いた。二人は新田明34歳と真鍋太一40歳、ネットの小児性愛者の掲示板で知り合い、田中武は二人から20万円づつ受けとっていた。レイプの現場は新田明が一人暮らしをしている自宅、新大川沿いの2階建て1軒屋、自分だけが罪になるのが不公平だと思ったらしい、そこまではぺらぺらと話した。しかし殺人については頑として認めなかった。
秋津が尋問する
「レイプされた子が知らない間に死んでたと言いたいのか?ああそうですかと俺が言うとでも思ってんのか!」
「本当に知らないんだ。裸のままだし、いなくなるなんて思わなかった。、気づいたら部屋からいなくなってた」
「気づいたらいなくなってたどういうことだ?お前たちはなにをしてた?」
秋津が詰問する。
「私たちは花子を2階の部屋に残し1階にいたんだ、2階に行くといなくなってた。本当だ」
武が答える。
秋津は少し考え先ほどよりは優しい口調で
「花子ちゃんを一人にしてお前たちはなにをしてた?」
武が口ごもりながら答える。
「そ、それは相談を」
「相談?何の相談かな?」
「…花子のことを…」
武が答えるが声が小さすぎて聞き取れない。そこで秋津が寄り添うふりをして尋ねる。
「お前にとって花子ちゃんは赤ん坊の時から育てた大事な娘だ。相談したくもなるよな」
すると武がわかって貰ったとばかりに
「そうなんだ。花子は大事な娘だ。夜、眠るときは必ず私が寝かしつけると決まっている。それをあの二人は金を出したから一緒に眠る権利があるとぬかしやがって、たった20万円で何が権利だ」
秋津はその大事な娘を20万円で売ったのはお前だろと心の中では毒づいていたが、何とか抑えて尋ねた
「でどうなった。」
「二人に何とか納得させて私が寝かしつけようと2階の寝室に行ったら窓が開いていて花子が消えてた。わかるだろう、花子は大事な大事な娘だ、あの子は脱皮して羽が生えたばかりまだ1日目、後6日は…」
そこまで言ったところで秋津がとびかかった。田中武の胸倉をつかんで立ち上がらせると殴りつけ叫んだ
「あと6日大人3人がかりでレイプを続けるつもりだったか!」
壁まで吹っ飛んだ武の顔、腹になおも殴りかかる。佐藤は驚いて秋津と田中武を引き剝がそうとするが興奮した秋津を一人では止めることができない。他の刑事が2人が入ってきて3人がかりで何とか二人を引き離す。それでも秋津の勢いが止まらず二人の刑事が必死で止めている。佐藤は壁際で腰が抜けている田中武をかばう様に立つと大声で叫んだ。
「抑えて下さい。秋津さん。暴力で自白させたと言われたら裁判で勝てなくなりますよ!」
それを聞いて秋津の力が抜け二人の刑事の手が離れた。田中武はおそらく初めて殴られらのだろう、茫然としている。それからは秋津は取り調べ室から出され佐藤を中心に聴取がおこなわれた。
聴取の結果、田中武の供述は他の二人の供述とも一致しており、花子をレイプしたのは事実だが、殺してはいない。花子自身が2階の窓から逃げたのだろうとされた。7歳の子供が2階の窓から身一つで逃げられるか検証したがベランダをよじ登り、ベランダにぶら下がるようにようにして土庭に飛び降りる、または塀を伝って下りることは可能とされた。田中家の隣人から花子が2階のベランダから塀に飛び移って困るという証言があったことも考慮されての結果だった。
秋津は納得がいかないかった。上司にくってかかった。
「それじゃ殺人罪は適用されないんですか?花子ちゃんの死は事故ということで決着ですか?」
上司も苦い顔で言う。
「仕方ない、あいつらは逃げると思ってなかったんだ。残念だがわいせつ罪でしか裁けない」
秋津は思った。花子ちゃんが浮かばれない。父親だと思っていた男と見知らぬ二人の男に誕生日にレイプされ、必死で逃げた。新大川の土手を走って走ってどこに逃げるつもりだったのか?足を踏み外して大雨で増水した新大川に落ちて溺れ死んだ。苦しくはなかったか?新大川に捨てられた赤ん坊は新大川で死んだ。運命だとしたら酷すぎる。いいや運命ではない。あいつらが殺したも同然だ。罪に問えなくともあいつらが殺した。
上司が重ねて言う。
「多分、実刑はくらうさ。6年くらいだろうがな。初犯ではないだろうし不公平だとおもうよ。しかし他の3人の子供達は里親がSNSやマスコミに騒がれるのを恐れて証言を断念した。実子については時効だ。10歳の里子からは証言が取れない。俺たちの仕事は捕まえるまでだ。裁くのは法廷だ。」
秋津が無言でいると上司はなだめるように肩をたたくと去って行った。
入れ替わりに佐藤がやってきて言った。
「秋津さん、悔しいですよね。俺もですよ。あの後の取り調べで蝉についてわかりましたよ。田中武は少女たちをレイプしながらお前たちは蝉だ。と何度も繰り返したそうです。7年間幼虫で7歳の誕生日に羽が生えて美しい透き通った蝉になる。蝉になったら7日で死ぬ。お父さんはお前たちが死ぬのが可哀そうでならない。だからこれをしなくてはならない、ってレイプのことですけどね。死なないためのおまじないだから秘密にしておくように、誰かに話したら死ぬって言ったそうです。少女たちを洗脳したんです。最低な奴です。3人でやったのは今回が初めてだったそうです。いつもは自宅で少女たちを7日間レイプしたそうです。小学校に確認も取りました。少女たちの誕生日から7日間、有給休暇を取っています。田中武は7歳の子どもだけに欲情し、自分で屁理屈こねて7日間はレイプしていいと決めたんです。本人は大切な儀式のつもりらしいですが、今回2人を仲間に入れたのが失敗だったと反省の色は全くみえません、それどころか子供達の方から誘ってきたとか言ってます」
秋津はそれを聞いてまた怒りが沸き起こってきた。大人の勝手な理屈で踏みにじられた子供達。俺たちは助けにならない。あいつらは出所したらまたくりかえすだろう。
秋津が黙っているので佐藤は続けて言った。
「田中武は現在、保釈中です。おかしいですよね。あんな犯罪者が保釈なんて。まあマスコミに追われて学校は休職、家から出られない状態ですけど、いい気味です。」
「保釈。マスコミはまだこのネタでもちきりか?」
秋津が言って、警察署のテレビをつける。ちょうどワイドショーの時間だ。テレビでは田中武の家が周辺の家をぼかして大写しになっている。レポーターがインターフォンを繰り返し押している。答えはないが中の人間はたまったものじゃないだろう。田中家にはもう里子は一人もいない全員児童相談所に保護された。今いるとすれば田中武と和子の2人だけだろう。数日前、保釈になった武が家の中に入って行く映像が繰り返し流されたから家の中にいるのは確かだ。家は雨戸が閉められ中の様子は見えないが出てきた途端、マスコミに囲まれるはずだ。家の中で武と和子は夫婦喧嘩しているだろう。多分和子はヒステリーを起こし武は怒鳴りつける。マスコミは誰もでられないように24時間家を包囲しているようだ。
いい気味だと秋津は思ったが一方新しい事件が起こればマスコミは忘れてしまうだろう、正義はないのかとも思った
だがその日の夜、マスコミの目をさけて田中家に忍び込むものがいた。
田中武の保釈から1週間、誰も家の中からでてこない。食料をよっぽど買い置きしていたのだろうか?とマスコミが訝しく思い始めたころ、田中家から異臭し始めた。マスコミが通報し警官が家の中を確認したところリビングで田中武と和子の刺殺体が発見された。和子は背中から包丁で心臓を一突き、武はためらい傷らしい無数の傷と最後は首を切って死んでいた。リビングは血まみれで死体は腐敗が始まりハエがたかり蛆がわいていた。警察の制止をふりきりマスコミが田中家になだれ込み殺害現場を実況中継した。
詳しくは鑑識の結果まちだが田中武による無理心中、被疑者死亡により捜査は決着した。
秋津は天罰だと思った。気の弱い武が一人では死ねず妻を巻き込んで心中したのだろうが、妻も夫の所業を見て見ぬふりしていたのだから同罪だ。同情する気にはなれなかった。秋津は神を信じていなかったが無性にマザーアンナに会って話をしたくなった。マザーアンナとは謝罪の電話したきりだったが、どうしているだろう。最初のころは聖母の園に集まっていたマスコミが田中家に集中してくれてよかった。そんなことを秋津が考えていた時、鑑識の染谷からの呼び出しを受けた。解剖結果がでたのだ。
染谷の解剖結果は意外なものだった。
「田中武は和子より一日以上早く死んでいる。つまり和子を武は殺せない。和子も背中から心臓を一突きだから自殺とは考えられない。武は首の傷が致命傷だがこれは後ろから喉を一気にきりさいている。つまり自分では切れないわけだ。和子が切ったということも考えられるが、!凶器が台所の包丁で切れ味が良くないものだから、相当の力と覚悟がないとできない。中年女性の力で、できるかと聞かれたら俺は無理だとおもうよ。それと武の傷は致命傷にならない程度に深く出血と痛みを与えるのを目的としたもの、つまり拷問だな、それが無数にあった。二人とも血まみれで初見ではわからなかったが手首と足首に縛られた痣があった。さるぐつわもされたのだろう。二人とも縛られ田中武が拷問の末殺され、和子は死んだ夫を1日近く見せられた末、縄を解かれ逃げようとしたところを後ろから心臓を一突きされ殺害、これも相当に手慣れた上に力のいる犯行と言える」
秋津が尋ねた
「すると二人は殺人事件、心中ではない。和子が夫の遺体を1日以上みせられたというのは子供達への虐待をただ見ていただけということへの報復ですかね」
「うーん犯人の気持ちはわからないがその可能性は高いな」
「殺しにしても心中にしても所轄が違う。俺たちの手は離れました」と秋津は言った。
エピローグ
晴れた公園墓地の片隅に秋津と伸子がいた。
「秋津さんが手伝ってくれて本当に助かりました。ありがとうございます」
と伸子が言った。
「いやこちらこそ連絡貰えて良かった。マスコミの対応と葬儀の手配、相続とやることはたくさんありすぎる。少しでも手伝えて良かった。それにしても俺がマスコミから逃げろと言った時、すぐに海外旅行に行くとは思わなかったよ。おかげで早々に容疑者から外れて良かった。こんな完璧なアリバイはないからね」
と秋津がいうと
「だって私、友達なんていないし、隠れるなんて嫌だからパーッと海外旅行で忘れよとうと思って申し込みしたんだ、帰ってきたらあいつらは死んだと言われるしビックリした」
「ビックリするよな、親が死ねばやることはたくさんあるし」
と秋津が答える。
「秋津さんがいなかった直葬なんてわからなかったし、この公園墓地の樹木葬なんてのも知らなかった」
「墓に入れたりしたら墓参りとか面倒だし、したくないだろう。引き取り拒否もできたけど、それは伸子さんがケジメはつけたい。ということだったから一番手がかからない方法で。気持ちも収まるかと思ってね」
「あいつらが死んだら楽になるかと思ったけどそうでもないね」
と伸子が言った。
「そうだなぁ。受けた傷は何年たっても消えはしないだろうが、だんだん過去にあったこととして割り切れるようになるといいね。」
秋津が言うと伸子が尋ねた。
「あの秋津さんも、もしかして虐待された側ですか?ごめんなさい、変な事言って」
秋津は伸子の方をみて答えた。
「俺はネグレクト、シングルマザーで親父は誰だかわからない。物心ついた時には母親はいつも男と遊び歩いて家にいなかった。俺はいつも腹をすかして冷蔵庫の中をあさってた」
「もひとつ聞いていい」伸子が声を落として言う
「あいつら殺したの秋津さん?」
秋津が答える
「残念ながら違う。俺は刑事だからね」せいぜい殴るくらいだなと心の中で思う。
「まあお互いまだ大変だけどゆるゆる生きて行こう」
秋津が青空に目を細めながらが言う。もう蝉はないていなかった