vs執事
オーガストがうちの子になって半年。ある日執事であるセプテルが、深刻な表情で私を見て来た。
「お嬢様」
「なに」
「少しご相談がございます」
「お父様より年上のセプテルが、まだ10歳にも満たない私に?」
どう考えてもおかしな話。訝しんで首を傾げる私がおかしいのだろうか。
「はい。お嬢様に、でございます」
セプテルは、私の疑問に間違いない、とでも言うように深く頷いて肯定する。……いやいやいや。まだ8歳の私と、日本で言う成人をとっくに迎えて20年以上は経過しているだろうセプテル。それで何故セプテルの人生相談を8歳の私が親身になって聞く必要が有るのか。
「お嬢様は、神の気紛れ子ですから。私めには想像もつかない知恵をお持ちになられている、と思いますので」
はい、出たー。神の気紛れ子。あの女、ほんっとうに厄介な設定を付けてんな。なんだって私があの女の物語に生まれ変わって来なきゃいけなかったんだよっ!
虐められていたあの女と手を取り合っていじめっ子たちに歯向かっていたのは最初のうちだけ。あの女、よりによっていじめっ子のリーダーが、私達が手を取り合っている事が気に入らなかったから、私を捨てれば虐めないって言葉で簡単に裏切った。
まぁ気持ちはわからないでもない。誰だって虐められたくないし、虐められない為ならなんだってやるだろう。理性ではあの女の考えを受け入れられた。だが、感情で許せるわけがない。あの女は自分の代わりに私が虐められているのをいじめっ子のリーダーとその仲間達の背後から見ていた。
見ていただけ。
それならばまだ、私も何とか気持ちを落ち着かせた。
だが。あの女が申し訳ない、という表情を見せていたのは最初だけ。そのうち、奴等と同じように私を嘲り、笑い、虐めて……最終的には率先して私を貶めて来た。
今でもあの女の言葉は忘れられない。
ーー聖人君子みたいな顔で助けて来たけど、それがどれだけうざかったか。これ見よがしに情けをかけてきて、この偽善者! 自分が今度は私の立場に堕ちてどんな気持ち? お優しいあなたは、こんな立場でも私を憐んで「あなたはわるくないわ」と言ってくれるのかしら?
この言葉を聞かされた直後に、私は階段から突き落とされた。そして母親に打たれた時にあの女が作ったジューンの身体の中に、私の意識が有った。
そして思った。
誰かを助けようと手を伸ばしたって良いことなんて一つも無い。
私が死んだのが良い例だ。
だったら今度は手を伸ばさない。救われたいなら自分で救われろ!
きっとあの女は、虐められている自分を哀れんで悲劇のヒロインを演じているのが好きだったに違いない。本当に気紛れであんな女に手を伸ばすなんてしなければ、良かった。
そんなことを私が考えながら、セプテルを自室に招く。
どうしてか、相変わらず私にベッタリと貼り付く兄と、これまたうちの子になってから貼り付くようになった従弟……いや義弟も一緒だ。いや、おかしいだろ! セプテルは私に話が有るって言ってるんだよ⁉︎ 何故あんたらも話を聞こうとしているのさ!
「セプテル。メイとオーガストは追い出そうか?」
「いえ。お嬢様が問題無ければ構いません」
「そう。まぁ内容が分からないから何とも言えないけど。それで?」
「お嬢様は、神の気紛れ子。どうかお知恵を頂きたいのでございます」
話を促せば、セプテルが恭しく私に頭を下げた。ーーいや、要らんわ、そういうの。早く話してくれないかな。
「神のきまぐれ子?」
私の右腕にメイが貼り付いているが、その声は左から聞こえて来たので、左腕に貼り付いているオーガストのもの。オーガストが不思議そうに首を傾げたのでセプテルが説明を始めた。
「神の気紛れ子。時折、小さな頃からまるで大人のように物事を考える天才が居ます。生まれた時から、という子も居れば、何かの拍子に、という子も。それこそ神様の気紛れのように突然。多くは10歳を迎えるまでにその兆候……天才だと分かります。お嬢様は4歳でございましたね」
「ジューン、凄いね!」
セプテルの説明にオーガストがキラキラした目を向けて来るが、ヤメロ。私をそんな純粋な目で見るな。単に前世の記憶が呼び覚まされただけだ。キラキラした目を向けられるような人間じゃない。スレてるぞ、私は。
「凄くない。それよりセプテル、話を聞くから教えて」
神の気紛れ子だかなんだか知らんが、そんな純粋な目を向けられるよりは、セプテルの話を聞かされた方が私の精神的に安定する。促せば、セプテルが真顔……いや、深刻な表情を浮かべた。その眉間の皺といい、硬い顔付きといい、それこそ10歳にもならない子どもに見せる顔じゃないんだが。
「お嬢様。リンリドル侯爵家の資産をご存知でしたね?」
「うん? そうだね。取り敢えず、侯爵領の領地経営だけでなくお父様が何かに手を伸ばしているようで、この国の半分の半分くらいの稼ぎは有るらしいね?」
この世界、1/4みたいな分数や少数どころか掛け算と割り算の概念も無いんだよな、私の知る限り。学園とやらに通う頃には掛け算割り算の概念くらい、有るのだろうか。
「はい。今まではそうでした」
「今までは?」
「この1年程、資産が目減りしているのです」
「……領地に何か有った?」
「いえ、領地は滞りなく。そうではなく、旦那様が行なっている事が……」
「そもそも、領地経営と大臣の仕事でそれなりに稼いでいるはずだよね。更に何をして資産を増やしているの」
「お嬢様は、先物買い取り引きをご存知ですか?」
「流行しそうな物を予想して安い時に大量に買って流行し始めたら、大量に買った物を少しずつ流通させるアレ? 一気に買った物を流通させると値段が安くなるから安くならない所を見極めつつ……ってまさか! 流行する物の目利きが上手くいってないってこと⁉︎」
「はい」
「どういうこと?」
「最近、先物買い取り引きを長年協力して下さっていた商会と旦那様が仲違いしまして」
「何故」
「オーガスト様のお母上にあたる方のご実家と懇意にしている商会だったのですが最近代替わりされまして」
つまり、父の愛人の実家と付き合いの有った商会が代替わりして、父との付き合いを改めた、といった所か。商人にしては随分骨のある人物らしい。
「それってお母様のせい? お父様とケンカしているから?」
オーガストが不安そうに言う。セプテルならば、父と叔父夫婦の関係をきちんと把握しているだろう。半年経っても拗れているのかまでは、知らないが。
「左様でございますね……。無いとは言えませんが、ケンカだけが原因では無いですから」
「やっぱりお父様とお母様がケンカしているのが……」
「オーガスト。そこは気にしなくていいんだよ。お兄様。オーガストと庭で遊んでいて下さい。セプテルとの話が終わったら、庭でお茶をしましょう」
「分かった。オーガスト、おいで」
2人が私の部屋から出るのを見送って、私は単刀直入に尋ねる事にした。
「セプテル。叔母様はお父様の愛人でしょう。叔父様はその事をご存知無くて叔母様と結婚した? そしてオーガストがお父様の子だと知らずに居たのに、最近知ってしまってケンカになった?」
「お嬢様はそこまで見抜いていらっしゃいましたか……。左様でございます。オーガスト様は、旦那様の子。それを知って喧嘩になりました。ですが。実は、お二人は仲直りされて、オーガスト様をご自分達が育て上げるおつもりです」
「それはいつの話?」
「1ヶ月程前でございます」
「それなのに、オーガストがリンリドル家にいるってことは……お父様が、叔父様と叔母様が仲直りしたことを気に入らないってことか。叔母様は日陰者の身より、きちんと誰かの妻という立場を得られる今の方が幸せなのかもね。そしてなんだかんだで叔父様と叔母様の間には、愛情か別の絆が生まれている、といった所……。それをお父様が気に入らず、オーガストを叔父様と叔母様に渡さないってことか。それで叔母様のご実家が懇意に付き合っていた商会って?」
「それが、代替わりされた新商会長の奥方があの方の姉君で」
「つまり、叔母様のお姉様が商会長の奥様になって、叔母様の境遇に不憫だと思っているのか、嫌悪しているのか、別の理由か、はともかく。境遇に不満でお父様との付き合いを切った?」
「はい。それで旦那様が独自で先物買い取り引きを行おうと、流行しそうな物を予想しているようですが……」
「目利きが下手で予想が大外れ。在庫だけ抱えて赤字ってことか。ちなみに、その売れていない商品って流行しないと売れないような物?」
「と、仰いますと?」
「例えば、ドレスなんか流行を外していると売れないけど、食器や家具なんかは流行から外れていても物が良ければ多少安くても売れるでしょう?」
「ああ、そういう事でございますか。左様でございますね。物品が置かれている倉庫を確認してみます」
「売れそうなら先物買い取り引きの時の値段より安くていいから売って、売れなさそうな物は、例えばドレスは貸し衣装に払い下げてしまいなさいな。下位貴族の方でドレスを買えない令嬢や奥方は貸し衣装を使用するでしょう? 加工される前の宝石ならば宝石商に。加工されている装飾品なら、教会で行われるバザーに出品するとか、色々手は有るわ。後、そうして在庫を綺麗にしたなら、私の発案だとお父様に報告して頂戴」
「お嬢様、それは……」
私が神の気紛れ子だと気付いたセプテルに、お父様とお母様には話さない事を告げてある。でも、この一件を報告すれば、私にそんな事が出来るわけがない、というお父様にセプテルは私が神の気紛れ子だと言うだろう。
「構わない。いい加減、メイお兄様だけでなく、オーガストにも張り付かれて邪魔なのよ。叔父夫婦の元に帰らせるといいわ。私が神の気紛れ子だと分かれば、あのお父様のこと。私に利用価値を見出すだろうから、私の意見には逆らえないはず」
「お嬢様は……お優しい。オーガスト様が帰りたがっている気持ちを汲んで差し上げるなんて……」
「優しいわけじゃないわよ。ただ、鬱陶しいだけ」
「そういう事にしておきましょう」
クスクス笑ったセプテルは、さぁお庭でお茶をしましょうね、と準備に行ってしまう。全くもう……。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
今更ながらですみませんが、ヒロイン(エイプリル)は出ません。あくまでも救えないのがテーマの話なので、ヒロイン出たら救われる話になってしまいますので。